
喫茶の習慣は、禅僧の栄西(1141-1215)によって中国から日本にもたらされ、最初は薬効のためにお茶が飲まれた。
その後、室町時代になると、一休和尚を経て、珠光(1422あるいは1430-1502)が、茶道(佗茶)を創始したと言われている。
このような歴史を顧みると、茶道が禅の教えと深く関係していることがよくわかる。
その両者に共通しているのは、人間が生きている上で背負っている様々な過剰物を「単純化」し、生の根源に至ることだといえる。
禅では知的な思考を離れ、直感によって生の実在そのものに到達しようとする。
茶道では、質素な小室(茶室)に客人を迎え入れ、世俗的な違いを廃し、主客の心の交わりを実現することを目指す。
茶室の限られた空間は、禅的な表現で言えば、「本住地」あるいは「父母未生以前本来面目」を、現実の一瞬に実現する場とすることを理想としている。
茶道は無の美学に基づく総合芸術と見做すことができる。

小さな茶室、その横の小さな庭(露地)、簡潔な造りの棚、床の間に置かれた一輪の生け花、水墨画の掛け軸、どこかかけた部分のある茶碗等々、洗練されているが、その最も基本的な精神は、不要な豪華さを取り除いた質素さにある。
茶道の形式化された作法は厳格で格式張っているように思われる。しかし本来は、日常生活の中で行う不要な行為を単純化し、簡素した身振りの「型」である。
そうした作法は、茶道を通して流れる精神「和、敬、清、寂」の表現であり、形を媒介として精神を伝える役割を果たしている。
従って、作法を守ることが茶道本来の姿ではなく、手段の一部であることを意識しておくことは、茶道を知る上で重要なことである。
禅でいうところの「本住地」を現前化させるために、茶道は人間の五感に働きかけ、五感を超えた生の実在へと導くことを理想とする。美が働くのはその時である。
茶碗、掛け軸、生け花、飾り棚等は、どれも目を楽しませる。
それらは決して豪華で派手なものではなく、簡素で、色彩が押さえられ、どこか欠けたものがあるように思われる。その「空」が、現実を超えたものへと精神を誘う。


お茶そのものは、味覚と同時に臭覚を楽しませる。
臭覚は、香合のお香によっても刺激される。
耳は、湯釜のお湯の音、お茶を点てる際に使われる茶杓や茶筅の繊細な音によって刺激され、お茶の味覚と臭覚の予告をされる。
手は茶器に触れ、正座した足や姿勢を正した身体全体が、茶室全体の美に対応する。
このように五感を通して美の体験をすることで、日常生活の中での五感の汚れを洗い流し、清浄の境地に至る。
江戸時代に書かれた武士道の書『葉隠』には以下のような一節がある。
茶の湯の本意は、六根を清くするためなり。眼に掛け物・生花を見、鼻に香をかぎ、耳に湯音を聴き、口に茶を味ひ、手足格を正し、五根清浄なる時、意自ずから清浄なり。畢竟、意を清くする所なり。
「意自ずから清浄」の境地は、余剰物をそぎ落とし、単純化し、簡素な美の中に出現する。
茶道の創始者とされる珠光は、「心の師の文」の中で、次のように記していた。
枯るるということは、よき道具をもち、その味わいをよく知りて、心の下地によりてたけくらみて、後まで冷え痩せてこそ、面白くあるべきなり。
こうした茶道の中で表現される枯れた美の表現の典型が、「さび」と「わび」である。
「さび」とは、仏典では死や涅槃を意味するというが、静寂や平穏を連想させる事物や具体的な状況を指す。
完璧ではなく、どこか欠けたものがあり、寂しげな様子をし、それだからこそ魅力を増し、人の心を惹きつける。
「わび」は、個々の物を指すよりも、不完全ゆえの美を引き起こす状況といってもいい。
見た目には特に際立ったものでなく、むしろ貧しく、みすぼらしく見えるところに、完全に見える美を超える美を感じる美意識。
豊富さからは決して感じられない、淋しく、侘しい美。
その美は、欠乏が暗示する「空」が「本所地」であり、それが究極の美の在所であることに由来する。
鈴木大拙は茶と禅の関係について、こう言う。
茶の湯が原始的単純性の美的観賞であること、換言すれば、茶は人間の生存が許し得るところまで自然に還って、自然と一つになりたいという、我々の心奥に感じる憧憬の美的表現である。(『禅と日本文化』)
ここで言う自然とは、無であり、本住地であり、生の根源である。
茶の湯は、その根源への憧憬を地上で一瞬の間だけ実現することを目指した、美的総合芸術にほかならない。


豊臣秀吉によって重用された千利休(1522-1591)によって、佗茶は完成の域に達したと言われている。
秀吉の時代は、桃山時代の「かざり」の文化が花開いた時代であり、その中で茶道も華美に傾いた部分があるかもしれない。
しかし、その精神はあくまでも簡素で、詫びたものに留まったと考えた方がいいだろう。
利休が秀吉を茶会に招いたとき、庭に見事に咲いていた朝顔を全て切り取り、一輪だけを茶室の床の間に活けていた、という有名な逸話がある。
多を一にすることで、「わび」の美学を実現したのである。
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