第二部では、目的のない旅が、現実と理想の狭間にあり、深淵に呑み込まれる危険を含んだものであることが示される。
II
Nous imitons, horreur ! la toupie et la boule
Dans leur valse et leurs bonds ; même dans nos sommeils
La Curiosité nous tourmente et nous roule,
Comme un Ange cruel qui fouette des soleils.

私たちは模倣する、なんと恐ろしいことか! 独楽や鞠が
ワルツを踊り、飛び跳ねるのを。夢の中でさえ、
「好奇心」が私たちを苦しめ、転がす、
残酷な天使が、太陽たちをむち打つように。
どこといって向かう先があるわけではなく、ただ出発することだけが目的であるとき、旅はたとえ先に進むように見えても、同じ輪の中を回転しているだけになる。独楽や鞠がその場で回転し、跳ねているように。
そうした無目的の中でも、何かを求め、知りたいと思う好奇心が働き、動き続けることになる。
Singulière fortune où le but se déplace,
Et, n’étant nulle part, peut être n’importe où !
Où l’homme, dont jamais l’espérance n’est lasse,
Pour trouver le repos court toujours comme un fou !
何と独特の運命なのだろう! 目的地が移動する、
どこでもないところであったり、どこでもいいところに。
そこで、人間は、決して希望に飽きることになく、
休息を見出すために、常に走り続ける。狂人のように。
無目的の旅の中では、目的地は絶えず変更され、どこかに向かっているようでいながら、どこにも向かっていない。目的にはどこにもなく、あるいはどこでもいいというのは、要するに無目的に進むということである。
ボードレール的旅人は、その動きを止めることなく、希望を抱き、走りつつける。しかも、それは休息を求めてのことだという。
従って、その旅は矛盾に満ちたものといえる。
Notre âme est un trois-mâts cherchant son Icarie ;
Une voix retentit sur le pont : « Ouvre l’œil ! »
Une voix de la hune, ardente et folle, crie .
« Amour… gloire… bonheur ! » Enfer ! c’est un écueil !
私たちの魂は、理想の国イカリを探す帆船だ。
甲板で声がする。「目を見開け!」
マストの上からも、情熱的で狂おしい声が、叫ぶ。
「愛。。。栄光。。。幸福!」 地獄よ! それは暗礁だ!

イカリは、ユートピア的社会主義者エチエンヌ・カベ(1788−1856)が理想の町に付けた名前。ここでは、魂は理想を求めていることが明かされる。
その理想に到達するためには、よく見ることが必要であり、求めているのは、愛と栄光と幸福。
他方で、海に突然現れる暗礁もあり、舟を難破させる可能性もある。それは地獄への入り口。
Chaque îlot signalé par l’homme de vigie
Est un Eldorado promis par le Destin ;
L’Imagination qui dresse son orgie
Ne trouve qu’un récif aux clartés du matin.
見張り番の告げる一つ一つの島が
運命によって約束された黄金郷エルドラド。
「想像力」が大饗宴を催し、
見出すのは、曙に照らされた暗礁のみ。

黄金に満ちたエルドラドは、運命によって見つかることが定められている。そして、舟から見える島の一つ一つがそのエルドラドだという。
しかし、そうした島は、想像力が生みだしたものであり、実は地獄に続く暗礁なのかもしれない。
どこにも向かわない旅の目的が、ユートピア探求の旅であるとしたら、そこには破滅への行程が含まれる可能性がある。
としたら、出航は危険な賭となる。
Ô le Pauvre amoureux des pays chimériques !
Faut-il le mettre aux fers, le jeter à la mer,
Ce matelot ivrogne, inventeur d’Amériques
Dont le mirage rend le gouffre plus amer ?
おお、奇想の国々を愛する哀れな者よ!
彼を鎖につなぎ、海に投げ込まなければならないのか?
酔っ払った船乗り、アメリカを発明した者、
幻影が深淵をますます苦々しいものにする者を。
奇想の国を愛する者は、第一詩節で歌われた、地図と版画を愛する子ども(l’enfant amoureux de cartes et de gravures)の大人になった姿だろう。
彼は、シメール(幻想)に酔い、新しい大陸を発見あるいは発明する。
そうした幻が、現実を全て呑み込んでしまう深淵を、不快なものとする。

「深淵(gouffre)」という言葉はボードレールの用いる言葉の中でも最も重要なものの一つであり、「無限(l’infini)」と同様に、全てを呑み込む地獄でありながら、同時に全ての起源となる生の源泉と考えてもいいだろう。
「旅」の第7部では、深淵は、「地獄でも天国でも、どちらでもいい(Enfer ou Ciel, qu’importe)」と言われる。
ここでは、これまで「私たち」を主語にしてきた詩人が、旅人を客観的に眺め、3人称で代用し、彼の旅を押し止めなければならないのかと自問する。
旅立たなければ、深淵に落ち込むことはない。
Tel le vieux vagabond, piétinant dans la boue,
Rêve, le nez en l’air, de brillants paradis ;
Son oeil ensorcelé découvre une Capoue
Partout où la chandelle illumine un taudis.
それが、年老いた放浪者の姿だ。泥の中で足を踏み、
顔を上に向け、輝かしい楽園を夢見る。
彼の目は魔法にかかり、カプアの町を発見する、
蝋燭の光があばら屋を照らす至るところに。
しかし、地図や版画を愛していた子どもは旅を続け、老人になる。放浪を続け、現実という悪所で、楽園を夢見続ける。
彼が足踏みをする泥と、輝かしい楽園の対比。彼の目は幻惑され続け、あばら屋を美しいカプアの町とみなす。
子ども時代に地図を照らしていたランプの光が、放浪者の目のあばら屋を照らし、彼は現実から夢へと向かう宿命なのだ。