ボードレール 夕べの黄昏 (散文詩 1855年) Baudelaire Le Crépuscule du soir (en prose, 1855) 自然と都市

シャルル・ボードレールは、「夕べの黄昏(Le Crépuscule du soir)」と題される詩作品を二つ書いている。
最初は韻文。発表されたのは1852年。
ただし、その際には、「二つの薄明(Les Deux Crépuscules)」という題名で、昼の部分と夜の部分が連続していた。

1855年になると、韻文詩から出発し、散文詩も執筆する。それは、ボードレールが最初に公にした散文詩だった。

発表されたのは、フォンテーヌブローの森を多くの人の散策の地とするのに貢献したクロード・フランソワ・ドゥヌクール(Claude-François Denecourt)に捧げられ、数多くの文学者たちが参加した作品集『フォンテーヌブロー(Fontainebleau)』(1855)の中。
最初に「二つの薄明」という題名が掲げられ、「夕べ(Le Soir)」と「朝(Le Matin)」と題された韻文詩が置かれる。その後、散文の「夕べの黄昏(Le Crépuscule du soir)」と「孤独(La Solitude)」が続く。

Théodore Rousseau, Sortie de forêt à Fontainebleau, soleil couchant

『フォンテーヌブロー』を読んでみると、不思議なことに気が付く。
ドゥヌクールの貢献を讃えるため、自然の美を歌う作品が集められている中で、ボードレールだけが都市をテーマにしている。フォンテーヌブローとは何の関係もない。

その理由を探っていくと、彼が韻文詩と同時に散文でも詩を書き始めた理由が分かってくるかもしれない。

韻文詩「夕べ」と散文詩「夕べの黄昏」の冒頭を読んでみよう。

         Le Soir

Voici venir le Soir, ami du criminel ;
Il vient comme un complice, à pas de loup ; – le ciel
Se ferme lentement comme une grande alcôve,
Et l’homme impatient se change en bête fauve.

         夕べ

夕べがやってくる、犯罪者の友である夕べが。
共犯者のように、狼の密かな足取りで。— 空が、
ゆっくりと閉じていく、巨大な閨房のように。
そして、せっかちな男は、野獣に姿を変える。

https://bohemegalante.com/2020/08/30/baudelaire-crepuscule-du-soir-en-vers/

        Le Crépuscule du soir

La tombée de la nuit a toujours été pour moi le signal d’une fête intérieure et comme la délivrance d’une angoisse. Dans les bois comme dans les rues d’une grande ville, l’assombrissement du jour et le pointillent des étoiles ou  des lanternes éclairent mon esprit.

        夕べの黄昏

夜の始まりは、私にとって、常に、心の中の祭りの合図であり、苦悶からの解放のように感じられた。森の中でも、大都市の通りと同じように、日が暮れると、星や街灯の光が燦めき、私の精神を照らし出す。

韻文詩では、夜は犯罪者の友であるとして、大都市の夜の悲惨な現実を歌っていく。
それに対して、散文詩では、夜は精神が高揚し、苦痛からの解放の時だとされ、そのことは、森の中でも、都市でも変わらないと続く。

ここで注目したいのは、韻文にはなかった自然への言及が、散文に記されていることである。
ドゥヌクールは、フォンテーヌブローの森に数多くの散歩道を作った。ボードレールは、都市の街路をそこに重ね合わせ、「森の中でも、大都市の通りと同じように(Dans les bois comme dans les rues d’une grand ville)」と言う。

韻文と散文を隔てるこの違いは、『フォンテーヌブロー』の編集方針に合わせたものだと考えることができる。
ボードレールは、詩作品の前に、編者のフェルナン・デノワイエに当てた短い手紙を挿入し、彼の意図を説明している。

あなたが私に依頼したのは、「自然(la Nature)」、例えば、森、昆虫、太陽などをテーマにした韻文だった。しかし、私は植物によって心を動かされることはないし、最近流行している自然宗教(パンテイスム)を信じ、神々の魂が植物に宿っているなどと信じることはできない。むしろ自然に対しては、何か人を苦しめ、辛く、残酷なものがあるのではないかと感じてきた。だから、あなたの定めた編集方針を十分に満足させることはできない。

このように伝えた後で、次のように手紙を締めくくる。

(…) je vous envoie deux morceaux poétiques, qui représentent à peu près la somme des rêveries dont je suis assailli aux heures crépusculaires. Dans le fond des bois, enfermé sous ces voûtes semblables à celles des sacristies et des cathédrales, je pense à nos étonnantes villes, et la prodigieuse musique qui roule sur les sommets me semble la traduction des lamentations humaines.

二つの詩の断片をお送りします。薄明の時に私が襲われる夢想の総体を大方表現したものです。森の奥で、香部屋や聖堂の丸天井に似た丸天井の下に閉じこもっている時、私は驚くべき都市を思い浮かべます。それらの頂上を流れる驚異的な音楽は、私には、人間の嘆きの声を表現しなおしているように思えるのです。

ボードレールにとって、自然は、決して甘くロマンチックな夢想の場ではない。彼は自然の中に、悲惨さに押しつぶされ、嘆き悲しむ都市の住民があげる声と同じ音を聴く。都市でも、自然の中でも、聞こえてくるのは、「人間の嘆きの声(les lamentations humaines)」。
そのメランコリックな声は、失われた過去や原始の自然状態を愛惜するものではなく、今の社会(la vie moderne)を生きる人間の情念(パッション)の表現である。

だからこそ、ボードレールは、フェルナン・デノワイエに依頼された原稿に、都市生活の悲惨を主題にした韻文詩「二つの薄明」を選択したのだった。

しかし、自然の賛歌である『フォンテーヌブロー』の読者の誰が、ボードレールの意図を理解するだろうか。二つの韻文詩だけでは、理解されない。そのことは目に見えている。
そこで、急遽、彼の意図を多少は明確に伝える作品を付け加えたのだろう。
その際、韻文詩ではなく、あえて散文にすることで、韻文詩「夕べ」や「朝」との違いを明確にする。
その上で、「森の中でも、大都市の通りと同じように」と明記。「星や街灯の煌めき(le pointillent des étoiles ou  des lanternes)」と記し、星と街灯を同列に置くことで、都市の夢想と自然の夢想は同一のものであることを読者に伝える。
ボードレールの初めての散文詩は、そのようにして出来上がったに違いない。

1855年の散文詩「夕べの黄昏」の中で、ボードレールは、第一詩節で、彼にとって夜は心の中に火が点る祭りの時であり、精神が解放される時だと語る。
他方、第2詩節と第3詩節では、夜が精神に変調をもたらす二人の友人の例を挙げる。

Mais j’ai eu deux amis que le crépuscule rendait malades. L’un méconnaissait alors tous les rapports d’amitié et de politesse, et brutalisait sauvagement le premier venu. Je l’ai vu jeter un excellent poulet à la tête d’un maître d’hôtel. La venue du soir gâtait les meilleures choses.

L’autre, à mesure que le jour baissait, devenait plus aigre, plus sombre, plus taquin. Indulgent pendant la journée, il était impitoyable le soir ; – et ce n’était pas seulement sur autrui, mais sur lui-même que s’exerçait abondamment sa manie crépusculaire.

しかし、私には、夕暮れの薄暗がりで病気になった友が二人いた。一人は、その時間になると、友情と礼儀のあらゆる関係を誤解し、出会う人を誰でも手ひどく扱った。彼が、給仕長の頭に素晴らしく美味しい鶏肉を投げつけるのを見たことがある。夕方が来ると、素晴らしいことも駄目になってしまった。

もう一人は、日が沈むにつれて、辛辣で、暗く、人を馬鹿にする態度を取るようになった。昼の間は寛容なのに、夜になると情け容赦なくなった。— 単に他人に対してだけではなく、自分自身に対して、彼の夕暮れクセが、たっぷりと発揮された。

二人とも夕方になると、すっかり人柄が変わり、攻撃的で、不愉快な人間になる。
彼等は、韻文詩の「夕べ(の黄昏)」で描かれるような、社会の底辺にうごめく人間の悲惨を代表しているわけではない。しかし、彼等が内心で発する「人間の嘆き(lamentations humaines)」は聞こえてくる。

第4詩節では、二人の行動の結末が語られ、最後に全体を通しての考察が加えられる。

Le premier est mort fou, incapable de reconnaître sa maîtresse et son fils ; le second porte en lui l’inquiétude d’une insatisfaction perpétuelle. L’ombre qui fait la lumière dans mon esprit fait la nuit dans le leur. – Et, bien qu’il ne soit pas rare de voir la même cause engendre deux effets contraires, cela m’intrigue et m’étonne toujours.

最初の男は気が狂って死んだ。自分の連れ合いも子供のこともわからなかった。二番目の男は、自分の中に、絶えず不満足だということから来る不安を抱えている。私の精神の中であれば光を作る闇が、彼らの精神の中では夜を作り出す。— 同じ原因が二つの対立する結果を生み出すのを見るのはまれではないが、そのことが私には興味深く、いつも驚かされる。

一人は気が狂って死に、もう一人は絶えず自分に対する不安を抱えたままでいる。

二人のエピソードをこのように結論付けた後、ボードレールは、夜がもたらす矛盾した影響について、短い言葉で寸評を加える。

友人に対して夜は致命的な結果をもたらすが、ボードレールにとって夜は精神が解放される時。
このように、「同じ原因が二つの違う結果をもたらす(la même cause engendre deux effets contraires)」ことがある。
そうしたことは珍しいことではないが、それでも、興味深い。そうしたことがある度に、ボードレールは驚いてしまう。

1855年のこの散文詩は、自然とも都市とも関係がない。森とも聖堂とも無関係。
もしボードレールの意図を読み取るとしたら、どのような場所であろうと、「人間の嘆き」は聞こえてくるということだろう。
その一点では、韻文詩「夕べ」とも関係している。

しかし、それ以外の点では、韻文詩とも、ほとんど何も関係がない。
散文は、詩というよりも、ラ・ロシュフコーの『箴言集』やラ・ブリュイエールの『人さまざま』に収録された、人間観察の警句のようでもある。
「同じ原因が二つの違う結果をもたらす」という考察は、モンテーニュの『エセー』の第1章「人はいろいろな方向によって、同じ結果に到達する」を逆転したものだともいえる。
実際、次の散文詩「孤独(La Solitude)」では、ラ・ブリュイエールやパスカルの警句が引用されている。

従って、散文に先立つ二つの韻文詩が、「薄明の時に私が襲われる夢想(des rêveries dont je suis assailli aux heures crépusculaires)」だとすれば、散文詩は、現実観察に基づく考察、あるいは教訓的格言だと考えられる。

ところで、詩という側面から見た時、1855年の「夕べの黄昏」は、散文詩というジャンルに属すると言えるのだろうか。
節と節の間には空白の一行があり、韻文詩の詩節の形を導入している。
しかし、内容だけではなく、文体から見ても、詩というよりも、ラ・ロシュフコーやラ・ブリュイエールの人間観察の格言・箴言に近い。

ボードレールは1857年から散文詩をある程度まとめた形で発表し始め、1862年には26作品を新聞に掲載する準備をしている。
その中で、「夕べの黄昏」は大幅に書き直された。
ジャンルとしての散文詩に関しては、1862年の「夕べの黄昏」を検討しながら、より詳しく考えていく必要がある。

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