個人の歴史的体験を「語り継ぐ」の意義 クロード・レヴィ=ストロース 『野生の思考』 Claude Lévi-Strauss La Pensée sauvage 2/2

(1/2の続き)

具体的事象の論理(「弱い歴史」)と論理的性質(「強い歴史」)が矛盾するなかで、「歴史」にアプローチするにはどのようにしたらいいのか?

Par rapport à chaque domaine d’histoire auquel il renonce, le choix relatif de l’historien n’est jamais qu’entre une histoire qui apprend plus et explique moins, et une histoire qui explique plus et apprend moins. Et s’il veut échapper au dilemme, son seul recours sera de sortir de l’histoire : soit par en bas, si la recherche de l’information l’entraîne de la considération des groupes à celle des individus, puis à leurs motivations, qui relèvent de leur histoire personnelle et de leur tempérament c’est-à-dire d’un domaine infra-historique où règnent la psychologie et la physiologie ; soit par en haut, si le besoin de comprendre l’incite à replacer l’histoire dans la préhistoire, et celle-ci dans l’évolution générale des êtres organisés qui ne s’explique elle-même qu’en termes de biologie, de géologie, et finalement de cosmologie.

歴史家があきらめる各歴史領域との関係において、歴史家の相対的な選択は、より多くを学ぶが説明力の乏しい歴史と、説明は多いが学びの少ない歴史との間で行われるしかない。もしこのジレンマから逃れようとするなら、唯一の方法は歴史の外に出ることである。下方から出る場合、情報の探求は歴史家を集団の考察から個人の考察へ、さらに個人の動機の分析へと導く。その動機は、個人の歴史や気質に関わるものであり、心理学や生理学が支配する下位歴史領域に属する。上方から出る場合、歴史家は理解の必要性から歴史を先史時代に置き直し、さらに先史時代を有機的存在の一般的変化の文脈に置き直すことになる。その一般的変化の説明は、生物学・地質学、そして最終的には宇宙論の用語によって行われる。

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歴史と個人の物語 クロード・レヴィ=ストロース 『野生の思考』 Claude Lévi-Strauss La Pensée sauvage 1/2

日本には歴史愛好者が数多く存在する。歴史小説は豊富に出版され、テレビにおいても多様な歴史番組が制作されてきた。その結果として、坂本龍馬や織田信長をはじめ、両手の指では到底数えきれないほどの歴史的人物の名が、広く共有されている。

しかし、歴史的人物の名が広く知られていることと、「歴史」そのものへの理解が十分であることとは、必ずしも一致しない。たとえば坂本龍馬について、幕末に長州と薩摩をつなぐ役割を果たしたことは多くの人が知っている。他方で、その出来事が江戸幕府から明治維新へと至る体制転換の中でどのような意味を持ち、日本史全体においていかに位置づけられるのかを説明できる人は、決して多くはないのではないだろうか。

このことは、私たちが歴史に関心を抱き、一定の知識を持っているように感じながらも、実際には「歴史」そのものを十分に理解しているとは言い難いことを示している。

こうした問題を考えていた折、人類学者クロード・レヴィ=ストロースの『野生の思考』を読み返す機会があり、そこで個人の物語と歴史の大きな流れに関する重要な記述に出会った。彼はそこで、人物の伝記や逸話を「弱い歴史」と呼び、それを「強い歴史」と対比させて論じている。

レヴィ=ストロースの表現は、フランスの学者らしく非常に抽象的で、私たちにとって必ずしも理解しやすいものではない。とはいえ、その議論は日本人の歴史観に直接かかわる問題を含んでいる。以下では、要点となる一節を取り上げながら、その意味を少しずつ考えていきたい。

L’histoire biographique et anecdotique, qui est tout en bas de l’échelle, est une histoire faible, qui ne contient pas en elle-même sa propre intelligibilité, laquelle lui vient seulement quand on la transporte en bloc au sein d’une histoire plus forte qu’elle ; et celle-ci entretient le même rapport avec une classe de rang plus élevé.

Claude Lévi-Strauss, La Pensée sauvage, ch. IX « Histoire et dialectique »

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現代的な攻撃性の源 フロイトの精神分析理論を参考に

現代社会では、マスメディアでも、SNSでも、YouTubeでも、激しい言葉が飛び交い、ひとつの対象に向けて一斉に攻撃が加えられる場面をしばしば目にする。
事件や人物の情報に触れたとき、多くの発信者は、自分の知識が本当に正しいのかとか、その対象と自分との関係はどうなのかといったことは意識せず、過激な言葉を放つ。そして、その言葉がどんな結果をもたらすかについて、責任を引き受ける気配はない。

原因としてよく言われるのは「匿名性」だ。しかし、コメンテーターやYouTubeの配信者は、名前がはっきりしている。むしろ名前が知られているほうが、情報はあっという間に広がっていく。
SNSでも、「炎上」が再生回数を押し上げ、発信者の収入につながるシステムが出来上がっている。

こうした居心地の悪い状況を、どう理解すればいいのか。そんなことを考えていたとき、たまたまフロイトの「自我とエス」を読んでいて、なるほどと腑に落ちることがあった。
結論から言えば、それは「快楽原則」に従ったリビドー(欲動)の満足であり、対象そのものはどうでもいい、ということだ。そう思うと、いま目にしている光景の光源がどこにあるのか、少しだけだとしても見えてくる。

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井筒俊彦を知る NHK BSスペシャル「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」

井筒俊彦は、日本が誇る最高の知性の一人に確実に数えられる学者。30カ国語を自在に操ったことで「天才」と称されることが多いが、それは単なる語学の才能にとどまらない。イスラム研究の第一人者であるだけでなく、古代中国、インド、ペルシア、古代ギリシアといった諸文明の哲学・宗教・文化に通底する基盤を探究した、真の意味での思想家だった。

幸いなことに、彼を特集したNHK BSスペシャル「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」は、ネット上で視聴することができる。

歴史を振り返り 世界の今を知る 3/3

(歴史を振り返り 世界の今を知る 2/3 から続く)

D. 18世紀後半から19世紀前半:ロシアとアメリカ合衆国

18世紀後半になると、新たに二つの国が台頭し、19世紀にはイギリスやフランスに並ぶ大国として国際政治の中で重要な役割を担うようになった。それがロシアとアメリカ合衆国である。

この二国は、歴史的な背景こそまったく異なるが、18世紀後半から19世紀前半にかけて急速に領土を拡大した点では共通している。また、その拡大の方法にも類似性がある。西欧諸国が遠隔地を植民地化するのに対し、ロシアとアメリカは自国に隣接する地域を次々と自国領に編入していったのである。

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歴史を振り返り 世界の今を知る 2/3

欧米諸国が「国際社会」のルールを形成してきたのに対し、近年では「グローバル・サウス」という言葉が用いられ、欧米の価値観や世界観とは異なる主張が一定の支持を得るようになってきた。
こうした変化に対する評価は、立場や視点の違いによって分かれるのが当然であり、一方が自由や人権を訴えても、他方は搾取やダブルスタンダードを指摘し、双方が納得する結論に達することは容易ではない。

ここで問題にしたいのは、こうした二つの世界観の対立が、16世紀以来の世界の歴史に起源を持つという点である。歴史を振り返ることで、二つの世界の根底に植民地主義の構造が存在していることが見えてくる。
植民を行った側とされた側を大まかに分けるなら、前者は現在のG7を中心とする国々、後者はグローバル・サウスの地域ということになる。

ただし、そこには例外もある。たとえばアメリカ合衆国は、もともと植民された側であったにもかかわらず、現在ではその立場が逆転している。また、ロシアや中国の歴史的背景や現在の位置づけも、それぞれに特異なものがある。こうした点も、歴史をたどることで理解が深まる。

歴史を振り返ることで、私たちは現在を理解するための手がかりを得ることができる。言い換えれば、私たちは今、歴史の連続性の中にある「現在」という時間を生きているのだ。

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歴史を振り返り 世界の今を知る 1/3

どこの国でも同じことだが、一つの環境に身を置いていると、限られた視点からの情報にしか触れることができず、そのことにすら気づかないことが多い。
「情報過多の時代」と言われるものの、実際には視野の狭さは、以前とそれほど変わっていないのかもしれない。

日本にいると、「国際社会」という言葉がいまだに頻繁に使われ、欧米中心の世界観が現在でも国際的に認められていると思い込みがちである。
その結果、少なくとも国の数の上では、そうした状況が変化しつつある、あるいはすでに変化していることに気づかないままでいることが多い。
さらに、たとえ「国際社会」のダブルスタンダードに気づいたとしても、それをやり過ごしてしまう。欧米の価値観を基準に物事を判断する習慣から抜け出せず、抜け出そうともしない。

こうした中で、日本の価値観や世界観は、欧米の側に位置づけられている。そのため、「G7唯一のアジアの国」という表現が一種の誇りのように語られ、民主主義や自由といった価値がことさら重視される。
一方で、日本独自の価値観にも言及されることがあり、「欧米出身者が日本のここを評価した」「あそこに驚いた」といった内容が、マスコミやSNSを通じて盛んに発信される。こうした情報の発信元や評価の主語は、たいてい欧米出身者であり、それ以外の地域の人々が取り上げられることはほとんどない。
そのような二重基準の背景には、欧米諸国の人々に対する劣等コンプレックスと、それ以外の地域の人々に対する根拠のない優越コンプレックスがあるにもかかわらず、そこに無自覚なままでいることが多い。

こうした世界的な状況は、象徴的に言えば、「1492年のコロンブスによる新大陸の発見」に端を発する、西欧諸国による世界戦略に由来していると考えられる。
それ以来、ヨーロッパの国々はアフリカ大陸、アメリカ大陸、アジア各地を次々と植民地化し、支配してきた。その構造は、経済的には現在に至るまで形を変えて持続している。

ここでは、そうした歴史の流れを大まかに振り返りながら、現在の世界がどのような状態にあるのかを、先入観にとらわれずに理解することを目指したい。

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社会的人間関係の相対性と党派性 — 福沢諭吉『文明論の概略』の一節から

明治維新直後、福沢諭吉は、混乱する日本が欧米の侵略に抗して独立を保つため、欧米から何を学ぶべきかを考究したのだが、その中で、日本及び日本人のあり方についても鋭い洞察を行った。

ここでは、上下関係に基づく社会的な人間関係についての考察を取り上げ、現在の私たちにも関係する人間関係について考えてみよう。

『文明論の概略』第9章「日本文明の由来」では、社会的な上下関係によって態度を変える人間の様子が描かれている。

政府の吏人(りじん)が平民に対して威を振るふ趣(おもむき)を見ればこそ権あるに似たれども、此の吏人が政府中に在りて上級の者に対するときは、其の抑圧を受ること平民が吏人に対するよりも尚(なお)甚(はなはだ)しきものあり。(中略) 甲は乙に圧せられ乙は丙に制せられ、強圧抑制の循環、窮極(きゅうきょく)あることなし。

福沢諭吉の時代には、官vs民の上下関係は揺るがしようがなく、役人が一般の庶民に対して権力を振るうのが当たり前だった。
また、役人たちの中にも上下があり、庶民に威張り散らしていた人間が、上司からは威張り散らされる。
そんな風に、社会的な人間関係はその場その場の上下関係によって循環するのだと福沢は言う。

2025年には「財務省解体デモ」があり、Xの投稿に導かれた人々が中央官庁の官僚に対して抗議するメンタリティーも醸成されているが、こうした動きがエリートvs庶民という構図に基づいていることは、明治維新直後と変わりがない。
もしかすると、デモ参加する群衆の中には、自分たちよりも弱い立場にいる人間、例えば外国人労働者に対しては、排斥を訴えている人がいるかもしれない。

もしも福沢がそうした様相を目にすることがあれば、「強圧抑制の循環、窮極あることなし」と言うに違いない。

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短期的な視点の罠 — ドル円と物価高

2025年3月7日の日経新聞に”円高”という記事が見られる。

1ドル147-148円で円高という認識。実際、2024年6月には1ドル160円以上になった時期があり、2024年の平均でも152円程度だったので、それと比較すれば円高という表現は間違いではない。

しかし、視野を拡げると、1ドル147円が円高と言えるだろうか?という疑問が湧いてくる。 2015年から10年間という期間に視野を広げると、全く違う事実が見えてくる。

2015年には1ドル121円、2019年では107円平均だった。そこから見たら、147円はとてつもない円安だ。

この一覧表を見ると、2022年から円が急激に、しかも極端に安くなったことがわかる。2021年から見ると、147円は考えられない円安なのだ。

こうしたドル円の変化が物価高に直結していることを、アップル社のmacbook airを例に取って示してみよう。

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「疑う」ことの難しさ

昭和15(1940)年8月、小林秀雄は、日本が日支事変、つまり日中戦争に突入していく中で、「事変の新しさ」という記事を書き、次のように記している。

前に、事変の本当の新しさを知るのは難しいと申しました。何か在り合わせ、持ち合わせの理論なり方法なりえ、易しく事変はこういうものと解釈して安心したい、そういう心理傾向から逃れることは容易ではないと申しました。つまり疑うという事は、本当に考えてみますと、非常に難しい仕事なのであります。
      (小林秀雄「事変の新しさ」『小林秀雄全集 13』新潮社、p. 117.)

実際、自分がごく当たり前だと思うことを一端カッコに入れ、疑ってみることは、思っている以上に難しい作業だといえる。
その理由は、視野がある一点に向かうと、それだけを見て納得してしまうということがしばしばあるからだと思われる。

その例として、最近の国際情勢を見ていきたい。

アメリカがウクライナに対する軍事支援を中止する動きがトランプ大統領によって示されて以来、少なくともヨーロッパ・アメリカを中心とする世界において、平和に関する議論が変化しつつある。
そうした中で、核兵器に関する話題も取り上げられているのだが、日本とフランスで全く違った議論がなされている。

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