私たちは普段あまり意識しないのだが、言葉の音色を敏感に聞き取り、その音色が意味の理解も影響を与えている。
その例として、源実朝の和歌を取り上げてみよう。
大海の 磯もとどろに よする波 われてくだけて さけて散るかも
ooumino / isomo todoroni / yoshuru nami // warete kudakete / sakete chirukamo

大海(o-o-u-mi-no)という最初の5音の中だけで3つの[ o ]の音が重ねられ、読者は大きな海へと誘われる。
さらにその音は、次に7音でも5回反復し、続く5音の中にも1回現れる。
その反復は、大きな波が磯に何度も何度も押し寄せる光景を、音によって体感させる効果を発揮する。
後半の 7/7では、[ e ]の音を中心に、 re – te – ke -te -ke -teとここでも波が打ち寄せ、割れ、砕け、裂ける感じが、音を通して伝わってくる。
そして、最後の最後になり、「散るかも(mo)」と [ o ]の音が再び現れ、ばらばらに砕けた波のイメージが最初の大海原へと収束する。

『私家版日本語文法』の中で井上ひさしがしてくれたように解説されないとなかなか気付かないことが多いのだが、実朝の歌が私たちに強い印象をもたらす理由に一つに、こうした言葉も音の効果がある。
フランスの詩人たちは、源実朝に劣らず詩句の音楽性に敏感であり、リズムだけではなく、音色にも細心の注意を払った。
(リズムに関しては フランス語の詩の音楽性 その1 リズム)
だからこそ、フランス語の詩を楽しむためには、音色を意識することも大切な要素になる。
(1)擬音語的効果
芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」では、shiの音が、「シー、静かに」という時のsの音を思わせ、この俳句の静寂を体感させる効果を生み出している。
(閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 —— 俳句の音と意味)
それと同じ擬音語的な効果のある詩句を、声を出して読んでみよう。蛇の立てるシューッという音が聞こえてくる。
Pour qui sont ces serpents qui sifflent sur vous
誰のために、この蛇たちがいるのか、お前たちの上でシューッと音を立てる蛇たちが?
Racine, « Andromaque »

五回繰り返される[ s ]の音がsifflent(シューッという音を立てる)を体感させ、こ詩句がシューといオノマトペ(擬音語)のように聞こえる。
この [ s ]は、芭蕉の句の [ shi ]と同じように、具体的な音の効果によって、リアルさを生み出す効果を発揮している。
(2)母音反復(assonance)

母音反復(アソナンス:assonance)は、同一の母音を反復することによってその音色を強め、読者の注意を引く効果がある。
次の詩句では、[ a ]の反復が、見事な効果を発揮する
Ô lac ! l’année à peine a fini sa carrière,
Et près des flots chéris qu’elle devait revoir,
Regarde ! je viens seul m’asseoir sur cette pierre
Où tu la vis s’asseoir !
おお、湖よ。一年がもうじき過ぎようとしている。
この愛しい波を、彼女は再び目にするはずだったのに、
見てくれ。ぼくは一人やってきて、この岩の上に座っている。
ここに彼女が腰を下ろした姿を、お前も見たのに。
Lamartine, « Le lac »
最初に lac (湖)に呼びかけた後、同じの詩行の中で、année, à, a, sa, carrièreと [ a ] の音が5回反復され、 [ a ] に注意が引きつけられる。
3行目になると、regarde(見ろ)という湖に対する呼びかけの中に再び [ a ] が響き、m’asseoir / s’asseoirという対比に注意を向けさせる。
そして、この詩句の中で最も重要な単語である la を際立たせる。
そのlaは、私の愛する女性であり、今ここにいないことを悲しむ原因の対象。しかし、彼女は決してはっきりとは名指されない。ただ laと言われるだけ。
そのlaにスポットライトを当てるのが、[ a ]の音色なのだ。
(3)子音反復(allitération)
蛇(serpents)の出てくる先に見た詩句は、子音反復(アリテラシオン:allitération)の見事な例だといえる。
Pour qui sont ces serpents qui sifflent sur vous
[ s ]の反復が擬音語となり、蛇の立てるシューッという音を連想させる。

(4)首句反復(anaphore)
同じ表現が、詩句の冒頭、ときにそれ以外の部分で反復される技法。
C’est l’extase langoureuse,
C’est la fatigue amoureuse,
C’est tous les frissons des bois
Parmi l’étreinte des brises,
C’est, vers les ramures grises,
Le chœur des petites voix.
それは、物憂い恍惚感。
それは、愛の倦怠感。
それは、森の全ての震え、
そよ風の抱擁の間を抜ける。
それは、灰色の梢に向かう
小さな声の合唱。
Verlaine, « Ariettes oubliées, I »
この詩節の4つの行の冒頭で、c’est という表現が反復される。
この首句反復(アナフォール:anaphonre)の技法は、C’est という言葉の意味を強調するだけではなく、音楽的な効果を作り出し、畳みかける調子がエネルギー感を生み出す。
このヴェルレーヌの詩節では、最初に三つC’estが反復された後、一行空き、もう一度c’estが繰り返されることで、次に続くle chœur(合唱)への期待が高まり、その言葉により強いスポットライトが当てられる。
フランス語の詩句のリズムと音色に注目することは、決して音楽性だけに注意を向けることではなく、詩句の意味をより深く理解し、感じ取る感受性を養うことにつながる。
そのことを最もよく感じさせてくれる二つの例を紹介してみよう。
(1)ヴェルレーヌ「秋の歌(Chanson d’automne)」
Les sanglots longs
Des violons
De l’automne
Blessent mon cœur
D’une langueur
Monotone.
秋の日の/ヰ゛オロンの/ためいきの/身にしみて/ひたぶるに/うら悲し。(上田敏訳)

ヴェルレーヌの詩句をそのまま日本語に移しようもない。できることは、上田敏のように、ヴェルレーヌの詩句の音楽性に匹敵するほどの美しい日本語を生み出すことだろう。
ヴェルレーヌの詩句は、[ o ]の母音反復と[ l ]の子音反復をベースにして、あたかもヴァイオリンの音色が人の心を単調な憂鬱さで満たしていくように、その音楽で読者をうっとりとさせる。
(2)ラシーヌ「フェードル(Phèdre)」
イポリットが、愛してはいけない女性であるアリシーに対して言う言葉。
Présente,/ je vous fuis ; // absente,/ je vous trouve ;
あなたがいらっしゃると、あなたから逃れようとします。いらっしゃらないと、あなたを目にします。
Racine, Phèdre

リズムと音色が完璧に意味と対応し、これほど素晴らしい詩句はないとさえいえるほど美しい。
12音節が6/6で区切られ、さらに前半も後半も3/3で下位区分される。
Présente (3) / je vous fuis (3) ;// absente (3) / je vous trouve (3)
その左右対称のリズムに乗って、前半ではPrésente(あなた(アリシー)がいる)、後半ではabsente(いない)という、反対の意味が提示される。
そして、彼女がいる場合には、私はあなたから逃げる(je vou fuis)。いない場合にはあなたを目にする(je vous trouve)、つまりあなたの面影を思い浮かべる。
ここでも、矛盾した二つの行為が対比的に示される。
音色に耳を傾けると、まずprésenteとabsenteで、[ ã ]と[ t ]の音が反復される。(アソナンスとアリテラシオン)
次に、« je vous »と同じ表現が反復される。これは、詩句の先頭に置かれてはいないが、アナフォールの一種と考えることができる。
最後の動詞 trouveにおける音と意味の調和は、ラシーヌの詩句でも最高のものだろう。
心の底ではいつでも目にしていたいvousの音を、 [ u ]と[ v ] で反復(アリテラシオンとアソナンス)する。
trouveの中にvousを含むことで、イポリットの本心がfuis (逃げる)ではなく、trouve(見つける)であることを、音によって暗示しているのだ。
こんな風に言葉で解説するとまどろこしいと思われるかもしれないが、愛してはいけない人を思う気持ちを表現する言葉として、これほど素晴らしく、美しく、しかも繊細な意味を伝える詩句は、奇跡と言ってもいい。
それほど、リズムと音色が意味と調和し、美を生み出している。
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フランス詩法の全体像については、以下の項目を参照。
フランス語の詩を読むために