ジョアシャン・デュ・ベレー 「一生が一日よりも短いならば」 Joachim du Bellay « Si notre vie est moins qu’une journée » プラトニック・ラブの神話

ジョアシャン・デュ・ベレー(Joachim du Bellay)は、プレイアッド派の中心的なメンバーの一人。
イタリアの詩人ペトラルカが用いたソネット形式と、プラトン哲学に基づく愛の概念をフランスに導入することに、大きな役割を果たした。

ソネット(sonnet)は、2つの四行詩(Quatrain)と2つの三行詩(Tercet)の、14行からなる詩の形式。
韻に関しても、最初の8行はabba abba、次の6行は、cde cde、cdc cdc、cdc dcdなど、基本的な形が決められていた。

ペトラルカは、ソネット形式を用いて、ラウラと呼ばれる女性に捧げた恋愛抒情詩を書き、イタリアだけではなく、16世紀フランスの詩人たちに圧倒的な影響を与えた。

恋愛を歌うことは、人間的な自然な感情の表現であると思われるかもしれない。しかし、古代の文藝を再評価したルネサンスの時代には、哲学者プラトンから出発した愛の神話 — プラトニック・ラブ — を歌うことでもあった。

プラトン哲学における基本的な世界観は、『国家』の中で語られる「洞窟の比喩」を通して理解することができる。

人間は生まれた時から洞窟の中にいて、奥の方だけを見て生きている。そして、自分では気づかないのだが、手かせ、足かせ、首輪を付けられている。そのために、振り返って洞窟の入り口の方を見ることができないし、振り返ろうともしない。

人間の背後には火が燃えている。その火と人間の間では様々な物が通り過ぎ、洞窟の奥の壁に影絵のように映し出される。
人間は、その影を「現実」だと思い込んでいる。
つまり、プラトン哲学では、人間が現実だと思っているのは、影に過ぎないことになる。

もし人間が自分を縛っているものを解き、洞窟の入り口の方を見れば、これまで現実だと思ってきたものが、実際には影にすぎないことに気づく。
さらに、洞窟から出て、地上に出れば、太陽こそが光の源泉であり、全てのものの根拠であることに気づくことができる。
プラトン哲学では、そこが「イデア」と呼ばれる。

プラトンは、人間を肉体と魂に分け、魂は生まれる前にイデア界を知っていたと考える。
人間が生まれることは、魂が肉体という監獄に閉じ込められること。

魂をそうした囚人のような状態から解き放ち、再びイデア界に戻ることを可能にしてくれるのが、愛の力である。
愛は、地上(洞窟の影)で肉体という監獄に閉じ込められた魂を、肉体から解放し、イデア界へと向かわせる力なのだ。

プラトンは、『パイドロス』の中で、魂の姿を、二頭立ての馬と手綱を操る御者として描く。
二頭の馬と御者にはそれぞれ「翼」が生えている。
右の馬は美しく節度・慎みのある善い馬。
左の馬は醜く放縦・高慢な悪い馬。
御者はその二頭の馬の馬車に乗り、神々について、上空を飛び、時にはイデア界に顔を出して、善のイデア、美のイデア、真理のイデアなどを眺める。
それは、「秘儀」と呼ばれる。

そうした魂は、地上にいるときには、秘儀の記憶も薄れ、翼も肉体の蝋で固められいる。
ところが、美しい人(「美」)を目にすると、秘儀で見た真実の美、美のイデアを思い出し、上空を眺め、地上のことをなおざりにするようになる。
愛する人のことを思うだけで、喜びと苦しみが混じり合った不思議な感情に心が乱され、狂気にさいなまれる。そんな時には、人々から「狂気」であると非難を浴びる。
しかし、この「狂気」は、天上を想起していることの証である。

秘儀の記憶を留めている魂は、愛する人を目にすると、心が震え、汗や熱が出、視覚を通して受け入れた「美」のうるおいによって蝋が溶け、翼が生え始める。
さらに、二人が接していく中で、恋する者の熱は視線を通して相手にも達し、相手の魂にも翼が生え始める。
そのようにして、愛し合う魂は、イデア界へと上っていくことができる。

肉体的な交わりではなく、精神的な交わりによって、地上の超えた永遠の世界へと達する愛。それがプラトニック・ラブの本質をなしている。

Boticelli, la Naissance de Vénus

ジョアシャン・デュ・ベレーは、「一生が一日よりも短いならば(Si notre vie est moins qu’une journée)」を書くにあたり、ペトラルカに倣いソネット形式を用い、内容はプラトニック・ラブそのもの。
しかも、その詩には、16世紀の新しい時代意識も反映している。

2つのカトランでは、永遠と時間が対比的に捉えられ、現実は時間が儚く過ぎ去る暗黒の世界であると歌われる。

Si notre vie est moins qu’une journée
En l’éternel, si l’an qui fait le tour
Chasse nos jours sans espoir de retour,
Si périssable est toute chose née,

Que songes-tu, mon âme emprisonnée ?
Pourquoi te plaît l’obscur de notre jour,
Si pour voler en un plus clair séjour,
Tu as au dos l’aile bien empennée ?

もし、私たちの一生が、一日より短いならば、
永遠と比べて、もし、巡り来る一年が、
回帰する希望もなしに、私たちの日々を追い払うならば、
もし、生まれ出る全てのものが消滅するのならば、

監獄に閉じ込められた我が魂よ、お前は何を夢見るのか? 
なぜゆえに、この世の日々の闇がお前の気に入るというのか?
もし、はるかに明るい地へと飛び立つために、
お前が背中に羽根をつけているなら。

en l’éternelはpar rapport à l’éternelで、「永遠と比べると」の意。
年が巡る( l’an qui fait le tour)かもしれないというのは、時間が戻ってくるという、循環論的な考え方を意味している。
ルネサンス以前には、時間は回帰するものと考えられるのが一般的だった。従って、年が巡るというのは、ルネサンス以前の考え方に則っていると考えられる。

Michel-Ange, Nuit

それに対して、追い払う(chasser)という言葉は、時間を追い立てる感じがよく出ている。
さらに、回帰する希望もなしに(sans espoir de retour)で、時間が戻ってこないことが示される。
つまり、時間は、直線的に進み、二度と戻らないという考え方に基づいた表現がなされている。
そうした世界観では、どんなものが生まれても(toute chose née)、儚く、いつかは消滅してしまう(périssable)。

第2カトランは、プラトンの『パイドロス』で語られた愛の秘儀に基づいている。
プラトンにおいて、肉体は魂(âme)の監獄(prison)。
監獄に閉じ込められた魂(mon âme emprisonnée)という表現は、まさにプラトンを思わせる。

Antoine Canon, Les Massacres du Triumvirat

魂は肉体に閉じ込められる以前、天上(イデア界)にあった。
そして、その時、真、善、美などのイデアを見ていた。
その後、地上(現実界)に落ち、暗い肉体に閉じ込められる。
この世の日々の闇(L’obscur de notre jour)というのは、その状態を指す。
この世は、洞窟の奥の闇の世界なのだ。

しかし、美しい人を目にすると、愛の熱によって背中に付いている翼が復活する。
「お前が背中に羽根をつけている(Tu as au dos l’aile bien empennée)」も、プラトニック・ラブのイメージそのもの。
その翼のおかげで、「はるかに明るい地(un plus clair séjour)」、つまりイデア界へと羽ばたいていくことができる。

2つのテルセでは、イデア界が示され、美のイデアが喚起される。

Là, est le bien que tout esprit désire,
Là, le repos où tout le monde aspire,
Là, est l’amour, là, le plaisir encore.

Là, ô mon âme au plus haut ciel guidée !
Tu y pourras reconnaître l’Idée
De la beauté, qu’en ce monde j’adore.

そこに、あらゆる精神が望む善がある。
そこに、全ての人が憧れる休息がある。
そこに、愛があり、そこに、喜びが残っている。

そこだ、おお、至高の天に導かれた我が魂よ!
お前はそこで、再び見出すだろう、美の
イデアを。この世で私が熱愛するものを。

Triomphe de l’amour

4つの詩行の冒頭では、同じ言葉で始まるアナフォールという詩の技法が用いられ、そこ(là)が強調される。
さらに、第2テルセの最初に、魂が導かれる「最も高い天」(le plus haut ciel)という説明が付け加えられ、そこ(là)がイデア界であることが明示される。

では、ジョアシャン・デュ・ベレーが、そこ=イデア界にあるとするものは何か?
1)善
2)休息
3)愛と喜び

最後の2行では、プラトンの「想起説」が、「再び見出す(reconnaître)」という動詞ではっきりと示される。
地上で肉体の監獄に閉じ込められる前に、魂は、天上で、イデアを見たことがあった。その結果、地上で美しい人を目にすると、美のイデアを想起する。
その想起説に基づき、詩人である「私」は、この世で美を熱愛し(adore)、天上で美のイデア(Idée de la beauté)を再認する(reconnaître)。

このように、「一生が一日よりも短いならば」は、16世紀におけるプラトニスムの愛の理論を誰にもわかるように教えてくれる、教科書のような詩だったのかもしれない。

Antoine Canon, Auguste et la Sibylle de Tibur

ただし、無味乾燥な教科書ではなく、ペトラルカのソネット形式に倣い、美しい詩としての技巧も凝らされている。

韻は、abba abba ccd eed

テルセでは、 là のアナフォールがイデア界を強調する。
その前のカトランでは、si のアナフォールが効果的に使われ、地上の不確かさを示していた。

最後の14行目の詩句では、[ o ]のアソナンス(母音反復)が用いられ、美(beauté)と熱愛する(adore)が響き合う。そのハーモニーによって、詩人がこの世で愛する美が、美のイデアへの鍵であることが暗示されている。

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