ラシーヌ 『フェードル』 Racine Phèdre 理性と情念の間で 3/3

イポリットは、フェードルの言葉を誤解したふりをして、その場を立ち去ろうとする。

      HIPPOLYTE.

Madame, pardonnez : // j’avoue, en rougissant,
Que j’accusais à tort // un discours innocent.
Ma honte ne peut plus // soutenir votre vue ;
Et je vais…/

      イポリット

奥様、申し訳ございません。告白いたします、赤面しながら。
私は、間違えて、罪のないお言葉を非難してしまいました。
恥ずかしく、もう、あなた様の眼差しを耐えることができません。
私はこれから・・・。

イポリットはフェードルの情念をはっきりと理解している。だからこそ、彼女の言葉(discours)が罪のないもの(innocent)だったにもかかわらず誤解したなどと、あえて彼女の言葉を真に受けるふりをする。
そして、そのことが恥ずかしく、もう一緒にいることはできないと、立ち去る口実を作り出す。

しかし、あなたの眼差しを耐える(soutenir votre vue)ことができないというのは、どんな時でもフェードルと会うのを避けたい彼の気持ちを暗にほのめかしている。

        PHÈDRE.

      Ah, cruel ! // tu m’as trop entendue !
Je t’en ai dit assez // pour te tirer d’erreur.
Eh bien ! connais donc Phèdre // et toute sa fureur :
J’aime ! / Ne pense pas // qu’au moment que je t’aime,
Innocente à mes yeux, // je m’approuve moi-même ;
Ni que du fol amour // qui trouble ma raison
Ma lâche complaisance // ait nourri le poison ;
Objet infortuné // des vengeances célestes,
Je m’abhorre encor plus // que tu ne me détestes.

      フェードル

ああ、残酷な人! あなたは私をわかりすぎるほどわかっています!
もうたっぷりと話したので、誤解することはないはず。
そう! 知りなさい、フェードルのことも、狂ったような熱情も。
愛している! 考えないで。あなたを愛しているこの時も、
私に罪がないと思い、自分を肯定しているなどと。
この狂おしい愛、理性を揺さぶる愛に
おずおずと満足し、毒を養ってきたなどと。
天空の神の復讐の不幸な標的になり、
自分を嫌悪しているのです、あなたが私を嫌う以上に。

イポリットの「私はこれから・・・(Et je vais…)」という3音節の言葉の後、フェードルは彼にそれ以上言わせないように、言葉を発する。
「ああ、残酷な人!(Ah, cruel !)」

そして、自分の愛がどのようなものか、さらに一歩進んだ説明をする。
このフェードルのセリフこそが、この芝居の最も本質的な部分だと言って間違いない。

フェードルの愛は、狂った情熱(fureur)。
理性を混乱させる(trouble la raison)狂った愛(fol amour)。
人を死に至らしめる毒(poison)。
そして、その愛は神の復讐、つまりヴィーナスがヘリオスに対する恨みを晴らすための道具なのだ。
言い換えれば、フェードルの「自由意志」によるのではなく、天に定められた「運命」だということになる。

彼女はその運命に対して、無気力に自足している(lâche complaisance)わけではなく、自分の意志の力で立ち向かおうとしてきたし、今でも立ち向かっている。イポリットを避け、愛さないように努めてきた。
愛が罪であることを認め、自分のことを嫌悪しているのだ。

しかし、どうすることもできない。
イポリットに対する愛は、「私は自分を嫌悪しているのです、あなたが私を嫌う以上に。」という言葉の中にも溢れてきてしまう。
つまり、「あなたが私を嫌う(tu ne me détestes)」という言葉の裏には、愛であろうと憎しみであろうと、私に想いをかけて欲しいという願望が込められている。
フェードルは、狂気の愛を悔いているその瞬間も、イポリットの愛を得たいという想いから逃れることができないでいる。

この真実に溢れた葛藤こそが、『フェードル』という芝居の美の源泉だといっていい。
その美しさは、目的語なしで叫ばれる 「愛している! (J’aime !)」に象徴される。
愛は毒であり、美なのだ。
パトリス・シェロー(Patrice Chereau)が演出し、ドミニク・ブラン(Dominique Blanc)が演じるフェードルの発する叫び(3分59秒)がもたらす緊張感は、ラシーヌ悲劇の中でも最も感動的なシーンだろう。

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