井筒俊彦を知る NHK BSスペシャル「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」

井筒俊彦は、日本が誇る最高の知性の一人に確実に数えられる学者。30カ国語を自在に操ったことで「天才」と称されることが多いが、それは単なる語学の才能にとどまらない。イスラム研究の第一人者であるだけでなく、古代中国、インド、ペルシア、古代ギリシアといった諸文明の哲学・宗教・文化に通底する基盤を探究した、真の意味での思想家だった。

幸いなことに、彼を特集したNHK BSスペシャル「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」は、ネット上で視聴することができる。

セリーヌ・ディオン アブラハムの記憶 Céline Dion La mémoire d’Abraham

ジャン=ジャック・ゴルドマン(Jean-Jacques Goldman)が作詞・作曲し、セリーヌ・ディオン(Céline Dion)が歌った「アブラハムの記憶」(La mémoire d’Abraham)。

アブラハムは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教に共通する始祖とされる人物であり、彼の記憶に刻まれた出来事は、確かに特定の宗教と結びついた内容を含んでいる。
しかし私たちは、この曲の厳かな雰囲気の中で、苦難の中の祈りから生まれた、未来への希望を感じさせる、かすかな声に耳を傾けたい。

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Charles Azenavour Hier encore シャルル・アズナブール 昨日はまだ

シャルル・アズナブール(Charles Aznavour)はフランスを代表するシンガーソングライターで、2018年に94歳で亡くなるまで活動を続けた。

« Hier encore »(昨日はまだ)は、アズナブールの代表作の一つで、過ぎ去った青春時代(20歳の頃)への後悔と哀愁を歌った曲。
若い頃は何も考えず、ばかげたことや自分勝手なことばかりしていた。今になってそのことを振り返り、時間を無駄にしたと思うものの、それでも当時の思い出を懐かしく感じ、まるで昨日のことのように思われる。「昨日はまだ二十歳だった」と感じられるほどに。

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Renaud  Mistral gagnant ルノー  ミストラル・ガニャン

1852年生まれのルノー(Renaud)は社会問題や政治に関わるテーマを俗語などを交えて歌う歌手で、フランスでは現在でも一定の人気がある。
そんなルノーには珍しく、1985年に発表した「ミストラル・ガニャン」(Mistral gagant)は、子ども時代への郷愁が強く滲み出した曲で、娘ロリータに捧げられている。
そのために、歌詞の中には、ミストラル・ガニャン、ココ・ボエール、ルドゥドゥ、カール・アン・サック、ミントォなど、すでに発売されなくなったお菓子の名前がたくさん出てくる。

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歴史を振り返り 世界の今を知る 3/3

(歴史を振り返り 世界の今を知る 2/3 から続く)

D. 18世紀後半から19世紀前半:ロシアとアメリカ合衆国

18世紀後半になると、新たに二つの国が台頭し、19世紀にはイギリスやフランスに並ぶ大国として国際政治の中で重要な役割を担うようになった。それがロシアとアメリカ合衆国である。

この二国は、歴史的な背景こそまったく異なるが、18世紀後半から19世紀前半にかけて急速に領土を拡大した点では共通している。また、その拡大の方法にも類似性がある。西欧諸国が遠隔地を植民地化するのに対し、ロシアとアメリカは自国に隣接する地域を次々と自国領に編入していったのである。

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歴史を振り返り 世界の今を知る 2/3

欧米諸国が「国際社会」のルールを形成してきたのに対し、近年では「グローバル・サウス」という言葉が用いられ、欧米の価値観や世界観とは異なる主張が一定の支持を得るようになってきた。
こうした変化に対する評価は、立場や視点の違いによって分かれるのが当然であり、一方が自由や人権を訴えても、他方は搾取やダブルスタンダードを指摘し、双方が納得する結論に達することは容易ではない。

ここで問題にしたいのは、こうした二つの世界観の対立が、16世紀以来の世界の歴史に起源を持つという点である。歴史を振り返ることで、二つの世界の根底に植民地主義の構造が存在していることが見えてくる。
植民を行った側とされた側を大まかに分けるなら、前者は現在のG7を中心とする国々、後者はグローバル・サウスの地域ということになる。

ただし、そこには例外もある。たとえばアメリカ合衆国は、もともと植民された側であったにもかかわらず、現在ではその立場が逆転している。また、ロシアや中国の歴史的背景や現在の位置づけも、それぞれに特異なものがある。こうした点も、歴史をたどることで理解が深まる。

歴史を振り返ることで、私たちは現在を理解するための手がかりを得ることができる。言い換えれば、私たちは今、歴史の連続性の中にある「現在」という時間を生きているのだ。

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歴史を振り返り 世界の今を知る 1/3

どこの国でも同じことだが、一つの環境に身を置いていると、限られた視点からの情報にしか触れることができず、そのことにすら気づかないことが多い。
「情報過多の時代」と言われるものの、実際には視野の狭さは、以前とそれほど変わっていないのかもしれない。

日本にいると、「国際社会」という言葉がいまだに頻繁に使われ、欧米中心の世界観が現在でも国際的に認められていると思い込みがちである。
その結果、少なくとも国の数の上では、そうした状況が変化しつつある、あるいはすでに変化していることに気づかないままでいることが多い。
さらに、たとえ「国際社会」のダブルスタンダードに気づいたとしても、それをやり過ごしてしまう。欧米の価値観を基準に物事を判断する習慣から抜け出せず、抜け出そうともしない。

こうした中で、日本の価値観や世界観は、欧米の側に位置づけられている。そのため、「G7唯一のアジアの国」という表現が一種の誇りのように語られ、民主主義や自由といった価値がことさら重視される。
一方で、日本独自の価値観にも言及されることがあり、「欧米出身者が日本のここを評価した」「あそこに驚いた」といった内容が、マスコミやSNSを通じて盛んに発信される。こうした情報の発信元や評価の主語は、たいてい欧米出身者であり、それ以外の地域の人々が取り上げられることはほとんどない。
そのような二重基準の背景には、欧米諸国の人々に対する劣等コンプレックスと、それ以外の地域の人々に対する根拠のない優越コンプレックスがあるにもかかわらず、そこに無自覚なままでいることが多い。

こうした世界的な状況は、象徴的に言えば、「1492年のコロンブスによる新大陸の発見」に端を発する、西欧諸国による世界戦略に由来していると考えられる。
それ以来、ヨーロッパの国々はアフリカ大陸、アメリカ大陸、アジア各地を次々と植民地化し、支配してきた。その構造は、経済的には現在に至るまで形を変えて持続している。

ここでは、そうした歴史の流れを大まかに振り返りながら、現在の世界がどのような状態にあるのかを、先入観にとらわれずに理解することを目指したい。

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摩耶山 忉利天上寺 焼失以前の姿

摩耶山の頂上付近にあった忉利天上寺(とうりてんじょうじ)は、646年(大化2年)に開創された。その後、空海(弘法大師)が仏の母である摩耶夫人(まやぶにん)像を、留学先の唐から持ち帰り、この寺に奉安したと考えられている。なお、寺名の「忉利」は、摩耶夫人が死後に転生したとされる天界 ── 忉利天(とうりてん)に由来する。

このように由緒ある寺だが、大変に残念なことに、1976年(昭和51年)1月30日に放火され、仁王門など一部を除いて全焼してしまった。現在は、北方約1kmに位置する摩耶別山に場所を移して再建されていて、旧天上寺の跡地は摩耶山歴史公園として残されている。

この奥には、三権現社(さんごんげんしゃ)の跡もある。

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石川淳 「山櫻」 フランス語訳の試み 6/6  ISHIKAWA Jun, « Le Cerisier de montagne », essai de traduction en français 6 / 6

Voici la dernière partie du « Cerisier de montagne ».

わたしは椅子の上にくず折れ、もう一歩を踏み出す力もうせて、どこでどんな位置におかれていようとかまいなく、きょとんと眼を空に据えていた。しかし、決してぼんやりしているどころか、かかる場合にこそ到底ぼんやりしてなどいられるものではない。理性につながるわがための命綱がさいわいにまだ朽ちきっていないならば今こそ綱の端にすがらなければならないときだろう。だが、いったいどこの綱手をどう手繰れば鈴が鳴るというのか。堂堂たる理法の綾の中にまぎれこもうなどという贅沢な望みではなく、どんな頼りないことばの藁ぎれでもつかみたいとあえいでいる有様なのだが、それほどの手がかりさえぷっつり断たれているほどわたしは痴呆性だといよいよ相場がきまったのであろうか。それならそれで、わたしにも覚悟のきめようがあろうに・・・・・しかしその覚悟にたどりつくまでのゆとりもこのとき許されなかった。というのは、いつの間にか上って来た善太郎の声をついそばに聞かなければならなかったのだ。
「おじさん邪魔だよ。轢いちゃうよ、ぼう、ぼう。」

Je m’étais effondré sur ma chaise, incapable de faire un pas de plus, et, sans me soucier de l’endroit ni de la situation, je dirigeais vaguement les yeux vers le ciel. Mais, loin d’être distrait, c’était justement dans une situation pareille qu’il m’était absolument impossible d’être perdu. Si la corde de vie qui me reliait encore aux subtils entrecroisements des principes rationnels n’avait pas complètement pourri, c’était le moment ou jamais de m’attacher à son bout. Mais, où donc faudrait-il tirer sur cette corde de salut, et de quelle manière, pour qu’une clochette sonne ? Ce n’était pas un espoir de luxe que j’avais de me mêler aux entrelacs d’une noble logique, mais je m’acharnais à saisir un moindre brin de paille d’un mot peu fiable. Était-il établi qu’à ce point, où aucune prise ne subsistait, je sombrais dans la démence ? » Si tel était le cas, soit, je pourrais m’y résoudre… Mais à ce moment-là, on ne m’a pas laissé le temps de parvenir à cette résolution. Car, j’ai dû entendre la voix de Zentaro, qui montait je ne sais quand.
— Monsieur, vous êtes embarrassant. Je vais vous écraser,  whoo, whoo !

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石川淳 「山櫻」 フランス語訳の試み 5/6 ISHIKAWA Jun, « Le Cerisier de montagne », essai de traduction en français 5 / 6

Suite à la page 4. Le texte qui suit constitue un paragraphe entier.

身から出た鏽とはいえ、わたしは京子の眼の前であまりの侮辱に忍びかね、今下へおりて行く善作の後姿に飛びかかろうとしかけたが、軍隊できたえた逞ましい腕に細い襟くびをねじあげられて猫の仔のように抛り出されるまでのことと思えば、腑甲斐なく椅子にしがみついたまま、一度恥をかき出すと止度なく恥をかくものだなと籐の網目にからだがちぎれるほどのせつなさで、うわべはすれからしの銭貰い同然しゃあしゃあとした面の皮をさらしている有様であった。

Même si ce n’était au fond que la rouille sortie de mon propre corps, un mal forgé par mes propres fautes, je ne supportais pas l’insulte, là, sous les yeux de Kyoko, et j’étais sur le point de me jeter sur le dos de Zensaku qui descendait en ce moment. Mais en pensant que je ne serais qu’un pauvre type à me faire tordre le col mince par ses bras vigoureux formés à l’armée et à être jeté dehors comme un chaton, je restai lâchement accroché à ma chaise. Et me disant qu’une fois qu’on commence à avoir honte on n’en finit plus d’en avoir, j’avais le cœur si serré que mon corps semblait se déchirer dans les mailles du rotin tandis qu’en apparence tel un mendiant blasé j’affichais un visage impudent.

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