AI翻訳の活用法 Wikipediaの記事の翻訳

ある調査結果で、Wikipediaの信頼性は「ブリタニカ百科事典」と同等だとされたことがある。
ただし、それは英語版の調査であり、日本語のページに関しては、「秀逸」や「良質」のマークのついた記事もあるが、多くの場合、紙ベースの事典に匹敵するところまでいかないのが現実だろう。
また、外国の事象や人物の記述に関して、日本のページには項目がないものもある。
例えば、オランダの画家Jacobus Vrelについての記述は、日本版のWikipediaにはない。

そこで、英語版やフランス語版など、日本語以外の記述を参照することになる。
その際、現在では、AIの翻訳機能により、外国語を瞬時に日本語に翻訳することが可能で、理解をおおいに助けてくれる。

私の知る範囲では、ブラウザーでChromeを使っている場合、英語、ドイツ語、イタリア語などから日本語への翻訳が可能。しかし、フランス語から日本語への翻訳は、なぜかできない。

それに対して、ブラウザーでEdgeを使うと、フランス語から日本語への翻訳も可能になる。

また、フランス語→日本語の場合、翻訳が多少分かりづらく不正確なこともある。そうした場合には、多少面倒でも、ChatGPTを使い、フランス語→英語→日本語と、一度英語を通すと改善する例も見られる。

以下、WikipediaのJacobus Vrelの項目を使い、実際のところを見ていこう。

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サルトル 『言葉』 Sartre Les Mots 事物と概念 実存主義の基礎

ジャン・ポール・サルトルの自伝的作品『言葉(Les Mots)』(1963)の中で、日本人にとってはわかりにくい一つのテーマが扱われている。
それは、目に見え、手で触れることができる現実の「事物」と、その反対に、見ることも触れることもできない「概念」という、二つの異なった認識の次元に関わる問題。

例えば、猫に関して、ここにいる「一匹の猫」は存在するが、「猫一般」、あるいは「猫という概念」は存在しないとする立場と、逆に、概念そのものが実在するという立場がある。

普通、そんな違いを日本人は考えないので、わかりにくいし、どうでもいいようにも思われる。
ところが、サルトルが自分の幼い頃の思い出として語る一つのエピソードを読むと、私たちにとっては遠い世界の思考法がクリアーに理解できてくる。

その結果、サルトルの提示した哲学の根本的な土台が、「事物」と「概念」の関係をどのように考えるかということにあることがわかり、実存主義の理解にもつながる。
さらに、その二分法になじまない日本的な思考の特色も見えてくる。


『言葉』の中には、サルトルが小さな頃からお祖父さんの書斎に置かれた多くの本に囲まれて育ったが、その中でもとりわけ「ラルース大百科事典」に大きな興味を示したという思い出を語る部分がある。

Mais le Grand Larousse me tenait lieu de tout : j’en prenais un tome au hasard, derrière le bureau, sur l’avant-dernier rayon, A-Bello, Belloc-Ch ou Ci-D, Mele-Po ou Pr-Z (ces associations de syllabes étaient devenues des noms propres qui désignaient les secteurs du savoir universel : il y avait la région Ci-D, la région Pr-Z, avec leur faune et leur flore, leurs villes, leurs grands hommes et leurs batailles) ;

ところで、私にとって、「ラルース大百科事典」が(他の本)全ての代わりになっていた。適当に一巻を手に取る。机の後ろにある棚の、下から二番目の段にある、A-Belloの巻だったり、Belloc-Chの巻、Ci-Dの巻、Mele-Proの巻、Pr-Zの巻だったりする。(それらの音の組み合わせは固有名詞となり、普遍的な知識の分野を指し示していた。Ci-Dの地区、Pr-Zの地区があり、その中に、動物相や植物相、街があり、偉人がいて、彼らの戦があった。)

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トニー・ベネット Tony Bennett

2023年7月21日にトニー・ベネット(1926-2023)が亡くなったというニュースが、様々なメディアで報じされていた。享年96歳。
彼は長いキャリアの中で数多くの賞を受賞し、数年前まで現役だったので、代表作を数え上げればキリがない。

そんな中で、ジャズ・ファンとしては、やはりビル・エヴァンスと共演した2枚のアルバムをつい聴きたくなる。
幸い、youtubeには、complete recordingsがアップされているので、二人の素晴らしい演奏を全て聴くことができる。

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ヤコブス・ヴレル Jacobus Vrel 静謐と慈愛の画家 フェルメールに先立つ17紀オランダ絵画

17世紀オランダの絵画の中で日本で最も人気が高いのはフェルメール。その一方で、年代的にはフェルメールにわずかに先立つヤコブス・ヴレル(Jacobus Vrel)は、ほとんど無名に留まっている。

ヤコブス・ヴレルが手がけたのは室内や街角を描いた風俗画で、似通った光景が描かれている。そこでは細部まで驚くほど繊細に描かれ、静謐な場面からは画家の慈愛が感じられる

「窓辺の女性」と「窓辺で少女に手をふる女性」の二枚を見てみよう。

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議員は選挙民を「代表」するか? 柄谷行人 「代表するもの」は「代表されるもの」から束縛されない

政治は選挙によって選ばれた議員たちによって行われる。たとえ、政策の立案に関しては、選挙によって選ばれてはいない官僚によって行われるとしても、決定権は議会にある。
そして、その議会は、普通選挙によって「民意を得た」とされる代議士たちによって構成されるため、「民主主義」的な政治が行われると見なされる。

こうした仕組みは、「日本国憲法前文」で規定される基本的な考え方に基づいている。
「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、(後略)」。

しかし、政治家たちの発言や行動からは、彼らが本当に選挙で投票した人々の「代表」であるのかどうか疑われることがある。

柄谷行人は、投票する側と選ばれる側のつながりの曖昧さを指摘する。

真に代表議会制が成立するのは、普通選挙によってであり、さらに、無記名投票を採用した時点からである。秘密投票は、ひとが誰に投票したかを隠すことによって、人々を自由にする。しかし、同時に、それは誰かに投票したという証拠を消してしまう。そのとき、「代表するもの」と「代表されるもの」は根本的に切断され、恣意的な関係になる。したがって、秘密投票で選ばれた「代表するもの」は「代表されるもの」から束縛されない。(『トランスクリティーク』)

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芥川龍之介に教えてもらう 芭蕉の俳句 「調べ」の美しさ

芥川龍之介が芭蕉の俳句について書いたエセーの中に、俳句の言葉が奏でる音楽の美しさに触れた章がある。
その章は「耳」と題され、次のように始まる。

 芭蕉の俳諧を愛する人の耳の穴をあけぬのは残念である。もし「調べ」の美しさに全然無頓着(むとんじゃく)だったとすれば、芭蕉の俳諧の美しさもほとんど半ばしかのみこめぬであらう。

耳の穴が塞がっていては、音が聞こえない。芭蕉の俳句を読む時、「調べ」の美しさに耳を塞いでいるのでは、あまりにもったいない。
芥川は、俳句の美しさの半分が「意味」にあるとしたら、後の半分は「調べ」にあると考えている。

その後、芥川は、3つの俳句を取り上げる。

夏の月 御油(ごゆ)より出でて 赤坂(あかさか)や

年(とし)の市(いち) 線香買ひに 出(い)でばやな

秋ふかき 隣は何を する人ぞ

私たちの耳に、これらの言葉の美しい調べが聞こえてきたら、どんなに幸せな気分になることだろう。

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マラルメ 「聖女」 Mallarmé  « Sainte »  詩=音楽

ステファン・マラルメは、20世紀以降のフランス文学に対して大きな影響を及ぼし、21世紀の現在でも文学批評の中で主題的に語られることがしばしばある。
その一方で、彼の詩は理解するのが難しく、詩そのものとして味わいを感じる機会はそれほど多くない。

マラルメは詩における音楽性の重要性を強調した。そして、彼の詩句が生み出す美の大きな要素は、言葉の奏でる音楽から来る。

その音楽は、日本語の翻訳では決して伝わらない。
また、たとえフランス語で読んだとしても、通常の言語使用を故意に混乱させ、意味の流通を滞らせることを意識した詩的言語で構築されているために、一般のフランス人読者だけではなく、文学研究を専門にするフランス人でも、マラルメの詩は難しいとこっそり口にすることがある。

そうした中で、日本の一般の読者がマラルメの詩を読むことの意義がどこにあるのかと考えることも多々あるのだが、しかし、せっかくフランス語を読むことができ、フランスの詩をフランス語で読む楽しみを知る読者であれば、難しい課題に挑戦し、少しでもマラルメの詩句の音楽性を感じられれば、それは大きな喜びとなるに違いない。
そんな期待をしながら、「聖女(Sainte)」を読んでみたい。

この詩では、音楽の守護聖女である聖セシリア(Sainte Cécile)が取り上げられ、詩の音楽性が主題的に歌われている。

まず最初に、意味は考えず、詩句の奏でる音楽に耳を傾けてみよう。

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学ぶこと 考えること 井筒俊彦「語学開眼」

井筒俊彦の「語学開眼」という子供時代の思い出を語るエセーは、実際の教育現場では「学ぶ」ことから「考える」ことにつなげるのいかに難しいことかを、分かりやすい言葉で教えてくれる。

それは、井筒が中学校二年生の時のエピソード。

今でもよく憶(おも)い出す。中学2年生、私は劣等生だった。世の中に勉強ほど嫌いなものはない。学問だとか学者だとか、考えただけでもぞっとする。特に英語が嫌いだった。(井筒俊彦「語学開眼」『読むと書く』所収)

教室の中では英文法の授業の最中で、大学出たての若い先生が熱心に何やら喋(しゃべ)ていたけれど、その言葉は私の耳には入ってはいなかった。ふと、我にかえった。「イヅツ」「イヅツッ!」と先生の声が呼んでいた。「どこを見ている。さ、訳してごらん。」
見上げると黒板に、 There is an apple on the table.と書いてある。なぁんだ、これくらいなら僕にだって。
「テーブルの上にリンゴがあります。」
「うん、それじゃ、これは」と言って先生は、There are apples on the table.と書いた。
「テーブルの上にリンゴがあります。」

正解? 不正解?

an appleに続けてapplesと書いた先生の意図は、生徒に単数と複数の区別を教えることにある。
井筒少年の訳では、その区別ができていない。試験であればバツがつく。

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ボードレール 「高翔」 Baudelaire « Élévation » ロマン主義詩人としてボードレール 

「高翔(Élévation)」には、ボードレールの出発点であるロマン主義精神が屈折なく素直に表現されている。

ロマン主義の基本的な図式は、二元的な世界観に基礎を置いている。
ロマン主義的魂にとって、現実は時間の経過とともに全てが失われる空しい世界であり、その魂は、彼方にある理想の世界(イデア界)に上昇する激しい熱望にとらわれる。
その超現実的な次元に対する憧れが、美として表現される。

Élévation

Au-dessus des étangs, au-dessus des vallées,
Des montagnes, des bois, des nuages, des mers,
Par delà le soleil, par delà les éthers,
Par delà les confins des sphères étoilées,

Mon esprit, tu te meus avec agilité,
Et, comme un bon nageur qui se pâme dans l’onde,
Tu sillonnes gaiement l’immensité profonde
Avec une indicible et mâle volupté.

小さな湖のはるか上に、谷間のはるか上に、
山々の、森の、雲の、海のはるか上に、
太陽の彼方に、空間を満たす液体の彼方に、
星々の煌めく天球の境界の彼方に、

我が精神よ、お前は動いていく、軽々と,
そして、波の間で恍惚となる素晴らしい泳ぎ手のように。
お前は陽気に行き交う、奥深い広大な空間を、
言葉にできない男性的な官能を感じながら。

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ChatGPTの翻訳力 

ChatGPTで翻訳を試してみたところ、あまりにも素晴らしくてビックリしてしまった。
しかも、voice control for chatGPTをインストールすれば、音声でのやり取りも可能になる。
このレベルであれば、技術翻訳としてはもう立派に通用するのではないかと思われる。

次の日本語の文章を、英語に翻訳し、次にフランス語にしてみた。

「日本の美を再発見する」
日本の伝統的な絵画では、奥行きを表現するための技法(遠近法、明暗法、等)が使われることがありませんでした。 (それらが日本に移入されたのは、18世紀半ば、つまり江戸時代中期です。)

‘Rediscovering the Beauty of Japan”
In traditional Japanese paintings, techniques such as perspective, chiaroscuro, and others used to depict depth were not commonly employed. (These techniques were introduced to Japan in the mid-18th century, specifically during the middle of the Edo period.)

“Redécouvrir la beauté du Japon”
Dans les peintures traditionnelles japonaises, les techniques telles que la perspective, le clair-obscur et autres utilisées pour représenter la profondeur n’étaient pas couramment employées. (Ces techniques ont été introduites au Japon au milieu du XVIIIe siècle, plus précisément pendant le milieu de l’époque d’Edo.)

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