能が禅の精神を反映していることは、広く認められている。

能の完成者である世阿弥は、室町幕府の三代将軍・足利義満に重用された。
義満と彼の息子である足利義持は、禅宗の積極的に導入し、北山文化を開花させた。
そうした状況の中で、世阿弥も能の思想を吸収し、猿楽や田楽と呼ばれていた芸能に、禅の精神を注入したことは、自然なことだっただろう。
世阿弥が記した芸の理論書『風姿花伝』にも禅を思わせる教えが数々見られる。
例えば、「住(じゅう)する所なきを、まづ花と知るべし。」
住する、つまり一カ所に留まらないことが、芸の花を咲かせると言う。
これは、中国の禅僧・慧能(えのう)が説く、「住する所無くして、其の心を生ずべし]という言葉に基づいている。
現実の世界ははかなく、全ては時間とともに消え去ってしまう。その流れに押し流されながら、しかし、その現実に永遠を現生させ、美を生み出す。
とりわけ世阿弥が刷新した能は、幽玄の美を目指している。