富士山を通して見る日本人の心情 1/3 神さびて高く貴き富士

富士山は、日本の象徴として最もふさわしい存在だと多くの人が考えているに違いない。では、その富士山に対して、日本人はどのような感情を抱き、どのように表現してきたのだろうか。

この問いに対して、奈良時代から平安時代を経て鎌倉時代前期にかけて作られた和歌や物語は、一見対照的な二つの心情を私たちに伝えてくれる。
山部赤人(やまべのあかひと)と西行(さいぎょう)の歌に、その典型を見ることができる。

田子の浦ゆ 打ち出いでて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける
(『万葉集』3-318)

風になびく 富士の煙(けぶり)の 空に消えて ゆくへも知らぬ わが思ひかな
(『新古今和歌集』1615)

赤人の富士には、真っ白な雪が降り積もり、永遠に続くような神々しい姿が描かれている。
それに対して、西行の富士には風が吹きつけ、噴火の煙が空に消えていくさまが、生の儚さや無常観を象徴している。

奈良時代から平安時代へと時代が移りゆくなかで、富士山に託された心情は、このように変化していったのである。
その変遷の過程をたどることは、日本人の心のあり方を、私たち現代人にあらためて問いかけてくれるだろう。

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高橋虫麻呂 奈良時代の異邦人 『万葉集』 孤独なホトトギスのあはれ

高橋虫麻呂(たかはしの むしまろ)は、生没年不詳だが、『万葉集』に長歌と反歌(短歌)あわせて三十五首が収められており、奈良時代初期の歌人と考えられている。

彼の歌には、地方の伝説を題材としたものもあり、「水之江の浦の島子を詠む一首」と題された長歌は、浦島太郎伝説の最古の形を伝えるものとして、きわめて興味深い。
浦島物語 奈良時代 神仙思想

その一方で、「霍公鳥(ほととぎす)を詠んだ一首と短歌」のように、人間のあり方を主題とした歌もある。
ほととぎすは、鶯(うぐいす)など他の鳥の巣に卵を産み、その鳥に育てさせる「託卵(たくらん)」という習性をもつ。高橋虫麻呂は、そのほととぎすを題材に、アンデルセンの童話『醜いアヒルの子』(1843年)よりも約千年前に、周囲から孤立した存在の姿を描き出している。

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浦島物語 奈良時代 神仙思想

浦島太郎の話は、私たちが親しんでいる昔話としては、最も古いものの一つ。
奈良時代に編纂された『日本書紀』や『万葉集』の中で、すでに原形となる物語が語られている。
ところが、奈良時代の物語では、亀を助ける話はなく、浦島が向かう先は仙人の住む理想郷だとされている。

平安時代になると、浦島が向かった先での出来事が詳しく語られる。
室町時代から江戸時代前期には、亀を助けた話が語られ始める。他方、地上に戻った浦島を待つのは老いや死ではなく、鶴への変身。
明治時代になり、教科書に採用され、亀の恩返し、竜宮城、乙姫等、私たちがよく知る物語として定着した。

こうした約800年に渡る浦島物語の変遷を辿るために、まず奈良時代における浦島の物語が何を伝えようとしているのか見ていこう。

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