ボードレール「コレスポンダンス」(万物照応) Correspondances

ボードレールの「コレスポンダンス(Correspondances)」は、19世紀以降の文学を理解する上で最も重要な詩だといえる。この詩の中に象徴の森という言葉があり、19世紀後半には、象徴主義のマニフェストとさえ見なされた。

コレスポンダンスとは本来、地上と天空の対応を意味し、ルネサンス思想の中心的な概念だった。

占星術において、星の動きから人間の人生や社会の出来事を予測することができるとしたら、星と人間界の間に対応関係があるからだということになる。

17世紀以降、合理的科学思想が支配的になるにつれて、コレスポンダンスの思想は周辺的な思考へと追いやられることになった。星の動きを観察するのは天文学という科学的な学問の分野になり、星占いは非合理と見なされる。
19世紀、産業革命によって技術力が進歩し、物質主義、実証主義がますます支配的になる中で、何人かの文学者たちはルネサンスの文学や文化、思想を振り返り、コレスポンダンス的思考を再評価した。

ボードレールはその中の一人であり、万物照応と訳される「コレスポンダンス」は、その思想を最も見事に表現したソネ(sonnet)である。
その根本的なテーマは「自然」。そこでは全てが生命を持ち、コレスポンダンスは、天上と地上という垂直方向に働くと同時に、水平方向にも働く。それは五感の相互的な対応であり、共感覚(synesthésie)を引き起こす。

14行の詩句で形成されるソネは、4行詩2つと3行詩2つに分解される。基本的には、最初の8行でテーマが設定され、次の3行詩で展開が行われ、最後の3行詩で統合がなされる。

Correspondances

La Nature est un temple où de vivants piliers
Laissent parfois sortir de confuses paroles;
L’homme y passe à travers des forêts de symboles
Qui l’observent avec des regards familiers.

自然は一つの神殿。生きた柱が、
時として、混乱した言葉を発する。
その中で、人間は象徴の森を通る。
彼を親しげに見つめる森を。

自然は« la Nature »と最初が大文字で書かれ、普通名詞ではなく、固有名詞のような捉え方をされる。一般的な自然というものではなく、唯一無二の存在としての自然。

その自然は神殿であり、生命を宿している。神殿の柱は命を持ち、言葉を発するのだ。その柱とは森の木々であり、風が吹けば様々な音を立てる。

こうした感覚は、自然と人間が切り離されているヨーロッパ的な思考では理解が難しい。しかし、自然が神聖なものであり、人間と対立するのではなく、人間も自然の一部だという感受性を持った日本人には、そのまま理解される。

ポール・クローデルは、「日本人の魂を見る目(un regard sur l’âme japonaise)」の中で、日本を「カミの国」と捉え、「自然全体がすでに崇拝のために準備され整えられた一つの神殿」であると記している。例えば、山の中に作られた神社などは、その建物自体のためにあるのではなく、風景の意図を強調するためにあると見なした。その意図とは、風景の中にある祈りだと言う。この考察は、ボードレールの言う「自然」と一致している。

森の中を歩いていて、木が私たちに話しかけるという感覚を持つことは普通にある。何を話しているのかはっきりとわからないので、混乱した言葉(de confuses paroles)かもしれない。しかし、人間と自然、木々の関係はとても近く、親しい(familier)。

このように考えると、「コレスポンダンス」の第一詩節は、日本人の感性と合っていることがわかる。

Comme de longs échos qui de loin se confondent
Dans une ténébreuse et profonde unité,
Vaste comme la nuit et comme la clarté,
Les parfums, les couleurs et les sons se répondent.

長いこだまが遠くで溶け合うように、
夜のように、光のように、広大な
暗く深い一つのもの(unité)の中で、
香りと色と音が応え合う。

第2詩節は、共感覚(synesthésie)を具体的に表現している。
人間は五感で外の世界を感じ取る。視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚。それらは独立して働いているようだが、深いところで繋がっている。ある音を聞いてある色を感じ取ったり、色が味覚を刺激したりという現象は、共感覚に基づいている。

ボードレールは複数の感覚の通底を、長いこだま(de longs échos)という言葉で表現する。一つの声が山の彼方まで響き合う。何気ないように見える長いという形容詞は、この神秘的なコレスポンダンスの世界では、永遠や無限を連想させる。

第一詩節では、象徴の森を通るとき、生きた柱(木々)が混乱した言葉(de confuses paroles)を発していた。第二詩節では、そうした声が長く響き続けるこだまとなり、混ざり合う(de longs échos qui de loin se confondent)。

ボードレールはこの対応(correspondance)を形と音でも行う。象徴の森を通るときに聞こえてくるのは、CONfuses(混乱した)言葉。その言葉がこだま(échos)となって、se CONfondent(混ぜ合う)する。このように、con(一緒)という音が、エコーのように響き合っているのである。

同じように、香水(les parfums)、色(les couleurs)、音(les sons)も、互いに応答し、共鳴する。まさに、共感覚の状態。
ここで重要なことは、一つ一つの感覚が独立し、他の感覚を呼び起こすのではないということ。こだまのように全てが朧気な状態で、お互いに繋がっている。

そして、そうした現象が起こるのが、暗くて深いユニテ(unité)の中。これこそが、「コレスポンダンス」の中で最も重要な要素に他ならない。

そのユニテは、夜のように、そして光のように、広大なものとされる。夜と光、つまり正反対のものを一つに統一している場なのだ。善と悪、美と醜、上と下等々、対立するものが一致(coincidentia oppositorum)する場。

ボードレールの詩集『悪の華(Fleurs du mal)』は悪を歌う。華(花)は詩の隠喩であり、『悪の華』は悪を歌った詩集を意味する。
その悪の展開する醜い情景を、ボードレールは美に転換する。その秘密が暗く深いユニテ。「対立するものが一致する」場だからこそ、神が悪魔に、醜が美に転換することが可能になる。

共感覚は五感の密かな対応だが、その根源的な場は生きた柱の立つ神殿であり、そこは現実の次元にはないとも考えられる。人間の五感の水平的な対応を可能にするのは、垂直方向の対応なのだ。

ボードレール的世界では、五感の中でも香りがもっとも大きな働きする。香りは視覚で捉えられず、鼻を通って肉体の内部に入り込む。そこで、二つの三行詩は区切れなしに、一つの6行詩として、香りに捧げられる。

II est des parfums frais comme des chairs d’enfants,
Doux comme les hautbois, verts comme les prairies,
—Et d’autres, corrompus, riches et triomphants,

Ayant l’expansion des choses infinies,
Comme l’ambre, le musc, le benjoin et l’encens,
Qui chantent les transports de l’esprit et des sens.

子どもの肌のように鮮烈で、
オーボエのようにやさしく、草原のように緑色の香りがある。
ー 別の香りは、腐敗し、豊かで、勝ち誇り、

無限なるものの広がりを持ち、
こはく、じゃこう、安息香や乳香のように、
精神と感覚の高揚を歌う。

最初に、香りが触覚、聴覚、視覚と連動していることが示される。子どもの肌のように新鮮な(frais comme des chairs d’enfant)香り。オーボエのように穏やかな(doux comme les hautbois)香り。草原のように緑色の(verts comme les prairies)香り。

こうした心地よい香りがある一方、別の香りも喚起される。腐敗し、豊かで、勝ち誇る香り。

腐敗した(corrompu)と、豊かで勝ち誇ったという形容詞は、矛盾しているように見える。こうした矛盾した語を含む表現は、撞着語法(oxymore)と呼ばれる。この詩の中で、対立するものが両立する香りは、対立するものの一致を暗示している。

最後の三行詩になると、香りの働きがより詳しく明かされる。
対立したものが一致する香りは、無限に広がる事物をさらに広げる(l’expansion des choses infinies)作用をする。
ボードレールにとって、無限は理想とつながり、美へとつながる重要な概念。「コレスポンダンス」の中では、ユニテという言葉で示されている。全てが発し収束する生命の起源。
こはく、じゃこう、安息香、乳香が、その香りにあたる。

最後の一行は、こうした香りが発揮する力、つまり、精神と感覚、魂と肉体を、現実からイデア界へと運んでくれる力を歌っている。

運ぶ(transport)のtransは超えることで、つまりトランス体験。

共感覚によって五感が対応しあう世界は、現実的な感覚の世界というだけではなく、無限の彼方へと導く超越的世界への入り口でもある。


参考 Mediaclasse.fr


ボードレール「コレスポンダンス」(万物照応) Correspondances」への14件のフィードバック

  1. 森田拓夢 2021-01-23 / 16:23

    初めまして。
    このページの詩の解説や邦訳を拝読し、大変感銘を受けました。
    つきましては貴ページに記載されている邦訳の出典または使用等について相談させて頂きたいことがございます。
    もしよろしければ私のメールアドレスまでご連絡をいただけますと幸いです。
    よろしくお願い致します。

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    • hiibou 2021-01-23 / 19:34

      ご連絡ありがとうございます。

      サイトにアップしている内容は全て著作権的なことは考えておりません。
      フランス語につけてあります日本語は、読者の方の理解の助けにと考えているもので、「翻訳」ではありません。ですから、もしご使用になる場合でも、ご自由に加工してお使いください。

      もし必要があるようでしたら、メールでご連絡をさせていただきますので、お手数ですがもう一度ご連絡ください。

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      • 森田拓夢 2021-01-25 / 20:07

        HIIBOU様

        ご返信ありがとうございます。
        そうなのですね。色々と霊感を喚起させられる解説で、読みながらとてもワクワクさせて頂きました。大変勉強になりました。
        それでは有り難く使用させて頂きます。ありがとうございます!

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      • 森田拓夢 2021-01-29 / 18:47

        HIIBOU様

        度重なるご連絡をお許しください。
        やはり少し相談させて頂きたいことがあるのですが、私のメールアドレスまでご連絡を頂けないでしょうか?

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      • hiibou 2021-01-29 / 18:59

        森田様のメールアドレスにメールを送信いたしました。いつでも結構ですので、そちらにご返信ください。

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