柔道を始める小さな子どもたち mini-judokas 

フランスでは、オリンピックの後、3歳くらいの小さな子供たちが柔道をするようになったというニュース。

En cette période de rentrée, nos enfants ont repris leurs activités extrascolaires.
Et après cet été olympique, les disciplines dans lesquelles les Français ont excellé ont le vent en poupe.
Le judo en fait partie et il séduit notamment les plus jeunes.
Certains clubs proposent même des cours dès l’âge de trois ans. Ils n’ont qu’une seule envie, celle de faire comme les grands.
Fouler le tatami, s’entraîner très dur pour espérer devenir Teddy Riner, quintuple champion olympique de judo.

世論の「からくり」 「みんな」を作る仕組み

2002年に出版された高橋秀実の『からくり民主主義』は、1995年から2002年までの間に日本各地で話題になった出来事を扱ったジャーナリスム的な内容を持った本。
時事的な話題を扱うジャーナリスムの宿命もあり、例えば、横山ノックのセクハラ事件やオウム真理教の問題などは、2024年にアクチュアルなテーマとはいえなくなっているために、当時のことを知らない読者にはそれほど興味がない読み物になっているかもしれない。

他方、出版後20年以上を経た時事的な本であっても参考になると思えることがある。それは一つ一つの事件に対する一貫した姿勢。それを一言で言ってしまうと、「結論がない」ということ。白黒を付けるのではなく、どのように白黒が付けられるのかという「からくり」=仕組みを明らかにしようとする姿勢だ。

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マルクス・ガブリエル 「新実存主義」 われわれはある人格になりたいと望み、またそう望むことでその人格へと変わっていく 

1980年生まれの哲学者マルクス・ガブリエルの『新実存主義』(廣瀬覚訳、岩波新書)は、サルトルの実存主義と同様に、「意識」を人間の中心に置き、人間とはどのような存在であるかを解き明かそうとする試みとして読むことができる。

マルクス・ガブリエルは、日本の出版界やマスメディアで、” 哲学のロックスター”とか “天才哲学者 “というレッテルで紹介され、世界的なベストセラーといわれる『なぜ世界は存在しないのか』は日本でもかなり売れたらしい。

ただし、哲学書を読むと常に感じることだが、専門用語が多く使われ、一般の読者にはあまり分かりやすいものではない。これまでの哲学の歴史を踏まえ、マルクス・ガブリエルの場合であれば、唯物論的な科学主義を仮想敵として前提にした上で、自説を展開する。そのために、なかなか要旨を掴むことができない。

 新実存主義が掲げる根本の主張は次のようなものである。(中略)われわれは、物理的法則が支配する無生物と、生物的パラメーター によって突き動かされる動物であふれた世界にただ溶け込んで生きているのではない。人間のそうした特異なあり方をさまざまなかたちで説明できるのが心的語彙であり、その説明能力をもつかぎりで心的語彙はひとつのグループとしてとらえることができる。
       (マルクス・ガブリエル『新実存主義』、p. 16-17.)

この文章を読んでも、新実存主義の主張は分かりずらい。
「生物的パラメーター 」や「心的語彙」といった用語が何を意味するのかよく分からないし、「動物であふれた世界にただ溶け込んで生きているのではない」という表現も、何を意味しているのかはっきりしない。

ここでは、新実存主義(Neo-existentialism)という用語に注目し、人間という「存在(実存:existence)」についてマルクス・ガブリエルがどのように捉えているのか、そして彼の人間観が私たちに何をもたらしうるのか、具体的な例にそって考えてみたい。

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What a wonderful world 「この素晴らしき世界」とその背景

ルイ・アームストロングが歌うWhat a wonderful worldは、「この素晴らしき世界」という曲名で日本でもよく知られている。
歌詞を辿ると、穏やかで美しい世界の様子が描かれ、« I see friends / shaking hands / saying,”How do you do ?” / They’re really saying / “I love you”と、愛を歌っている。

ほぼ同じ題名の曲( What a ) Wonderful world が、サイモンとガーファンクル、そしてジェームズ・テーラーによって歌われたことがある。
学校で勉強する色々な教科のことはよくわからない(Don’t know much about … )し、自分は成績がいい生徒(’A’ student)ではないけれど、でも、1+1が2ってことは知っているし、ぼくが君を愛していることも知っている、だから、その1が君と一緒で、君がその1である僕を愛してくれたらいいなと、こちらの歌も愛を歌っている。

どちらの場合も、youが大好きな君であるのが最初の意味だが、その背景にはもっと大きなyouがある。二つの曲の背景にあったのが、差別や偏見に満ち、戦争が起こり、人間と人間が対立する社会情勢だったことが分かると、歌の意味がもっとはっきりと伝わってくる。

最初に、ルイ・アームストロングとアート・ガーファンクルたちの歌を聴いてみよう。

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プロパガンダ 受け取った情報を他の人に伝えたいと思わせる方法

NHKのドキュメンタリー「映像の世紀 ゲッベルス 狂気と熱狂の扇動者」を見た。
ゲッベルスは、アドルフ・ヒットラーの下で、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が国民の熱狂的な支持を獲得するために大きな役割を果たした宣伝大臣。
NHKの番組紹介には、次のように書かれている。

ベッベルスのプロパガンダの方法は、SNSが通常のコミュニケーション手段となった現在において、そのまま通用する。

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カミュ 『シーシュポスの神話』 Albert Camus Le mythe de Sisyphe 幸福なシーシュポスとは

シーシュポスは、ギリシア神話の登場人物で、非常に賢いと同時に狡猾であるともされる。
彼は何度も神々を欺き、とりわけ、死の神タナトスを鎖で縛り人間の死を停止させたために、神々の激しい怒りを買ったエピソードが知られている。

そして、そうした神々に対する反抗のために捉えられ、地獄で罰を受けることになる。その罰とは、大きな岩を山の頂上まで運び上げるというもの。一旦頂上に近づくと岩は麓へと落下し、シーシュポスは再び岩を山頂まで運ばなければならない。そして、その往復が永遠に繰り返される。

アルベール・カミュはその古代ギリシア神話の登場人物を取り上げ、『シーシュポスの神話』と題された哲学的エセーの中で、「不条理(absurde)」という概念を中心にした思想を提示した。
シーシュポスは「不条理なヒーロー(le héros absurde)」なのだ。

不条理は人間の生存そのものであり、それは悲劇的なことだ。
しかし、その悲劇は悲劇だけでは終わらない。そのことは、エセーの最後が、「シーシュポスを幸福だと思い描かなければならない」という言葉で終わっていることでも示される。
ここでは、悲劇から幸福への転換がどのような思考によって可能になるのか探っていこう。

エセーは、シーシュポスの神話の概要を簡単に紹介することから始まる。

 Les dieux avaient condamné Sisyphe à rouler sans cesse un rocher jusqu’au sommet d’une montagne d’où la pierre retombait par son propre poids. Ils avaient pensé avec quelque raison qu’il n’est pas de punition plus terrible que le travail inutile et sans espoir. 

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カミュ 『ペスト』 Albert Camus La Peste 疫病や戦争を前にして、人はどう生きるべきか?

アルベール・カミュが1947年に出版した『ペスト』は、アルジェリアのオラン市を舞台にし、ペストが一つの町を外部の世界から隔離し、人々の生活を一変させてしまう様子をドキュメンタリー風に描いた小説。

実際、人類の歴史の中で、ペストは人間に何度も大きな災禍となってきた。カミュがそうした歴史を参照したことは確かだ。
それと同時に、この小説の中で、ペストはナチス・ドイツの象徴でもあった。そのことは、カミュ自身が証言している。
疫病と戦争には自然災害か人災かという違いはある。しかし、一般市民に甚大な被害をもたらすという点においては変わりがない。

ここでは、市中に広がる不安な病について、最初に「ペスト」という言葉が使われた時の記述をたどり、カミュがペストと戦争をどのようなものだと捉えていたのか探っていこう。

最初に出てくるベルナール・リューは、ペストに罹った多くの患者の治療にあたる医師であり、また、出来事の推移を綴る語り手でもある。彼は「私」という代名詞を使わず、三人称を使うことで客観的な視点を確保し、ペストの発生から収束までを年代記風に語っていく。

 Le mot de « peste » venait d’être prononcé pour la première fois. A ce point du récit qui laisse Bernard Rieux derrière sa fenêtre, on permettra au narrateur de justifier l’incertitude et la surprise du docteur, puisque, avec des nuances, sa réaction fut celle de la plupart de nos concitoyens. Les fléaux, en effet, sont une chose commune, mais on croit difficilement aux fléaux lorsqu’ils vous tombent sur la tête.

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鈴木大拙 宗教とは何か?

鈴木大拙は、禅の思想が世界的に知られるようになる上で、最も大きな役割を果たした宗教学者。

「世界人としての日本人」という自己認識を持つ大拙は、東洋と西洋を対立させる二元論に立つのではなく、二元論の根底にある「無」の思想を中心に置き、禅をはじめ日本の文化や思想を西洋に伝えた。
コロンビア大学で彼の講義を聴いた中には、作曲家のジョン・ケージや小説家のJ. D. サリンジャーがいた。サリンジャーの『フラニーとズーイ』の「鈴木博士」は、鈴木大拙のことだと言われている。

「宗教とは何か?」という問いに「正しい無限を感じること」と答える鈴木大拙の宗教観を、10分程度のインタヴューで知ることができる。

中村元 仏教の本質

中村元は、日本で初めて、初期仏教の仏典を原典から日本語に翻訳したインド哲学者、仏教学者。
「学ぶこと少ない者は牛のように老いる。その肉は増えるけれど、知恵は増えない。」(ダンマパダ)から始まり、「自己に頼れ、法に頼れ。」で終わるわずか10分のビデオだが、「学問は人々の役に立つ、生きたものでなければならない。」という言葉を実践した中村の言葉を通して、仏教の本質に触れることができる。

漢字の書き順 事実に基づく思考法

漢字に関するサイトを見ていると、「書き順が変わった!」とか、「正しい書き順は存在しないという衝撃的事実!」とか、興味を掻き立てる情報に数多く出会う。そして、さっと読み、素直にうなずいてしまうことがある。
とりわけ、「小学校に通う子供が自分とは違う書き順を学校で習ってきて驚いた」といった体験談が語られると、書き順が変わったという情報を確信してしまう。そして、驚きを共有すればするほど、その情報の真偽を確かめようとはしない。

では、真偽を確認するためには、どのようにしたらいいのだろか?

最初に考えることは、「書き順の変更」とか「正しい書き順」という言葉の前提には、「書き順の基準」があるはずであり、その基準はどこにあるのかという疑問を持つこと。
情報をそのまま信じるのではなく、根拠を問うことが大切になる。

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