ヴェルレーヌ 「秋の歌」 Verlaine « Chanson d’automne » 物憂い悲しみ

日本におけるヴェルレーヌのイメージは、上田敏による「落葉」の翻訳によって決定付けられているといってもいいだろう。その翻訳は、上田敏作の詩と言っていいほどの出来栄えを示している。

秋の日の/ヰ゛オロンの/ためいきの/身にしみて/ひたぶるに/うら悲し。
鐘のおとに/胸ふたぎ/色かへて/涙ぐむ/過ぎし日の/おもひでや。
げにわれは/うらぶれて/ここかしこ/さだめなく/とび散らふ/落葉かな。

この翻訳の素晴らしさが、日本における「秋の歌」の人気の秘密であることは間違いない。しかしそれと同時に、ヴェルレーヌの詩が、『古今和歌集』の詠人知らずの和歌のように、「もののあわれ」を感じさせることも、人気の理由の一つではないだろうか。

秋風に  あへず散りぬる  もみぢ葉の  ゆくへさだめぬ  我ぞかなしき 

フランス語を少しでもかじったことがあると、これほど素晴らしい詩がフランス語ではどうなっているのだろうと興味を持つことだろう。
もちろん、ヴェルレーヌの詩も素晴らしい。

最初に音から入っていこう。
ジョルジュ・ブラサンスの歌声は、« Chanson d’automne »の持つ穏やかなメランコリーを的確に表現している。

韻文詩の基本は、音節の数と韻。
上田敏の「秋の歌」だと、5音節(「あきのひの」)の詩句が連なっている。
ヴェルレーヌの題名Chan/son/ d’au/tomneは4音節。
詩句は、4/4/3音節の3行の詩句。
それが二つで、一つの詩節を構成する。

第1詩節

Les sanglots longs
Des violons
De l’automne
Blessent mon cœur
D’une langueur
Monotone.

長いすすり泣き/ヴァイオリンの/秋の、という最初の3行が主語。
私の心を傷つける/物憂く/単調な

最初の3行で特徴的なのは、 [ l ]の音が何度も出てくること。Les, sangLots, Longs, vioLons, L’automne.
流音の [ l ]は、傷つける(bLessent)、物憂さ(Langueur)へと引き継がれ、この詩の中核をなす言葉全てを繋いでいることが、耳を通して感じられる。

その一方で、[ o ]と[ on ]が、通奏低音のように詩句を支えている。
sanglOts, lONgs, viOlONs, l’AUtOmne, mON, mOnOtOne.
[ on ]は最初の平韻 – lONgs – violONs – を形作り、次の抱擁韻 – autOmne – monotOne の[ o ]へと引き継がれる。

こうした音的な工夫の素晴らしさは、詩句を口に出してみると、口が感じてくれる。詩は身体的な喜びをもたらすものであることがよくわかる。

その上で、意味的には、 [ l ]の音が、blessent(傷つける)からlangueur(物憂さ)へと一気に流れ、ヴェルレーヌ特有の、穏やかなメランコリーの世界へと読者を導いていく。

第2詩節

Tout suffocant
Et blême, quand
Sonne l’heure,
Je me souviens
Des jours anciens
Et je pleure ;

ひどく息苦しく/青ざめている、その時/鐘が鳴る。
私は思い出す/昔の日々を/そして涙する。

[ I ]も[ o ]も第一詩節のように反復されることはないが、流音の[ l ]は、blème(青白い)だけではなく、l’heure(時間)とpleure(鳴く)の中に含まれ、流れ去っていく時間の中で過去を思い出すことが、涙を流すことに繋がることが、音で示されている。

 第一詩節では、私の心がメランコリックになる理由は秋の風の音だったが、第2詩節になると、過去の日々の思い出がその原因であることがわかってくる。
音的にも、souviens(思い出す)とanciens(古い)が韻を踏み、「束の間の現在」に対する「不動の過去」という塊が感じられる。

この現在と過去の対比は、アポリネールの「ミラボー橋」の中でも言及される。あの有名なリフレインを思いだそう。

Vienne la nuit sonne l’heure   夜よ来い 時よ鳴れ
Les jours s’en vont je demeure  日々は過ぎ 私は留まる

https://bohemegalante.com/2019/03/08/apollinaire-pont-mirabeau/2/

言い方を変えると、アポリネールはこのリフレインで、ヴェルレーヌにウインクし、「時は去っていくけれど、ぼくは残るからね」と言っているようでもある。

第3詩節

Et je m’en vais
Au vent mauvais
Qui m’emporte
Deçà, delà,
Pareil à la
Feuille morte.

わたしは去る/悪い風に吹かれて/私を運ぶ
あちらこちらに/似て/枯葉に

第1詩節では通奏低音だった[ o ]の音が、第3詩節では、mauvais(悪い)、emporte(運ぶ)、morte(死ぬ)の中で響き、枯葉のように風に吹かれてあちこちに飛ばされる、儚い「私」の定めを印象付ける。

Deça, delàの音の響きは、あちら、こちらと吹き飛ばされる様子を、見事に表現する。

そして、最後に、過ぎ去る時間の中を生きる「私」の姿が、枯葉に例えられる。

風が私を運ぶときには、鼻母音の[ en ]が、 ventとm’emporteを音で繋ぐ。
私が枯葉に似ていると言うときには、[ il ]の音がpareilとfeuilleを繋ぐ。
意味と音の見事なハーモニー!

秋の淋しげな風景が「私」の心持ちとつながり、特別な原因はなくても、物憂い気分になる。
ヴェルレーヌの「秋の歌」は、そうした穏やかなメランコリーを、言葉の音楽性を通して見事に表現している。

レオ・フェレが歌う「秋の歌」だとメランコリーが消え、一人ではなく、恋人と二人で風に吹かれている感じがする。

歌を聴くのもいいが、朗読を聞き音を確認しながら、自分で口に出して詩を味わうのが最もいいだろう。

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