ラ・フォンテーヌ 死の女神と死につつある男 La Fontaine « La Mort et le mourant » 2/2 心の平安を得るための教え

第1の教訓の最後に置かれているのは、人間には死に対する心の準備ができていないという指摘だった。としたら、続く物語は、心の準備を説くものになることが予想される。

その物語は、ロレンツォ・アステミオの寓話「死を遅らせようと望んだ老人」を語り直したものであることが知られている。
アステミオの寓話では、一人の老人が、死神に向かい、まだ遺言を書いていないし、その他の準備もできていないので、死を遅らせて欲しいと懇願する。それに対して、死神はこう応える。「もうすでに十分予告はしてきた。お前は、様々な人が死ぬ姿をたくさん見てきたはずだし、目や耳が衰え、体全体も弱ったのを感じているはずだ。それなのに予告がなかったと言うのか? さあ、もうこれ以上遅らせる必要はない。」
その物語の後ろに、「常に目の前に死を見ているように生きること」という教訓が付け加えられる。

ラ・フォンテーヌの寓話では、老人の姿がアステミオの老人よりもずっと具体的に描かれる。

Un mourant qui comptait plus de cent ans de vie,
Se plaignait à la Mort que précipitamment
Elle le contraignait de partir tout à l’heure,
           Sans qu’il eût fait son testament,
Sans l’avertir au moins. Est-il juste qu’on meure
Au pied levé ? dit-il : attendez quelque peu.
Ma femme ne veut pas que je parte sans elle ;
Il me reste à pourvoir un arrière-neveu ;
Souffrez qu’à mon logis j’ajoute encore une aile.
Que vous êtes pressante, ô Déesse cruelle ! (v. 20 – 29)

続きを読む

ラ・フォンテーヌ 死の女神と死につつある男 La Fontaine « La Mort et le mourant » 1/2 死を前にした賢者

「死の女神と死につつある男(la Mort et le mourant)」は、寓話としてとても特殊な形をしている。
寓話は、一般的には、「物語」と「教訓」からなり、物語が語られた後、教訓が付け加えられる。
その構造によって、読者はまず物語を楽しみ、次に教訓によって人生の生き方やものの考え方を学ぶ。

その構造は、ラ・フォンテーヌが寓話を作成した17世紀フランスの芸術観、「楽しみながら学ぶ」という原則と適合している。

それに対して、「死の女神と死につつある男」は、最初と最後に教訓が置かれ、その間に物語が挿入される。しかも、2つの教訓と物語にほぼ同じ行数が費やされている。
こうした例外的な構造は、何を意味しているのだろう?

物語の中心になるのは、死につつある男(un mourant)。彼は百歳を超えているのだが、死に対して、まだ遺書も準備していないし、死ぬのは早すぎると文句を言う。それに対して、死は、もう十分に予告してきたので、すぐに死へと向かうように勧告する。

この展開は、イタリア・ルネサンス期の人文主義者、ロレンツォ・アステミオの寓話「死を遅らせようと望んだ老人」を基にして語られたもの。その物語の最後に、「常に目の前に死を見ているように生きること」という簡潔な教訓が付けられていた。

その教訓に対して、60行の詩句からなる「死の女神と死につつある男」では、第1の教訓は19行、第2の教訓は10行ある。その結果、寓話全体がかなり理屈っぽいと感じられるものになっている。

その理由を探ることで、「死の女神と死につつある男」の独自性を明らかにするだけではなく、ラ・フォンテーヌの死生観をよりよく理解できるに違いない。

続きを読む

「新大陸」を前にしたラブレーとモンテーニュ

16世紀、「新大陸」が文学のテーマとして登場することがあった。
フランソワ・ラブレーは、『パンタグリュエル物語』(1532)において、巨人パンタグリュエルの口の内部を「新世界」に見立て、滑稽なエピソードを語った。
ミッシェル・ド・モンテーニュは『エセー』(1580)の「人食い人種について」の章で、ブラジルの原住民たちに関する風俗を取り上げ、文明論を展開した。

同じテーマに対する二人の作家のアプローチを比較することは、16世紀前半と後半の時代精神の違いを知ることにつながると同時に、ラブレーとモンテーニュをよりよく知るための方法にもなる。

そのための前提として、新世界を巡る当時の状況を手短に思い出しておこう。

中世末期、ルネサンス、近代初期にかけて、西洋の国々は大航海の時代を迎える。
最初はアフリカに向かい、アジアへ。さらには、アメリカ大陸へと進出した。1492年にクリストファー・コロンブスがアメリカを「発見」したと言われるのは、そうした海外進出の象徴的な出来事といえる。

日本に関していえば、1543年、種子島に火縄銃が伝えられ、1549年になるとイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが山口や大分でキリスト教の布教活動を行うなど、西欧との接触が始まった時期でもある。

続きを読む

モンテーニュ 全ては変化する 2/2 旅の思考と人生という旅の記録

モンテーニュの『エセー』は3巻107章から成る膨大な書物だが、テーマもバラバラだし、章の長さもバラバラで、一貫性があるようには思えない。
尾も頭もなく、どこで切っても、それぞれの断片が独自に存在しうるような印象を与える。(ボードレールが散文詩集『パリの憂鬱』に付した序文に記されているように。)

実際、『エセー』を先頭のページから順番に読む必要はないし、一つの章でさえ、気になる文に出会えば読書を止め、自分なりの考えや夢想にふけってもいい。
モンテーニュ自身、愛読書を横に置き、その時その時に思いついたことを書き綴ったに違いない。

そうした中で、『エセー』を貫く姿勢があるとしたら、全ては動き、変化するという認識であり、そのことは旅行に関する姿勢によっても象徴される。
「空しさについて」(III, 9)と題された章の中で、彼はこう言う。

私が旅行を計画するのは、旅先から戻ってくるためでもないし、旅をやり遂げるためでもない。動くのが気持ちがいいと感じる間、自分を動かしておこうとするだけである。

モンテーニュは、普段の生活の中でも、読書の際にも、様々な考察を書き綴る時にも、「動き」に身を任せる「旅の思考」に従っている。

続きを読む

モンテーニュ 全ては変化する 1/2 動く「私」を吟味(エセー)する

ミッシェル・ド・モンテーニュは16世紀後半、フランスが宗教戦争によって大混乱している時代、人間のあり方について新しい視点から考察した思想家。
彼の著作『エセー』は、ルネサンスの時代精神が変化し、調和した円が楕円へと形を変え始めた時代の精神を反映している。

円から楕円に。その変形は、芸術的な次元では、ルネサンス的美からバロック的な美への移行を表す。バロックとは「歪んだ真珠」の意。

Bernini, Le Rapt de Proserpine

建築でも絵画でも、視覚は永遠を捉えた静止を理想とするのではなく、躍動感を求め始める。対比が生まれ、明暗が強調され、感情表現が強く打ち出される。
音楽でも、調和を重視したポリフォニーから、感情を込めて歌詞を歌うモノフォニーに移行した。世俗的なシャンソンやマドリガーレだけではなく、宗教的なモテットでも、同様の傾向が見られるようになる。

ルネサンスにおいて「人間の価値」が発見され、その価値は理想像として表現された。ラブレーの「テレームの僧院」に見られるユートピアがその例といえる。
バロックの時代には、刻々と過ぎ去る時間の中の人間と世界の動きに焦点が当てられる。

そうしたバロックへの移行が始まりつるある時代、モンテーニュは、彼自身を実験材料に使い、「人間の変わりやすさ」が引き起こす様々な現象を考察し、思いついたことを書き記した。『エセー』はその記録だといえる。

テーマは多岐に渡る。悲しみ、噓、恐怖、幸福、友情、想像力、節制、教育、異文化(新大陸)、運命、孤独、睡眠、言葉の虚しさ、匂い、祈り、年齢、酩酊、良心、親子の愛情、虚栄心、信仰、怒り、後悔、人相、経験、等々。

「私は存在(être)を描かない。私は移り変わり(passage)を描く。」というモンテーニュが、こうした諸問題について行った考察は、21世紀の読者にとっても大変に魅力的だ。
彼は答えを教えてくれるのではない。読者が自分で考えるように導いてくれる。

続きを読む

モンテーニュ 子供の教育について Montaigne De l’Institution des enfants 判断力を養う

モンテーニュ(Montaigne)は『エセー(Essais)』の中で、「子供の教育について(De l’Institution des enfants)」という章を設け、教育の目的が、「判断力(jugement)」を養うことであると述べる。
子供に悪いものを見せないのではなく、いいものと悪いものを前にした時、いいものを選択する判断ができる能力を養うこと。

教師は、子供を導く者(conducteur)であり、「一杯につまった頭より、よく出来た頭(plutôt la tête bien faite que bien pleine)」の人間である必要がある。
では、よく出来た頭とは、どんな頭なのか?
モンテーニュの語る「蜜蜂の比喩」はその回答を教えてくれる。

続きを読む

モンテーニュ 「読者へ」 Michel de Montaigne Au lecteur 自己を語る試み

1580年、モンテーニュは、『エセー(Essais)』の最初に「読者へ(Au lecteur)」と題した前書きを付け、自分について語ることが16世紀にどのような意味を持っていたのか、私たちに垣間見させてくれる。

現在であれば、自己を語ることはごく当たり前であり、日本には私小説というジャンルさえある。
それに対して、モンテーニュは、自己を語ることの無意味さを強調する。
そして、彼が書いたことは彼自身のことなので、他人が読んでも時間の無駄だと、読者に向かって語り掛ける。

出だしから、読むなと言われれば、読者は当然読みたくなる。
次の時代のパスカルも、18世紀のルソーもモンテーニュの熱心な読者だし、現代のフランスでも読者の数は多い。

16世紀のフランス語は現在のフランス語とはかなり異なっているので、多少綴り字などを現代的にしたテクストで、「読者へ」を読んで見よう。

続きを読む