
ヴィクトル・ユゴーの創作活動は、プラトニスム的二元論における現実と理想の対比に基づき、闇の中で様々な葛藤を繰り返しながら、無限の彼方にある不可視の光源への愛に導かれて進むという原理が、通奏低音として響いている。
1831年に出版された『ノートルダム・ド・パリ』でも、1862年の『レ・ミゼラブル』でも、その点では共通している。
他方、二つの小説には大きな違いもある。
1831年の小説の中心はノートルダム寺院そのものであるとも言え、巨大な「個」に焦点が当たっている。
それに対して、『レ・ミゼラブル』では、ジャン・ヴァルジャンは多数の「悲惨な生活を送る人々=レ・ミゼラブルたち」の一人であり、焦点は個人ではなく、人間の集合=民衆=人類に向けられる。
その違いは、物語の展開する時代が、一方は中世の最後(1482年)、他方は19世紀の現代史、という違いを生み出すことにも繋がる。
『ノートルダム・ド・パリ』の描くのは「石の建造物」から「紙の書物」への移行期であり、カジモドの遺骨が粉々に崩れ落ちるのは、ノートルダム大聖堂という「個体」が崩れ落ちることを暗示する。「個」の時代の終わり。

そのように考えると、『レ・ミゼラブル』が1815年のワーテルローの戦いから始まる意味が見えてくる。ワーテルローは、ナポレオンという強大な「個」が失脚する決定的な事件である。
物語の終わりには、1830年の7月革命の2年後に勃発した1832年の民衆蜂起が設定される。
その時、たとえ反乱は鎮圧されたとしても、ジャン・ヴァルジャンは、暗いパリの下水を通り抜け、コゼットの恋人マリウスを救う。そのことは、一人の英雄の時代はすでに終わりを告げ、「惨めな生活を送る人々(レ・ミゼラブル)」の時代が到来したことを示している。
ところで、ユゴーは物語を脱線し、ワーテルローの戦いやパリの下水道の記述を延々と繰り広げる、と言われることがしばしばある。そこは退屈な箇所であり、我慢して読むか、読み飛ばすしかないと考える読者も数多くいる。
しかし、ユゴーと同時代の読者にとって、『レ・ミゼラブル』の問題点はそこではなかった。現代に読者にとっても、19世紀の大作家がナポレオンの最後の戦いをどのように捉え、パリの地下を蜘蛛の巣のように走る下水道網をどのように描いたのかを知るのは、それ自体で興味深い話題である。
『レ・ミゼラブル』は出版当時、一般の読者には大評判になり、本も飛ぶように売れた。反対に、評論家たちの評価はあまりよくなかった。その理由を考えて行くと、19世紀後半の芸術観の主流が、世紀前半の芸術観とは異なったものになりつつあり、ユゴーの小説が時代の最先端とは違う方向を向いていたことがわかってくる。
人道主義の勧め
ヴィクトル・ユゴーは、『レ・ミゼラブル』がどのような作品であるのか、「序」の中で明確に表明している。
法律と習俗によって社会的な断罪が行われ、そのために、文明社会の真ん中に人為的に地獄が作り出され、神のものである運命が人間の宿命によって複雑なものにされる。今世紀の三つの問題、つまり、下層階級による男性の堕落、飢餓による女性の失墜、夜による子どもの衰え、そうした問題は解決しないだろう。より広い視野から見て、別の言葉で言えば、地上には無知と悲惨(ミゼール)があるだろう。そうした状態があり続ける限り、この種の書物が役立たないことにはならないだろう。
オートヴィル・ハウスにて 1862年1月1日
この宣言の中で社会の現状に対するユゴーの認識が示されているのだが、芸術観に関して問題になるのは、「この種の書物が役立たないことにはならない」という部分。つまり、小説、文学、さらには芸術全体の「有益性」が、議論の対象となった。
19世紀の後半、先端を行く芸術家の間では、「芸術のための芸術」という主張が強くなり、芸術の目的は「美」の創造であり、有用性ではないとされた。
例えば、詩人であり美術評論家でもあったシャルル・ボードレールは、役に立つものは美しくないと断言した。
詩に関しては、1850年代から、情緒的な感情を引き起こすのではなく、形式的な美を追究する、高踏派(パルナス派)が台頭していた。
それに反対して、ユゴーは、1864年に出版したシェークスピアに関する評論の中で、「美は真実に仕えるもの」とし、人類の「進歩」にとって有益な芸術は、美のみを追求する芸術よりも美しいとした。
そうした芸術観は、プラトン哲学に基づいた美学を展開したヴィクトル・クザンとも共通している。
クザンも、「美」は間接的ではあるが「進歩」にとって「有益」であるとしている。「美」は「真」とつながり、それらは「善」とも一体である。従って、芸術は「真・善・美」の追求であり、人類の「進歩」をもたらすことになる。
ユゴーの芸術観の中心にあるは、「闇の中で様々な葛藤を繰り返しながら、無限の彼方にある不可視の光源への愛に導かれて進む」こと。それは、はかなく偽りの地上世界から、「真・善・美」のイデア界へと、エロース(愛)の力によって上昇する運動の表現である。
『レ・ミゼラブル』の中でその動きを体現するのはジャン・ヴァルジャンであり、最初の上昇は、「銀の食器」のエピソードによって表される。

貧しい農家の子供として生まれたジャン・ヴァルジャンは、26才の頃、姉の子供たちのために1本のパンを盗んだために逮捕される。その後もいくつかの罪を犯し、5年の刑を宣告されてトゥーロンの徒刑場に送られる。そこで何度か脱獄を試みては失敗し、結局1815年まで19年間も服役することになった。
出獄後、誰もが元徒刑囚に対して冷たい態度を示す。たが、ミリエル司教だけは彼を温かく迎え、「正しい人」になるように勧める。それにもかかわらず、ジャン・ヴァルジャンは司教館の高価な銀食器を盗み、逃げてしまう。
翌朝、憲兵に逮捕された泥棒が司教の前に連れてこられた時、司教は食器は盗まれたのではなく、元徒刑囚に与えたものだとかばい、残りの2本の燭台も彼に与える。
しかし、そこまでされてもジャン・ヴァルジャンの行いは変化せず、道で出会った子どもからお金を盗んでしまう。
その行為こそが、ジャン・ヴァルジャンの中で、決定的な変化を生み出すものだった。
彼の中で、光の部分(=知性)と、闇の部分(=19年間の徒刑場暮らしの間に住み着いた獣性)とが戦いを始める。その葛藤の中で、ジャンは、「おれは一人の惨めな人間(ミゼラブル)だ!」と叫び、自分を深く見つめ始める。
自分を真正面から見つめると、あの幻覚を通して、神秘的な深みの中に光のようなものが見えてきた。彼は最初それを松明だと思った。自分の意識の中に浮かび上がる光をさらに注意深く眺めると、人間の姿をしていて、司教であることがわかった。
彼の意識は、真正面に立っている二人の人間をじっと見つめた。司教とジャン・ヴァルジャンだった。司祭がいれば、ジャン・ヴァルジャンを溶かすのに十分だった。こうした恍惚とした状態には特有の効果があり、夢想が長くなればなるほど、司教の身体は大きくなり、輝いて見えた。ジャン・ジャルジャンは小さくなり、おぼろげになっていった。しばらくすると一つの影になり、突然消えてしまった。一人司教だけが残った。そして、この惨めな男(ミゼラブル)の魂全体を、素晴らしい輝きで満たした。
ジャン・ヴァルジャンは長い間泣いた、熱い涙で泣いた。すすり泣いた。女よりも弱々しく、子どもよりもびくびくして。
泣いている間に、彼の脳髄の中に少しづつ日が指してきた。超自然な日差し、うっとりとするようでもあり、恐ろしくもある日差し。過去の人生、最初の過ち、長い贖罪、荒々しい外見、意固地な内面、数多くの復讐を自由に考える喜び、司教館で起こったこと、最後にした行い、子どもから40スーを奪ったこと、司教の許しを受けた後だからこそますます卑怯でおぞましい罪。そうしたこと全てが思い出され、はっきりと明るく見えた。その明るさは、彼がこれまで決して見た事がないものだった。彼は自分の人生を見つめた。人生はおぞましいものに見えた。自分の魂がひどく醜いものに見えた。しかし、穏やかな日差しが、その人生、その魂の上にあった。楽園の光の下で悪魔を見ているようようだった。

どれだけの間、彼はこんな風にして泣いただろ? 泣いた後で、何をしたのだろう? どこに行ったのだろう? 誰もそれを知らなかった。ただ、明らかだと思われるのは、まさにその夜、当時グルノーブルとの行き来をしていた馬車の御者が、朝の3時頃ディーユに到着し、司教館のある通りにさしかかった時、一人の男を見たことだった。その男は、舗石に跪き、影の中、ビヤンヴニュ閣下の館の扉の前で、祈る姿をしていた。
ジャン・ヴァルジャンの中で起こる決定的な回心を描くこの場面には、ヴィクトル・ユゴーの世界観がはっきりと表れている。
光と闇の対立があり、人間にはミュリエル司教的な部分も徒刑囚ジャン・ヴァルジェン的な部分もある。
生きている間には、大なり小なりの過ちを犯すことがあり、意固地な心を持ち、嫌な思いをさせられれば復讐を考えることに喜びを感じ、ある時には人生をおぞましいものに感じ、自分の魂が醜いと思ったりもする。
しかし、それだけで終わることはなく、自分を見つめ、深い自己嫌悪に落ち込む時、真っ暗な中に一筋の光が見えることがある。司教から善を施されながら、それでも再び悪を行う自分の愚かしさに気づき、涙する。そうしたどん底に落ち込む時、光が差し込む。

「楽園の光の下で悪魔を見ているようようだった。」
この表現は、悪魔が決して悪だけの存在ではなく、悪を働いたために地上に落下した堕天使(リュシフェール)であることを暗示している。
現実社会を生きる中で、悪を働く人間であろうと、最終的には光を求め、善の世界へ飛翔したいと望んでいる。そのように導くのが、ミュリエル司教が徒刑囚に示した「愛」の力であり、愛の恍惚の中であれば、ジャン・ヴァルジャンの頑なな心でさえ溶解する。
その「愛」は決してジャン・ヴァルジャンという個人にだけ向けられているのではなく、彼を通して、全ての「惨めな人々(ミゼラブル)」に向けられている。
それが、ヴィクトル・ユゴーの「人道主義」と呼ばれる思想に他ならない。
そして、地上に「無知と悲惨(ミゼール)」がある限り、『レ・ミゼラブル』という書物が「無益になることはない」と宣言するとき、ユゴーは、現実の悪を認識しながらも、人間とは善へと向かう存在であるという楽観主義的な思想を伝えようとしていたことが理解できる。
個人から人類へ

『レ・ミゼラブル』の対象とする時代は、1815年から1833年まで。
1815年、ワーテルローの戦いに敗れたナポレオンは、南大西洋のセントヘレナ島に幽閉される。その後、王政復古の時代になり、ルイ18世が王位に就き、シャルル10世が続く。
その王政の時代は、1830年の7月革命によって終わりを告げる。その後に来るのは、オルレアン家のルイ・フィリップを国王とした立憲君主制の王政。革命の結果が再び王政に戻ったことに対し、共和派の民衆は満足せず、1832年の6月には大規模な反乱が起こった。

物語の中では、6月の民衆蜂起の最中、テナルディエ家の二人の子どもであるエポニーヌとガヴローシュは、戦いの中で命を落とす。
ジャン・ヴァルジャンを執拗に追いかけてきた警官のジャヴェールは、スパイとして民衆の中に入り込み、正体が発覚して処刑されそうになるが、ジャン・ヴァルジェンに命を救われる。その後、ジャヴェールは自らセーヌ川に身を投げて死を選ぶ。
コゼットの恋人マリユスも暴動に参加し、瀕死の重傷を負う。彼の命を助けたのも、ジャン・ヴァルジャンだった。ジャンは瀕死のマリユスを背負い、パリの地下に張り巡らされた下水道網に下り、難を逃れることに成功する。
この6月の暴動が起こった時、ユゴーはテュイルリー宮殿の庭園で芝居を執筆していたと言われている。当時の彼は、創作活動の前半期の絶頂期にいたと言ってもいい。
1822年に最初の詩集を出版して以来、演劇と詩の分野でロマン主義運動の先頭に立つ存在になり、1843年までの約20年間の間に、約10冊の詩集、10の戯曲、『ノートルダム・ド・パリ』を含む数冊の小説、文学批評、旅行記等、とどまるところを知らないと言ってもいいほど、膨大な作品を手がけていた。
そうした中で、1843年に転機が訪れる。
3月にコメディー・フランセーズで上演された『城主』の興行が失敗に終わり、それ以後、彼は戯曲の執筆を止めてしまう。
それ以上に大きな意味を持ったのは、長女レオポルディーヌの死。彼女は2月に結婚していたが、9月、セーヌ川で船遊びをしている最中、ノルマンディ地方のヴィルキエという町の近くで船が転覆し、夫とともに溺死する。最愛の娘を失った衝撃は大きく、ユゴーは1852年にルイ・ナポレオン大統領に抗議する小冊子『小ナポレオン』を出版するまでの間、出版活動を中止することになる。
その約10年の間、ユゴーは積極的に政治にかかわると同時に、『レ・ミゼラブル』の原形となる小説『レ・ミゼール(悲惨)』の執筆を続けた。
1845年には、国王ルイ・フィリップによって子爵の称号を与えられ、貴族院の議員になる。しかし、思想的には王党派的であるよりも共和主義的で、1847年の議会では、国外追放になった人々が帰国する権利を擁護をした。
1848年の2月革命の後、第二共和制が成立すると、彼は議員に立候補し、当選する。そして、権力を握った側が徐々に反動的になるのに反対し、その年の12月に行われた大統領選挙では、ナポレオン1世の甥であるルイ・ナポレオン・ボナパルトを支持した。

そのナポレオンの甥が1851年12月にクーデターを起こすと、専制政治に断固反対するユゴーは弾圧の対象になり、ベルギーに亡命を余儀なくされるが、『小ナポレオン』という小冊子で激しく反撃した。その結果、ベルギーの滞在も危険になり、英仏海峡にあるイギリス領のジャージー島に移住する。
クーデターから1年後の1852年12月、ルイ・ナポレオンは第二帝政を宣言し、ナポレオン3世として皇帝の地位につく。それに対しても、ユゴーは『懲罰詩集』によって激しく攻撃した。
1855年になると、ジャージー島の隣にあるしガーンジー島に移住、ナポレオン3世が退位する1870年まで亡命生活を送ることになった。

こうした生活の中で、反ナポレオン3世の姿勢を鮮明にした政治的な出版から離れ、1843年以前の創作と連結するのが、1856年に出版された『静観詩集』である。
その詩集は、愛娘レオポルディーヌの死を境として、第1部は「過ぎ去りし日」、第2部は「今」という二部構成になっている。そして、2部の最後には、ガーンジー島に移住後にユゴーの家族が降霊術にのめり込んだことを反映して、万物照応の思想を反映した哲学的な詩が置かれている。
その『静観詩集』の序文に、「個人」から「人類」へと向かう印が残されている。
『静観詩集』とは何か? それは、もし静観(瞑想)という言葉がなんらかの気取りを持っていないとしたら、「一つの魂の回想録」とでも呼べるものである。(中略)
それは一人の人間の人生だろうか? そうだ、そして同様に、他の人々の人生でもある。私たちの誰一人、自分に所属する一つの人生を有する名誉を持ってはいない。私の人生はあなたの人生だ。あなたの人生は私の人生だ。あなたは私が生きているものを生きている。運命は一つだ。この鏡を手に取り、あなた自身を見てほしい。時に、作家たちは「私」と言うと嘆かれる。私たちは私たちについて語るのだ、と彼らに言ってやろう。そうなのだ! 私があなたに向かい私について語るとき、私はあなたについて語っているのだ。あなたはそれを感じないのだろうか? ああ! 私がお前でないと思っているとは、何という愚か者なのだ!
繰り返しになるが、この本は、著者の個性と同様に、読者の個性を含んでいる。「我、人間なり」(中略)
「私」について語ることは、「あなた」について語ることでもあり、結局は全ての人間について語ることになる。1820年から1830年代の詩の中で「私」の内面を語り、数多くの抒情詩を書いてきたユゴーが、1856年において、私とは人間全体、言い換えると人類について語ることであると考える。「私」の抒情が「人類」の抒情になる。
こうした思想はユゴーの中にもともとあったものかもしれないが、「こっくりさん」のような霊的体験を重ねることで、個人を超えた超越的な存在を信じ、ますます確信していったに違いない。
1840年代に書いた原稿を元に『レ・ミゼラブル』に取りかかる前、ユゴーが取り組んだのは、人類の歴史を詩によって語ることだった。
1859年に第一集が出版された『諸世紀の伝説』はその最初の成果にほかならない。そこでは、創世記から始まり19世紀に至り、さらには未来に来るであろう裁きの日まで続く人類の歴史が、理想を目指して進む人間の姿を通して描き出され、壮大な叙事詩となっている。
『レ・ミゼラブル』は、『諸世紀の伝説』と同じ精神性を持ち、ジャン・ヴァルジャンという一人の人間を通して、19世紀前半の「悲惨な生活を送る人々=レ・ミゼラブルたち」の姿を描き出した小説だといえる。
現代史と進歩の思想
ユゴーが19世紀前半のフランスの現実社会を小説の中に描き込もうとした時、参考にすべき同時代の小説家がいた。それは1850年に亡くなったオノレ・ド・バルザック。
1799年生まれのバルザックと1802年生まれのユゴーは、わずか3歳違い。ほぼ同じ時代を生きた。しかも、バルザックは、「戸籍簿と競争する」というほど詳細に、王政復古時代のフランス社会を、約100巻に及ぶ「人間喜劇」シリーズの中で再現した。
『レ・ミゼラブル』には、明らかにバルザックの作品を意識している場面が幾つかあるが、その中でも最もはっきりとしているのは、ジャン・ヴァルジャンとコゼットがパリで身を潜め、ゴルボー屋敷からプチ・ピクピュス修道院に移動する間にしばらく住むことになるドロワ=ミュール通り。
彼らがパリの町を移動する時、大部分の場合には実在の地名が使われ、足取りを当時の地図上でたどることができる。しかし、ムフタール街に近いドロワ=ミュール通りの界隈は虚構であり、実際には存在しない。
そこは、バルザックの『ゴリオ爺さん』の中心をしめる下宿屋「ヴォケール館」があるところ。つまり、ユゴーは、現実には存在しないバルザックの虚構のパリの町を、彼の作品の中にはめ込んだのだった。
さらに、ジャン・ヴァルジャンのコゼットに対する父性愛は、二人の娘に対するゴリオの盲目的な父性愛と通じるところがある。
ユゴーは、同時代の読者に対してバルザックの作品を連想させることで、王政復古時代の社会の実相を感じさせようとしたのかもしれない。
実際には、バルザックの小説群の中心を示す社会階層よりも、『レ・ミゼラブル』で描かれる人々は下の階層に位置する。しかし、多くの人々が悲惨な生活を送っているという感覚は共通している。
バルザックはパリの社会を「地獄」に喩えた。
人が出会う中で最も恐ろしい光景の一つが、パリの人々の全体的な様相であることは確かだ。彼らは見るもおぞましく、病的で、黄色く、疲労困憊している。パリは、利害関係の嵐に耐えず揺すぶられる巨大な野原ではないだろうか。嵐の下では、人間たちの群が巻き上がっている。他のところ以上に、死が人間を刈り取り、そして、同じくらい密集して生まれ変わる。(中略)
パリの魂を観察すると、死体のような相貌の原因を解明できる。(中略)わずかな言葉で、パリの人々のほとんど地獄的といっていい色彩を、生理学的に正当化することができる。単なる冗談で、パリを地獄と名付けたわけではない。その言葉を真実と受け取って欲しい。(『金色の目の娘』)
『レ・ミゼラブル』の登場人物たちは、誰もが地獄を生きているような人々に思われる。
ジャン・ヴァルジャンは一つのパンを盗んだことを原因として、徒刑場に19年間留置される。コゼットの母ファンティーヌは、娘のために売春するところまでしなければならない生活を送り、最後は惨めな死を迎える。
幼いコゼットを情け容赦なく働かせ、最後まで彼女に付きまとうテナルディエ一家も、犯罪者集団パトロン=ミネットに属する悪人たちも、共和派の秘密結社「ABCの友」の仲間も、視点を変えれば、社会の「無知と悲惨」の犠牲者に見えてくる。
そうした地獄のような社会状況の中で、バルザックの主人公たちは、社会階級を駆け上がろうとして、最後は挫折する。
それに対して、ユゴーは闇の中でも光を目指そうとする。
その象徴は、瀕死のマリウスを担いでパリの下水道を歩くジャン・ヴァルジャンの姿。

『レ・ミゼラブル』第5部第2の書は「海の怪物レヴィアタンの内臓」と題され、下水道について詳細な記述が行われる。
小さなフランス語の文字で20ページに及ぶ言葉を使い説明させるのは、下水道がいかに汚染され、その中に入ると気絶するほどだったこと、洪水が起これば水が逆流して街中に異臭を撒き散らすといった状況などであるが、そうした記述は、「悲惨な生活を送る人々(ミレラブル)」の現実生活を実感させる効果を果たしている。
従って、地下の下水道網は現代の「地獄」であるともいえ、ジャン・ヴァルジャンが地下に下り、下水道をたどる行程は、神話や古代の物語における「地獄下りの試練」に匹敵するといえる。
ジャン・ヴァルジャンはパリの地下に張り巡らされた悪習の漂う真っ暗な迷宮の中を歩き続けるのだが、その間にも、瀕死の状態で意識のないマリウスの身体はまずます重く感じられるようになる。彼からコゼットを奪う憎い男だと思うと、ますます憎しみが募る。それでも、コゼットのために彼を担ぎ、足元の舗石が崩れて泥の中に身体が沈みそうになる困難にも打ち勝ち、出口までたどり着くことができる。
そこでも、テナルディエや警官のジャヴェールなどの邪魔が入るのだが、なんとかマリウスを彼の伯父の家まで送り届けることができる。
この試練は、ジャン・ヴァルジャンが、コゼットを独占したいと頑なに願い、マリウスと彼女を引き離そうとするエゴイスティックな父性愛を乗り越え、コゼットのマリウスに対する恋愛が実現するのを認めるため、どうしても経なければならない過程と見なすこともできる。
その変化のためには、父性愛の下に隠れた独占欲に支配されたジャン・ヴァルジャンは死ぬ必要がある。「地獄下り」はそのために必要な試練なのだ。
そして、死の危険を冒す試練を乗り越えて初めて、新しいジャン・ヴァルジャン、自分のエゴではなく、コゼットの気持ちを尊重する父性愛を持つジャン・ヴァルジャンになることができる。
そうしたジャン・ヴァルジャンの変化あるいは進化は、個人の行為として物語られるが、しかし、すでに見たように、ユゴーの中では「私」=「あなた」=「人類」なのであり、新しいジャン・ヴァルジャンの父性愛は、個人的なレベルに留まらず、人類に対する愛に繋がる。
そうした人間愛、つまり「人道主義」をユゴーは人類の「進歩」と見なした。
『レ・ミゼラブル』の最後の一節は、試練を経て行われる進化が一回限りの特別な出来事ではなく、人類にとって普遍的な出来事であることを暗示するために置かれている。

最後の巻の題名は、「崇高な(最後の)闇、崇高な(最後の)曙」。
闇と曙が並立し、対立するものの共存が示されている。
その巻の最後の章、つまり『レ・ミゼラブル』の最後の章の題名は、「草が隠し、雨が消す」。
そこでは、パリの東部の高台に位置するペール・ラシェーズ墓地にある一つの石について語られる。墓地の中でも誰も寄りつかない場所に放置された墓石。
その石には全く飾りがなかった。切断された時、墓としての最低限必要なことしか考えられていなかったのだ。考慮されたのは、一人の人間を収めるのに必要な長さと幅だけだった。
名前は読めない。
ただ、もう数年前のことになるが、鉛筆で、次ぎのような四行の詩句を書いた人がいた。その詩句は、雨と埃のためにだんだんと読みにくくなっていて、今ではたぶん消えてしまっているだろう。
彼、ここに眠る。運命は彼にとってたいへんに奇妙なものだったが、
彼は生きた。彼の天使がいなくなったとき、死んだ。
それはごく単純に起こった、
昼が去れば、夜がやって来るように。
誰にも顧みられない墓石。すでに名前も消えてしまっている。
そのことは、ジャン・ヴァルジャンが孤高の英雄ではなく、「惨めな生活を送る人々(レ・ミゼラブル)」の一人であることを示している。
『静観詩集』の序文の中でユゴーが言ったように、彼の物語はこの世を生きる全ての人々の物語なのだ。
昼が去れば夜が来る。太陽は朝になると上り、地平線の彼方に沈めば夜になる。
沈むことは、太陽の死を意味する。太陽の地獄下り。その時、もう二度と登ってこないのではないかと心配することがあるかもしれない。それほど長い夜もある。
しかし、ただ単に、自然に、翌朝には曙が空を照らす。
人間の社会でも、全ては自然の動きと似て、昼と夜が循環する。そのように考えれば、どんなに悲惨の生活にも希望の光が射すことがある。生も死も、悲惨も幸福も、自然に生成する。
瀕死のマリウスを抱えたジャン・ヴァルジャンは、地獄のような下水道を通り抜け、光の世界に出ることができた。それと同じように、悲惨な生活もいつか、どこかに、出口があるかもしれない。
あまりに楽観的すぎると思われるかもしれないが、ヴィクトル・ユゴーの人道主義には、「神のものである運命」に対する信頼が流れている。
だからこそ、彼の創作は、「現実と理想の対比に基づき、闇の中で様々な葛藤を繰り返しながら、無限の彼方にある不可視の光源への愛に導かれて進むという原理」に基づいて行われるのである。

ヴィクトル・ユゴーの作品
『レ・ミゼラブル』佐藤朔訳、新潮文庫。
幸い、あおぞら文庫に収録されているので、ネット上でも読むことができる。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001094/card42606.html
『ヴィクトル・ユゴー詩集』稲垣直樹・辻昶・小潟昭夫訳、潮出版社。

参考
鹿島茂『レ・ミゼラブル百六景 ー木版挿絵で読む名作の背景』文藝春秋社。
(『レ・ミゼラブル』の全体像を理解するために最も便利な本)
西永良成『「レ・ミゼラブル」の世界』岩波新書。
フランス語を読める読者用には、図版が数多く挿入された対訳本がある。
稲垣直樹『「レ・ミゼラブル」を読みなおす』白水社。
ルイ・シュヴァリエ『労働階級と危険な階級―19世紀前半のパリ』喜安 朗、相良 匡俊、木下 賢一訳、みすず書房。
稲垣直樹『ヴィクトル・ユゴーと降霊術』水声社。