ジョアシャン・デュ・ベレーの遺骨 ノートルダム・ド・パリで発見!Joachim du Bellay à Notre-Dame de Paris

16世紀のフランスで、ピエール・ド・ロンサールとともにプレイヤード派の礎を形成した詩人ジョアシャン・デュ・ベレー(Joachim du Bellay, 1522- 1560)の墓が、2024年9月、パリのノートルダム寺院で発見された。

Les fouilles archéologiques à Notre-Dame ont permis de découvrir une sépulture qui pourrait être celle du poète Joachim du Bellay, dont on sait qu’il a été inhumé dans la cathédrale sans connaître l’emplacement exact, ont indiqué des chercheurs de l’Inrap lors d’une conférence de presse mardi 17 septembre.

続きを読む

ジョアシャン・デュ・ベレー 「一生が一日よりも短いならば」 Joachim du Bellay « Si notre vie est moins qu’une journée » プラトニック・ラブの神話

ジョアシャン・デュ・ベレー(Joachim du Bellay)は、プレイアッド派の中心的なメンバーの一人。
イタリアの詩人ペトラルカが用いたソネット形式と、プラトン哲学に基づく愛の概念をフランスに導入することに、大きな役割を果たした。

ソネット(sonnet)は、2つの四行詩(Quatrain)と2つの三行詩(Tercet)の、14行からなる詩の形式。
韻に関しても、最初の8行はabba abba、次の6行は、cde cde、cdc cdc、cdc dcdなど、基本的な形が決められていた。

ペトラルカは、ソネット形式を用いて、ラウラと呼ばれる女性に捧げた恋愛抒情詩を書き、イタリアだけではなく、16世紀フランスの詩人たちに圧倒的な影響を与えた。

恋愛を歌うことは、人間的な自然な感情の表現であると思われるかもしれない。しかし、古代の文藝を再評価したルネサンスの時代には、哲学者プラトンから出発した愛の神話 — プラトニック・ラブ — を歌うことでもあった。

続きを読む