ランボー 「感覚」 Rimbaud « Sensation » 自然を肌で感じる幸福

「感覚(Sensation)」は、15歳のランボーが、高踏派を代表する詩人テオドール・ド・バンヴィルに宛てた1870年5月24日付けの手紙の中に同封した詩の一つ。

その手紙でランボーは、16世紀の詩人ロンサールを起源とし、ロマン主義から高踏派へと続く、「理想の美(la beauté idéale)」を追い求める詩人たちを真の詩人と見なし、その系譜の中に自分を位置づけている。
「感覚」はその言葉を証明するために同封された詩だった。

「感覚」の中で使われる動詞が全て単純未来で活用されるのは、「私(je)」の感じる幸福感が、これから実現されるはずの「理想」であり、15歳の少年詩人がその感覚に「美」を見出したことを示している。

Par les soirs bleus d’été, j’irai dans les sentiers,
Picoté par les blés, fouler l’herbe menue :
Rêveur, j’en sentirai la fraîcheur à mes pieds.
Je laisserai le vent baigner ma tête nue !

夏の真っ青な夕方、ぼくは小径を歩いて行くだろう、
麦の穂にちくちくさされながら、細い草を踏んで。
夢見心地の中で、草のひんやりとした感覚を感じるだろう、ぼくの足に。
風が浸すままにしておくだろう、帽子をかぶらないぼくの頭を!

続きを読む

la banane(ウエストポーチ)の再流行

ウエストポーチ(la banane)が再流行しているというニュース。

Tendance : la banane

C’est un sac qui a retrouvé une certaine allure. Longtemps boudé, le sac banane est à nouveau de sortie.
Mais aujourd’hui, il ne se porte plus trop à la ceinture mais en bandoulière. “Ça me rappelle ma jeunesse. Ce sont des sacs qu’on portait quand on avait 20 ans, ça revient à la mode, c’est super !”, s’exprime une mère de famille.
Si vous doutez encore de son esthétique, son côté pratique fait quasiment l’unanimité. Contre soi, tout est à portée de main.
Mais alors, que renferme votre banane ?
“Carte bancaire, le rouge à lèvres et le téléphone”, cite une seconde mère de famille.
“Toutes les affaires dont on a besoin : portefeuille, lunettes… Et c’est ultra-pratique”, ajoute une autre.
Conçu initialement pour les skieurs, il a été adopté par les randonneurs des années 90, avant de devenir un accessoire de mode. Et depuis, le sac banane a fait du chemin. Il n’a qu’à regarder les réseaux sociaux pour comprendre le retour en force de cet accessoire.

日本を経済的側面から読む

日本の現状について様々な情報がもたらされるが、しばしばそれぞれが特定の話題に特化しているために、総合的な視点から現在の日本の現状を把握することがけっこう難しかったりする。

ここでは、いくつかの経済的な視点をまとめながら、今の日本を読んでみたい。
経済に視点を置くのは、家庭の経済的な格差が子供の学力に影響し、その結果、社会的格差が固定化される傾向が強いと考えるからである。

もちろん、これは一般的な傾向であり、例外があることは当然のことである。
しかし、この結果が例外的な例ではないことは、日本の相対的貧困率の高さが示している。

この悪循環から抜け出すためには、社会の構造を変えない限り、学歴を上げるしかないというのが現状である。

続きを読む

AIと倫理

ChatGPTが爆発的な普及をしたために、AIの倫理が話題になっている。ところが、実際に何か問題なのかは、必ずしも明快ではない。

2023年5月に、AI開発の中心人物とされるジェフリー・ヒルトンが、AIの危険性を自由に訴えるために、Google社を退社したというニュースが流れた。
ヒルトンは、AIの危険性として、人間の制御を超えて予測不可能な振る舞いを示す可能性、人間の様々な判断において人間に取って代わる可能性、人間の雇用を奪う可能性、AIによって作り出される情報や画像の真実性とフェイクの区別の困難さなどをあげ、「社会と人類に深刻なリスクをもたらす」可能性があるとし「AIを制御できる方法を見つけるまで技術を拡大させるべきではない」と指摘した。

この主張は、2023年3月「AIを制御できる方法」を模索するために半年間の開発中止の訴えを行ったイーロン・マスクたちの発想と軌を一にしている。
ただし、マスクはその1ヶ月後には、巨額の予算を投入してAI開発のための会社を立ち上げた。
そのことは、2000人以上の署名を集めた公開書簡の意図が、「社会や人類に深刻なリスク」を検討するためではなく、「半年間の開発中止」だったことを明らかにしている。

AIの倫理を考える際に、ジャフリー・ヒルトンとイーロン・マスクの例をあげたのは、同様の言葉を前にして、どのように読み取るかは私たち一人一人にかかっているということを示すためである。

続きを読む

ポール・ヴェルレーヌ 印象派の詩人 2/2 「印象」と「心象スケッチ」

Monet, Impression, soleil levant

ポール・ヴェルレーヌを代表する『言葉のない歌曲集』が出版されたのは1874年。クロード・モネの「印象 日の出」が展示された、いわゆる第一回印象派展が開催されたのと同じ年だった。
この偶然は、ヴェルレーヌの詩が印象派の絵画と同じ種類の美を目指していることを示す、「意味ある偶然」だといえる。

彼らの新しさは、絵画、詩の言葉、ドビュシーなど音楽家であれば音楽によって、「印象」を表現しようとしたことだった。

私たちは「印象」という言葉を、普段何気なく使っている。第一印象がいい、印象が薄い、印象的な風景、等々。しかし、「印象」とは何かを考えることは少ない。

印象が生じるためには、二つの要素が必要になる。一つは、見たり聞いたりする人間。もう一つはその対象となるもの。
一人の人間が、ある対象を見たり聞いたり触ったりした時、心の中で感じるものが、印象と呼ばれる。

そこで注目したいのは、同じものに対しても、印象は人によって異なるだけではなく、場所の違いや時間の経過の中でも違う可能性があるということ。
印象派の画家たちが、同じ対象を何度も描いたのは、時間の経過に従って光は絶えず変化し、その当たり方によって違って見えるから他ならない。

そうした視点から考え直してみると、「印象」とは、五感が捉える対象とその刺激を受け入れる心、つまり外界と内面の共同作業から生まれる不安定な感覚であることがわかる。

そのため、「印象」に基づいて表現された世界像は、現実に忠実な写実的な映像でもなく、現実の核を欠いた空想的な映像でもない。
こう言ってよければ、それ自体で、一つの自立した世界を作り出している。
モネのサン・ラザール駅は、現実の駅を再現しているのではなく、1枚1枚が、それぞれのサン・ラザール駅なのだ。

ヴェルレーヌの「巷に雨が降るごとく」(掘口大學訳)でも、同じことが言える。
雨が降るのは外界だが、「同時に」、心の中にも涙が降る。というか、雨が降るのは、外界と心が一つになった「印象」の中なのだ。

心の中に涙が降る。
街に雨が降るように。
私の心を貫き通す
この物憂さは何だろう。           (「忘れられたアリエッタ 3」)

続きを読む

ポール・ヴェルレーヌ 印象派の詩人 1/2 短調の調べ

ポール・ヴェルレーヌは日本で最もよく知られたフランスの詩人だといえる。
「秋の日の ヰ゛オロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し」(上田敏訳)や、「巷に雨の降るごとく われの心に涙ふる。かくも心ににじみ入る この悲しみは何やらん?」(掘口大學訳)といった詩句は、いつの間にか私たちの記憶に入り込み、消えることがない。

ヴェルレーヌの詩は、日本人の心にすっと入ってくる親しさを持っている。
「あはれ」が美学の根底にある日本的な感性は、「悲しみ」が通奏低音として流れるヴェルレーヌの詩句の美しさを、そのまま受け入れることができるのかもしれない。

その一方で、翻訳で読む限り決して理解できない部分もある。それは、ヴェルレーヌの詩句の音楽性。
ヴェルレーヌは「詩法」という詩の中で、「何よりも先に音楽を」と詠い、詩の第一の要素は音楽であることを強調した。
翻訳で読む限り、ヴェルレーヌの詩句の持つ音色、リズム、ハーモニーなどを知ることができない。
どの翻訳に関しても同じことなのだが、ヴェルレーヌ(そして、ランボー、マラルメたち)の詩では、とりわけ音楽性が重要なのであり、翻訳で読むことの限界は理解しておく必要がある。

「フランス文学の道しるべ」の紹介では、翻訳でフランス文学を読むことを前提にしているので、ヴェルレーヌの詩句の音楽的な側面については触れないで進めていく。

ヴェルレーヌの詩に親しむための最もよい解説は、クロード・モネの「印象 日の出」かもしれない。
その絵は、モネの仲間の画家たちが最初に企画した1874年の展覧会に展示され、「印象」という題名から、彼らの絵画が印象派と呼ばれることになったものだった。

その1874年、ヴェルレーヌの『言葉のない歌曲集』も出版された。
それは「意味のある偶然」。
印象派の画家たちが絵画で試みたこと、ヴェルレーヌが詩の世界で行おうとしたこと、どちらも「印象」を固着することが課題だった。

続きを読む

芭蕉 『おくのほそ道』 不易流行の旅 5/7 象潟  魂をなやます美

太平洋側の旅と日本海側の旅という二つの側面からなる『おくのほそ道』の中で、「象潟(きさがた)」は「松島」と対応し、芭蕉は、「松嶋は笑ふがごとく、象潟はうらむがごとし」とした。

その対比は、決して、太平洋側(表日本)の松島が「明」で美しく、日本海側(裏日本)の象潟が「暗」で美しさが劣るといった、近代的な固定観念に基づいているわけではない。

そのことは、芭蕉が敬愛する西行の和歌を読めば、すぐに理解できる。

松島や 雄島の磯も 何ならず ただ象潟の 秋の夜の月  (「山家集」)

(確かに松島や雄島の磯の光景は美しいが、しかし、それさえも何でもないと思えてくる、象潟の秋の夜の月と比べれば。)

旅立つ前の芭蕉が何よりも見たいと思った「松島の月」でさえも、象潟の月に比べたら何のことはない。そう西行は詠った。
ここに、明暗、表裏に基づく美的判断はない。

象潟を描くにあたり芭蕉の頭にあったのは、もしかすると、吉田兼好の『徒然草』の一節かもしれない。

花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。
雨に向かひて月を恋ひ、たれこめて春の行方も知らぬも、なほあはれに情け深し。

満開の花や満月だけが美しいのではなく、雨のために見えない月を見たいと望み、垂れ込めて(=家の中にこもっているために)、春が過ぎていく様を見ることができないということも、日本人の美意識に強く訴えかけてくる。

芭蕉と曽良が酒田から象潟に向けて出発したのは、旧暦の6月15日、現在の暦だと7月31日のこと。
朝から小雨が続き、昼過ぎには強風になり、その日は吹浦(ふくうら)に宿泊した。そして翌日、象潟に向かったが、到着した時も雨の中だった。
雨の象潟もまたいいものだ、と芭蕉は思ったことだろう。

『おくのほそ道』を執筆するにあたり、芭蕉は松島に匹敵する散文で象潟を描き、さらに最後に二つの俳句を置いた。

(朗読は44分29秒から46分58秒まで)
続きを読む

芭蕉 『おくのほそ道』 不易流行の旅 4/7 松島 造化の天工 

おくのほそ道の旅に芭蕉を誘った最大の理由は、序の中で告白されるように、「松島の月まず心にかかりて」ということだった。

その松島を実際に目の前にした時、芭蕉は景観の美しさに心を深く動かされたに違いない。旅人の感動は、松島を描く散文によって見事に表現されている。

俳句も詠んだらしい。

島々や 千々に砕きて 夏の海    (「蕉翁全伝附録」)

260を数える島々の情景が心に浮かんでくる句であり、写生として決して悪い出来ではないと思うのだが、しかし芭蕉はこの句を『おくのほそ道』では取り上げなかった。

芭蕉が選択したのは、漢詩的な表現が多く使われる前半と、隠者文学を思わせる後半を組み合わせ、二つの相の下で松島を描き出すことだった。

(朗読は27分16分から29分34秒まで)
続きを読む