ボードレール 夕べの黄昏 (韻文詩) Baudelaire Le Crépuscule du soir 闇のパリを詩で描く

シャルル・ボードレールは、自分たちの生きる時代のパリの生活情景を詩の主題として取り上げ、美を生み出そうとした。
こうした姿勢は、『1846年のサロン』の最終章「現代生活の英雄性(Le Héroïsme de la vie moderne)」の中で、同時代の絵画の美を提示する際に示されたものだった。

ボードレールの詩の対象となるパリの情景は、人々の日常生活、その中でも、一般には悪であり、醜いと見なされるもの。
韻文詩集の『悪の花(Fleurs du mal)』という題名が、そのことを明確に現している。

19世紀半ばのバリの様子は、幸いなことに、マルセル・カルネ監督の映画「天井桟敷の人々(Enfants du paradis)」で見ることができる。(脚本は、詩人のジャック・プレベール。)

「夕べの黄昏(Le Crépuscule du soir)」は、1852年に、「二つの薄明(Deux Crépuscules)」と題された詩の一部として発表された。
その後、1855年に「夕方(Le Soir)」と「朝(Le Matin)」と題された二つの詩に分割され、『悪の華』でもその形が引き継がれた。

Le Crépuscule du soir

Voici le soir charmant, // ami du criminel ;
Il vient comme un complice, // à pas de loup ; / le ciel
Se ferme lentement // comme une grande alcôve,
Et l’homme impatient // se change en bête fauve.

夕べの黄昏

魅力的な夕べがやって来る。犯罪者の友だ。
共犯者のように、狼の密かな足取りで。空が、
ゆっくりと閉じていく、巨大な閨房のように。
そして、せっかちな男は、野獣に姿を変える。

パリの夜。現在であれば、Paris by nightという言葉から連想されるように、闇の中に光が煌めき、美しい夜の町を思い浮かべるかもしれない。
しかし、19世紀には、フランス革命の後、パリには人々が大量に流入し、人間に溢れ、犯罪の温床となるものが数多くあった。とりわけ夜は、危険に満ちていた。

詩の題名に使われている Crépuscule という言葉は、本来、夜から朝に移る時や、昼から夜に移る時の、「薄暗がり」を意味していた。ただし、19世紀後半になると、夕方の黄昏だけを意味するようになった。

「夕べの黄昏」の冒頭、ボードレールは、矛盾する意味を持つ言葉—「魅力的(charmant)」と「犯罪者(criminel)」—を繋げることで強い効果をもたらすオクシモロンという詩法を用い、光が徐々に薄らぎ、夜へと移行していく時間帯を特徴付ける。

その後も、不安と魅惑が入り交る。
夕闇は、狼のような足取りでやって来る。男は、待ちきれず、野獣に変身する。
その一方で、闇が全てを包み込む。町全体が、壁の窪みにベッドの置かれた寝室(alcôve)のように感じられ、漠然とした官能性が生まれる。

町を包む空(le ciel)は、第2詩行の最後に置かれ、主語となり、次の行に動詞以下の文の要素が来ている。この詩法はコントル・ルジェ(contre-rejet)と呼ばれ、前に置かれた「空」という単語を強調する。
そのようにして、パリの町全体が暗闇に包まれ、不安と魅惑の両義的な雰囲気が詩の中に充満する様子が、読者にはっきりと伝わっていく。

男が野獣に変身する時の様子は、辛抱できない(impatient)という形容詞によって示されるが、その単語は音的に強調される。
12音節の詩句の真ん中に音の切れ目(césure)が置かれるために、impatientは、最後のti-entが2音節で発音される(diérèse)。
そうした音による強調のため、待ちきれない様子がよりはっきりと示されている。

その待ちきれなさは、男を通して、詩の読者にも伝わる。
次に何が描かれ、何が起こるのか、と。

Ô soir, aimable soir, désiré par celui
Dont les bras, sans mentir, peuvent dire : Aujourd’hui
Nous avons travaillé ! — C’est le soir qui soulage
Les esprits que dévore une douleur sauvage,
Le savant obstiné dont le front s’alourdit,
Et l’ouvrier courbé qui regagne son lit.

おお夕べ、愛らしい夕べよ、お前を欲する男、
彼の腕は、偽ることなく、こう言うことができる。今日一日、
私たちは働いた! — 夕べこそが、慰めてくれる、
野蛮な苦痛に苛まれた人々の精神を、
額が重く落ちかかるほど、執拗にものを考える人間を、
ベッドにたどり着こうとする、腰の曲がった労働者を。

ボードレールが真っ先に取り上げるのは、労働者たち。
彼等は明け方から夜までずっと働き、疲れ果てて、家に戻る。
社会の底辺に生きる彼等のプライドは、一日中、懸命に働いたこと。
(…) Aujourd’hui
Nous avons travaillé !
コントル・ルジェによって、今日(Aujourd’hui)にアクセントが置かれる。そのようにして、彼等の労働が、一日一日の積み重ねによって行われていることが、強く伝わってくる。

一日中働き続けた人々にとって、夕方は安らぎをもたらし、精神を慰めてくれる。

野蛮な苦痛(une douleur sauvage)が、具体的にどういうものかは、読者一人一人の解釈に委ねられている。
とにかく、激しい苦痛が精神を食い尽くす(dévorer)ような人々、ずっと考え続けた人々(savant obstiné)、腰が曲がるまで(courbé)肉体を酷使した労働者たち、彼等にとって、夜は愛すべき(aimable)時に他ならない。

Cependant des démons malsains dans l’atmosphère
S’éveillent lourdement, comme des gens d’affaire,
Et cognent en volant les volets et l’auvent.

しかし、不健全な悪魔たちが、大気の中で、
重々しく目を覚ます、商売人のような様子で。
そして、空を飛び、鎧戸や庇の着いた小窓を叩いていく。

健全な労働者は昼間に働く。その一方で、夜を活動の場とする人々もいる。
彼等は、夕方に目を覚まし、悪魔のように空を飛び、家々の窓や鎧戸を叩いて回る。

そうした夜の住民とは、売春婦であり、劇場で働く人々であり、曖昧宿に集う人々であり、犯罪に手を染める者たち。

最初に描き出されるのは、売春婦たち。

À travers les lueurs que tourmente le vent
La Prostitution s’allume dans les rues ;
Comme une fourmilière elle ouvre ses issues ;
Partout elle se fraye un occulte chemin,
Ainsi que l’ennemi qui tente un coup de main ;
Elle remue au sein de la cité de fange
Comme un ver qui dérobe à l’Homme ce qu’il mange.

風が苦しめる街灯の光を通して、
「売春」が、あらゆる道で火を灯す。
盛り上がった蟻の巣のように、出口を開ける。
至るところで、隠された道を作る、
手で殴ろうと試みる敵のように。
泥にまみれた街の内部でうごめく様子は、
「人間」から食べ物を奪う、ウジ虫のよう。

売春婦たちは、ガス塔の淡い光の下で街角に立ち、どこにでも入り込んでくる。そして、昼間働いた人々のおこぼれを頂戴する。

ここで、ボードレールは売春を、蟻、敵、ウジ虫と呼び、隠された道(un occulte chemin)を穿ち、殴り、盗むといった行動を取ると言う。
そのようにして、悲惨な都市生活の一面が、彼女たちの姿を通して描き出される。

一方に女たちの姿があれば、他方には男たちの姿がある。

On entend çà et là les cuisines siffler,
Les théâtres glapir, les orchestres ronfler ;
Les tables d’hôte, dont le jeu fait les délices,
S’emplissent de catins et d’escrocs, leurs complices,
Et les voleurs, qui n’ont ni trêve ni merci,
Vont bientôt commencer leur travail, eux aussi,
Et forcer doucement les portes et les caisses
Pour vivre quelques jours et vêtir leurs maîtresses.

あちこちで聞こえてくる。台所がシューシューと音を立て、
芝居小屋は金切り声をあげ、オーケストラはゴーゴーとうなる。
安宿は、賭け事で人々を楽しませ、
身を持ち崩した女や、彼女たちの共犯者のいかさま師で溢れている。
泥棒には、休息も、慈悲もなく、
彼等もまた、すぐに仕事を始める。
静かに扉や金庫をこじ開けるのだ、
何日か生き延び、愛人に服を与えるために。

劇場や、芝居がはねた後で向かうレストランなどがなぜ悪所かと思われるかもしれないが、浮世絵を思い出すと理解できるかもしれない。
浮世絵の「浮世」の代表は、遊里と芝居町という二つの悪所だった。そこでは、役者と遊女は同類。
このように考えると、夜に行われる芝居が悪所であり、夜人々がたむろし、賭け事をする居酒屋なども同じような存在だったことが理解できるだろう。

暗闇の中で、泥棒も仕事(travail)を始める。
この時、ボードレールが「仕事」という言葉を使っていることに注目したい。
昼の住人たちは、「仕事をした!(Nous avons travaiilé !)」と胸を張って言った。
夜の泥棒たちも、同じように、仕事をしているのだ。
しかも、それは幾日か命をつなぐため。
そして、昼の住人が家族を養うように、夜の住人は愛人に服をあてがう。

こうした記述からは、ボードレールが決して夜の悪魔たちを嫌悪の対象としているわけではないことがわかる。
夜の住民も、昼の労働者たちと同じように、悲惨な現実、現代生活(la vie moderne)を生き抜いているのだ。

こうした現実の生活を活写した後、詩人は、自分の魂に呼びかける。

Recueille-toi, mon âme, en ce grave moment,
Et ferme ton oreille à ce rugissement.
C’est l’heure où les douleurs des malades s’aigrissent !
La sombre Nuit les prend à la gorge ; ils finissent
Leur destinée et vont vers le gouffre commun ;
L’hôpital se remplit de leurs soupirs. — Plus d’un
Ne viendra plus chercher la soupe parfumée,
Au coin du feu, le soir, auprès d’une âme aimée.

我が魂よ、瞑想しろ、この重大な瞬間に。
聞こえてくるうめき声には、耳を閉ざせ。
今は、病人たちの苦痛がますます激しくなる時だ!
暗い「夜」が、彼等の喉元を掴む。彼等は
運命を終え、全ての者に共通の深淵へと向かう。
病院は彼等のため息に満ちている。— 一人の男だけではない、
もはや、香りのいいスープを求め、やって来ることができないのは、
暖炉の片隅、夕べ、愛する魂の傍らに。

詩人は、意識を外の世界から、内の世界へと向ける。
すると、彼の心に浮かぶのは、病人たちの姿。彼等はみんな「共通の深淵(gouffre commun)」、つまり虚無へ、死へと向かっている。

それは一方通行の道。決して後戻りはできない。
愛する人の許で暖かいスープを飲む幸福は、永遠に失われる。
「夕べの黄昏」で歌われる「夕べ」は、それほど、「重大な瞬間(ce grave moment)」なのだ。

魂の世界では、全ての人間が運命を終え、死を迎える。心の内部の病院は、ため息で満ちている。
外の世界にあるのが相対的な悪だとすれば、内の世界にあるのは絶対的な悪といってもいいだろう。

こうした確認の後で、ボードレールは声のトーンを高め、詩を終える。

Encore la plupart n’ont-ils jamais connu
La douceur du foyer et n’ont jamais vécu !

その上、大多数の人々は、決して経験したことがなかった、
家庭の穏やかさを。そして、決して、生きたことがなかった!

夕べの黄昏の中、人生の中で最も重大な時に、死に向かう人々。彼等は、もう香りのいいスープ(la soupe parfumée)を味わうことができないだろう。

しかし、その経験すらしたことがない人々が沢山いる。
そして、ボードレールは、彼等は「生きたことがなかった(jamais vécu !)」と叫ぶ。
それは何を意味するのか?

現代生活(la vie moderne)は、苦悩に満ちている。社会のひずみが大きくなり、貧困がパリを醜くする。
しかし、そうした中で、人々は働いている。夜の住人たちでさえ、悪に手を染め、悲惨な状況の中に落ち込んでいるが、しかし、働き、そして生きている。
それに対して、都市の醜い姿から目をそらし、安逸な生活を送る人々もいる。
ボードレールは、そうした人々は「生きたことがない」と断言する。

彼が詩の対象とし、美を生み出そうとするのが、どちらの人種かは、明らかだろう。
ボードレールの詩の世界では、働き、生きる人々こそが、美の源泉となる。オノレ・ドーミエが描く絵画のように。

こうしたボードレールの美学を知った上で、「夕べの黄昏」を読み返してみると、働く人々の持つ情念(パッション)が詩句から発散するのを感じ、強く心を動かされる。
そのパッションが、心の中に美を生み出す。

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