(3)「反抗」と「中庸」
「不条理」はあくまでも個人の問題だったが、「反抗」では集団内での連帯へと問題が移行する。

『ペスト』は、パンデミックに襲われた町の中で、医師のリユーを中心に、様々な人々がペストと戦う。その姿は、社会から孤立した異邦人ムルソーとは違っている。
『正義の人々』は、帝政ロシアにおけるテロリズムをテーマとした戯曲だが、暗殺を実行するカリャーエフを含むテロリスト・グループに焦点が当てられている。
『カリギュラ』の主役は暗殺されるローマ皇帝カリギュラであり、暗殺する家臣たちの連帯に光が当てられてはいない。
その対比は、「不条理」が個人の問題あり、「反抗」が連帯を問題にしていることを、はっきりと示している。
『反抗的人間』の中で、カミュは、デカルトの「我思う、故に我在り」をもじり、こんな表現を使う。
我反抗す、故に我ら在り
反抗するのは「我」、つまり個人なのだが、反抗することで存在するのは「我ら」、つまり複数の人間になる。
では、「反抗」がなぜ連帯につながるのか? そして、「反抗」とは何に対する反抗なのか?
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