Zhuangzi Chaos (渾沌) et Art de vivre selon la Nature

Zhuangzi encourage à suivre la Nature sans agir de manière volontaire, c’est-à-dire à cultiver la spontanéité naturelle, afin d’atteindre le « non-agir » et l’errance insouciante ; ainsi peut-on demeurer sur « la Voie », qui est le Tao, ce processus par lequel tout naît, se métamorphose et s’efface dans l’ordre naturel du monde. Il met également en avant des pratiques de maîtrise de soi et de l’énergie intérieure, fondées sur la quiétude et l’absence de pensée.

Le conte de Hundun (渾沌), qui clôt les « chapitres intérieurs » du Zhuangzi, l’un des grands textes du taoïsme, peut être lu comme un récit condensant et éclairant l’essentiel de la pensée de notre auteur.

L’empereur de la mer du Sud s’appelait Shu (儵), celui de la mer du Nord s’appelait Hu (忽), et l’empereur du Centre était Hundun (渾沌). Shu et Hu se rencontraient parfois sur la terre de Hundun, qui les accueillait très généreusement. Shu et Hu, voulant remercier Hundun de sa bonté, dirent : « Tous les hommes ont sept orifices pour voir, entendre, manger et respirer, mais lui n’en a aucun. Essayons d’en percer. » Ils percèrent un orifice par jour, et au septième jour, Hundun mourut.

南海之帝為儵,北海之帝為忽,中央之帝為渾沌。儵與忽時相與遇於渾沌之地,渾沌待之甚善。儵與忽謀報渾沌之德,曰:「人皆有七竅 以視聽食息,此獨无有,嘗試鑿之。」日鑿一竅,七日而渾沌死。

続きを読む

Zhuangzi Le rêve du papillon et la transformation des êtres(物化)

Zhuangzi (env. 369 av. J.-C. – 286 av. J.-C.) était penseur, philosophe et écrivain du milieu de la période des Royaumes combattants. Il est l’une des figures représentatives du courant taoïste, héritier et développeur de la pensée de Lao Tseu.

Dans le chapitre intitulé « Le traité de l’égalité de toutes les existences », il propose de ne pas découper le monde selon des distinctions artificielles ni des jugements de valeur purement humains, et de saisir intuitivement l’égalité fondamentale qui appartient originellement à toutes choses. Tout est, dans son fondement, la manifestation d’une même dynamique de la Voie (le Tao 道).

Pour pénétrer cette idée, apparemment si moderne malgré son ancienneté, Zhuangzi a préparé une introduction ouverte à tous, sous la forme d’un conte accessible : le célèbre conte connu sous le nom de « Rêve du papillon ».

Autrefois, Zhuangzi rêva qu’il était devenu papillon. Il était un papillon voletant légèrement, et il s’en réjouissait au gré de son cœur. Il ne savait plus qu’il était Zhuangzi. Soudain réveillé, il se retrouva bel et bien Zhuangzi. Mais il ne savait pas si c’était Zhuangzi qui avait rêvé qu’il était un papillon, ou si c’était un papillon qui rêvait qu’il était Zhuangzi. Entre Zhuangzi et le papillon, il doit bien y avoir une distinction. C’est cela que l’on appelle la « transformation des êtres » (物化).

昔者莊周夢為胡蝶,栩栩然胡蝶也。自喻適志與!不知周也。俄然覺,則蘧蘧然周也。不知周之夢為胡蝶與,胡蝶之夢為周與?周與胡蝶,則必有分矣。此之謂物化。

続きを読む

富士山を通して見る日本人の心情 3/3 空に消えてゆくへも知らぬわが思い

奈良時代から鎌倉時代前期にかけて、人々が富士山に託した思いは、「神さびて高く尊き」信仰の対象から、「恋の炎」に象徴される情念の山が加わり、さらに「空し」といった無常観を帯びることもあった。

ここで注意したいのは、富士山の象徴がいつの時代にも多層的であり、いずれか一つの側面が他を排除することはなかったという点である。神聖、燃える恋、儚い恋、そして無常、それらが共存していたことこそ、きわめて日本的な現象であるといえる。

続きを読む

富士山を通して見る日本人の心情 2/3 燃える富士から富士の煙へ

山部赤人のように、富士山に「神さびて高く貴き」感情を投げかける流れが成立した一方で、より人間的な感情を託す流れも生まれていった。

人間的な感情の代表は、まず第一に「恋」であり、その場合、富士山の噴火から連想される「燃える」という言葉によって表されることが多い。
もう一つの代表的な感情は「無常観」であり、噴火の後の「煙」は、恋だけではなく、無常を象徴することもあった。

続きを読む

オー・シャンゼリゼ Les Champs-Élysées

「オー・シャンゼリゼ」は、日本で最もよく知られたシャンソンの一つだが、この「オー」の意味は今でも時々誤って理解されることがある。シャンゼリゼにやって来て、「オー!」と感嘆の声を上げた、というふうに思われているらしい。
しかし、歌詞を見ると、リフレインの部分には « Aux Champs-Élysées » とあり、「オ」は「シャンゼリゼで」という場所を示す前置詞であることがわかる。

歌詞の内容はとてもロマンチックだ。シャンゼリゼをひとり寂しく歩いていた「私」が、偶然出会った「君(あなた)」に恋をする。昨日の夜は赤の他人だったのに、今朝は恋人。朝が明けると同時に、鳥たちが二人の愛を歌ってくれる。その出会いは、偶然ではなく、運命だったのだ。

道で声をかけたとき、「何でもいいから」とにかく話しかけたのは、« pour t’apprivoiser »、つまり、君(あなた)と「絆を結びたかった」からだという。
この « apprivoiser » という動詞は、『星の王子さま』で、キツネが王子さまに「絆を結ぶ」ことの大切さを教える場面でも使われている言葉だ。

そんなことを頭に置きながら、ジョー・ダッサン(Joe Dassin)の歌 « Les Champs-Élysées » を聴いてみよう。ちなみに原題には前置詞は入っていない。

続きを読む

富士山を通して見る日本人の心情 1/3 神さびて高く貴き富士

富士山は、日本の象徴として最もふさわしい存在だと多くの人が考えているに違いない。では、その富士山に対して、日本人はどのような感情を抱き、どのように表現してきたのだろうか。

この問いに対して、奈良時代から平安時代を経て鎌倉時代前期にかけて作られた和歌や物語は、一見対照的な二つの心情を私たちに伝えてくれる。
山部赤人(やまべのあかひと)と西行(さいぎょう)の歌に、その典型を見ることができる。

田子の浦ゆ 打ち出いでて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける
(『万葉集』3-318)

風になびく 富士の煙(けぶり)の 空に消えて ゆくへも知らぬ わが思ひかな
(『新古今和歌集』1615)

赤人の富士には、真っ白な雪が降り積もり、永遠に続くような神々しい姿が描かれている。
それに対して、西行の富士には風が吹きつけ、噴火の煙が空に消えていくさまが、生の儚さや無常観を象徴している。

奈良時代から平安時代へと時代が移りゆくなかで、富士山に託された心情は、このように変化していったのである。
その変遷の過程をたどることは、日本人の心のあり方を、私たち現代人にあらためて問いかけてくれるだろう。

続きを読む

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が日本人に抱いた第一印象

ラフカディオ・ハーンが強く日本に惹かれたことはよく知られているが、来日当初、彼の眼には日本人の姿がどのように見えていたのだろうか?

その疑問の回答となる一節が、1894年に刊行されたGlimpses of Unfamiliar Japan(『なじみのない日本を垣間見る』)に収録された« From the Diary of an English Teacher »(英語教師の日記から)と題された章の中にある。
それは、松江中学に英語教師として赴任したハーンが二度目の新学期の印象を綴ったシーンで、以下のように書き始められる。

Strangely pleasant is the first sensation of a Japanese class, as you look over the ranges of young faces before you. There is nothing in them familiar to inexperienced Western eyes; yet there is an indescribable pleasant something common to all.

日本の教室に入ってまず感じるのは、不思議なほど心地よい感覚だ。目の前にずらりと並んだ若い顔を見渡すときだ。未熟な西洋人の目には、どの顔にも見慣れた特徴は何ひとつない。それなのに、すべての顔に共通して、言葉では言い表せないような心地よい何かが感じられるのだ。

続きを読む

長沢芦雪 龍虎図 日本の絵画は日本人の生活の中で生きていた

和歌山県串本町にある小さな美術館、応挙芦雪館で、長沢芦雪(ながさわ・ろせつ:1754-1799)の「龍・虎図襖」を見た。
これらの水墨画は、およそ250年前に無量寺(むりょうじ)の方丈内部の襖(ふすま)に描かれたもので、現在は当時とほぼ同じ配置で展示されている。

この配置を知り、二枚の水墨画をこのように並べてみても、私たちはこの襖絵を、普通の絵画と同じように観賞の対象として眺めてしまうのではないだろうか。
少なくとも、応挙芦雪館に実際に赴き、虎と龍の描かれた襖を最初に目にしたときの私は、そのような視線しか持っていなかった。そしてそのために、最初は絵の正面に立ち、観賞を始めたのだった。
しかし、そのような姿勢では、襖の上で躍動する虎と龍の生命を奪ってしまうことになる。

続きを読む