ボードレール 「異国の香り」 Charles Baudelaire « Parfume exotique » エロースの導き

Paul Gauguin, Jour délicieux

ボードレールの詩の中には、むせかえるような官能性から出発して、非物質的な恍惚感、至福感に至るものがある。
「異国の香り(Parfum exotique)」は、その代表的な作品。
目を閉じ、愛する女性の胸に顔を埋める。すると、彼女の身体の熱と香りが、詩人を異国へと運んでいく。

その異国の島は、後の時代の画家ポール・ゴーギャンの絵画を見ると、私たちにも連想しやすい。

「異国の香り」は、典型的なソネ(sonnet)形式に基づいている。
(1)全部で14行ある詩句は、2つの4行詩(カトラン)と2つの3行詩(テルセ)で構成される。
(2)韻もソネの典型とされるABBA ABBA CCD EDEという連続。
4行詩は抱擁韻(ABBA)、3行詩は最初が平韻(CC)、次が交差韻(DEDE)。
(3)12音節で構成される一行の詩句(アレクサンドラン)は、多くの場合、6音節で区切られ(césure)、6/6のリズムが保たれている。

さらに、伝統的な詩の技法である、母音反復(assonance)、子音反復(allitération)、句の先頭での語の反復(anaphore)等が用いられ、音楽的な効果が生み出されている。
https://bohemegalante.com/2019/05/25/lecture-poeme-francais/

「異国の香り」の音楽性は、朗読を聞くと、すぐに感じることができるだろう。

詩の中の「私」は、目を閉じ、愛する女性の胸に顔を埋め、その香りに浸る。
現実生活の中で、その女性はボードレールの愛人であった、ジャンヌ・デュヴァルと言われている。
ボードレールが描いた彼女のスケッチがある。

画家のエドワール・マネが描いたジャンヌの肖像画。「ボードレールの愛人」と題されている。

Edouard Manet, La maîtresse de Baudelaire

彼女の胸に顔を埋めてみよう。

Parfum exotique

Quand, les deux yeux fermés, en un soir chaud d’automne,
Je respire l’odeur de ton sein chaleureux,
Je vois se dérouler des rivages heureux
Qu’éblouissent les feux d’un soleil monotone ;

異国の香り

両目を閉じる、秋の暖かい夕べ、
そして、香りを吸い込む、お前の熱い胸の、
すると、見えてくるのは、長く連なる幸福な岸辺、
単調な太陽の火で、眩しく照らされている。

目を閉じ視覚を閉ざし、臭覚に身を委ねる。
その香り(odeur)は、愛する女性の胸(ton sein)から発するもの。
しかも、胸は熱気を帯び(chaleureux)、興奮状態にあることが感じられる。

視覚は距離を必要とするが、臭覚と触覚は直接的な接触であり、主体と客体の関係はより内的なものとなる。
ボードレールにとって、こうした官能性の強度が、詩的な恍惚へと向かうエネルギー(エロース)の源泉だった。
彼は、実際の女性、自分の愛人を詩のモデルとすることで、エロースを実感し、生の感覚として歌ったのだろう。
抽象的な愛よりも、肉体的な愛欲の方が、実感が持てるのは確かなことだ。

そんな時であれば、たとえ外気が冷たくても、秋の夕方が暖かく感じられるのは、ごく自然なこと。
身体を寄せ合う二人の熱と外気の温度が一つになり、内と外が対応する。

その時(quand)、彼女の胸の香り(l’odeur de ton sein)は、目を閉じた「私」に、想像上のイメージを作り出す。
見えてくるのは(je vois)、太陽に照らされた(éblouir)海岸線(rivages)。
そこには、幸福な(heureux)という形容詞が付けられている。

そこでの幸福は、何もせず、時間が止まったかのような、静かなもの。
単調な太陽(un soleil motonone)が、その幸福を象徴している。

幸福な単調さは、monotoneという単語に含まれる [ o ]の音の反復(assonance)で、音として表現される。
chaud, automne, odeur, soleil, そしてmonotone。
[ o ]の音が、温かさ、秋、香り、太陽を結んでいることがわかる。
とりわけ、chaud d’automneで3つ続いた [ o ]が、monotoneで再び反復する音の配列は、見事としか言いようがない。

幸福(heureux)は、[ eu ]の音の反復で示される。
deux, yeux, chaleureux, feux.
こちらでもやはり、温かさ、肉体的な熱が幸福を運ぶ。

目に見える現実は時計の時間に支配され、全てが変化し、100%の幸福を味わうことはない。
目を閉じると見えてくる内的世界は、単調で、何事もなく全てがその場にある。そこに時間は流れず、永遠の世界が現出する。たとえ、目を開けば、理想が消え失せてしまうとしても。

第1カトランで見えてきた風景が、第2カトランではより具体的になり、南方の島の様相を強める。

Une île paresseuse où la nature donne
Des arbres singuliers et des fruits savoureux ;
Des hommes dont le corps est mince et vigoureux,
Et des femmes dont l’œil par sa franchise étonne.

怠惰な島、そこで自然が与えてくれるは、
独特な木々と美味な果実 。
男たちの身体は、細く、逞しく、
女たちの目は、率直さで人を驚かせる。

香りによって生み出された内的イメージが、幸福な岸辺(rivages heureux)から、人が能動的に働かなくてもいい、怠惰な島(île paresseuse)になる。
その際にも、音が引き継がれ、二つのイメージの中で、[ i ]と[ eu ]の音が共鳴する。

さらに、[ eu ]が、韻として、savoureux/vigoureuxに含まれ、味のいい果実、逞しい男たちという、島の魅力を特徴付けることになる。

[ o ]の音は、自然が与えてくれる(donne)という動詞と、女たちの目の魅力である、人を驚かせる(étonne)という動詞に含まれ、果実や男たち以上の魅力を伝えることになる。

この島は女性の身体から発する香りだけではなく、その熱からも生まれたものであり、南の海に浮かぶエグゾチックな島を連想させる。
詩の題名の「異国の香り(parfume exotique)」は、愛する女性の身体の香り、あるいは彼女の香水の香り、さらには南国の島の香りでもある。
そのエグゾチック(exotique)という言葉の中に含まれる[ i ]と[ o ]が、この詩を構成する詩句の至るところに含まれている。
つまり、音によって、香りを振りまいているのだ。

Paul Gauguin, D’où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?

ボードレールの詩を理解する上では、「驚き」が彼の美学の中心にあることを知っておくことも重要である。
女たちの目の率直さというのは、愛をあけすけに表現するという意味に理解することもできる。
しかし、ボードレールの詩学では、驚きは美とつながる。

le beau est toujours étonnant.
美は常に人を驚かせる。

「驚き」は、美の印となりうるものなのだ。
従って、第2カトランで描かれた島は、美の表現でもある。

第1テルセでは、最初のカトランの動きが再現され、そこに変奏が加えられる。そして、第2テルセに至り、香りと音楽がハーモニーを奏でる。

Guidé par ton odeur vers de charmants climats,
Je vois un port rempli de voiles et de mâts
Encor tout fatigués par la vague marine,

Pendant que le parfum des verts tamariniers,
Qui circule dans l’air et m’enfle la narine,
Se mêle dans mon âme au chant des mariniers.

お前の香りに導かれ、魅力的な風土の地に向かうと、
見えてくるのは一つの港。数多くの帆とマットは、
海の波によってひどくくたびれている。

それが見えている間、緑のタマリンドの香りが、
空気の中を漂い、私の鼻腔を膨らめ、
私の魂の中で、水夫たちの歌と混ざり合う。

第1テルセの中で、2つのカトランで起こったことが再現される。そして、そのことが、一つの詩の技法によって明示されている。
詩人が読者に目くばせしているといってもいいだろう。
それは何か?

内容的には、香りが内的なイメージを引き起こすという動きが繰り返される。
その反復を言葉の形態によって明確に示すために、ボードレールは、語句の先頭での語の反復(anaphore)を使う。
第1カトランの3行目は、« Je vois »で始まっていた。
第1テルセの2行目も、同じ« Je vois »で始まる。
同じ音が詩行の先頭に置かれることで、二つの詩句が共鳴するのである。

しかも、「異国の香り」では、香り(odeur)という名詞が一行前の詩句に置かれ、臭覚と視覚の連動が反復され、共鳴がさらに強められている。

Claude Lorrain, Port de mer

語頭反復によって主旋律を響かせた後、詩人は変奏を加えていく。

見てくるものが、ここでは港になり、そこには数多くの帆船が停泊している。
それらの船は、長い航海をしてきたに違いない。帆(voiles)やマスト(mâts)がひどく傷んでいる(fatigué)。
さらに、第2テルセでは、香りが「私」の鼻(narine)を膨らめ、船乗りたちの歌(chant des mariniers)と混ざり合う。

こうした変奏は、ただ南の島が港に変わっただけではない。
臭覚と視覚に触覚と聴覚が加わり、異なった感覚が対応し合う、共感覚の世界を生み出しているのである。

そうした感覚の対応が、「異国の香り」においては、音の響きによっても表現され、感覚同士が共鳴している。
母音 [ a ]と [ i ]の母音反復( assonance)
子音 [ m ], [ n ]と[ r ]の子音反復。(allitération)

それらの音は、単独で反復されるだけではなく、まとまりを作り、何度も現れる。寄せては返す波のように。あるいは、一つのメロディーをわずかな差異を付けながら繰り返すアリアのように。

韻として何度も現れるのですぐに耳に入ってくる。
Climats – matsのm-a.
maは、ma-rineのmaと響き合う。
そのma-rineは、na-rineと韻を踏む。しかし、ta-ma-ri-ni-ersとも響き合う。
さらに、水夫たちmariniersは、ta-mariniersの中に全て含まれ、韻を踏む6つの単語の音を最後にもう一度響かせる。

さらに、6つの詩行の最後に置かれた6つの単語に含まれる[ m ]と[ a ]は、肉体的な官能が精神的な高揚へと変化する歌の主音でもある。
タマリニエの木(tamariniers)の香り(parfum)が、水夫たち(mariniers)の歌と一つになるのは、「私の心(mon âme)」の中。ここにも、[ m ]と[ a ]のハーモニーが響いている。

愛する女性の燃えるような肉体から発する臭いが、共感覚の世界の中でいつしかタマリンドの緑の香りに昇華する。
その動きは、プラトン的に言えば、肉体的な美からイデアの美への移行だといえる。

プラトンは『饗宴』の中で、エロースについて様々に論じているが、最終的な結論は次のように要約できる。

恋する者が最初に向かうのは美しい肉体です。しかし、美しい肉体に向かった後は、美しい魂に向かうことが必要です。

船乗りたちの歌は、魂を魂の美に向かわせてくれる音楽。
そして、音楽性に満ちた「異国の香り」は、ボードレールという旅人の奏でる音楽だと言うことができる。

実際、この14行の詩句の音楽性は素晴らしい。
後の時代にメロディーを付けた歌われることがあるが、そうしたものよりも、詩の朗読そのものの方がはるかに美しい。
歌と朗読を聞き比べると、その違いを感じることができるだろう。

« Au chant des mariniers »が聞こえる時、読者は至上の喜び(extase)を感じ、ボードレールの歌に酔う(ivre)自分を見つける。
« Parfume exotique »をフランス語で読む楽しみは、ここにある。


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