ラシーヌ 『フェードル』 Racine Phèdre 理性と情念の間で 2/3

第2幕、第5場は、フェードルがイポリットに自分の愛を明かす場面。
義理の親子の関係にあるために、直接愛を告げることはできない。そこで、フェードルは、夫テーセウス(thésée)に対する愛を語りながら、そこにイポリットへの想いを重ね合わせていく。

幸い、パロリック・シェロー演出の上演がyoutubeにアップされている。
そこでは、フェードルの苦しみが激しく、しかも美しく描かれている。
素晴らしい芝居なので、何度見ても飽きることがない。

フェードルが語る夫への愛の言葉を聞いたイポリットは、それが自分に向けられていることがわかっていても、あえて言葉の意味をそのまま捉える振りをして、次の様に言う。

          HIPPOLYTE.

Je vois de votre amour // l’effet prodigieux :
Tout mort qu’il est, / Thésée // est présent à vos yeux ;
Toujours de son amour // votre âme est embrasée.

          イポリット

私にはわかります、あなたの愛がどんなに素晴らしい結果をもたらしたのか。
たとえ亡くなったとしても、テーセウス王は、あなたの目の前にいるのです。
ずっと、王への愛で、あなたの魂は燃えています。

イポリットの言葉は、フェードルの愛から身をかわすようでいて、実は、愛をさらに燃え上がらせる効果を持っている。

テーセウス(Thésée)に関して、「たとえ彼が死んでいるとしても(tout mort qu’il est)」、フェードルの目には彼の姿が見えている(présent à vous yeux)と言うのだが、彼女の目の前にいるのは、イポリット自身なのだ。
とすれば、フェードルの愛(amour)が彼に向けられていることを、イポリットは知っていることになる。

驚くべき効果(effet prodigieux)をもたらし、魂がずっと燃え(embrasée)続けている愛が向けられている対象は、イポリット自身。彼はそれを知っている。
それだからこそ、その愛が父であるテーセウスに向けられなければならないと、義理の母に対して暗にほのめかす。

そのために、amourという言葉の使い方に工夫を凝らす。
votre amourのvotreはフェードル。つまり、votreはamourの主体。
son amourのsonはテーセウス(Thésée)。sonはamourの対象。
フォードル(主体)が愛するのはテーセウス(対象)。そうでなければならない。
リズムによってもテーセウスを強調する。
このセリフの2行目は、6/6のリズムの中で、最初の6音を4(tout mort qu’il est)/2(Thésée)に分ける。
そして、意味的に、Théséeを次の6音節(est présent à vos yeux)と繋げることで、Théséeが浮かび上がるようになっている。

フェードルも、こうしたイポリットの二重の意味を含んだ言葉を十分に理解している。
そこで、もう一歩踏み込んでしまう。

PHÈDRE.

Oui, prince, je languis,// je brûle pour Thésée :
Je l’aime, / non point tel // que l’ont vu les enfers,
Volage adorateur // de mille objets divers,
Qui va du dieu des morts // déshonorer la couche ;

       フェードル

そうです、王子よ、私は恋い焦がれています。テーセウス王のために燃えています。
あの方を愛しています。でも、地獄に下った時の彼ではありません。
数多くの雑多な対象を移り気に愛し、
死者たちの神の床を汚そうとする彼ではありません。

フェードルは、恋い焦がれる(languir)、燃える(brûler)、愛する(aimer)と、自分の愛を様々に表現し、その愛の対象はテーセウスだと言う。

しかし、その後から、地獄へ下っていった英雄としてのテーセウスではないと付け加える。
(地獄が彼を見た(les enfers l’ont vu)というように、地獄を主語にし、目的語を人間にすることは、フランス語ではよくある。)

英雄テーセウスは、ミノス島での怪物ミノタウロス退治の他にも数多くの冒険を行い、アリアドネ、アンティオペー、ヘレネー、ペルセポネーなど、多くの女性と関係を持つ。
ここでフェードルが、「死者たちの神の床を汚す(déshonorer la couche du dieu des morts)」というのは、テーセウスが冥界の王ハーデスからペルセポネーを奪おうとすることを指している。

フェードルは、彼女の愛するテーセウスは恋多き英雄ではないと言う。
では、どのようなテーセウスなのか。

Mais fidèle, / mais fier, // et même un peu farouche,
Charmant, / jeune, / traînant // tous les cœurs après soi,
Tel qu’on dépeint nos dieux, // ou tel que je vous voi.
Il avait votre port, // vos yeux, / votre langage ;
Cette noble pudeur // colorait son visage,
Lorsque de notre Crète // il traversa les flots,
Digne sujet des vœux // des filles de Minos. 

忠実なのです。誇り高いのです。少し近寄りがたいところがあります。
魅力的で、若く、全ての人の心を惹きつけていきます。
人々が神々を思い描くようなお姿。私があたなを見ているようなお姿です。
その方は、あなたの物腰、あなたの目、あなたの言葉遣いをしています。
高貴な慎みがその方のお顔を染めていました。
クレタ島に打ち寄せる波を渡った時のことです。
ミノス王の娘達が想いを寄せるに相応しいお方でした。

フェードルが愛するテーセウスは、移り気(volage)ではなく、誠実(fidèle)だと、夫のテーセウスとは別の男性像を描き始める。
その時の口調は、今まで押さえていた感情が一気に爆発したかのように、短いリズムで言葉を畳みかける。
誠実(fidèle)、誇り高い(fier)、近寄りがたい(farouche)。[ f ]の反復(アリテラシオン)が、耳を強く打つ。
そして、魅力的(charmant)で、若い(jeune)。

さらに、その姿は神々のように見える(tel qu’on dépeint nos dieux)と続けた後、愛の対象がイポリットであることを直接ほのめかし始める。
「私が今あなたを見ているような(tel que je vous voi(s))」姿。
(voiにsがないのは、韻を踏むsoiとの関係。)
愛するテーセウスは、あなたの物腰(port)、目(yeux)、言葉遣い(langage)をしていると、イポリットに自分の気持ちがはっきりと伝わるように、あなた(vous, votre)という言葉を繰り返す。


Thésée et le Minotaure

しかし、あくまでも愛の対象を夫テーセウスとして語らなければ、道を踏み外すことになる。
そこで、彼女は再び、夫であるテーセウスに話を戻す。

フェードルは、クレタ島の王ミノスの娘であり、テーセウスがミノス島の迷宮に住む怪物ミノタウロスをテーセウスが退治した時、彼を助けたアリアドネの姉妹。
テーセウスは、アリアドネにもらった糸で迷宮を辿り、彼女の剣でミノタウロスを倒した。迷宮から脱出できたのも、アリアドネの糸のおかげだった。
その後、テーセウスは、アリアドネを妻にすることを約束し、二人はクレタ島を出る。
しかし、途中でアリアドネを捨て、フェードルを妻とする。

ミノス王の娘達(les filles de Minos)というのは、アリアドネとフェードルのことを指している。
ここでフェードルは、テーセウスがクレタ島を訪れた時、アリアドネと共に若いテーセウスを見たと言い、愛の対象はあくまでもテーセウスだと、言葉を繕おうとする。

自分の気持ちを伝えたい。しかし、伝えることはできない。しかし、伝えたい。その葛藤の激しさこそが、『フェードル』の中心的なテーマなのだ。運命と自由意志との戦いのドラマ。


Que faisiez-vous alors ? // pourquoi, sans Hippolyte,
Des héros de la Grèce // assembla-t-il l’élite ?
Pourquoi, trop jeune encor, // ne pûtes-vous alors
Entrer dans le vaisseau // qui le mit sur nos bords ?
Par vous aurait péri // le monstre de la Crète,
Malgré tous les détours // de sa vaste retraite :
Pour en développer // l’embarras incertain,
Ma sœur du fil fatal // eût armé votre main.
Mais non : dans ce dessein // je l’aurais devancée ;
L’amour m’en eût d’abord // inspiré la pensée.
C’est moi, prince, c’est moi, // dont l’utile secours
Vous eût du labyrinthe // enseigné les détours.
Que de soins m’eût coûtés // cette tête charmante !
Un fil n’eût point assez // rassuré votre amante :
Compagne du péril // qu’il vous fallait chercher,
Moi-même devant vous // j’aurais voulu marcher ;
Et Phèdre au labyrinthe // avec vous descendue
Se serait avec vous // retrouvée ou perdue.

あの時、あなたは何をなさっていたのですか。なぜ、イポリットのいないまま、
ギリシアの英雄たちのエリートを、あの人は招集したのでしょう。
なぜ、まだ若すぎたために、あなたは、あの時、
戦艦に乗ることができなかったのでしょう。あの方を私たちの島の岸辺に運んできた戦艦に。
あなたによって、クレタ島の怪物は殺されるはずたったのです、
あの巨大な隠れ家の、あらゆる迷路にもかかわらず。
その不確かな困惑を解きほぐすために、
姉は、運命の糸で、あなたの手を武装したことでしょう。
いいえ、そんなことはありません。私が姉に先んじたでしょう。
愛が、私に、何よりも先に、その考えを抱かせたはずです。
私が、王子様、私こそが、有益な救いによって、
あなたに迷路の道をお教えしたでしょう。
どれほど多くの心配を、その愛らしいお顔のために、私だ抱いたことでしょう。
一本の糸では、あなたを愛する人を安心させるには、十分ではなかったことでしょう。
あなたがお求めになった危険をお供する身として、
私自身があなたの前に立ち、歩みたかったのです。
このフェードルが、あなた共に迷宮に下り、
あなたに相まみえるか、あるいいは、身を滅ぼしたことでしょう。

ここにいたって、とうとうフェードルは、イポリットに向かって、直接愛を打ち明ける。
夫テーセウスをスクリーンとして間接的に愛を語るのではなく、イポリットを「あなた(vous)」と呼び、テーセウスとイポリットを分離し、テーセウスがクレタ島にやって来たとき、なぜあなたは来なかったのかと問いかける。

その時、何をしていたのか(Que faisiez-vous)という問いかけは、半過去。
若すぎたので、島に来ることができなかったのではないか(vous ne pûtes)という問いかけは、単純過去。

それ以降の言葉は、イポリットがクレタ島に来ていたらという仮説であり、全ての言葉が、条件法過去、あるいは条件法第2法、つまり接続法大過去で語られる。

あなたによってミノタウロスが殺害され、死んだであろうこと(aurait péri le monstre de la Crète)。
アリアドネがあなたの手に糸を渡したかもしれないこと(ma sœur […] eût armé votre main)。
アリアドネより先に、私がそのようにしたかもしれないこと(je l’aurais devancée)。
愛がその考えを私に吹き込んだであろうこと(L’amour m’en eût […] inspiré)。
私が迷路の通路を教えたであろうこと(Moi qui […] vous eût enseigné les détours)。
一本の糸では、イポリットを愛する人間は安心できなかったこと。(un fil n’eût point assez assuré votre amante.)
(votre amanteは、あたなを愛する女とも、あなたが愛する女とも取ることができる。その曖昧さが、あなたを愛している、と同時に、あなたから愛されたいという、フェードルの微妙な心の表現に相応しい。)
私はあなたの前を歩きたかったこと。(devant vous j’aurais voulu marcher.)

このように多くの想いを伝えた最後に、とうとう自分の名前を出し、フェードルがあなたと迷宮に下り(au labyringhe avec vous descendue)、再びそこで相まみえるか、あるいは身を滅ぼしたであろう(se serait retrouvée ou perdue)と伝える。

フェードルは、テーセウスをイポリットに、アリアドネを自分に置き換え、イポリットと自分の愛が怪物ミノタウロスに打ち勝ち、二人が愛し合ったはずだという空想を口にしているのだ。

これらの言葉を発する時のフェードルの情念は非常に激しく、空想が空想を呼び起こし、理性の制御が効かない。
情念にひきづられ、ヴィーナスが定めた運命、つまりイポリットへの愛を留めることができない。

HIPPOLYTE.

Dieux ! qu’est-ce que j’entends ? // Madame, oubliez-vous
Que Thésée est mon père, // et qu’il est votre époux ?

PHÈDRE.

Et sur quoi jugez-vous // que j’en perds la mémoire,
Prince ? Aurais-je perdu // tout le soin de ma gloire ?

イポリット

神々よ! 私は何を耳にしているのだろう。奥様、お忘れですか、
テーセウスは私の父であり、あなたの夫であることを。

フェードル

どんな理由で、あなたは、私がその記憶をなくしているとお考えなのですか。
王子、私が自らの栄光への心遣いを失ったとでもいうのでしょうか。

イポリットは、フェードルの言葉に驚き、あるいは驚いた振りをして、彼女を留めようとする。
その理性的な振る舞いは、テーセウスが彼の父であり、フェードルの夫であるこをを思い出させる際の、非常に理性的で整った詩句によって見事に表現されている。
Que Thésée est mon père, (6) et qu’il est votre époux (6)
6/6のリズムで、父と夫が均整を保ち、詩句に配置されている。

そうした姿勢を見て、フェードルも一見理性を取り戻したように、その事実を忘れたなどと言う根拠は何かと、イポリットに問い直す。

彼女は、愛を伝えたい気持ちと、自分の気持ちを隠さなければならないという理性の間で引き裂かれ、揺れ動く。

そんな様子を前にして、イポリットはその場を逃げ去ろうとし、フェードルは再び言葉を続ける。(続く)

最後にもう一度、Bondyの演出で、同じ場面を見ておこう。



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