浦島物語 奈良時代 神仙思想

浦島太郎の話は、私たちが親しんでいる昔話としては、最も古いものの一つ。
奈良時代に編纂された『日本書紀』や『万葉集』の中で、すでに原形となる物語が語られている。
ところが、奈良時代の物語では、亀を助ける話はなく、浦島が向かう先は仙人の住む理想郷だとされている。

平安時代になると、浦島が向かった先での出来事が詳しく語られる。
室町時代から江戸時代前期には、亀を助けた話が語られ始める。他方、地上に戻った浦島を待つのは老いや死ではなく、鶴への変身。
明治時代になり、教科書に採用され、亀の恩返し、竜宮城、乙姫等、私たちがよく知る物語として定着した。

こうした約800年に渡る浦島物語の変遷を辿るために、まず奈良時代における浦島の物語が何を伝えようとしているのか見ていこう。

日本書紀

『日本書紀』(720)には、雄略天皇の時代のこと(487年7月)として、浦嶋子に関する簡潔な記述がある。

浦嶋子は船で釣りに出掛け、大きな亀を釣る。その亀が女に化けると、浦嶋子は心が動き彼女を妻にする。二人は海中に向かい、蓬莱山に行き、仙衆(ひじり)たちに会ってまわる。

この記述の骨子は、以下の4つの部分に分かれる。
(1)浦島は亀を釣る。(助ける話はない。)
(2)亀が女に変身し、浦島は亀と結婚する。
(3)向かう先は、蓬莱山。
(4)そこで、仙人たちを巡礼して回る。

奈良時代の浦島物語は、人間と人間以外の生物と結婚する「異種婚姻譚」と「異界探訪譚」の二つの側面を持っていた。

さらに、異界として向かう先が蓬莱(山)であることから、中国大陸に伝わる神仙思想に基づいた説話であることがわかる。
古代中国では、蓬莱は仙人が住む地であり、「蓬莱山は海中にあり」とされていた。
神仙思想は、超自然な楽園や神通力をもった神仙の実在を信じる思想であり、不老不死の薬が探索され、養生法が説かれた。

『日本書紀』で浦島は丹波の国の住人とされているが、本来的には、浦島物語は日本固有の話ではなく、大陸から伝来した神仙思想を伝える物語なのだ。

万葉集と『丹後風土記 逸文』

浦島物語が神仙思想に基づいていることは、『万葉集』や『丹後風土記 逸文』によってさらにはっきりと証明される。
その二つの話では、異次元の世界に暮らした浦島が、地上に戻る場面までが描かれる。
その際、なぜ浦島が楽園から戻る気持ちになったのか、そして地上に戻ってからどうなったのかが、理解の鍵になる。

浦島は、なぜ楽園から地上に戻るのか?

海神の神の宮の奥にある、善美を尽くした宮殿に二人ともに住み、
老いもせず死ぬこともなく永遠に生きていた。
 それなのに、この男、世にも愚かな人間よ。愛しい妻に告げて言うには、「ちょっとの間、家に帰って父母に事情も話し、明日にでも帰ってこよう」と言う。(『万葉集』)

島子は故郷を忘れて仙境で過ごし、三年の歳月が流れていった。
 そのうち突然、島子は故郷が懐かしくなり、両親を恋しく思うようになった。郷愁がつのり、嘆きは日増しに強くなっていった。その様子に気づいた娘が、「この頃のあなたは、顔色がよくありません。どうか、悩みごとがあれば聞かせてください」と言ったので、島子は、「昔の人が言うことには、心劣る人間は故郷を懐かしがり、死期を迎えた狐は生まれた巣穴のある丘に行くということです。私はそんなことは嘘だと思っていたのですが、今はまことにその通りだと思うようになりました」と答えた。すると娘が、「あなたは故郷に帰りたいのですか」と尋ねるので、島子は、「私は、家族とも離れて、この遠い神仙境にやってきました。それで、故郷への恋しさに耐えられず、つい心の中をさらしてしまいました。どうか、しばらく故郷に帰り、両親に会いたいというわがままをお許しください」と答えた。それを聞いた娘は、涙を拭きながら、「二人の心は金や石のように堅く結ばれ、永遠を誓ったのに、どうして故郷を懐かしみたちまちに私を捨てようとなさるのですか」と言って嘆き、二人は手を取りあって歩き廻り、語り合いながら別れを嘆き悲しんだ。(『丹後風土記 逸文』)

理想郷で永遠の生命を得ながら、故郷に対する想いにかられ、地上に戻りたいと願う浦島。
彼に対して、『万葉集』では「世にも愚かな人間」と言い、『丹後風土記 逸文』では「心劣る人間」と明記される。

とりわけ、『丹後風土記 逸聞』は、望郷の念を浦島に雄弁に語らせ、人間的な感情を強調する。そのことによって、神仙思想に反する価値観が、より明確に伝えられる。不死を捨て、望郷の念に駆られることは、愚かなことなのだ。

その後、別れに際し、妻は夫にある物を渡し、約束を守るように伝える。

妻は、「常世の国へまた帰ってきて、また今と同じように私に逢おうと思うならば、この櫛箱を決して開けてはなりませぬ」と強く戒めた。(『万葉集』)

娘は、玉匣(ぎょくこう)を持ってきて島子に渡し、「この後も私を忘れることなく、ここに戻りたいと思うなら、しっかりと玉匣を握り、決して開けて見ようとなさらないで下さい」と言った。(『丹後風土記 逸文』)

『万葉集』では「櫛箱」、『丹後風土記 逸文』では「玉匣」と呼ばれるのは、櫛をいれる美しい箱。
古代において、櫛は髪の霊力を招くと信じられていた。そこで、櫛の入った箱は霊的な力を閉じ込めていたのだと考えられる。

異界の妻は、その箱を人間の夫に渡す時、決して開いてはいけないと命じる。
物語の中で禁止に言及される場合、違反が前提となっていることは、パンドラの箱の神話等からも明らかである。

美しい櫛の箱は蓬莱の象徴であり、地上において浦島と仙境とを結ぶ唯一の絆。従って、箱を開けることは、その絆を断ち切ることになる。
地上に戻ることを望んだ浦島は愚か者であり、妻の願いを守ることができないことはわかっている。
禁止されれば、違反する。それが人間なのだ。
海神の娘は、そのことがわかった上で、あえて禁止を課す。

住吉に帰りついても家は見当たらず、里も見当たらず、怪しいことだと不思議に思い、そこで思うに、「家を出て三年、その間に、垣根もなくなり、家も失せる、そんなことがあり得ようか。この箱を開いてみたら、元通り家もあるだろう」と、あれほど堅く約束したことなのに、美しい櫛箱を少し開く。と、白雲が箱から出て、常世の方へたなびいていった。それを引き留めようと、立ち走り、叫びながら袖振りまわし、ころげ回り、地団駄を踏みながら、たちまち気を失った。若々しかった肌も皴ばみ、黒髪も白くなった。やがては息さえふっつりと絶え、後には死んでしまった。(『万葉集』)

村人に、「水の江の浦島子の家族の者は、今どこにいるのでしょうか」と尋ねると、村人は驚いて、「あなたはどこの人なのか、ずっと昔の人を尋ねるなんて。わたしが古老たちの語り継いできた話を聞いたところでは、ずっと昔に水の江の浦島子という人がいて、一人で海に行ったまま帰って来なかったということだ。今は、そういうことがあってから三百年以上もたっている。どうして、突然そんな昔のことをたずねるのですか」と言った。
 すべてを知った島子は放心状態で村を歩き廻ったが、知っている人には一人も会わず、十日もの日が過ぎていった。そして、玉匣(ぎょくこう)を撫でながら別れた神女のことを思い出していた。そこで、島子は神女との約束を忘れて、ふいに玉匣の蓋を開く。すると、蘭のような芳しき本質をした玉匣の中身は、風雲につれられて天空に飛翔してしまった。
 島子はすぐさま、約束を破ったから、もう二度と神女に逢えないと悟り、首をめぐらしながら佇み、涙にむせびながら歩き廻った。(『丹後風土記 逸文』)

永遠の楽園から地上に戻った浦島に、時間意識が復活したことは、「家を出て三年」とか「三百年以上もたっている」とされることで示される。
浦島は、誰もが憧れる不死を捨て、死へと向かう時間の流れる地上に戻ることを望んだ愚か者なのだ。

そんな人間だからこそ、禁止を破り、櫛箱を開けてしまう。
『万葉集』では、その理由は、箱を開けば、かつて彼が暮らした家が戻ってくるかもしれないというもの。
『丹後風土記 逸文』では、別れた妻を思い出し、懐かしくなったからというもの。
いずれにしても、失ったものを取り戻したいという気持ちであり、蓬莱で地上に戻りたいと願った人間的な感情とも通じ、一貫している。

違反の結果として、『万葉集』は、浦島が一気に年老い、そのまま死を迎えるとする。それに対して、『丹後風土記 逸文』の方は、愛する妻に会えない浦島の嘆きに焦点が当てられる。
死の方が劇的な終わりであるように見える。しかし、後悔を強調することで、望郷の念にかられた浦島の愚かさにスポットを当てる風土記の物語も、違反の結果として効果的な終わりになっている。

このように見てくると、奈良時代に浦島物語を伝える『日本書紀』『万葉集』『丹後風土記 逸文』とも、神仙思想に基づいていることがわかる。その中で、人間の理想は不老不死の蓬莱に達することであり、浦島は理想を捨てて現実に戻った愚か者だということになる。

面白いことに、浦島と同じように、海中にある海神の国に行き、神の娘と結ばれ、その後、地上に戻った男の話が、『古事記』と『日本書紀』の中で語られている。
「海幸彦と山幸彦」の話である。

青木繁展 わだつみのいろこの宮

山幸彦(火遠理命あるいは彦火火出見尊)は、兄に借りた釣り竿の針をなくしてしまい、小舟に乗り、「綿津見神宮(わたつみのかみのみや)」に向かう。そこで、海神の娘、豊玉姫と結婚し、3年暮らす。その時、ふと初めのことを思い出し、地上に戻ることになる。そして、針を兄の海幸彦に返しながら、地上の支配者となる。妻の豊玉姫はその後地上にやってきて、子供を産み、その子孫が天皇家となる。

この話の骨子は、釣針を失い、それを求めて海神国に至り、取り戻す話で、南方のインドネシアやメラネシア方面から伝えられたと考えられている。
ここにあるのは、穀物の神と海の神の結合であり、穀物、とりわけ稲の豊穣を願う信仰だといえる。

そうした南方の説話が、隼人族によって九州南部に伝わり、記紀神話の中に取り入れられてたのだと言われている。

浦島伝承と山幸彦神話は、海中の宮殿で海神の娘と結ばれ、地上に戻るという基本的な構造では共通している。
しかし、浦島は神仙思想に基づき、山幸彦は穀物の豊穣を祈る。
その二系統の物語の中で、浦島物語の方がより日本人に親しまれているとしたら、その理由は決して神仙思想にあるのではく、物語の変形可能性にある。
時代による変遷を辿ることで、そのことが理解できるだろう。

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