
愛する女性の髪に顔を埋め、その香りに包まれたい。ボードレールはそんな望みをいくつかの詩の中で歌っている。
例えば、「異国の香り(Parfum exotique)」。
Quand, les deux yeux fermés, en un soir chaud d’automne,
Je respire l’odeur de ton sein chaleureux,
両目を閉じる、秋の暖かい夕べ、
そして、香りを吸い込む、お前の熱い胸の、
ボードレール 「異国の香り」 Charles Baudelaire « Parfume exotique » エロースの導き
あるいは散文詩「髪の中の半球(Un hémisphère dans une chevelure)」。
Laisse-moi respirer longtemps, longtemps, l’odeur de tes cheveux, y plonger tout mon visage, comme un homme altéré, dans l’eau d’une source, et les agiter avec ma main comme un mouchoir odorant, pour secouer des souvenirs dans l’air.
ずっと、ずっと、お前の髪の香りを吸わせておいてくれ、髪の中に顔を沈めさせておいてくれ、喉の渇いた男が泉の水に顔を浸すように。この手でその髪を揺らさせておいてくれ、香り高いハンカチを振るように、思い出を空中に撒き散らすために。
ボードレール 「髪の中の半球」 Baudelaire « Un Hémisphère dans une chevelure » 散文で綴った詩
「忘却の河(Le Léthé)」もこの二つの詩と同じ願いを歌う詩だが、1857年に『悪の華(Les Fleurs du mal)』が出版された際、風俗を乱すという罪に問われ、詩集から削除することを命じられた。
「異国の香り」は問題にならず、「忘却の河」が断罪されたとすると、この詩のどこが問題だったのだろう?
Viens sur mon cœur, âme cruelle et sourde,
Tigre adoré, monstre aux airs indolents;
Je veux longtemps plonger mes doigts tremblants
Dans l’épaisseur de ta crinière lourde ;
我が心臓の上に乗ってくれ、残忍で人の話に耳を傾けぬ女(ひと)よ、
愛すべきトラよ、怠惰な歌声の怪物よ。
私の震える指を、ずっと沈めていたい、
お前の重々しく豊かな髪の中に。
この第一詩節でも、愛する女性の髪の中に指を埋めたい(plonger mes doigts)という願いが、明確に表明されている。

それと同時に、対象となる女性の属性も明らかにされる。
残忍(cruelle)なのは、男の言葉だけが聞こえない(sourde)からだけではなく、彼の願いを聞きながら、それを受け入れる仕草を見せないからだろう。
彼女はトラ(un tigre)のように野生的で、だからこそますます愛してしまう(adoré)。
そして、何に熱中するわけでもなく、ぶらぶらと(indolents)好きな歌(airs)をつぶやいている。
第2詩節でも、詩人の望みが« je veux »に続く形で、ensevelir(墓場に埋める)、respirer(呼吸する)という動詞を使い、話し続けられる。
Dans tes jupons remplis de ton parfum
Ensevelir ma tête endolorie,
Et respirer, comme une fleur flétrie,
Le doux relent de mon amour défunt.
お前の香りに満ちたペティコートの中に
葬りたい、私の苦痛に満ちた顔を。
吸い込みたい、萎れた花のような
私の死んだ愛の、甘い臭気を。

ペティコート(tes jupons)の中に顔を埋める(ensevelir ma tête)となると、髪に顔を埋めるよりも猥褻さは増し、不道徳と見なされても仕方が無い。
もちろん、ボードレールの意図は、猥褻さを強調することではない。ここで使われている単語を見ていくと、「死」を連想させるものが多く使われていることに気付く。
ensevelir (墓場に埋める)、endolorie(苦痛に満ちた)、flétrie(涸れた、萎れた)、relent(悪臭)、そして、最後に出てくるdéfunt(死んだ)。
なぜ愛する女性に向かい、こうした言葉を投げかけるのだろうか?
その答えが、以下の詩節で徐々に示されていく。
第3詩節では、「死(la mort)」から「眠り(dormir)(sommeil)」へと、話題が移っていく。
Je veux dormir ! dormir plutôt que vivre !
Dans un sommeil aussi doux que la mort,
J’étalerai mes baisers sans remords
Sur ton beau corps poli comme le cuivre.
眠りたい! 眠りたい、生きるよりも!
死と同じほど甘い眠りの中で、
私は口づけを重ねていくだろう、後悔することもなく、
お前の美しい体の上、銅のように磨かれた体の上に。

dormirとvivre(生きる)、un sommeilとla mortの対比が示され、詩人の願いが、この世で生きることでもなく、眠りは死よりも甘美(doux)だと明かされる。
その眠りの世界で、彼は愛する女性の美しく磨かれた(poli)体(ton beau corps)に、口づけ(mes baisers)を拡げたい(étaler)という願いを語る。
その際、j’étaleraiと単純未来形が使われていることに注意したい。
それは単なる彼の欲望であり、実現することはそれほど信じられていない。
未来形はそのことを暗示している。
他方、公衆道徳の面から見ると、こうした具体的な表現はやはり批難すべきものと見なされても仕方がない。
そして、こうしたむき出しの表現が、「忘却の河」と「異国の香り」の運命を分けたと考えても間違ってはいないだろう。
第4詩節になると、「忘却の河」が姿を現す。
Pour engloutir mes sanglots apaisés
Rien ne me vaut l’abîme de ta couche;
L’oubli puissant habite sur ta bouche,
Et le Léthé coule dans tes baisers.
啜り泣きを呑み込み、静めるために、
お前の寝床の深淵に匹敵するものは、何一つない。
力強い忘却が、お前の口の上に宿っている。
そして、「忘却の河」が流れる、お前の口づけの中に。

ボードレールにとって、「忘却(oubli)」とは何か? そして、どのような意味を持つのか?
最初の行の詩句を構文の通りに理解すると、「静められた私のすすり泣き(mes sanglots apaisés)」を「呑み込む(engloutir)」ということになる。
しかし、すでに静められたものであれば、呑み込む必要はない。
従って、ここでは、啜り泣きを呑み込み、そのことによってそれを静めると理解したい。
そして、その場としてあるのが、彼女の寝床(ta couche)。そこは底なしの深い穴のようにどこまでも深く、詩人を深淵(l’abîne)にまで沈めてくれる。
それが地中深くにある「地獄」の比喩だとしたら、そこには「忘却の河レテ(le Léthé)」が流れていてもおかしくはない。

さらに、ボードレールは、その「忘却」が「お前の唇(ta bouche)」に宿り、レテは「お前の口づけ」の中を流れると言う。
つまり、口づけすることで、彼は忘却を知る。
そのように考えると、「忘却」とは、我を忘れ、彼女の存在さえも忘れ、恍惚となる感覚だと考えてもいいだろう。ボードレールの詩学で言えば、« extase(忘我的恍惚)»。
それこそが彼の求めるものであり、身体的な接触はそこに達するための手段だともいえる。
第5−6詩節では、基本となる動詞は単純未来で活用され、« J’étalerai mes baisers »という願いに続き、後3つの願いが付け加えられる。
À mon destin, désormais mon délice,
J’obéirai comme un prédestiné;
Martyr docile, innocent condamné,
Dont la ferveur attise le supplice,
Je sucerai, pour noyer ma rancœur,
Le népenthès et la bonne ciguë
Aux bouts charmants de cette gorge aiguë
Qui n’a jamais emprisonné de cœur.
私の運命に、これからの私の至福、
私は従うだろう、予め定められた者として。
従順な殉教者として、断罪された無実の者として、
その熱狂が、激しい苦しみをより激しいものにする。
私は吸うだろう、恨みを沈めるために、
秘薬を、そして善き毒ニンジンを、
この尖った胸の 魅力に満ちた先端で、
決して心を閉じ込めることがなかった、その胸の先端で。
一つ目の願いは、運命に従うこと(j’obéirai à mon destin)。(第5詩節)
二つめの願いは、秘薬(le népenthès)やよい効能を持つ毒ニンジン(la bonne ciguë)を吸う(je sucerai)こと。(第6詩節)
繰り返すことなるが、これらの願いの目的は、「忘却」、つまり「忘我的恍惚」に達することにある。
第5詩節では、運命、つまり彼女の肉体を享受することは「私の至福(mono délice)」であるとされる。
だからこそ、死を定められた殉教者(martyr)は、苦しみ(le supplice)を自ら激しく求めることになる。

第6詩節で言及される「私の恨み(ma rancœur)」とは、彼の願いに耳を傾けない(sourde)彼女に対する気持ちだといえる。
その気持ちを「溺れさせる(noyer)」つまり「沈める、静める」ために必要なものは、薬物。
ここでは、古代ギリシアで怒りや悲しみを抑えるために使われた「秘薬(népenthès)」と、「毒ニンジン(la ciguë)」が持ち出される。
毒ニンジンは死をもたらすものだが、「忘却の河」において死は忘我的恍惚をもたらすもの。そこで、「善き(bonne)」ものと見なされる。
そして、その薬物を口にするのは、愛する女性の肉体の中でも、尖った胸(cette gorge aiguë)の先端(Aux bouts)。
ここでも再び、官能的なイメージが呼び起こされる。
。。。。。
このように読んでくると、「忘却の河」を通してボードレールが目指したものが、「忘却」とは「忘我的恍惚」のことであることを歌うことだったと理解できる。
その一方で、一般的な社会道徳を遵守しようとする人々にとっては、赤裸々な男女の交わりを歌った詩としか読み取れなかったとしても、不思議ではない。