マラルメ 「シャルル・ボードレールの墓」 Sthépane Mallarmé « Le Tombeau de Charles Baudelaire » 1/3 

1892年にボードレールの記念碑が建立される計画が持ち上がり、その資金を調達するために詩人を追悼する詩集が企画された。参加を求められたマラルメは、若い頃に多大な影響を受けたボードレールへの敬意を込めて「オマージュ(Hommage)」と題したソネ(14行詩)を執筆、その後、自分の詩集に再録した際、題名を「シャルル・ボードレールの墓(Le Tombeau de Charles Baudelaire)」に変更した。

オマージュであるこの詩がボードレールの詩的世界を反映しているのは当然のことだが、音的にも、ボードレールという名前の最初の文字である B の音が詩句の中にちりばめられている。題名の中でTombeauのボの音がBaudelaireのボの音と響き合うところから始まり、詩句の至るところから B(audelaire)が顔を出してくるのだ。

他方で、ボードレールを超えようとする意図も込められている。14行の詩句の中で句読点が一つも用いられないことは、形式的な次元での刷新に他ならない。


第1詩節では、悪(le Mal)から美(beau)を抽出するボードレールの「詩的錬金術」に焦点が当てられる。

Le Tombeau de Charles Baudelaire

Le temple enseveli divulgue par la bouche
Sépulcrale d’égout bavant boue et rubis
Abominablement quelque idole Anubis
Tout le museau flambé comme un aboi farouche

シャルル・ボードレールの墓

埋葬された神殿が 暴露する 墓の口を通して
泥とルビーをよだれのように垂らす下水の口だ
おぞましい様子で 何かしらの偶像アヌビスを
鼻面は炎に燃え 吠える声は獰猛

A. 錬金術

この第1詩節が錬金術(alchimie)を思わせることは、神殿が何らしらの偶像を暴露する(Le temple divulgue quelque idole)という逆説によって明確に示される。
一般に、神殿(temple)は神像を秘し、一般の人々の不謹慎な目から守る神聖な場。ここでは、その神殿が暴露する役割を果たし、秘められたものを一般の人々に知らせる(divulguer)。
隠す役割を果たす神殿が暴露するという逆転は、非金属を黄金に変容させる「錬金術(Alchimie)」を連想させる。

そのことは、泥(boue)とルビー(rubis)という醜と美を代表する物質が並列されることでより明確になる。
ボードレールの詩の中で、boueという単語は「悲しみ彷徨う女(Moesta et errabunda)」や「旅(Le Voyage)」に、rubisという単語は「髪(La Chevelure)」に見られる。マラルメはそれらの単語を使うことで、こうした詩へと読者の注意を向ける。

そした、泥とルビーが垂れ流される(baver)。
Baverという動詞は、よだれを流すという意味を中心にしているが、詩をでっち上げるといった意味で使われることもある。
マラルメはBを含んだその3つの単語を« Bavant boue et rubis »と連ねることで、詩の錬金術師であるBaudelaireへのオマージュを捧げたのだった。

実際、ボードレールには「苦痛の錬金術(Alchimie de la douleur)」と題された詩がある。
(参照:ボードレール 苦痛の錬金術 Baudelaire Alchimie de la douleur 魔術的クリエーションの原理

Alchimie de la douleur

L’un t’éclaire avec son ardeur,
L’autre en toi met son deuil, Nature !
Ce qui dit à l’un : Sépulture !
Dit à l’autre : Vie et splendeur !
(…)
Par toi je change l’or en fer
Et le paradis en enfer ;
(…)

「苦痛の錬金術」

一方は、お前を照らし出す、暑い情熱で。
他方は、お前の中に喪を置く、「自然」よ!
一方に、「墓」!と言うものが、
他方に、「生」と輝き!と言う。
(中略)
お前を通して、私は金を鉄に変える。
天国を地獄に変える。
(後略)

一般の錬金術とは逆に、「私」は金を鉄に変え、天国を地獄に変える。だからこそ、苦痛を生み出す錬金術なのだ。しかし、それでも対立する原理を変容させる術であることにかわりはない。

別の場所でボードレールは、「私は泥を捏ね、金を作った(J’ai pétri de la boue et j’en ai fait de l’or)」とか、「お前が私に泥をくれ、私は金を作った(Tu m’as donné ta boue et j’en ai fait de l’or)」と書いている。こちらは普通の錬金術。

『悪の華(Les Fleurs du mal)』という詩集の題名も、悪(Le mal)と美を象徴する花(fleurs)という対立する二つの原理から成り立っている。そして、それこそが「詩」なのだ。
そのように考えると、錬金術とは、ボードレールにとっての詩法であることが理解できる。

B. 神殿

マラルメが「シャルル・ボードレールの墓」を神殿(temple)という言葉から始めたことには明確な意味がある。
その意味は、「コレスポンダンス(Correspondances)」の第1詩節を思い出すと推測することができる。(参照:ボードレール「コレスポンダンス」(万物照応) Correspondances

Correspondances

La Nature est un temple où de vivants piliers
Laissent parfois sortir de confuses paroles;
L’homme y passe à travers des forêts de symboles
Qui l’observent avec des regards familiers.

「コレスポンダンス(万物照応)」

自然は一つの神殿。生きた柱が、
時として、混乱した言葉を発する。
その中で、人間は象徴の森を通る。
彼を親しげに見つめる森を。

「苦痛の錬金術」において、「自然(Nature)」は情熱と喪の変容の場、墓と生の変容の場として呼びかけられた。その自然が、「コレスポンダンス」においては、生命に息づく柱(=木々)が混乱した言葉を漏らす「神殿」だとされる。人間(=ボードレール)はその生きた神殿を通り、何かしらの象徴を捉える。

マラルメはその神殿(le temple)を埋葬する(enseveli)。
その埋葬された神殿はボードレールが埋葬されている墓を思わせ、穿たれた穴を口(la bouche)に見立てれば、墓の(Sépulcrale)と形容されてもおかしくない。

その穴からは、下水道(égout)から流れ出すように、泥とルビーが垂れ流される。
そのイメージは、「コレスポンダンス」の、神殿の生きた柱から混乱した言葉(de confuses paroles)が発せられるままにする(laissent partir)という状態を思わせる。

さらに、下水道は、ボードレールがテーマとした対象が、現実の自然ではなく、実はパリの下町に生きる貧しい人々の現実生活だったことを思い出させる。
とりわけ『悪の華』の「パリの生活情景(Tableaux parisiens)」の章に収められた詩篇では、民衆の現実生活が取り上げられ、一般に「醜い」とされるものが詩の対象となっている。
そのテーマは、「シャルル・ボードレールの墓」の第2詩節で取り上げられることになる。

以上のように考えてくると、埋葬された神殿とは、「コレスポンダンス」の詩人その人のことかもしれない。もしそうだとしたら、泥とルビーの錬金術によって生成されるボードレールの詩句が暴露する「何らしらの偶像アヌビス(quelque idole Anubis)」とは何を意味するのだろう?

C. 何かしらの偶像 アヌビス

まずアヌビスについて考えてみよう。
アヌビスは、エジプトの神話で中心的な位置を占めるオシリスと妹ネフティスの間にできた子供。オシリスが敵対する神セトによって殺された時、オシリスの遺体に防腐処理を施しミイラにしたとされ、死者たちの神と見なされた。

19世紀後半の百科事典によれば、鼻先の尖った犬の姿で描かれることがあり、また、ローマ時代の詩人たちはアヌビスに「吠える(aboyeur)」という形容をする習慣があったという。

マラルメは『古代の神々(Dieux antiques)』の中で、「アヌビスは犬かジャッカルの頭を付けた姿で描かれる(Anubis est représenté avec la tête d’un chien ou d’un chacal.)」と記し、アヌビスの挿絵(fig. 243)も付けている。
鼻面は炎に燃え(le museau flambé)と獰猛な声(un aboi farouche)という二つの特徴をアヌビスに付け加えたのは、そうした知識に由来するに違いない。

その一方で、ボードレールがアヌビスに言及したことはなく、キリスト教以前の異教の神々について語ったとしても、古代ギリシア・ローマに遡るだけだった。

そのように考えると、Anubisという名前は、rubisと豊かな韻(rime riche)を踏むために選ばれたのではないかと推測したくなる。
神話に登場する神や人物で i の音が韻を踏む名前としては、例えば、Adonisがある。アドニスは女神アプロディーテーに愛された美少年であり、文学作品の中でもしばしば取り上げられた。しかし、Rubisの後、Anonisだと i の音が反復するだけ。
他方、Anubisであれば、ubiと3つの音が反復する。つまり豊かな韻(rime riche)になる。

もしその仮定を受け入れるとすると、マラルメはエジプト神話やエジプト性にこだわったのではなく、その名前の前に置かれた、「何かしらの偶像(quelque idole)」という表現に、強い意味を込めたのではないかという推測が成り立つ。
そこで重要なのは、何かしら(quelque)という形容。
その形容詞によって、偶像に不明確な輪郭が与えられ、偶像の正当性や権威が揺らぐことになる。quelque idoleは本物を再現した像(idole)ですらなく、その像らしい何かにすぎないというニュアンスが込められるのだ。

埋葬された神殿が広く人々に知らせる(divulguer)のは、伝統によって守られてきたものを刷新する時が来たということだ。
その暴露はおぞましい様相(abominablement)を呈して行われる。例えば、道端に転がる死体がウジ虫によって蝕まれる姿を描く「腐った屍(Une Charogne)」のように。(参照:ボードレール 「腐った屍」 Baudelaire « Une Charogne » 奇妙な恋愛詩

Les mouches bourdonnaient sur ce ventre putride, 
D’où sortaient de noirs bataillons
De larves, qui coulaient comme un épais liquide
Le long de ces vivants haillons.

蠅たちがブンブンうなっていた、腐った腹の上で。
そこからウジ虫の黒い大群が湧き出、
濃い液体のように流れていた、
生命あるボロ着に沿って。  (ボードレール「腐った屍」)

画家のドーミエはこの詩からインスピレーションを受けて1枚の絵を描いたが、そこには犬の死体が描かれている。
その姿が、古代エジプトのアヌビスのなれの果てだとすると、そのおぞましさはますます強烈なものになる。

マラルメはabominablementという言葉にも BaudelaireのBの音を響かせることを忘れてはいない。
おぞましさはボードレール的な表現なのだ。それがマラルメによるボードレール理解であるだけではなく、一般にも流通していたことは、当時ボードレールが「腐った屍」の詩人と呼ばれていたことにも現れている。


この第1詩節は「死(la mort)」をテーマにしているという読解がしばしば行われてきた。アヌビスからの連想でエジプトと関連付ける解釈が提示されることもある。

しかし、具体的にボードレールの詩を参照しながら内容を考察すると、マラルメがボードレールの詩的世界の全体像を二つの視点から示したのだということがわかってくる。
1)ボードレールの詩学は錬金術的な生成作用に基づく。
2)ボードレールの詩句はこれまでの権威と見なされてきた偶像を白日の下に晒す。その際、おぞましいと感じられるほど逆説的な表現が使われる。

「シャルル・ボードレールの墓」の第1四行詩を、マラルメによるボードレールの詩作の全体的な紹介として読んだとしても、間違いとはいえないだろう。

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