日本の歴史 超私的概観 (9) 幕末から明治へ  植民地化の危機を前にして 

江戸幕府は初期に開始した鎖国政策を継続していたが、19世紀に入ると、西欧諸国によるアジアへの植民地政策に対応を迫られるようになった。

一方では、圧倒的な軍事力を持つ欧米列強に対して断固たる拒否を貫き、攘夷、すなわち夷人(いじん)を攘(はら)い、外国勢力を排除しようとする主張があった。
もう一方では、妥協的な態度を取り、何らかの条約を結ぶという現実主義的な立場があった。
こうした対立が、最終的に江戸幕府を倒し、明治維新をもたらした一つの要因になる。

国内に目を向ければ、幕府および諸藩の財政は恒常的に逼迫しており、農民に対しては年貢を、商人に対しては上納金を過重に課すことで財源の確保を図った。
しかし、その結果として農民一揆が頻発し、都市部においても打ちこわし等の破壊的な民衆運動が勃発するなど、社会的混乱が継続的に生じていた。

このような情勢下において、薩摩藩や長州藩などの一部有力藩では、有能な下級武士を登用し、内部改革に着手することで藩政の再建を図った。
これにより、これらの藩は次第に政治的・軍事的な実力を蓄積し、幕府に対抗し得る勢力として台頭していくこととなる。

明治維新後、国家形成の主導的役割を担ったのは、こうした改革過程において頭角を現した若年層の下級武士たちであり、彼らは新政府の中枢を構成することとなった。

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ロココ絵画と浮世絵 フランソワ・ブーシェと鈴木春信

18世紀に描かれた二枚の絵画を見てみよう。どちらも美しいが、表現はまったく違っている。

一枚は、ロココ絵画を代表する画家フランソワ・ブーシェの「ベルジュレ夫人」。1766年頃に描かれた。
もう一枚は、錦絵の創始者とされる鈴木春信の多色刷り木版画「雪中相合傘」。1767年頃に制作された。

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日本の歴史 超私的概観 (8) 江戸時代 後半 幕藩体制の揺らぎ 外国文化の足音

江戸時代の後半、幕藩体制の土台が揺らぎ始めると同時に、鎖国を続けていた日本にも、少しずつ外国文化の影響が入り込んでくるようになった。

幕藩体制について言えば、商業活動の活発化は、幕府や藩の経済だけでなく、武士たちの社会的な立場をも危うくすることとなった。
江戸時代前半には幕府が藩を支配する封建体制が確立し、武士の兵士としての役割は終わりを迎えていたが、彼らの主な収入源は農民から取り立てる年貢に限られ、自ら商売などをして収入を得る道は閉ざされていた。
その一方で、町人の経済力は増大し、武士階級が町人階級に依存するような状況さえ生まれ、幕藩体制は次第に弱体化していった。

外国文化の影響について見ると、当時の人々の暮らしの中に直接入り込むことはほとんどなかったものの、学問や芸術の世界ではその影響がはっきりと現れていた。
特に絵画の分野では、古くから続く日本独自の表現方法に新しい風が吹き込み、大きな変化が生まれたことは注目に値する。

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日本の歴史 超私的概観 (7) 江戸時代 前期 美意識の形成

江戸時代前期には幕藩体制が確立し、儒教精神が武士だけではなく平民にまで浸透した。16世紀の戦国時代が終わり、社会全体が安定期に入る中で、人々の生活様式も変化し、それにともない文化的な表現も前の時代とは異なったものになっていく。

武士階級においては、幕府の圧倒的な支配の下で戦闘要員という本来の役割を果たす場がなくなり、藩主から俸禄を受領することで生計を立てる非生産者となる。
農民は幕府や藩からの様々な統制にもかかわらず、新田開発や治水・感慨事業、そして農業技術の向上により生産性を増し、農産物を商品として流通させることも可能になる状況が生まれた。
そうした動きに連動し、商業活動も活発化し、街道の整備や貨幣経済の発展にともない、大規模な商売で富を獲得するなどして、町人が経済の実験を握る状況なども生まれ始めた。

このように人々の生活が安定するに従い、京都の宮廷や武士階級だけではなく、都市の住民も、絵画や演劇、読み物などといった文化活動に参加するようになっていく。
江戸時代前期において、その中心は上方、つまり京都と大阪にあり、江戸は徳川幕府と関係するものに限られていたといってもいいだろう。

江戸時代というとどうしても江戸中心に考えてしまがちだが、大和朝廷以来の伝統を考えると、上方から江戸への移行が一気に行われたわけではないことは、むしろ自然なことだと言える。

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Kiss my ass トランプ大統領が関税の交渉に来る他国に対して使った表現

一方的に関税を引き上げることを宣言したアメリカのトランプ大統領が、交渉を希望する他国に対して使った表現 « Kiss my ass »を、ChatGPTに様々なレベルで翻訳してもらいました。

(1)日本語に翻訳してください。

「Kiss my ass」はかなり強い口調のスラングで、日本語に訳すときには文脈に応じていくつかの言い方があります。直訳すれば:

  • **「俺の尻にキスしろ」**ですが、

これはそのまま使うと非常に露骨で、不自然です。日本語らしい言い方にすると:

  • 「ふざけんな」
  • 「バカにすんなよ」
  • 「なめんなよ」

などが一般的な意訳になります。状況に応じて、もっと柔らかくしたり、逆にもっと攻撃的にもできます。どんな場面で使いたいですか?それに合わせて調整できますよ。

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Autour du Palais Royal パレ・ロワイヤル周辺の紹介 コメディー・フランセーズ 文化大臣室など

パレ・ロワイヤルとその内部にある文化大臣(ministre de la culture)の執務室など、すぐ近くのコメディー・フランセーズなどを紹介した、貴重なニュース番組です。

Une oasis au cœur de Paris

Il a tout l’allure d’un vaisseau de pierre, cette oasis en plein centre de Paris.
Le Palais Royal est un gigantesque ensemble construit il y a quatre cents ans par le cardinal de Richelieu et qui abrite aujourd’hui le Conseil constitutionnel, le Conseil d’Etat, mais aussi le ministère de la Culture et la célèbre Comédie-Française.
Monarques et filles de joie, comédiens, flambeurs et parieurs s’y croisaient.
Mais c’est pour ses jardins qu’il est apprécié tant par les Parisiens.

日本の歴史 超私的概観 (6) 江戸時代 前期 封建制度の確立

織田信長と豊臣秀吉によって戦国時代にほぼ終止符が打たれ、戦国大名が各地で勢力を振るった時代から、再び幕府が全国を支配する中央集権制度が確立する時代へと移行する。

その過程において最も大きな転機となったのは、1600年に起こった関ヶ原の戦いだった。
豊臣秀吉の死後、徳川家康を総大将とした東軍と、毛利輝元を総大将とした西軍が、現在の岐阜県に位置する関ヶ原を初めとして各地で戦闘を繰り広げ、最終的に東軍が勝利を収めた。
その結果、強大な権力を掌握した徳川家康は、1603年、京都の朝廷から” 征夷大将軍 “に任命され、江戸に幕府を創設する。

江戸時代の前期、幕府が最も力を尽くしたのは、徳川家が代々世襲する将軍が、各地の藩を統治する大名たちと封建的主従関係を結び、”幕藩体制”と呼ばれる支配体制を確立することだった。

徳川政権が採用した様々な施策は、政治体制だけではなく、庶民の日常生活や精神性、そして芸術の分野にも大きな影響を及ぼし、私たちが現在 “日本的”と感じる多くの要素の源になっている。

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社会的人間関係の相対性と党派性 — 福沢諭吉『文明論の概略』の一節から

明治維新直後、福沢諭吉は、混乱する日本が欧米の侵略に抗して独立を保つため、欧米から何を学ぶべきかを考究したのだが、その中で、日本及び日本人のあり方についても鋭い洞察を行った。

ここでは、上下関係に基づく社会的な人間関係についての考察を取り上げ、現在の私たちにも関係する人間関係について考えてみよう。

『文明論の概略』第9章「日本文明の由来」では、社会的な上下関係によって態度を変える人間の様子が描かれている。

政府の吏人(りじん)が平民に対して威を振るふ趣(おもむき)を見ればこそ権あるに似たれども、此の吏人が政府中に在りて上級の者に対するときは、其の抑圧を受ること平民が吏人に対するよりも尚(なお)甚(はなはだ)しきものあり。(中略) 甲は乙に圧せられ乙は丙に制せられ、強圧抑制の循環、窮極(きゅうきょく)あることなし。

福沢諭吉の時代には、官vs民の上下関係は揺るがしようがなく、役人が一般の庶民に対して権力を振るうのが当たり前だった。
また、役人たちの中にも上下があり、庶民に威張り散らしていた人間が、上司からは威張り散らされる。
そんな風に、社会的な人間関係はその場その場の上下関係によって循環するのだと福沢は言う。

2025年には「財務省解体デモ」があり、Xの投稿に導かれた人々が中央官庁の官僚に対して抗議するメンタリティーも醸成されているが、こうした動きがエリートvs庶民という構図に基づいていることは、明治維新直後と変わりがない。
もしかすると、デモ参加する群衆の中には、自分たちよりも弱い立場にいる人間、例えば外国人労働者に対しては、排斥を訴えている人がいるかもしれない。

もしも福沢がそうした様相を目にすることがあれば、「強圧抑制の循環、窮極あることなし」と言うに違いない。

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智力 — 福沢諭吉『文明論の概略』の一節から

福沢諭吉は、『文明論の概略』(明治8(1875)年)の中で、「智力」の有無を、野蛮(非文明)と人文(文明)を区別する基準としている。

その説の根拠を知ることは、SNSやYoutubeでフェイク情報や陰謀論が飛び交い、大手マスメディアにおいても無責任なコメントが日々発信され、「表現の自由」という名の下で、無関係で無責任な人間たちによって無差別的な誹謗中傷さえ平然と行われる現代社会において、私たちが今まさに何を目指すべきかを考え直すきっかけになる。

では、野蛮と人文の違いは何か? 福沢諭吉は以下のような対比を提示する。

結局、野蛮の世には、人間の交際に唯(ただ)恩威(おんい)の二箇条あるのみ。即(すなわ)ち、恩徳(おんとく)に非(あら)ざれば暴威(ぼうい)なり、仁恵(じんけい)に非ざれば掠奪なり。此の二者の間に智恵の働きあるを見ず。

人文(じんぶん)漸(ようや)く開化し、智力(ちりょく)次第に進歩するに従いて、人の心に疑ひを生じ、天地間の事物に遇(あ)ふて軽々(けいけい)之れを看過(かんか)することなく、物の働きを見れば其の働きの源因を求めんとし、仮令(たと)ひ或は真の源因を探り得ざることあるも、既に疑ひの心を生ずれば、其の働きの利害を撰(えら)びて、利に就(つ)き害を避(さ)るの工夫を運(めぐ)らす可(べ)し。

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日本の歴史 超私的概観 (5) 鎌倉時代から江戸時代へ (その2)

安土桃山時代:1573年 – 1603年

室町時代の後期、各地を支配する領主が室町幕府の統制から自由になり、勢力争いを繰り広げる時期が、15世紀末から16世紀末まで約100年間続いた。
その戦国時代の最後に戦乱を制したのが、織田信長と、彼に続く豊臣秀吉だった。

しかし、安土桃山時代と呼ばれるその時期は30年程度で終わり、1600年の関ヶ原の戦いの後、1603年には徳川家康によって江戸幕府が開かれる。

その安土桃山時代、日本は初めて西欧と接触を持ち、その影響が天下統一に大きな役割を果たすことになった。
また、戦さの時代が終焉を迎えることで、例えば城の形体が、戦闘時の防御拠点となる山城(やまじろ)から、平地に築かれ、川や沼、人工的に造られた掘りなどを防御施設とする平城(ひらじろ)へと変わり、城下町が作られるなど、文化的な面でも大きな変化が見られるようになる。

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