
『笈の小文(おいのこぶみ)』は、1687年から1688年にかけて、松尾芭蕉が江戸から京都まで旅した際の記録をもとに、芭蕉の死後、1709年に弟子によって刊行された俳諧紀行である。
その冒頭において芭蕉は、荘子に由来する言葉をあえて選び取り、自らが荘子思想を生きる者であることを、ほとんど宣言するかのように語り始める。
その言葉は「百骸(ひゃくがい)九竅(きゅうこつ)」。つまり、人間の身体とは、百の骨と九つの穴から成り立つものにすぎない、という認識である。
芭蕉はこの身体観を起点として、さらに荘子の「造化(ぞうか)」という考えを参照しながら、自らの俳諧の本質である「風雅(ふうが)」へと話を展開していく。

そこでまず、芭蕉が自らを「風羅坊(ふうらぼう)」と名乗る冒頭の一節を読んでみたい。
「風羅坊」とは、芭蕉の葉のように、風に吹かれてたやすく破れてしまう羅(うすもの)を意味し、芭蕉が俳号として用いた語でもある。
百骸九竅(ひやくがいきうけう)の中に物有(ものあり)。かりに名付て風羅坊(ふうらぼう)といふ。誠にうすものゝ、かぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。
(松尾芭蕉『笈の小文』)
(現代語)
人の身体、すなわち百の骨と九つの穴から成るこの身の内に、あるものが宿っている。仮にそれを「風羅坊」と名づける。まことにこれは薄いものが風に破れやすいように、はかなく壊れやすい性質を言っているのだろう。

