マラルメ 「エロディアード 舞台」 Mallarmé « Hérodiade Scène » 言語と自己の美的探求 1/7

Gustave Moreau, Apparition

1860年代、ステファン・マラルメはボードレールの影響の下で詩作を続けながら、エロディアード(Hérodiade)をめぐる詩「エロディアード 舞台」と、未完に終わった「序曲」の執筆を通して、自らの詩の本質について問い詰め、「無(le Néant)に出会い、美(le Beau)を見出した。」という一つの結論に至る。

この考え自体、理解するのが難しい。
そして、実際に出版にまで至った「エロディアード 舞台」の詩句を理解するのも、同じように難しい。

その一方で、詩句は音楽的で、非常に美しい。
次の時代にギュスターブ・モローによって描かれた、サロメが予言者ヨハネの首を指さす、あの「出現(Apparition)」のように美しい。(1876年作)

マラルメは、この詩を1864年10月に書き始め、『現代高踏派詩集』の第二版に掲載するために出版社に送られる1869年まで、続けられたのかもしれない。

その長い推敲と執筆の期間の間に、精神の危機と呼ばれる時期を迎え、苦労に苦労を重ねて、134行に及ぶ詩句を書き上げた。

執筆を開始した時期と終わった時期では、マラルメの思考にも変化もある。
だが、エロディアードと格闘することで、「マラルメはマラルメになった」とさえ言える作品であることは間違いない。

マラルメの詩は感性を動かし、読者を感動させるものではない。しかし、ただ知的で理論的な構築物でもない。
マラルメは、言語と自己の探求を通して、詩としての「美」を生み出そうとした。
「エロディアード 舞台」は、その詩的出来事の、一つの成果にほかならない。

第1回目では、詩を理解するための前提となる、マラルメの言語と自己に関する思索と詩作について考えていく。

マラルメの詩論 言語と自己

言語:無から美へ

マラルメは、「エロディアード」の執筆を開始した時に、「新しい言語」を生み出そうとした。
その言語とは、「事物そのものではく、事物が生み出す効果を描く」もの。

また、それは、移ろいやすい印象(les impressions fugitives)を描くもので、その印象が連続して交響曲(une symphonie)のようになっていく。
その際に、印象同士の関係性(parenté)と、それらが作り出す効果(effet)が重要になる。
そして、それらの印象が非常に奇妙なもの(les impressions les plues bizarres)になるのだが、しかし読者には詩的な美(la Beauté)を感じさせるものになる。

このように詩的な言語についての考察を深めている時、マラルメは、大きな発見をする。
詩句を掘り下げながら(en creusant le vers)、虚無(le Néant)に出会ったというのである。
様々な印象(les diverses impressions)を歌った音楽的な作品(œuvre musicale)において、無(Rien)は真実(la Vérité)であり、詩は栄光に満ちた偽り(glorieux mensonges)であると結論付ける。

ここまで、マラルメが友人に宛てて書いた何通かの手紙の中の言葉を借りて、詩的言語についての思考を簡潔に紹介したが、何を言いたいのか理解することは難しい。

彼が詩句を掘り下げて発見した虚無(le Néant)とは何なのだろうか?

Tiziano, Salomé

詩の題名であるエロディアードを例に取り、その問題について考えていこう。

一般的に、マラルメの詩は、聖書の中で語られているサロメに関する記述に基づくとされている。

サロメは、古代パレスチナの王ヘロデ・アンティパスの娘。
ヘロデの誕生日を祝う祝宴で、見事な舞を踊り、どんな褒美でも与えると王から言われる。
そこで、サロメは、母であるへロディアと相談する。
へロディアは、娘に向かい、牢獄の中に捉えられていた洗礼者ヨハネの首を要求するようにと答える。
サロメは、言われた通り、父王に、「今すぐに、盆にのせた洗礼者ヨハネの首が欲しい。」と要求する。
そのようにして、サロメはダンスの褒美として、ヨハネを死に追いやる。

このサロメの物語は数多くの芸術家のインスピレーションの源泉になり、多数の絵画や詩や散文が生み出された。
サロメの官能的な舞いと、イエスに洗礼を施したヨハネの斬首の繋がりが、エロスと死のテーマとして最適であったことは容易に想像できる。

しかし、マラルメは、娘の名前をサロメではなく、エロディアード(Hérodiade)とする。それは母の名前だ。
19世紀前半のフランスでは、エロディアードを聖書に挿話の中心に据える芸術家たちも現れた。

Paul Delaroche, Hérodiade

ドイツを離れパリに住んだハインリッヒ・ハイネや、マラルメと関係の深い詩人テオドール・ド・バンヴィル。
バンヴィルは、「エロディアード」と題された詩の中で、「(彼女は)ユダヤの女王、ヘロデの妻、洗礼者ヨハネの首を望んだ女性」と歌う。

ロマン主義の画家ポール・ドラロッシュも、ヨハネの首が描かれたの絵画を、「エロディアード」と題している。

二つの選択の中で、マラルメは、サロメではなく、エロディアードという「名前」を選んだことになる。

その理由について、ある手紙の中で、「エロディアード」について語りながら、その名前を「神聖な」と形容した後、次のように続けている。

ぼくがほんの少しでもインスピレーションを得たとしたら、それはこの名前のおかげです。もしヒロインの名前がサロメであったら、ぼく自身がこの暗い名前を発明したことでしょう。裂けたザクロのように赤い、エロディアードという名前を。(1865年2月18日、ウージェーヌ・ルフェビュール宛て)

その名前を、マラルメは、「花々(Fleurs)」という詩の中で、薔薇の花を描くため使うことになる。

Et, pareille à la chair de la femme, la rose
Cruelle, Hérodiade en fleur du jardin clair,
Celle qu’un sang farouche et radieux arrosé !

女性の肉体に似た、薔薇の花、
残酷で、明るい庭で花開くエロディアード、
獰猛で、光輝く、注がれた一滴の血!

この血は、ヨハネの首から滴る血の連想から来るものだろう。
それはエロディアードの残忍性を思い起こさせるが、同時に、サロメのダンスの肉感性も連想させる。
深紅の薔薇の美しさ、エロティシズム、残酷さが、エロディアードという名前に凝縮する。

マラルメにとって重要なのは、その名前が生み出す印象であり、効果なのだ。
彼は、この詩を構想し始めた時点で、「事物そのものではく、事物が生み出す効果を描く」言語を発明することと、自分の意図を友人に伝えていた。
事物とは、ここでは、聖書に記された挿話であり、もしかすると実際に起こったヨハネの断首の事実を指す。

言葉によってそうした事実を再現することが重要ではなく、言葉そのものが作り出す印象が重要なのだ。
マラルメはこの考えに至った時、「虚無(le Néant)」に出会ったと考えたのではないだろうか。

それ以前には、言葉は現実の事象を指し示し、言葉はそれを代わりに描き出す(représenter)ものだと考えていたのだろう。
こうした考え方は、言葉をコミュニケーションのツールと考える場合には、ごく当たり前のことだと思われている。
言語の前提には現実があり、現実の存在が言語を支えている。

「猫(ネコ)」と言えば、実際にいる猫を指すものだと思う。
固有名詞の場合には、とりわけその傾向が強い。
「アカ」という猫を「アカ」と呼べば、アカはニャーと答える。
「サブ」と呼べば、答えないか、そっぽを向く。
言語と現実の対応は、それほど強いと思われている。
繰り返しになるが、最初に事物が存在し、それを言語が指し示し、代用となる。
マラルメはそうした言語のあり方を、ルポルタージュの言語と呼ぶ。(「詩句の危機」)

しかし、言語の本質は、現実を前提としたものではないと、詩人は気づく。
その時、言語と事物の繋がりが切れ、言語は基盤を失う。というか、言語には基盤がないことを意識化する。

そう意識した時、言語は「虚無」の上を漂うように思われただろう。
例えば、サロメの逸話を語っても、現実の出来事によって保証されてはいない。
文学や絵画のテーマは、しばしば神話や聖書の物語、歴史上の大事件であったが、いくら現実的にそれらを描いたとしても、真実性は何によっても担保されない。
ヨハネの死の原因がサロメであろうと、エロディアードであろうと、どちらでもいいことになる。

無(Rien)、つまり、言語を基盤で支えるものが何もないことが、真実(la Vérité)なのだ、とマラルメは記す。

こうした認識の後に、詩的言語にとって最も重要な、次の認識が生じる。
その認識とは、言語の虚無性は肯定性へと転換することが可能だということ。
もう少し詳しく言えば、(詩的)言語は、すでに存在している現実の事物、事象を再現するのではなく、どこにも存在しない事物や事象を、魔法のように生み出す力を持っている。

極端に言えば、全てが虚構、フィクションであり、現実を指すわけでもないし、その必要もない。
逆に、言語の本質は、ある効果を持ち、何らかの印象を生みだすことにある。
これが、「無」と出会った際に、マラルメが理解した言語のあり方だったと考えられる。

こうした認識に立ち、マラルメが詩的言語の究極の目的としたのは、「美」の生成だった。
言語は、移ろいやすかったり(fugitif)、奇妙だったり(étrange)、様々な印象を生み出す効果を持っている。

そこで、詩人は、言葉が作り出す効果を考え、完璧な構築物を作らなければならないと考える。
そして、その構築物は、「美」的効果を実現するものでなければならない。

「美」に関して興味深いのは、初期のマラルメが崇めた詩人ボードレールと同じ目標を掲げながら、マラルメは途中からボードレールから離れたことである。

ボードレールは、最後まで、言語の基底に現実の事物や事象を据えていた。
現実に存在したジャンヌ・デュバルやサバチエ夫人といったエロースの対象があり、ボードレールはそこから出発してイデア的な「美」へと向かった。

それに対して、マラルメにとって、言語の基底にあるのは「無」であり、「無」から出発して「美」を生み出す。

「虚無(le Néant)」への長い下降の後に来るのは「美(la Beauté)」だと、「エロディアード」をほぼ書き終わった時点(1867年5月)で、はっきりと意識するようになっていた。

従って、ボードレールの詩は官能的で熱いが、マラルメの詩は冷たい水晶のような印象を生み出す。
例えば、「異国の香り」と「海の微風」を読み比べてみると、彼等の美の違いをはっきりと実感することができる。
https://bohemegalante.com/2020/04/04/baudelaire-parfume-exotique/
https://bohemegalante.com/2020/04/02/mallarme-brise-marine/

「私」を見る「私」

Lorenzo Lippi, Allégorie de la simulation

もしマラルメの思索が詩的言語だけに関わっていたのであれば、精神の危機と呼ばれる体験はそれほど深いものにはならなかったかもしれない。
しかし、言語の考察は、自己=「私」に関する思索へと直結する。

私たちの常識では、「私」は明らかに存在しているし、実体以外の何ものでもない。
私の肉体はここにあり、精神も働いている。

デカルト以来、全てのものの存在を疑った後、最後まで残るのは「考える私」であると見なすことは、共通の理解になった。
「我思う、故に、我在り」。

言語と「私」の関係を考えてみても、「私」の思考、観察、印象が先にあり、それを伝えるのが言語の役割だと考えられている。

しかし、言語が現実の裏打ちをされていないとなると、どうなるのだろうか。

私が言いたいことが現実としてあるのではない。
言葉が発せられ、その効果として意味が生じる。
その意味が理解されるためには、「私」と他者との間で共有される言語が前提となる。

日本語が通じるのは、日本語話者の間だけであり、フランス語を理解するためには、フランス語という言語を学ばなければならない。
その上で、誰のものでもない非人称の言語(langue)ー日本語、フランス語等ーを「私」が用いる時には、個人的な調整が行われ、「私」に特有な言葉(parole)として、流通する。
親しい人が聞いたり、読んだりすれば、すぐにそれとわかる言葉。イントネーション、声の質、言い回し等々によって特徴付けられる言葉が生まれる。

もしも言語に「私」という現実の基盤がないとなったら、言葉が「私」の脳と口や手を借りて、音声となり文字として現出することになる。
となると、誰もが存在を信じて疑わない「私」は本当に存在するのか、あるいはその存在とはどのようなものなのか。
こんな疑問が湧いても、不思議ではない。

マラルメの「私」に関する思考を理解するために、一つクイズを考えてみよう。

Nicolas Regnier, Vanité

誰もが自分の顔を知っていると思っている。
それは正しい確信なのか、ただの思い込みなのか。

事実はこうだ。
世界でただ一人、自分の顔を見たことがなく、見ることができないのは、自分だけ。
鏡に映った顔、写真に写った顔は知っているが、それらは全ては何らかの形で再現されたものにすぎない。
生の自分の顔を、自分では決して見ることができない。

逆に言えば、自分の顔を見るためには、鏡に映った姿か、写真に写った姿を通すしかない。
自分を見るためには、メディア(媒介物)が必要なのだ。

こう考えた時、言語と「私」の並行関係が理解できる。
現実:言語 = 私:私の像

一般的には、言語は現実に存在する事物を指し、その代理となると考えられている。マラルメはその関係を問い直し、言語には前提となる実在の物はないと考えた。
「私」に関しても、鏡に映った姿は、実在する「私」を再現していると考えられる。しかし、言語と同じように、「私」の映像は反映ではなく、反映自体がある印象を生みだす。ある人が見れば、Aという印象。「私」が見れば、Bという印象。

鏡に映った顔が、「私」に「私」の顔を教えてくれるとしたら、映像が実像と思われているものに先立つとさえいえる。
実際、小さな子供が自分の姿を認識するのは、鏡に映った自分の姿からだと言われている。
とすれば、「私」が実在するという確信を支えていた基盤は失われ、「虚無(le Néant)」がそこに横たわることになる。

こうした自己に対する問いかけが、精神の危機をもたらしたとしても、当然のことだった。

マラルメは、「エロディアード」を執筆した1864年から69年の間、こうした問いを自らに課し、その詩を書くことで、思索を深めていくことにもなった。

その詩のキーワードは、「美」である。
言語への問いかけ、自己への問いかけを通して、「無」をテーマにした詩それ自体が、美しくなければならない。

3つの美

マラルメは、「エロディアード」の美を、二つの美の典型と匹敵させる志を持っていた。
一つ目は、ミロのヴィーナス像。

ミロのヴィーナスは、マラルメにとっては、古代の美の典型だった。
その美とは、無意識的で、全てが統合され、変わることがなく、総合的なもの。

二つ目は、ダヴィンチのモナリザ。


ルネサンス時代に生まれたこの傑作を、マラルメは、キリスト教的な美の典型と見なす。
ジョコンダは、天上と地上の間で引き裂かれる人間のあり方を体現し、その苦悩ゆえに、神秘的な微笑みを浮かべている。

古代の彫刻、中世の絵画に続くのは、近代の詩。マラルメが完成を目指す「エロディアード」ということになる。

それは、インスピレーションによって偶然生まれるものではく、知に導かれて細部まで構築された交響曲のようなものでなれればならない。
そこでは、各部分が完璧に関係づけられ、その結果として、明確な効果を作り出すことが求められる。
その点で、マラルメは、常にエドガー・ポオの弟子であり、ボードレールに従う。

シンフォニーを構成する音符は、言葉。
1)言葉の連続を一目でそれとわかる長さに限定し、メロディーを形成する。
2)音や表現を反復し、交差したり、対位法的に配置することで、リズムや音色のヴァリエーションを作り出す。
3)モチーフも断片化し、それらを規則的に配置することで、リズムを生み出す。
4)楽譜のように、詩においても、言葉を配置を工夫する。
5)言葉が消えたり、また出てくるといった連なりによって、驚きと記憶を呼び覚ます効果を演出する。

そうした全てが、一つの体系として、完璧な構造体となるようにする。

このように、マラルメは、詩の理想を交響曲に見ていたと考えられる。
詩とは音楽であり、「音楽からその富を取り戻す」という彼の主張は、そのことを意味している。

こうした考察を前提にした上で、実際に「エロディアード 舞台」を読んでいこう。

この詩は一時期、舞台で上演される芝居として構想され、実際にコメディー・フランセーズに持ち込まれたこともあった。
ただし、審査の結果は否定的なもので、上演されることなく、マラルメは再び、それを詩作品として執筆することになる。
そこで、「エロディアード 舞台」では、エロディアードと乳母の対話という形式が残されている。

題名、登場人物、そしてセリフが続く様子を、まずは目で確認しておこう。

次回は、「エロディアード 舞台」の冒頭の8詩行を、楽譜を読むように読んでみよう。

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