
日本的感性は、文献が残る奈良時代以来、はかなく、束の間の存在に美を見出してきた。平安時代には、もののあわれという美的感性も誕生する。
他方で、禅宗が本格的に日本に受容されたのは、13世紀の鎌倉時代であり、南北朝や室町時代にいたって世俗化する。
その過程で、諸行無常の感覚と禅的な無が結びつき、様々な形で具体化した。
14世紀以降、禅宗の寺院建築と石庭、枯山水が盛んに作られるようになる。
その内部に飾られるのは、水墨画、山水画、詩画軸。
能は、世阿弥によって飛躍的な発展を遂げ、舞台、能面、衣裳等も含め、総合芸術へと発展する。
佗び茶も総合芸術だ。茶室、掛け軸、陶器、生け花、そして会話術が一体となり、美の美学を生きたものとした。
禅的な無が明確に受容される以前にも、この世のはかなさは強く意識され、そこに美を見出す感性が作り出されていたことを確認しておこう。
13世紀の初頭に出版された『新古今和歌集』に収められた藤原定家の一句。
見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮
秋の夕暮れ、花も紅葉も枯れてしまい、今はない。
何もない海辺に、屋根を苫(とま)で拭いた粗末な小屋だけが、ぽつんと立っている。
そうした侘しい光景に心を動される。
この定家の一句は、この世の儚さに美を感じる感性を、見事に表現している。
実は、この歌は、『源氏物語』の「明石」の一文を典拠としている。

なかなか、春秋の紅葉の盛りなるよりは、ただそこはかとなう茂れる陰どもなまめかしきに
(春秋の花や紅葉が盛りの時よりも、ただ何気なく茂っている草の蔭などの方が美しく感じる。)
「もののあわれ」の美が、平安時代に成立していたことを、「明石」のこの一節は教えてくれる。
13世紀の初頭、禅の教え(臨済宗)が栄西(1141-1215)によって伝えられる。栄西の書いた『喫茶養生記』はお茶の効用を説き、日本における茶道の始まりとも言われている。
その茶道を佗び茶として完成させたのが、千利休(1522−1591)。
利休と秀吉の「一輪の朝顔」のエピソードは、茶の湯の精神をよく伝えている。

ある時、庭に咲き誇る朝顔が見事なので、利休は秀吉を茶会に誘い、秀吉は朝顔の見事さに期待してやって来る。しかし、庭の朝顔は全て花を切られてしまっている。そして、一輪だけ、茶室に活けられている。
その一輪が茶室を見事に飾り、佗び茶の精神を表現した。
それを見た秀吉は、利休の茶の湯の美学に感心したという。
咲き誇る数多くの朝顔とポツンと一本活けられた朝顔の対比が、禅的な無の美学を伝えていると考えてもいいだろう。
建造物で言えば、例えば、円覚寺の舎利殿。

茶室。

庭園では、竜安寺の石庭。

絵画では、周文の水墨画。

能の舞台と能面。


日本的な無の感性が生みだした様々な美の形をたどる旅は、楽しいに違いない。
禅寺と枯山水
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能と幽玄の美
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茶の湯と「本住地」
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水墨画と余白の美
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関連項目
日本の伝統的絵画の画法
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クローデルと日本の美
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