ルドンの目は何を見るのか Œil de Redon

オディロン・ルドンは1840年に生まれ、19世紀の後半から20世紀の前半にかけて活動した画家。
彼の絵画は、平面的で単純化された物の形を、幻想的で神秘的な線や色彩で描き出し、暗示的、象徴的な雰囲気を漂わせている。

彼の絵画の中で、とりわけ面白いのが目をテーマにしたもの。
普通、目は現実のものを見る。しかし、ルドンの目は、見えないものが見えるようだ。

最初期の作品にこんな絵がある。目? 気球?

Odilon Redon, L’œil comme un ballon bizarre se dirige vers l’Infini

現実であれば目か気球のどちらかだが、ルドンの目には両方に見えるのだろう。
この版画の題名は、「目は、奇妙な気球のように、無限に向かう(L’œil comme un ballon bizarre se dirige vers l’Infini)」。
この目は、「無限(l’infini)」を見ている。無限とは、終わる(fini)ことのない果て。

「笑う蜘蛛」も同じ。

その絵に関しては、『さかしま』という小説の中で、ユイスマンスが、「身体の中心に人間の顔を宿す驚くべき蜘蛛」」と書いている。

フローベルの『聖アントワーヌの誘惑』につけた挿絵も、平面化、単純化され、神秘的かつ象徴的。

ルドンの代表作の一つは、閉じた目をしている。

Odilon Redon, Les Yeux clos

目を開いていたら、現実しか見えない。
目を閉じているからこそ、見えない世界を見ることができる。

もう一つの代表作は、ギリシア神話に出てくる一つ目の巨人、キュクロープス。

Odilon Redon, Le Cyclope

ルドンの一つ目は、手前に横たわっているニンフを、やさしく見つめている。

ゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」を思い出すと、二人の巨人の違いがはっきりとわかる。

Goya, Saturne dévorant un de ses fils

ゴヤの巨人は二つの目を見開き、我が子の一人をがつがつと食べている。

ルドンの巨人の目は一つ。そこには描かれていない不在の目が、暴力や性に満ちあふれた世界とは違う、もう一つの世界を見ているのだろう。

ルドンの描くこれらの目を通して、私たちは「無限(l’infini)」を垣間見ることができるような気がしてくる。

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