
ジェラール・ド・ネルヴァルは19世紀前半のパリの詩人だが、豊かな自然に満ちたヴァロワ地方を愛し、都会の喧噪で疲れた心を田舎の自然で癒すこともあった。
そんな詩人の若い頃の詩に、「監獄の中庭(Cour de prison)」がある。
1830年の7月革命のすぐ後、サント・ペラジー(Sainte-Pélagie)という監獄の中に閉じ込められた時のことを歌った詩。
ネルヴァルという詩人の繊細な感受性がとてもよく感じられる。
現実世界の政治に対しては皮肉な眼差しを投げかける。肉体は閉鎖空間に閉じこもることを強いられることもある。
そんな中でも、精神は自由に動き、僅かな自然の気配を心で感じる。
それがネルヴァルなのだ。
Cour de prison
Dans Sainte-Pélagie
D’une aile rélargie,
Où, rêveur et plaintif,
Je vis captif,
Pas une herbe ne pousse,
Et pas un brin de mousse
Le long des murs grillés
Et bien taillés !
監獄の中庭
サント・ペラジー監獄、
建物の一方の翼は広げられたばかり、
その中に、夢見がちで、ぶつぶつ嘆きながら、
ぼくは、閉じ込められて、生きている。
一本の草も生えだしてこない。
一房の苔もない、
回りの壁には格子が付けられ、
壁の石は大きさをそろえて切り出されていた。
監獄の中に閉じ込められ(captif)、夢見る(rêveur)ことといったら、政府に対する抗議とか、どうやって脱出するかとか、不平不満や嘆き(plaintif)ばかりだろう。

そのサント・ペラジー監獄の建物の一つの翼が拡張されたのは、1830年前後のこと。
「一方の翼が広げられた(d’une aile rélargie)」という詩句は、この詩が時代を反映していることを示している。
ネルヴァルは、こんな風に、時代の動きに敏感で、話題になっていることを巧みに作品に取り込んだ。
ジャーナリスト的な感覚を持ち、時代とともに生きた作家であり、詩人だった。

そんな彼が監獄の様子をリポートする。
今は中庭(cour)にいる。
そこには、草(herbe)も生えず、わずかな苔(un brin de mousse)さえない。
壁の窓には鉄格子がはめられ(grilllé)、壁は規則正しく切断された(taillé)石でびっしりとできている。
そんな監獄に閉じ込められ、どんよりとした気持ちでいるはずだが、その状況を語る詩句は軽快だ。
6/6/6/4と短い音節の4つの詩句が一つの詩節を形作り、テンポが軽快なために、まったく暗い感じがしない。
残念ながらyoutubeに朗読がアップされていないので、実際に音を耳で確認できないのだが、自分で声に出してみると、その軽快さをすぐに感じることができる。
第1詩節の韻は全て[ i ]の音。
そこに、前の2行では、[ g ]が付き、後ろの2行では [ f ]が付く。
そして、[ l ] と [ r ]の音が多く、流れるような詩句が続く。
第2詩節の最初に2行の韻は、[ ou ]。後ろに [ s ]が付く。
次の2行の韻は、[ é ]。前に [ ill ]がある。
また、pasの音が反復されることで、監獄の中の空間に何もないことが強調される。
こうした音の工夫もあるが、何と言っても、暗い内容にもかかわらず、軽快なテンポで、明るい詩句であることに注目しよう。
Oiseau qui fends l’espace,
Et toi, brise, qui passes
Sur l’étroit horizon
De la prison,
Dans votre vol superbe,
Apportez-moi quelque herbe,
Quelque gramen mouvant
Sa tête au vent !
空間を引き裂く鳥よ、
そして、お前、通り過ぎていくそよ風よ、
この狭い地平線の上、
監獄の、
お前たちの素晴らしい羽ばたきで、
もって来てくれ、どんな草でも、
どんな芝草でも。ゆらゆらと揺れる芝草、
先端が風に吹かれて。
監獄の中庭に閉じ込められて、空を飛ぶ鳥(Oiseau)や狭い空間の中を吹き抜けるそよ風(brise)に、語り掛ける。
どんな草(herbe)でも、どんな芝草(gramen)でもいいので、運んできてくれと。

囚人は穏やかな言葉でこんな願いをするが、心には強い思いがあることを、言葉の端々に感じる。
狭い地平線(l’étroit horizon)しか見えないのは、監獄(prison)のせいだ。
そこから解放されたいと願う気持ちの激しさは、空を飛ぶ鳥(oiseau)を見て、空間を引き裂いている(fends l’espace)と表現しているところから、はっきりと感じ取ることができる。
そして、普段なら何とも感じないかもしれない鳥の飛ぶ姿や微かな風の動きは、素晴らしい飛翔(vol superbe)に思える。監獄の狭い地平線(l’étroit horizon de la prison)との対照は鮮やかだ。
Qu’à mes pieds tourbillonne
Une feuille d’automne,
Peinte de cent couleurs,
Comme les fleurs,
Pour que mon âme triste
Sache encor qu’il existe
Une nature… un Dieu
Dehors ce lieu !
Oui, faites-moi la joie
Qu’un instant je revoie
Quelque chose de vert
Avant l’hiver !
ぼくの足元で、くるくる回ってくれ、
秋の葉1枚でいい、
たくさんの色で色づいた葉、
花のように。
そしたら、ぼくの悲しい魂は、
今もわかっている。存在しているのだ、
自然が・・・、神様が、
この場所の外では!
お願いだから、ぼくに喜びを与えてくれ。
一瞬の間だけでも、もう一度見る喜びを、
何か緑色のものを、
冬が来るまえに!

詩人の意識が外に向いている時には、7月革命の後の混乱した社会状況の中で、政府に対する不満などを思った(plaintif)ことだろう。
しかし、風を感じ、鳥に思いを馳せていると、内の世界に思いが向いてくる。
何もない監獄の中庭(cour de prison)に閉じ込められた中で、詩人の思いは秋の落ち葉(une feuille d’automne)に向かう。
そして、その葉が足元でくるくると舞ってくれる(tourbillonner)ことを願う。
たった1枚の葉だけでいい。
ネルヴァルは、そこから、自然を感じ、神の存在を感じる。
その神は、決してキリスト教の神ではなく、漠然とした神だろう。Dieuという単語に不定冠詞がつき(un Dieu)、神々の中の一体の神。
自然を神と崇める姿勢と近いかもしれない。
サント・ペラジーの監獄に閉じ込められているからこそ、詩人は自然のほんの僅かな象徴に心を動かし、自然や神として感じられる生命そのものの鼓動を、魂(âme)で感じることができる。
革命の混乱の中であれば簡単に無視してしまう一羽の鳥の飛翔、そよ風の動き、秋の落ち葉1枚、そうしたものが生命を表す緑の何ものか(quelque chose de vert)を告げるものであれば、どれほどの喜び(joie)を作り出すことだろう。
ネルヴァルの魂は、本当に僅かなものから、自然全体や神の存在、言い換えれば、生命の動きそのものを感じ取る。
そして、悲しい現実を前にしても、軽快なリズムで簡素に歌う。
Quelque chose de vert / Avant l’hiverと、verの音が韻を踏み、この小さな詩が終わるとき、読者である私たちの心も、緑の喜びが冬の前にやって来るような気持ちになってくる。

「牢獄の中庭」からは、監獄に閉じ込められ、肉体的な自由を奪われながらも、精神は自由に活動し、繊細な感受性をもって自然を感じる、若い詩人の姿が浮かび上がってくる。
ここには、若い時代のネルヴァルの生の姿がある。