パリ コンコルド広場のオベリスク Obélisque de la Concorde à Paris

コンコルド広場のオベリスクに新たな装飾が施されている機会に、オベリスクの歴史やそれにまつわるエピソードを紹介している。

Tout ce que vous ignoriez sur l’Obélisque de la Concorde

Avant d’accueillir les JO de 2024, la place de la Concorde offre un petit coup de jeune à son célèbre obélisque. L’édifice, offert par l’Égypte en 1830, est actuellement en cours de rénovation, l’occasion pour Ambre Chalumeau de nous en dire un peu plus sur ce monument que tout le monde connaît, mais dont personne, à part Stéphane Bern peut-être, ne sait rien.

Ultracrépidarianisme (信頼に足る知識がないにもかかわらず、自分の意見を主張すること) 「私は医師ではないけれど、でも・・・」

コロナの流行以来、フランスでも、専門家ではない人々が、メディアで、「私は医師ではないけれど、しかし・・・。」と言いながら、自分の意見を大きな声で主張する傾向がしばしば見られる。
そうした現象をフランス語では、Ultracrépidarianismeと言うらしい。

ces experts autoproclamés du Covid portent un nom

« Je ne suis pas médecin, mais… » : cette phrase, on l’entend partout à longueur de journée depuis le début de la pandémie. Sur les chaînes d’infos, les réseaux sociaux, au travail et même en famille. En revanche, le phénomène semble avoir fait son temps dans les discours politiques.
En 2020, au tout début de la pandémie, chacun y allait de son avis, avec plus ou moins de succès. C’est peut-être ça qui les a poussés à à l’humilité.

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ボードレール 人工楽園 Baudelaire Paradis artificiels 主観と客観の一体化

ボードレールの『人工楽園』は、人を酔わせる物質、ワイン、ハシッシュ、アヘンによる幻覚作用が心身に及ぼす効果について詳細に描いているのだが、その中心にあるには、「私」という主体が、対象となる客体と一体化する経験だといえる。

私たちでも、ある機会に何かに没頭して、我を忘れる時がある。その時には、「私」が何かをしているという意識もないし、対象となるものに対する意識もない。それは忘我の状態であり、時間意識も空間意識もなく、その状態が終わった後で、夢中になっていたとか、あっという間だったとか思い返し、最高に幸せな体験として感じることになる。

酒や麻薬は、忘我とはいえないが、意識が飛んで自分を失った状態を、物質によって人工的に作り出す可能性がある。ボードレールにとっての最高の手段は「詩(ポエジー)」であるが、薬物の作用を分析することは、最高の「酔い」である「恍惚(エクスターズ)」を理解する助けだったと考えていいだろう。

「私」と「客体」が一つになると感じられる体験に関して、『人工楽園』の中では、二つの箇所で触れられている。

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8歳の天才ピアニスト ギヨーム・ベノリエル

幼い頃から天才ピアニストとしてフランスで知られていたギヨーム・ベノリエル君が、2021年12月、ロシアで行われた若手の音楽コンクールで、ファイナリストに残ったというニュース。

À huit ans, Guillaume Bénoliel, originaire de Draveil (Essonne), est un jeune pianiste qui commence à se faire un nom. Il vient d’être finaliste d’un concours prestigieux en Russie.

宮沢賢治 「めくらぶどうと虹」 根源的生命と美の世界

宮沢賢治の「めくらぶどうと虹」は原稿用紙7枚ほどの短い童話だが、東洋的あるいは日本的な世界観、生命感が誰にでも理解できる穏やかな言葉で語られている。

童話は、東北の言葉で「めくらぶどう」と言われる野ブドウと虹の間のやり取りの中で展開する。

地上のめくらぶどうは自分を価値のない存在と考え、天空に架かる美しい虹に憧れを抱き、「今日こそ、ただの一言でも、虹と言葉を交わしたい。」と望み、虹に「どうか私の敬いを受け取って下さい。」と訴える。

そんなぶどうに対して、虹の方では、「敬いを受けることはあなたも同じです。」とか、「あなたこそそんなにお立派ではありませんか。」と応え、ぶどうと自分との間に違いはないと応える。
その虹の言葉は、決してぶどうを慰めるためのおべっかではなく、一つの世界観、宗教観、生命観に基づいている。

ここではまず、「めくらぶどうと虹」の朗読(約9分)を聞き、童話全体を知ることから始めよう。

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ボードレール 「虚無の味」 Baudelaire Le Goût du néant 無の中の動

19世紀の後半、フランス文学の中で、「虚無(néant)」という言葉が独特の魅力を帯びるようになる。そのことは、古代ギリシアから続く価値観になんらかの変化が起こりつつあったことを示している。

ヨーロッパ文化の中で、古代ギリシア以来、肯定的な価値を持つのは、「存在(être)」であり、「全(tout)」や「生(vie)」などの概念だった。他方、その対極にある「無(rien)」や「空(vide)」といった概念は、否定的に捉えられてきた。

ボードレールは、1859年に発表した詩の題名を、« Le Goût du néant »とした。
« goût »という単語は本来「味わう行為」や「味」を意味し、そこから、味わう物に対する「好み」を意味するようにもなった。
さらには、« bon goût »(よき趣味)という使用法からも伺えるように、美学的なセンスを含意することもある。
従って、詩の題名は、「虚無の味」というだけではなく、「虚無に対する好み」、あるいは「虚無を美的に捉えるセンス」という意味に理解することもできる。
そのように理解した場合には、ボードレールが「虚無」に美的な価値を与えたとも考えられる。

私たち日本の読者にとって興味深いのは、東洋の文化において「無の思想」は馴染み深いものであり、「虚無の味」をフランス人よりも抵抗なく味わうことができる可能性があることである。
つまり、ヨーロッパ的な感性では否定的としか見なされない状態を「ゼロ」と見なし、そのゼロ地点を「創造の源」として捉える視点を提示できるのではないか。
そんな可能性を意識しながら、« Le Goût du néant »を読んでみよう。

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フランソワ・トリュフォー監督とアントワーヌ・ドワネル

アントワーヌ・ドワネルの人生を描いた四本の作品 — 「大人は判ってくれない」(Les Quatre cents coups、1959年)、「夜霧の恋人たち」(Baisers volés、1968年)、「家庭」(Domicile conjugal、1970年)、「逃げ去る恋」( L’Amour en fuite、1979年)— は、フランソワ・トリュフォー監督を代表する作品。その4つの作品が簡潔に紹介されている。

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ジェラール・ド・ネルヴァル 「 オーレリア」 人間の魂の詩的表現 Gérard de Nerval Aurélia 1−10

第10章は、1855年1月26日のネルヴァルの死以前に発表された「オーレリア」(1855年1月1日)の最後の部分。
以前の夢と同じように、まず地球内部のマグマのように全てが融合した状態が知覚され、そこから徐々に明確な場面が形成されていく。

第10章

こうした考えが少しづつ私を絶望へと追い込んでいったのだが、その絶望をどのように描けばいいのだろうか? 悪い精霊が、魂の世界で、私の場所を奪ってしまったのだ。——— オーレリアにとって、その精霊が私そのものだった。そして、私の肉体に生命力を与えている悲壮な精霊の方は、衰弱し、軽蔑され、彼女から誤解され、絶望か虚無に永遠に運命付けられていた。私は持ちうる限りの意志の力を使い、これまで何枚かのヴェールを持ち挙げてきた神秘の中に、さらに入り込もうとした。夢は時に私の努力を揶揄することがあり、しかめ面で移ろいやすい映像だけしかもたらさなかった。私はここで、精神が一点に凝集したために起こったことに関して、かなり奇妙な考えしか提示することができない。長さが無限のピンと張られた一本の糸のようなものの上を滑っていくように感じた。地球は、すでに見てきたように、融解した金属の多色の脈が縦横に走っていたが、中心の火が徐々に開花することで少しづつ明るくなり、火の白さが内部の襞を染める桃色と溶け合っていった。時に、巨大な水たまりに出会いびっくりすることがあった。その水たまりは、雲のように空中にぶら下がりっていたが、しかし、塊を取り出すことができるほどの密度があった。明らかに地上の水とは異なる液体であり、精霊の世界における海や大河を形作る液体が蒸発したものだった。

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