幽玄の美へ 鎌倉リアリスムから北山文化、東山文化へ

平安貴族の優雅な世界から武士を中心とする鎌倉時代へと移行するのに伴い、美の概念も大きく変化した。
(平安時代までの美の変遷については、以下の項目を参照。)
https://bohemegalante.com/2019/02/26/genese-de-la-beaute-japonaise/

私たちが日本の文化の特色と考える、簡素さ、幽玄、無に基づく美意識は、鎌倉時代を経て、室町時代に形成されたと考えられる。
そして、そのために禅の果たした役割は非常に大きい。禅宗は13世紀中頃に日本文化に決定的な影響を及ぼし、水墨画、能、連歌、枯山水等の発展を促した。

12世紀の終盤に始まる鎌倉幕府の時代から、銀閣寺に代表される東山文化が桃山美術に移行する16世紀後半までの約400年間弱における、美の動きを見ていこう。

大仏様(よう)と鎌倉リアリズム

平安の優美な美が新たな姿へと変わる最初のきっかけとなったのが、1180年の平重衡(しげひら)による南都焼き討ち事件だった。東大寺や興福寺が破壊され、それらの寺院の再建が新しい美の創造のために、大きな役割を果たした。

1199年、東大寺の南大門が重源(ちょうげん)によって再建された。

何段にも重ねた軒と天井のない高い吹き抜けを特色とする南大門の建築様式は、「大仏様(よう)」あるいは「天竺様(よう)」と呼ばれている。これは、宋の建築様式をこの時代に取り入れたもので、縦横に組み合わせされた無数の柱が、この堂々とした姿を形成している。

同じ様式は、南大門の少し以前に重源によって作られた、兵庫県小野市にある浄土寺浄土堂にも見られる。

直線の屋根、天井がなく吹き抜けとなった内部は、それまでの建造物にはない新しい美の形だった。

こうした大仏様の寺院に、運慶や快慶の仏像が収められた。

浄土寺浄土堂には、快慶の阿弥陀三尊像がある。中心に位置する阿弥陀像は五メートルを超える高さがあり、吹き抜けの構造はそれを収めるために適したものといえる。


運慶と快慶を中心にした仏師たちによる東大寺南大門の「金剛力士立像」。

この迫力のあるリアルな像は、高さ8,4メートル、重さ4トンの巨大なものであり、大仏様の建築様式とマッチしている。

興福寺にある康弁作「天燈像」ははるかに小ぶりであるが、リアルさにユーモアを付け加え、慶派彫刻の代表の一点である。

東大寺俊乗堂の「俊乗上人座像」は、念仏を唱える俊乗の姿を克明に伝えるリアルさを持っている。

運慶作と見なされることもあるこの上人像は、鎌倉リアリズムの傑作と言われている。実際、顔の表情、数珠を持つ手の動き、衣の襞の自然な曲線等全てが、素晴らしい写実性を持って再現され、俊乗という宗教者の威厳を見る者に感じさせる。

こうしたリアリスムは、鴨長明が『方丈記』の中で描いた時代を背景としていると考えてもいいだろう。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべ、いらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。

住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000196/files/975_15935.html

絵画においても、戦乱や天変地異による過酷な社会の現実をリアルに描いた表現が行われるようになる。

聖衆来迎寺の六道絵「人道不浄相図」は、『往生要集』の説話を絵にしたものの1枚。人間社会の不浄さが、ウジ虫がわき、野犬に食べられる死体、散乱する骨によって、露骨なまでに現実的に表現されている。

同じ、聖衆来迎寺の六道絵のうちの「黒縄地獄」。地獄の様子がこの世の混乱と思えるほどリアルに描かれている。

13世紀14世紀になると、絵巻物が数多く制作されるようになるが、12世紀の絵巻物の物語性(時間のつながり)が減少し、一つ一つの場面が独立する傾向が強くなる。
そうした中で、描かれる場面はより写実的になり、対象も貴族だけではなく、庶民が登場するようになる。

伊勢物語絵巻の初段「春日野の若紫」の場面は、説話画の風景描写と同じように、画面空間が三次元的な重層性が与えられ、写実性を増している。

仏教の僧侶の行いを伝える高僧伝絵は鎌倉新仏教の発展にともなって、数多く作られた。その中の一つに「一遍聖絵(ひじりえ)」がある。

熊野の那智ノ滝を描いた1枚は、視点が上に取られ、風景が俯瞰され、空間が横だけではなく、奥にも広がっている様子が見事に描かれている。

京都の群衆が描かれた1枚では、庶民の様子がリアルに表現されている。

こうしたリアルな表現が数多く行われた時代、鎌倉幕府は、京都の貴族文化と対抗するための措置として、禅宗の僧侶たちに文化政策の一環を担わせた。そこで、禅が鎌倉、室町時代の文化に大きな影響を及ぼすことになった。

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