無の美学 水墨画と余白の美

水墨画は、13世紀以降、禅宗の教えと共に日本にもたらされ、室町時代に大きな発展を見た。

水墨画の本質は、墨のみで「造花の真」を捉えることであり、知性的な分析を排して直感によって生の実在に至る禅の精神と対応しているといえる。
色彩を排し、物の本質に即した省略を行うことで、対象の直截的な把握を目指した。

最初に、宋本国以上に日本で人気を博した南宋の画家、牧谿(もっけい)の「叭々鳥(ははちょう)図」と、可翁(かおう)の「竹雀(ちくじゃく)図」を見ておこう。

牧谿 叭々鳥図
可翁 竹雀図

二つの絵画の微妙な違いの中に、日本的な水墨画の特色を感じることができるかもしれない。

南宋の水墨画

南宋の画家の中で最も評価が高かったのは、馬遠(ばえん)と夏珪(かけい)とだった。
馬遠の一角、夏珪の一辺と言われ、画布に余白を残し、その余白に余情を感じさせる画風を確立した。水墨画独自の美である。

馬遠 洞山渡水図
夏珪 渓山清遠図(部分)

牧谿の水墨画は室町時代に最も日本で愛好されたと言われている。
「漁村夕照図」は、山が連なる景観を左に寄せ、全体を表さずに余情を残す「残山剰水(ざんざんじょうすい)」という手法が用いられた、美しい一例である。

牧谿 漁村夕照図

中央に観音様が置かれ、その両横には鶴と猿が配された「観音猿鶴図」。観音には「道有」の印、鳥と動物には「天山」の印が捺され、宗教的な絵画であることがわかる。

牧谿 観音猿鶴図

白衣の観音が座る岩窟、今にも鳴こうとしている鶴の竹林、母子の猿が遊ぶ古い木の枝。岩山や背後にかかる靄、湿潤な大気の動き、光の明暗。それらが全てが、墨の濃淡やぼかしによって、見事に表現されている。

日本の水墨画は、こうした南宋の水墨画を規範としながら、微妙な違いを示している。

日本における受容と発展

水墨画は禅宗と深い関連を持っているが、その関連には濃淡がある。
高僧の肖像である「項相」や禅宗の教義に即した「道釈」は、宗教画的な側面が強い。
一方、「山水画」や「花鳥画」になると、禅的精神は保ちながら、観賞用という側面が大きくなる。

まず、「項相」を見ていこう。

牧谿の再来と言われた黙庵(もくあん)の「布袋(ほてい)図」。
布袋は、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の生まれ変わりといわれ、しばしば乞食坊主の姿で描かれた。

黙庵 布袋図

太鼓腹は布袋の本性を示し、衣とともに、潤いのある太い筆触によって、やわらかな描線で描かれている。僧の前に投げ出されたズタ袋と杖は細い線で描かれているが、杖は濃い墨が一直線で力強い。布袋のにこやかな顔と、天を指す人差し指のタッチは軽快で、地上の悩みに患わせられない布袋様に相応しい。

黙庵と並んで牧谿風でありながら、そこに機知の精神を込めた可翁(かおう)には、「蜆子和尚(けんすおしょう)図」がある。

可翁 蜆子和尚図

蜆子和尚は唐代末の禅僧。一定の住まいを持たず放浪し、常に同じ袈裟を着て、エビやシジミを取って食べ、夜は神祠の中に寝たと言われている。
目や鼻、手やその先に描かれたエビは鋭い線で描かれ、腰から垂れた紐を太い線にして、濃淡のアクセントが付けられている。また、崖にぶらさがる蔦はたっぷりとして緩やかなラインが使われていて、和尚の描き方とコントラストが付けられている。

詫間栄賀は、黙庵や可翁のように禅僧ではなく、伝統的な絵仏師であるが、彼も「項相」を描いている。
彼が描く普賢菩薩(ふけんぼさつ)は、地上にうずくまる白い像の上にまたがりっているが、仏の理想像というよりも、あどけない童子の姿をしている。

詫磨栄賀 普賢菩薩

禅の教えを視覚化した「道釈画」の代表作は、如拙(じょせつ)の「瓢鮎(ひょうねん)図」だろう。瓢箪でナマズを捕まえることができるかという、禅の「公案」を表している。

如拙 瓢鮎図(水墨画部分)

前景には川を泳ぐナマズと、瓢箪を手に持つ男が描かれている。男の手は瓢箪をしっかりと掴んでいるようには見えず、危なっかしい。
後景に描かれた山々は右奥だけ。左側には大きな余白が残され、「残山剰水」「辺角の景」と呼ばれる画法が使われていることがわかる。

宗教と直截的な関係を持った画題から山水、花鳥への移行の中間点として、山中に書斎を描いた「書斎図」をあげることができるだろう。
山中の書斎は、俗世間を離れ、山間の渓谷に隠棲する精神を表している。

その代表作の一つは、周文(しゅうぶん)の「竹斎読書図」だろう。

周文 竹斎読書図

画面の中央に巨大な岩と松があり、その右横にひっそりと書斎が置かれている。読書人は室内にあり、橋を渡って訪れる客人が下の墨に小さく描かれる。
その一方で、右上には険しい渓谷がそびえ立ち、左は空間がそのまま残され、余白の余情を伝えている。

明兆(みんちょう)の「渓陰小築図」も素晴らしい。

明兆 渓陰小築図

中央に配された書斎の室内には誰も描かれず、空のままで残されている。
背景の中央には奇嶺が靄に霞み、中景から前景への流れる水は穏やか。
木々が風に揺られることなく、雨雲が立ち篭め、透明感のない薄い墨で描かれた全体が、不思議な静寂感を生みだしている。

こうした隠者的な心持ちを表現する書斎図から、風景により焦点が当たった水墨画が出てくる。

周文 四季山水図屏風(右)

左下に小さく庵が見えるが、画面の大部分は風景画で占められている。
右手にそびえる切り立った山の連なり、左手の山々はそれより少し遠くにあり、それらの間にあるとんがりをもつ山が、さらに奥に見える。手前の庵の後ろに広がる広大な空間には霞がかかり、神秘的な雰囲気を醸し出している。
この水墨画から、絵の主題が書斎から、山や岩、松など自然の景色に移行したことを見てとることができる。

愚渓(ぐけい)の「雨中山水図」。

愚渓 雨中山水図

遠景は、薄い墨を一気に掃いて大まかな形を描き、そこに濃い墨を点じ、渓谷や山の趣が表現されている。
中景には、木々と小さな家ややや濃い墨で描かれ、さらに吹き墨によって雨に煙る様子が表される。
近景には、棹を手にする舟人が渓流に浮かぶ姿が細い線によって描かれ、遠景と対象をなしている。

相阿弥の四季山水画になると、書斎も人間もまったく描かれず、薄い墨で描き出される山水の風景だけになる。

相阿弥 四季山水画(瀟湘八景)

日本最古の水墨花鳥図と言われる、能阿弥の「花鳥図屏風」。

能阿弥 花鳥図屏風

中央を流れる清流に様々な鳥が集まっている。右の端には、叭々鳥(ははちょう)が寄り添うように羽を休める姿が、やや濃い墨で描かれ、中央を舞うように飛ぶ鶴は白い。
松、蓮、枯木、竹といった木や植物は、どれも薄い墨で、おぼろげな雰囲気を醸し出している。

山水図から鳥や花だけが取り出されることもある。
鉄舟の「葦雁(ろがん)図」は、水辺に留まる群と、空中に飛び立った6羽の雁の対比が見事。葦の繊細なタッチもリアルで、墨の諧調が素晴らしい。

鉄舟 芦雁図

太虚元寿の「岩上鶺鴒(がんじょうせきれい)図」では、枝にとまる一羽のセキレイが、線の太さと墨の濃淡だけで、見事に表現されている。

太虚元寿 岩上鶺鴒図

鷺一羽を描いた1枚。

単庵智伝 五位鷺図

単庵智伝が描いた「五位鷺図」では、墨だけで、これほど生き生きとした鷺の表情を描き出している。

室町時代を通して、中国伝来の水墨画が日本の中で受容され発展していった様子を、これらの傑作から見て取ることが出来るだろう。

大和絵との融合

1467年の応仁の乱を経て、戦国時代に入ると、水墨画の表現はこれまでよりもエネルギー感を増し、厳しい線のラインが力強いリアリスムを感じさせる。
その代表的な画家が、雪舟であり、雪村である。

雪舟 秋冬山水図」(冬景図)
雪村 夏冬山水図(冬)

雪村の鳥の絵を、先に見た単庵智伝のものと比較すると、その違いが一目瞭然となる。

雪村 松鷹図

剣豪として有名な宮本武蔵も、三国時代の最後を飾る水墨画を描いている。

宮本二天(宮本武蔵) 鵜図

また、やまと絵との融合が始まり、例えば、能阿弥の「三保松原図」は、伝統的な名所絵を墨で描いたものと見ることもできる。

能阿弥 三保松原図

その一方で、墨絵に彩色を施す試みも始まったことは、狩野元信の「四季花鳥図」等によっても示される。

狩野元信《四季花鳥図》(春夏)

一人の画家が、大和絵系の彩色を施した絵と水墨画の二つを描くようにもなる。
日本の絵画界の中で中心を占めることになる狩野派の一人、狩野元信には、豪華絢爛な「」もある。

狩野元信 四季花鳥図屏風(左)

長谷川等伯は、水墨画を学ぶと同時に、狩野永徳にも学び、独自の画風を作り挙げた。

長谷川等伯 楓図
長谷川等伯 松林図(右)

このようにして、水墨画はそれ自体として存在しながら、同時に、大和絵とも融合し、日本の美の中に組み込まれていった。

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