
散文詩「髪の中の半球(un hémisphère dans une chevelure)」は、韻文詩「髪(La Chevelure)」をボードレールが書き換えた作品だと考えられている。
実際、「髪の中の半球」が最初に発表された時、題名は韻文詩と同じ「髪(La Chevelure)」だった。さらに、韻文詩は7つの詩節で構成されるが、散文詩にも7つの段落がある。その内容も対応する部分があり、同じ単語が使われていたりもする。
従って、「髪」を下敷きにしながら「髪の中の半球」を読んでいくと、ボードレールが散文詩というジャンルをどのようなものとして成立させようとしていたのかが、わかってくる。
韻文詩「髪(La Chevelure)」はこのように始まる。
Ô toison, moutonnant jusque sur l’encolure ! おお、首の上まで波打つ羊毛のような髪!
Ô boucles ! Ô parfum chargé de nonchaloir ! おお、髪の輪! おお、物憂さの籠もった香り!
Extase ! Pour peupler ce soir l’alcôve obscure 恍惚! 今宵、暗い寝室を、
Des souvenirs dormant dans cette chevelure, この髪の中で眠る思い出によって満たすため、
Je la veux agiter dans l’air comme un mouchoir この髪を空中で揺り動かしたい、ハンカチを振らすように!
ボードレール 「髪」 Baudelaire « La Chevelure » 官能性から生の流れへ
散文詩「髪の中の半球」では、韻文詩の最初の2行及び3行目の最初に置かれた「恍惚(Extase !)」を含め、感嘆詞で綴られる部分が省かれる。
そして、「君の髪(tes cheveux)」の「香り(l’odeur)」を嗅ぎ、それを「揺する(agiter)」ことで、「思い出(souvenirs)」を掻き立てるという、具体的な行為から出発する。
Laisse-moi respirer longtemps, longtemps, l’odeur de tes cheveux, y plonger tout mon visage, comme un homme altéré dans l’eau d’une source, et les agiter avec ma main comme un mouchoir odorant, pour secouer des souvenirs dans l’air.
髪の中の半球
吸い込ませておいてくれ、長い間、長い間、君の髪の香りを。そこに顔をすっぽりと沈ませておいてくれ、泉の水で喉を潤す男のように。その髪をこの手で揺らさせておくれ、香りのいいハンカチを振るように。思い出を空中に振りまくために。
「このままにしておいてくれ(Laisse-moi)」という願いの後で、具体的な3つの行為が示される。
(1)髪の香りを嗅ぐ。(respirer l’odeur de tes cheveux)
(2)髪に顔全体を埋める。(y plonger tout mon visage)
(3)手で髪を揺する。(les agiter avec ma main)
顔を埋める様子には、「泉の水で喉の渇きを癒す男(homme altéré dans l’eau d’une source)」が、髪を揺する様子には、「香りのいいハンカチ(mouchoir odorant)」というイメージが加えられる。
そのことで、読者は、具体的にそうした姿を想像することができる。
それに対して、髪の香りを嗅ぐことに関しては、「長い間(longtemps)」という言葉が2回繰り返される。
その反復が生み出す効果は、抒情性であり、さらには官能性をも生み出している。
とりわけ2度目のlongtempsに心を込め、« Laisse-moi respirer longtemps, / longtemps, / l’odeur de tes cheveux »と声に出して読んでみると、それだけでextaseを感じるに違いない。
ごく普通の散文のようでありながら、韻文詩の« Extase ! »に匹敵するといってもいいほどの効果を上げているのだ。
こうした比較から、散文詩では、韻文詩よりも読者にとってわかりやすい言葉やイメージを使い、その上で韻文詩と同様の効果を生み出そうとしていることがわかってくる。
最も重要な言葉の一つである「思い出(souvenirs)」に関して言えば、韻文詩の「髪の中に眠っている思い出(Des souvenirs dormant dans cette chevelure)」は具体的ではあるが、そのために謎めいている。
他方、散文詩では空中に「思い出(des souvenirs)」を振りまくとされるだけで、かえってそのまま読んでいける。
Si tu pouvais savoir tout ce que je vois ! tout ce que je sens ! tout ce que j’entends dans tes cheveux ! Mon âme voyage sur le parfum comme l’âme des autres hommes sur la musique.
君の髪の中で、ぼくが目にするもの全て、感じるもの全て、聞こえるもの全てを、君が知ってくれたら! ぼくの魂は香りに乗って旅をする、他の人々の魂が音楽に乗って旅するように。
si+直説法半過去は、願望や誘い、命令、後悔などを意味する。
ここでは、tu pouvais savoirとpouvoirがあるので、どんなにいいだろうかという願望や、知ってほしいという願いが込められている。
旅に関する言及は韻文詩とほぼ同じだが、「ぼくの魂(mon âme)」と「他の人々の魂( l’âme des autres)」の順番が逆になっている。
Comme d’autres esprits voguent sur la musique, 他の人々の精神が音楽に合わせて漂うように、
Le mien, ô mon amour ! nage sur ton parfum. 私の精神は、おお、愛する女(ひと)よ、あなたの香りの上を泳いでいる。
Mon âme voyage sur le parfum comme l’âme des autres hommes sur la musique.
この違いは、まず第一に、韻文では、詩行の最後の言葉が韻を踏む必要があり、musiqueはその前に出てきた Afrique, aromatiqueと、parfumはdéfuntと韻を踏む必要から来ている。
また、旅や移動することを示すために、韻文では文体上の工夫から、「漂う(voguer)」と「泳ぐ(nager)」という二つの動詞が使われる。
他方、散文では、「旅をする(voyager)」という動詞一つで、直接的に表現されている。
こうした違いからは、たとえ意味する内容は同じでも、韻文と散文で表現法が違うことがわかる。
実際、散文では、日常の言語に近く、理解が容易な表現が用いられる傾向がある。
その上で、詩的な効果を挙げるための工夫が行われる。
第2段落の場合、Si tu pouvais savoirの後、tout ce queという表現が3回繰り返され、その度に感嘆詞が用いられ、切迫した気持ちが伝わり、抒情性が生み出される。
Si tu pouvais savoirの後、« tout ce que je vois ! »、« tout ce que je sens ! »、 « tout ce que j’entends dans tes cheveux ! »と声を出して読むと、その抒情性がはっきりと感じられる。
また、反復は、意味のレベルでvois, sens, entendsの違いを際立たせ、視覚(vois)、触覚あるいは臭覚(sens)、聴覚(entends)を含めた共感覚の世界を暗示する。
さらに、最後にだけ、« dans tes cheveux »と規則性から外れる言葉が置かれているために、tes cheveuxという言葉がくっきりと浮かび上がってくる。
このように、散文には散文の文体的な工夫があり、ボードレールはそれを駆使して、一見普通の散文のように見える文を詩として成立させているのである。
Tes cheveux contiennent tout un rêve, plein de voilures et de mâtures ; ils contiennent de grandes mers dont les moussons me portent vers de charmants climats, où l’espace est plus bleu et plus profond, où l’atmosphère est parfumée par les fruits, par les feuilles et par la peau humaine.
君の髪の中には、一つの夢全体が含まれている。帆と帆柱が満ちた夢。広大な海があり、季節風がぼくを素晴らしい風土へと運んでくれる。そこの空間はここよりも青く深い。大気は、果実と木の葉と人間の肌のおかげで、とてもいい香りがする。
韻文詩では、「私はあちらへと向かう(J’irai là-bas)」と単純未来形で、出発の意志が示された。
それに対して、散文詩では、髪が「夢(rêve)」の場であり、「帆(voilures)」や「帆柱(mâtures)」によって、長い船旅の夢が暗示される。
目的地に関して言及されるのは、「髪」でも「髪の中の半球」でも、「風土(climat)」。
そこで感じられる素晴らしい香りが、植物(l’arbre / les fruits, les feuilles)だけではなく、人間(l’homme / la peau humaine)によるものであることも、二つの詩で共通している。
この第3段落でも、韻文詩と同じ単語がいくつも使用され、同じイメージが喚起されるが、しかし「髪の中の半球」の方が通常の言語表現に近いことは読み比べるとすぐにわかる。
韻文詩では、髪に対して、「丈夫な編み毛よ(Fortes tresses)」や「黒檀の海よ(mer d’ébène)」という異なる呼びかけがされ、髪を多様な側面から捉えているため、豊かではあるが複雑さが増している。
散文詩にはそうした多様性も複雑さもなく、髪はcheveuxあるいはchevelureという単語で統一されている。
第4段落から第6段落は、dansという前置詞が先頭に置かれ、続いて「ぼく(je)」の行為が記される。
その反復が、規則性とずれによる効果を生み出していく。
Dans l’océan de ta chevelure, j’entrevois un port fourmillant de chants mélancoliques, d’hommes vigoureux de toutes nations et de navires de toutes formes découpant leurs architectures fines et compliquées sur un ciel immense où se prélasse l’éternelle chaleur.
Dans les caresses de ta chevelure, je retrouve les langueurs des longues heures passées sur un divan, dans la chambre d’un beau navire, bercées par le roulis imperceptible du port, entre les pots de fleurs et les gargoulettes rafraîchissantes.
Dans l’ardent foyer de ta chevelure, je respire l’odeur du tabac mêlé à l’opium et au sucre ; dans la nuit de ta chevelure, je vois resplendir l’infini de l’azur tropical ; sur les rivages duvetés de ta chevelure je m’enivre des odeurs combinées du goudron, du musc et de l’huile de coco.
君の髪の大海原の中で、ぼくが垣間見るものは、一つの港。そこは、憂鬱な歌、あらゆる国々の逞しい男たち、全ての形をした船で満ちあふれている。船は、複雑で繊細な骨組みを巨大な空に浮かび上がらせ、空には永遠の熱気が漂っている。
君の髪を撫でる中で、ぼくが再び見出すものは、長椅子の上で過ごす長い時間の物憂さ。その物憂さは、美しい船の部屋の中、港のほんのわずかな横揺れに揺られている、花瓶と新鮮な素焼きの水差しの間で。
君の髪の暖炉の中で、ぼくが吸い込むものは、アヘンと砂糖に混ざったタバコの香り。君の髪の夜の中で、ぼくは目にする、南国の紺碧の無限が輝くのを。君の髪の産毛の生えた岸辺で、ぼくは酔いしれる、タールとじゃこうとヤシの油が入り交じった香りに。
第4段落では、髪の中に港が見えてくる。そこに停泊する船の上に広がる空には、「永遠の熱気(l’éternelle chaleur)」が漂っている。
その構図は韻文詩と共通するが、韻文詩で言及された「香り、音、色」という共感覚の世界を直ちに連想される言葉は省かれ、「憂鬱な歌(chants mélancoliques)」、「逞しい男たち(hommes vigoureux )」、「複雑で繊細な骨組みを巨大な空に浮かび上がらせる船(navitres (…) découpant leuers architectures fines et compliquées)」といった具体的な内容を持った言葉が、明確な映像を生み出している。
第5段落は、彼女の髪から発せられる官能性が、心のまどろみへと変わっていく様子が、「物憂さ(langeurs)」という言葉を中心に描き出される。
その物憂さは、港の「横揺れ(roulis)」によって「揺れられる(bercé)」のだが、bercerは「揺り籠(berceau)」を連想させる。
韻文詩の中では、それを語根とする言葉は、「香り高い無為の時間がもたらす、揺り籠の無限の揺れ(Infinis bercements du loisir embaumé)」という表現の中で使われていた。
散文詩では、揺れが生み出す物憂さを中心にして、「長椅子(divan)」、「美しい船の部屋(chambre d’un beau navire)」、「花瓶(pots de fleurs)」、「素焼きの水差し(gargoulettes )」という言葉が付け加えられ、揺れの状況が生々しく描かれている。
第6段落になると、語りの速度が増し、髪が三つの視点から捉えられ、そこで行われる3つの行為が次々に数え上げられる。
(1)君の髪の「暖炉(foyer)」=燃えるような髪。
そこで感じられるのは、「アヘン(opium)」やタバコなど麻薬の効果。
(2)君の髪の「夜(nuit)」:=夜の暗闇のような黒い髪。
闇の中からは、「紺碧(azur)」が見えてくる。
「紺碧」に関しては、韻文詩では、青い髪に向かって、「お前たちが私に返してくれたのは、巨大で丸い空の蒼穹(Vous me rendez l’azur du ciel immense et rond)」と呼びかけていた。
青い髪は現実を、蒼穹は理想を暗示していると考えると、この呼びかけは、現実に対する理想を象徴していると考えられる。
(3)君の髪の「産毛の生えた岸辺(rivages duvetés)」=髪の生え際の産毛。
最初はアヘンなどを吸い込んだが、今度は、「タール(goudron)」、「じゃこう(musc)」、「ヤシの油(huile de coco)」の香りが混ざった香りに「酔いしれる(je m’enivre)」。
その3つはすでに韻文詩にも書かれていたが、順番に違いが見られる。
De l’huile de coco, du musc et du goudron (「髪」)
du goudron, du musc et de l’huile de coco (「髪の中の半球」)
韻文詩でgoudronが最後に来るのは、2行上に出てくる ciel immense et rondのrondと韻を踏むためだが、散文詩でなぜあえて順番を変えたのか?
変更に必然性はないので、ボードレールは、韻文詩を知っている読者に対して、変化を気づかせるといった効果を狙ったのかもれしない。
最後の段落では、詩の最初に使われた表現が再び現れ、髪を含んでいる「一つの夢全体(tout un rêve)」をおおよそ見て回られ、最終地点に来たことを告げている。
Laisse-moi mordre longtemps tes tresses lourdes et noires. Quand je mordille tes cheveux élastiques et rebelles, il me semble que je mange des souvenirs.
噛むままにさせておいてくれ、長い間、重く黒いお前の編毛を。弾力性があり扱い難いお前の髪をくちゅくちゅとかじっていると、ぼくには、思い出を食べているように思えてくる。
« Laisse-moi … longtemps »は、詩の冒頭に置かれた« Laisse-moi (respirer) longtemps, longtemps »を思い起こさせる。
他方、私の行為の内容は、「髪の香りを吸い込む(respirer l’odeur de tes cheveux)」から、「網毛を噛む(mordre tes tresses)」となり、彼女との接触がより生々しいものにと変えられる。
次に、ほぼ同じ内容が繰り返されるのだが、動詞は「噛む(mordre)」から「軽く、しかし何度も噛む(mordiller)」へ、噛む対象である髪は、「重く黒い網毛(tresses lourdes et noires)」から「ゴムのように弾力性があり、扱い難い髪(cheveux élastiques et rebelles)」へと移行する。
そのことによって、髪のイメージも「私」の行為も、より具体的になる。
韻文詩との関係で注目しなければならないのは、「思い出」という言葉。
韻文詩の最後は、愛する女性に向かい、君は「私がごくごくと思い出というワインを吸い込む水筒ではないのか?( la gourde / Où je hume à longs traits le vin du souvenir ?)」という呼びかけで終わる。
その際、souvenirは単数形で書かれている。
複数形であれば具体的な思い出の数々を意味することになるが、ここでの単数形は、具体的な思い出ではなく、「思い出というもの一般」を意味すると考えられる。
それに対して、散文詩では、souvenirsは、第一段落で「思い出を振りまく(secouer des souvenirs)」と言われた時と同じように、複数形のままで置かれる。
つまり、「ぼく」が彼女の髪を軽く噛む度に出てくる「思い出」は、彼らの間で積み重ねてきた過去の体験の記憶なのだ。
そのことは、彼女の髪の中に顔を埋め、香りを胸に吸い込み、髪を噛むことで甦るものが、個人的な過去の思い出、言い換えれば、過去の時間ということになる。
その時間が甦ることは、現在の中に過去が含まれる時間体験なのだ。そのことは、人間が生きる時間とは、今という一つの時点が断続的に連結しているのではなく、「生」とは途切れなく続く流れであることを思い出させる。
韻文詩「髪」の最後に置かれた「思い出というワイン(vin du souvenir)」はそうした生命の持続の象徴として機能していると考えることができる。
散文詩「髪の中の半球」では、それと同じ内容を含みながら、より具体的で読者が理解しやすい現実的な表現を用い、意味の伝達を主要な役割とする散文に則した「詩」となっている。
ボードレールが、詩のジャンルとして確立することを目指した「散文詩(poème en prose)」が、「散文」を用いた「詩」であることが、「髪の中の半球」を通して理解することができるだろう。
言語の重要な役割である「意味の伝達機能」に比重を置きながら、韻文詩と同様に「詩」であろうとする。
その際、「詩とは何か?」という大きな問題は残るが、しかし、「髪の中の半球」を通して、ボードレールが確立しようとした「散文詩」がどのようなものかが、ある程度はっきりと見えてくる。
「ボードレール 「髪の中の半球」 Baudelaire « Un Hémisphère dans une chevelure » 散文で綴った詩」への1件のフィードバック