ボードレール 夕べの黄昏 (散文詩 1862年) Baudelaire Le Crépuscule du soir (en prose, 1862) 散文詩について

「夕べの黄昏(Le Crépuscule du soir)」は、シャルル・ボードレールが最初に公けにした散文詩。
1855年、『フォンテーヌブロー』という選文集の中で、韻文詩「二つの薄明(Deux crépuscules)」の後ろに置かれ、4つの詩節からなる散文だった。
https://bohemegalante.com/2020/08/31/baudelaire-crepuscule-du-soir-en-prose-1855/

その後、詩人は別の機会を見つけ、何点かの散文詩を発表し、1862年になると、『ラ・プレス(La Presse)』という新聞に、26点の作品を4回に分けて掲載しようとした。
その際、3回目までで20作品が公けにされたが、連載4回目の掲載はなかった。しかし、ゲラ刷りが残っていて、その中に「夕べの黄昏」も含まれている。
しかも、そのゲラ刷りにある詩は、1855年の版とはかなり異なっている。全く違うと言っていいほど、違いは大きい。

『ラ・プレス』の連載の最初の回では、文学部門の編集責任者だったアルセーヌ・ウセーに向けられた献辞の手紙が置かれ、ボードレールが「散文詩というジャンル」を確立しようとする意図が語られている。

アルセーヌ・ウセー宛の手紙と、「夕べの黄昏」の2つの版を検討することで、1862年の時点でボードレールの考える散文詩がどのようなものなのか、探ってみよう。

2つの「夕べの黄昏」の第一詩節

1855年と1862年の「夕べの黄昏」の最初の詩節を読み比べてみよう。

La tombée de la nuit a toujours été pour moi le signal d’une fête intérieure et comme la délivrance d’une angoisse. Dans les bois comme dans les rues d’une grande ville, l’assombrissement du jour et le pointillent des étoiles ou  des lanternes éclairent mon esprit.

夜の始まりは、私にとって、常に、心の中の祭りの合図であり、苦悶からの解放のように感じられた。森の中でも、大都市の通りと同じように、日が暮れると、星や街灯の光の燦めきが、私の精神を照らし出す。

Le jour tombe. Un grand apaisement se fait dans les pauvres esprits fatigués du labeur de la journée, et leurs pensées prennent maintenant les couleurs tendres et indécises du crépuscule.

陽が落ちる。大きな安らぎが、昼の労働に疲れた哀れな人々の心の中に生まれる。彼等の思考は、今まさに、夕暮れの、不確かで穏やかな色彩を帯び始める。

二つの断片は、明らかに違っている。では、何が違うのか?

A. 1855年の第一詩節

この文は論理的で、説明的。
夜の闇は、詩人にとって、苦悩からの解放の時であり、祭りの時間ように感じられる。闇の中に星の煌めきや街灯の灯りがチラチラするのが見えると、精神が明るく照らされるような気持ちになる。

闇の中にキラキラと光る小さな光というイメージは美しいが、それ以外の記述は、客観的で、書き手の考えを読み手に伝えることに主眼が置かれている。
そのために、使用されている単語も、意味が明解で、曖昧さを引き起こす余地の少ないものが選ばれている。

この詩節は、大幅に加筆され、62年の版では、第7詩節となる。

B. 1862年の第一詩節

2番目の文でも、夜は安らぎの時だと言われ、その部分では内容的に最初に文との違いはない。
しかし、文体はかなり異なる。
冒頭の一文は、主語と動詞だけ。Le jour tombe. (陽が落ちる。)
その短さ、簡潔さが、強い印象を生み出す。

昼の仕事に疲れた人々の心が夜には安らぐという二番目の文では、仕事を意味する単語として、labeur が使われている。
labeurは、文体的に洗練され、詩的な言葉であるとされる。従って、この言葉は、それを含む文が日常会話のレベルではなく、文学的なレベルに属することを示すことになる。

3つ目の文は、明確な意味を読者に伝達することを目的としているとは思えない。
まず、「思考が色彩を取る(leurs pensées prennent les couleurs)」という文は論理的とは言えず、読者は各自の感受性や読書経験に応じて理解するしかない。
また、「夕暮れの、不確かで穏やかな色彩(couleurs tendres et indécises du crépuscule)」も、具体的な色ではなく、詩人が感性的に捉えた印象を現している。
論理ではなく、感性に訴えかける文。そのために、読者は理性よりも、想像力を多く働かせることになる。

しかも、詩の題名である「夕暮れ(crépuscule)」という言葉が使われ、この文が詩全体を要約していることがわかる。

C. コミュニケーション言語と詩的言語

1855年の文章は、理性に働きかけ、作者の考えを読者に伝えることに主眼が置かれている。フランス語の理解さえできれば、内容は理解出来る。

それに対して、1862年の文は感覚的で、読者を夢想に誘う傾向にある。たとえフランス語として理解できたとしても、何を言いたいのか明瞭ではない。しかし、わかりにくさを超えて、読者に強く働きかける力を持っている。

散文を使った詩に相応しいのは、当然、詩的言語。
コミュニケーション言語の文を、一定の塊毎に区分けして、詩節のように形を整えたとしても、詩として認められることは難しい。
1862年の改変は、散文詩というジャンルの確立のために、説得力のある例を提示するために行われたものだと考えることができる。

実際、私たちは、1862年の「夕べの黄昏」の冒頭の一節を読んだだけで、ポエジーを強く感じる。
その上で、ボードレールに残されているのは、それが詩的散文(prose poétique)ではなく、散文で綴られた詩(poème en prose)であることを、読者に伝えることになる。

散文詩というジャンルにこだわる理由が日本の読者にはわかりにくいかもしれない。そこで、散文と詩の関係について簡単に振り返っておきたい。

韻文と散文

日本の読者にとって、「散文詩」という言葉は違和感がない。というのも、日本語では、押韻することに無理があり、「韻文詩」がほとんど存在しないからである。

日本文学の伝統で散文と対照的に扱われるのは、和歌や俳句。5/7調の音節数は、定形として、深く日本人の言語感覚に根付いている。
韻文としては、音節数と押韻が定められた漢詩の伝統があった。しかし、日本語への影響は限定的だった。

明治時代に入り、欧米の詩が、押韻はせずに、行分けをした形で翻訳、紹介された。その影響の下で、「新体詩」が書かれ始め、日本にも、和歌や俳句とは違う、「詩」の概念が生まれてきた。

それに対して、フランスでは、「韻文であることが詩の絶対的な条件」と考えられる時代が、19世紀半ばまで続いた。
音節数が整わず、押韻のない文章は、詩とは認められなかった。韻文だけが詩となりえたのであり、散文で詩を書くことはありえなかった。
音楽的で美的な文であれば、「詩的散文」と呼ばれることはある。だが、決して詩のジャンルに含まれるものではなかった。
現在でも、「散文詩」を詩のジャンルとして認めない文学研究者がいるほどである。

そうした伝統の中で、ボードレールの散文詩集『パリの憂鬱』の果たした役割は大きかった。この詩集のおかげで、散文詩(poème en prose)が詩のジャンルとして認められたとさえ言える。
ボードレールの後には、ランボーのように散文を駆使する詩人たちも数多く出現した。

そのように考えると、ボードレールが散文詩(poème en prose)というジャンルを確立するにあたり、それなりの説明が必要であったことがわかってくる。

特別に違う何か=散文の詩 
— アルセーヌ・ウセーへの献辞 —

ボードレールは、、1862年、『ラ・プレス』紙に「小散文詩(Petits Poèmes en prose)」という総題で、すでに公けにした作品も含め、26点の散文詩を四回に分けて発表しようした。
その連載の最初に、新聞の文学担当編集責任者であり、詩人でもあったアルセーヌ・ウセーに宛て、作品の意図を明かす手紙を、献辞のようにして挿入した。

その中で、「小散文詩集」は、詩集としての統一性はなく、頭も尾もない、と言う。もっと言えば、どこもが頭であり、どこもが尾であり、どこから、どのような順番で読んでもいい。
そうした特徴は、韻文詩集『悪の華』との対比を際立たせる。『悪の華』の初版では、100編の韻文詩が完璧な構造体を形作り、最初から最後まで詩人によって順番が熟考されていた。
「小散文詩集」は、それとは正反対の状態にある。詩集を断片に分解したとしても、それぞれの断片が生命を持ち、独自に存在する。
詩集に対するこうした考え方は、ボードレールが考える散文詩のあり方を暗示しているとも考えられるし、散文詩を韻文詩に匹敵する文学ジャンルとして提示しているのだとも考えられる。

B. 現代生活(une vie moderne, plus abstraite)

散文詩のテーマとなるのは、現代生活(la vie moderne)。
ここで興味深いことは、美術批評である『1846年のサロン』において、古代の美と現代の美を論じる時に使った論理と同じ論理が、ここで使われていること。

1846年には、「英雄性(héroïsme)」という言葉を使い、美の一つの側面は永遠性であり、それは古代の伝統の中でも、現代美術でも変わらないとした。
違うのは、古代において生活はすでに英雄的であったが、現代では生活は儚く、束の間でしかないこと。
従って、束の間のものを捉え、それを永遠にするのが現代の美だと、ボードレールは主張した。
https://bohemegalante.com/2020/08/29/baudelaire-heroisme-de-la-vie-moderne-salon-1846/

散文詩に関してボードレールがモデルにするのは、アロイジウス・ベルトランの散文詩集『夜のガスパール(Gaspard de la nuit)』。
ボードレールは、当時ほとんど知られていなかったこの詩集に、「有名な(fameux)」という形容詞をあえて付け、ベルトランと同じことを試みたのだと言う。
ただし、対象とする生活(la vie)は違っている。

(…) l’idée m’est venue de tenter quelque chose d’analogue, et d’appliquer à la description de la vie moderne, ou plutôt d’une vie moderne et plus abstraite, le procédé qu’il avait appliqué à la peinture de la vie ancienne, si étrangement pittoresque.

私は(ベルトランと)同じようなことをしようと思いつきました。奇妙なほど絵画的な昔の生活に対して彼が行ったやり方を、現代生活、さらに言えば、より把握しがたい現代生活の描写に、適用しようと思ったのです。

『夜のガスパール』がテーマとしたのは、中世の絵画のようなテーマ。城やゴシック様式の教会の鐘、妖精や悪魔など、「奇妙なほど絵画的な昔の生活(la vie ancienne, étrangement pittoresque)」。
伝統的な絵画であれば、古代の英雄的な生活に匹敵する。

そうした生活の代わりに、ボードレールは「現代生活(la vie moderne)」を置く。
中世の生活が「絵画的(pittoresque)」だとすると、現代の生活は、「より把握しがたい(plus abstraite)」。
Abstraitという言葉は、普通、抽象的と訳される。その抽象性とは、ここでは、把握するのが難しいとか、外の世界に注意を払わず、心を占めていることだけにしか注意が向かないという意味。
従って、外の絵画的な様相によって特色付けられるのではなく、夢想や瞑想という内的な状態に関心が向く。

「現代生活」をテーマとすることは、外の世界を描きながらも、同時に夢想(rêverie)を辿ることにもなる。

C. 詩的散文(prose poétique)

詩のテーマが決まれば、次は、詩を生み出す言語へと話題は移る。
19世紀の半ば、伝統的な詩は変革の時を迎えつつあった。音節数と韻などの絶対的な規則に手を触れることはできないが、その枠組みの中で、詩句の切れ目や繋がりを工夫し、詩句の多様性を模索する動きがあった。

ジェラール・ド・ネルヴァルは、韻文でさえあれば詩と言えるのか、という問いを発している。もっと言えば、詩とは何か?という問いかけ。
アルセーヌ・ウセーは韻文詩だけではなく、散文も詩集の中に挿入し、散文でも詩でありうることを示している。ボードレールが題名を挙げるウセー作の「ガラス屋の歌(La Chanson du vitrier)」も、散文で書かれている。

そうした新しい詩を模索する詩人たちを「私たち(nous)」と名指し、ボードレールは詩的散文について、次のように記す。

Quel est celui de nous qui n’a pas, dans ses jours d’ambition, rêvé le miracle d’une prose poétique, musicale sans rhythme et sans rime, assez souple et assez heurtée pour s’adapter aux mouvements lyriques de l’âme, aux ondulations de la rêverie, aux soubresauts de la conscience ?

私たちの誰が、野望に溢れていたあの日々、詩的散文の奇跡を夢見なかっただろうか? 音楽的ではあるが、リズムも韻もない。柔軟であるが対立も含み、魂の抒情的な動きや夢想の揺らめき、意識の震えに合わせることができる散文。

リズムと韻がないとは、韻文ではないこと。
それらがないと言うことで、韻文と同等の音楽的な散文という、詩的散文の特色を強調する。

その散文の生み出す音楽は、柔軟でありながら、対立する部分をそのままに残し、人間の内面生活の様々な動きを巧みに表現する。

ネルヴァルは、音楽性に富んだ詩的散文で「シルヴィ」という美しい物語を語った。彼が目指したのは、散文詩ではなく、散文の作品で詩を生み出すことだった。その意味で、ネルヴァルは、ルソーやシャトーブリアンの弟子に留まった。

ボードレールの野望(ambition)は、音楽的な詩的散文を綴るだけではなく、散文でありながら、韻文詩の横に散文詩という詩のジャンルを打ち立てることだった。

D. 特別に違う何か

ボードレールは、散文詩集のモデルとして『夜のガスパール』を挙げると同時に、アルセーヌ・ウセーの「ガラス屋の歌(La Chanson du vitrier)」にも言及する。

ガラス屋というのは、ガラスを背に担ぎ、パリの街の中を歩き、ガラスを売る職業。
ウセーは、「おーい、ガラス屋(Oh ! Vitrier !)」という呼びかけをリフレインにした散文を書き、自分の詩集の中に収めている。
1862年の『ラ・プレス』紙の第一回連載には、ボードレールの散文詩「悪いガラス屋」も掲載されているが、それは明らかにウセーの作品を前提に書かれたものだと考えられる。

そのウセーの「ガラス屋の歌」に関して、内容的には、都市の中で聞こえてくる「あらゆる悲惨さを思わせる事象(toutesles désolantes suggrestions)」であり、それを語るのは、「抒情的な散文(prose lyrique)」であるとする。
そこで、内容的にも、散文的にも、ボードレールの試みのモデルだと言いうる。

しかし、「小散文詩」は決して、ベルトランやウセーの後に従い、彼等の作品の系列に連なるものではない。

Sitôt que j’eus commencé le travail, je m’aperçus que non-seulement je restais bien loin de mon mystérieux et brillant modèle, mais encore que je faisais quelque chose (si cela peut s’appeler quelque chose) de singulièrement différent, accident dont tout autre que moi s’enorgueillirait sans doute, mais qui ne peut qu’humilier profondément un esprit qui regarde comme le plus grand honneur du poëte d’accomplir juste ce qu’il a projeté de faire.

仕事を始めた後で、すぐに私は気づきました。私は、単に、神秘的で輝かしいモデルから遠くにいるというだけではなく、特別に違った何か(もしそれを何かと呼ぶことができれば、ですが、)を作り上げたのです。それは事故のように突発的なものす。私以外の人間なら自慢に思うかも知れません。しかし、詩人としての最も大きなプライドが、実現しようと計画したことを正しく実行することだと思う者にとっては、大変に恥ずかしい心持ちにしかなりません。

ボードレールは、新聞の編集長に対して、自分を卑下するような書き方をしながら、しかし、自分の成し遂げたことが、「特別に違った何か(quelque chose de singulièrement différent)」であり、「事故(accident)」だと言い、独自性を強く打ち出す。

特別に違った何かが何かは明らかにしない。
しかし、ベルトランにしても、ウセーにしても、散文で詩を書く試みはしていた。しかし、決して散文が詩を書く言語だと認めさせるところまで行くことはなかった。

ボードレールの「特別に違った何か」とは、彼等の到達できなかった地点まで到達させてくれるものであり、この手紙に続く「小散文詩」は、その証明となるものだ。
「詩人としての最も大きなプライド(le plus grand honneur du poëte)」という言葉が、偽りの謙虚さを裏切り、ボードレールの「野望(ambition)」と、それが実現できたという彼の自信を明かしている。

1862年に改変された「夕べの黄昏」は、その裏付けとなる散文詩の一つだと見なすことができる。
そのことは、1862年版の散文詩「夕べの黄昏」を1855年の版と比較することで証明される。(次ページに続く)

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