日本人と言葉 2015年カンヌ映画祭における是枝裕和監督『海街 Diary』公開記者会見を通して

2015年のカンヌ映画祭において、是枝裕和監督の『海街 Diary』の公開記者会見が行われた。
その際の受け答えで、是枝監督が作品の意図を言葉で分析的、論理的に伝えているのに対し、四人の女優は感想や印象といった個人的な思いを語ることに重きを置いている。

日本人のコミュニケーションの理想は、「言わずもがなの関係」の中、「あうんの呼吸」でわかりあえることかもしれない。そして、「言わなくても分かり合え、言葉にしなくても通じ合う」ことが最も好ましい人間関係だとすると、言葉は、本質的には、それほど必要とされていないのかもしれない。

論理的で明確な意味を伴った言葉は違いを生み出す可能性もあり、避けられることもある。
そこで、感想や印象といった個人的な思いを伝え、相手はその感情を受け取り、共感に基づく人間関係が成立する。
日本の中にいると当たり前すぎて気づかないのだが、一歩日本から外に出てみると、そうした日本的言語表現に気づくことがある。

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マラルメ 「エロディアード 舞台」 Mallarmé « Hérodiade Scène » 言語と自己の美的探求 1/7

Gustave Moreau, Apparition

1860年代、ステファン・マラルメはボードレールの影響の下で詩作を続けながら、エロディアード(Hérodiade)をめぐる詩「エロディアード 舞台」と、未完に終わった「序曲」の執筆を通して、自らの詩の本質について問い詰め、「無(le Néant)に出会い、美(le Beau)を見出した。」という一つの結論に至る。

この考え自体、理解するのが難しい。
そして、実際に出版にまで至った「エロディアード 舞台」の詩句を理解するのも、同じように難しい。

その一方で、詩句は音楽的で、非常に美しい。
次の時代にギュスターブ・モローによって描かれた、サロメが予言者ヨハネの首を指さす、あの「出現(Apparition)」のように美しい。(1876年作)

マラルメは、この詩を1864年10月に書き始め、『現代高踏派詩集』の第二版に掲載するために出版社に送られる1869年まで、続けられたのかもしれない。

その長い推敲と執筆の期間の間に、精神の危機と呼ばれる時期を迎え、苦労に苦労を重ねて、134行に及ぶ詩句を書き上げた。

執筆を開始した時期と終わった時期では、マラルメの思考にも変化もある。
だが、エロディアードと格闘することで、「マラルメはマラルメになった」とさえ言える作品であることは間違いない。

マラルメの詩は感性を動かし、読者を感動させるものではない。しかし、ただ知的で理論的な構築物でもない。
マラルメは、言語と自己の探求を通して、詩としての「美」を生み出そうとした。
「エロディアード 舞台」は、その詩的出来事の、一つの成果にほかならない。

第1回目では、詩を理解するための前提となる、マラルメの言語と自己に関する思索と詩作について考えていく。

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