
「夕べの黄昏(Le Crépuscule du soir)」は、シャルル・ボードレールが最初に公けにした散文詩。
1855年、『フォンテーヌブロー』という選文集の中で、韻文詩「二つの薄明(Deux crépuscules)」の後ろに置かれ、4つの詩節からなる散文だった。
https://bohemegalante.com/2020/08/31/baudelaire-crepuscule-du-soir-en-prose-1855/
その後、詩人は別の機会を見つけ、何点かの散文詩を発表し、1862年になると、『ラ・プレス(La Presse)』という新聞に、26点の作品を4回に分けて掲載しようとした。
その際、3回目までで20作品が公けにされたが、連載4回目の掲載はなかった。しかし、ゲラ刷りが残っていて、その中に「夕べの黄昏」も含まれている。
しかも、そのゲラ刷りにある詩は、1855年の版とはかなり異なっている。全く違うと言っていいほど、違いは大きい。
『ラ・プレス』の連載の最初の回では、文学部門の編集責任者だったアルセーヌ・ウセーに向けられた献辞の手紙が置かれ、ボードレールが「散文詩というジャンル」を確立しようとする意図が語られている。
アルセーヌ・ウセー宛の手紙と、「夕べの黄昏」の2つの版を検討することで、1862年の時点でボードレールの考える散文詩がどのようなものなのか、探ってみよう。
2つの「夕べの黄昏」の第一詩節
1855年と1862年の「夕べの黄昏」の最初の詩節を読み比べてみよう。
La tombée de la nuit a toujours été pour moi le signal d’une fête intérieure et comme la délivrance d’une angoisse. Dans les bois comme dans les rues d’une grande ville, l’assombrissement du jour et le pointillent des étoiles ou des lanternes éclairent mon esprit.
夜の始まりは、私にとって、常に、心の中の祭りの合図であり、苦悶からの解放のように感じられた。森の中でも、大都市の通りと同じように、日が暮れると、星や街灯の光の燦めきが、私の精神を照らし出す。
Le jour tombe. Un grand apaisement se fait dans les pauvres esprits fatigués du labeur de la journée, et leurs pensées prennent maintenant les couleurs tendres et indécises du crépuscule.
陽が落ちる。大きな安らぎが、昼の労働に疲れた哀れな人々の心の中に生まれる。彼等の思考は、今まさに、夕暮れの、不確かで穏やかな色彩を帯び始める。
二つの断片は、明らかに違っている。では、何が違うのか?
A. 1855年の第一詩節
この文は論理的で、説明的。
夜の闇は、詩人にとって、苦悩からの解放の時であり、祭りの時間ように感じられる。闇の中に星の煌めきや街灯の灯りがチラチラするのが見えると、精神が明るく照らされるような気持ちになる。
闇の中にキラキラと光る小さな光というイメージは美しいが、それ以外の記述は、客観的で、書き手の考えを読み手に伝えることに主眼が置かれている。
そのために、使用されている単語も、意味が明解で、曖昧さを引き起こす余地の少ないものが選ばれている。
この詩節は、大幅に加筆され、62年の版では、第7詩節となる。
B. 1862年の第一詩節
2番目の文でも、夜は安らぎの時だと言われ、その部分では内容的に最初に文との違いはない。
しかし、文体はかなり異なる。
冒頭の一文は、主語と動詞だけ。Le jour tombe. (陽が落ちる。)
その短さ、簡潔さが、強い印象を生み出す。
昼の仕事に疲れた人々の心が夜には安らぐという二番目の文では、仕事を意味する単語として、labeur が使われている。
labeurは、文体的に洗練され、詩的な言葉であるとされる。従って、この言葉は、それを含む文が日常会話のレベルではなく、文学的なレベルに属することを示すことになる。
3つ目の文は、明確な意味を読者に伝達することを目的としているとは思えない。
まず、「思考が色彩を取る(leurs pensées prennent les couleurs)」という文は論理的とは言えず、読者は各自の感受性や読書経験に応じて理解するしかない。
また、「夕暮れの、不確かで穏やかな色彩(couleurs tendres et indécises du crépuscule)」も、具体的な色ではなく、詩人が感性的に捉えた印象を現している。
論理ではなく、感性に訴えかける文。そのために、読者は理性よりも、想像力を多く働かせることになる。
しかも、詩の題名である「夕暮れ(crépuscule)」という言葉が使われ、この文が詩全体を要約していることがわかる。
C. コミュニケーション言語と詩的言語
1855年の文章は、理性に働きかけ、作者の考えを読者に伝えることに主眼が置かれている。フランス語の理解さえできれば、内容は理解出来る。
それに対して、1862年の文は感覚的で、読者を夢想に誘う傾向にある。たとえフランス語として理解できたとしても、何を言いたいのか明瞭ではない。しかし、わかりにくさを超えて、読者に強く働きかける力を持っている。
散文を使った詩に相応しいのは、当然、詩的言語。
コミュニケーション言語の文を、一定の塊毎に区分けして、詩節のように形を整えたとしても、詩として認められることは難しい。
1862年の改変は、散文詩というジャンルの確立のために、説得力のある例を提示するために行われたものだと考えることができる。
実際、私たちは、1862年の「夕べの黄昏」の冒頭の一節を読んだだけで、ポエジーを強く感じる。
その上で、ボードレールに残されているのは、それが詩的散文(prose poétique)ではなく、散文で綴られた詩(poème en prose)であることを、読者に伝えることになる。
散文詩というジャンルにこだわる理由が日本の読者にはわかりにくいかもしれない。そこで、散文と詩の関係について簡単に振り返っておきたい。
韻文と散文
日本の読者にとって、「散文詩」という言葉は違和感がない。というのも、日本語では、押韻することに無理があり、「韻文詩」がほとんど存在しないからである。
日本文学の伝統で散文と対照的に扱われるのは、和歌や俳句。5/7調の音節数は、定形として、深く日本人の言語感覚に根付いている。
韻文としては、音節数と押韻が定められた漢詩の伝統があった。しかし、日本語への影響は限定的だった。
明治時代に入り、欧米の詩が、押韻はせずに、行分けをした形で翻訳、紹介された。その影響の下で、「新体詩」が書かれ始め、日本にも、和歌や俳句とは違う、「詩」の概念が生まれてきた。
それに対して、フランスでは、「韻文であることが詩の絶対的な条件」と考えられる時代が、19世紀半ばまで続いた。
音節数が整わず、押韻のない文章は、詩とは認められなかった。韻文だけが詩となりえたのであり、散文で詩を書くことはありえなかった。
音楽的で美的な文であれば、「詩的散文」と呼ばれることはある。だが、決して詩のジャンルに含まれるものではなかった。
現在でも、「散文詩」を詩のジャンルとして認めない文学研究者がいるほどである。
そうした伝統の中で、ボードレールの散文詩集『パリの憂鬱』の果たした役割は大きかった。この詩集のおかげで、散文詩(poème en prose)が詩のジャンルとして認められたとさえ言える。
ボードレールの後には、ランボーのように散文を駆使する詩人たちも数多く出現した。
そのように考えると、ボードレールが散文詩(poème en prose)というジャンルを確立するにあたり、それなりの説明が必要であったことがわかってくる。
特別に違う何か=散文の詩
— アルセーヌ・ウセーへの献辞 —
ボードレールは、、1862年、『ラ・プレス』紙に「小散文詩(Petits Poèmes en prose)」という総題で、すでに公けにした作品も含め、26点の散文詩を四回に分けて発表しようした。
その連載の最初に、新聞の文学担当編集責任者であり、詩人でもあったアルセーヌ・ウセーに宛て、作品の意図を明かす手紙を、献辞のようにして挿入した。
その中で、「小散文詩集」は、詩集としての統一性はなく、頭も尾もない、と言う。もっと言えば、どこもが頭であり、どこもが尾であり、どこから、どのような順番で読んでもいい。
そうした特徴は、韻文詩集『悪の華』との対比を際立たせる。『悪の華』の初版では、100編の韻文詩が完璧な構造体を形作り、最初から最後まで詩人によって順番が熟考されていた。
「小散文詩集」は、それとは正反対の状態にある。詩集を断片に分解したとしても、それぞれの断片が生命を持ち、独自に存在する。
詩集に対するこうした考え方は、ボードレールが考える散文詩のあり方を暗示しているとも考えられるし、散文詩を韻文詩に匹敵する文学ジャンルとして提示しているのだとも考えられる。
B. 現代生活(une vie moderne, plus abstraite)
散文詩のテーマとなるのは、現代生活(la vie moderne)。
ここで興味深いことは、美術批評である『1846年のサロン』において、古代の美と現代の美を論じる時に使った論理と同じ論理が、ここで使われていること。
1846年には、「英雄性(héroïsme)」という言葉を使い、美の一つの側面は永遠性であり、それは古代の伝統の中でも、現代美術でも変わらないとした。
違うのは、古代において生活はすでに英雄的であったが、現代では生活は儚く、束の間でしかないこと。
従って、束の間のものを捉え、それを永遠にするのが現代の美だと、ボードレールは主張した。
https://bohemegalante.com/2020/08/29/baudelaire-heroisme-de-la-vie-moderne-salon-1846/

散文詩に関してボードレールがモデルにするのは、アロイジウス・ベルトランの散文詩集『夜のガスパール(Gaspard de la nuit)』。
ボードレールは、当時ほとんど知られていなかったこの詩集に、「有名な(fameux)」という形容詞をあえて付け、ベルトランと同じことを試みたのだと言う。
ただし、対象とする生活(la vie)は違っている。
(…) l’idée m’est venue de tenter quelque chose d’analogue, et d’appliquer à la description de la vie moderne, ou plutôt d’une vie moderne et plus abstraite, le procédé qu’il avait appliqué à la peinture de la vie ancienne, si étrangement pittoresque.
私は(ベルトランと)同じようなことをしようと思いつきました。奇妙なほど絵画的な昔の生活に対して彼が行ったやり方を、現代生活、さらに言えば、より把握しがたい現代生活の描写に、適用しようと思ったのです。
『夜のガスパール』がテーマとしたのは、中世の絵画のようなテーマ。城やゴシック様式の教会の鐘、妖精や悪魔など、「奇妙なほど絵画的な昔の生活(la vie ancienne, étrangement pittoresque)」。
伝統的な絵画であれば、古代の英雄的な生活に匹敵する。
そうした生活の代わりに、ボードレールは「現代生活(la vie moderne)」を置く。
中世の生活が「絵画的(pittoresque)」だとすると、現代の生活は、「より把握しがたい(plus abstraite)」。
Abstraitという言葉は、普通、抽象的と訳される。その抽象性とは、ここでは、把握するのが難しいとか、外の世界に注意を払わず、心を占めていることだけにしか注意が向かないという意味。
従って、外の絵画的な様相によって特色付けられるのではなく、夢想や瞑想という内的な状態に関心が向く。
「現代生活」をテーマとすることは、外の世界を描きながらも、同時に夢想(rêverie)を辿ることにもなる。
C. 詩的散文(prose poétique)
詩のテーマが決まれば、次は、詩を生み出す言語へと話題は移る。
19世紀の半ば、伝統的な詩は変革の時を迎えつつあった。音節数と韻などの絶対的な規則に手を触れることはできないが、その枠組みの中で、詩句の切れ目や繋がりを工夫し、詩句の多様性を模索する動きがあった。
ジェラール・ド・ネルヴァルは、韻文でさえあれば詩と言えるのか、という問いを発している。もっと言えば、詩とは何か?という問いかけ。
アルセーヌ・ウセーは韻文詩だけではなく、散文も詩集の中に挿入し、散文でも詩でありうることを示している。ボードレールが題名を挙げるウセー作の「ガラス屋の歌(La Chanson du vitrier)」も、散文で書かれている。
そうした新しい詩を模索する詩人たちを「私たち(nous)」と名指し、ボードレールは詩的散文について、次のように記す。
Quel est celui de nous qui n’a pas, dans ses jours d’ambition, rêvé le miracle d’une prose poétique, musicale sans rhythme et sans rime, assez souple et assez heurtée pour s’adapter aux mouvements lyriques de l’âme, aux ondulations de la rêverie, aux soubresauts de la conscience ?
私たちの誰が、野望に溢れていたあの日々、詩的散文の奇跡を夢見なかっただろうか? 音楽的ではあるが、リズムも韻もない。柔軟であるが対立も含み、魂の抒情的な動きや夢想の揺らめき、意識の震えに合わせることができる散文。
リズムと韻がないとは、韻文ではないこと。
それらがないと言うことで、韻文と同等の音楽的な散文という、詩的散文の特色を強調する。
その散文の生み出す音楽は、柔軟でありながら、対立する部分をそのままに残し、人間の内面生活の様々な動きを巧みに表現する。
ネルヴァルは、音楽性に富んだ詩的散文で「シルヴィ」という美しい物語を語った。彼が目指したのは、散文詩ではなく、散文の作品で詩を生み出すことだった。その意味で、ネルヴァルは、ルソーやシャトーブリアンの弟子に留まった。
ボードレールの野望(ambition)は、音楽的な詩的散文を綴るだけではなく、散文でありながら、韻文詩の横に散文詩という詩のジャンルを打ち立てることだった。
D. 特別に違う何か
ボードレールは、散文詩集のモデルとして『夜のガスパール』を挙げると同時に、アルセーヌ・ウセーの「ガラス屋の歌(La Chanson du vitrier)」にも言及する。

ガラス屋というのは、ガラスを背に担ぎ、パリの街の中を歩き、ガラスを売る職業。
ウセーは、「おーい、ガラス屋(Oh ! Vitrier !)」という呼びかけをリフレインにした散文を書き、自分の詩集の中に収めている。
1862年の『ラ・プレス』紙の第一回連載には、ボードレールの散文詩「悪いガラス屋」も掲載されているが、それは明らかにウセーの作品を前提に書かれたものだと考えられる。
そのウセーの「ガラス屋の歌」に関して、内容的には、都市の中で聞こえてくる「あらゆる悲惨さを思わせる事象(toutesles désolantes suggrestions)」であり、それを語るのは、「抒情的な散文(prose lyrique)」であるとする。
そこで、内容的にも、散文的にも、ボードレールの試みのモデルだと言いうる。
しかし、「小散文詩」は決して、ベルトランやウセーの後に従い、彼等の作品の系列に連なるものではない。
Sitôt que j’eus commencé le travail, je m’aperçus que non-seulement je restais bien loin de mon mystérieux et brillant modèle, mais encore que je faisais quelque chose (si cela peut s’appeler quelque chose) de singulièrement différent, accident dont tout autre que moi s’enorgueillirait sans doute, mais qui ne peut qu’humilier profondément un esprit qui regarde comme le plus grand honneur du poëte d’accomplir juste ce qu’il a projeté de faire.
仕事を始めた後で、すぐに私は気づきました。私は、単に、神秘的で輝かしいモデルから遠くにいるというだけではなく、特別に違った何か(もしそれを何かと呼ぶことができれば、ですが、)を作り上げたのです。それは事故のように突発的なものす。私以外の人間なら自慢に思うかも知れません。しかし、詩人としての最も大きなプライドが、実現しようと計画したことを正しく実行することだと思う者にとっては、大変に恥ずかしい心持ちにしかなりません。
ボードレールは、新聞の編集長に対して、自分を卑下するような書き方をしながら、しかし、自分の成し遂げたことが、「特別に違った何か(quelque chose de singulièrement différent)」であり、「事故(accident)」だと言い、独自性を強く打ち出す。
特別に違った何かが何かは明らかにしない。
しかし、ベルトランにしても、ウセーにしても、散文で詩を書く試みはしていた。しかし、決して散文が詩を書く言語だと認めさせるところまで行くことはなかった。
ボードレールの「特別に違った何か」とは、彼等の到達できなかった地点まで到達させてくれるものであり、この手紙に続く「小散文詩」は、その証明となるものだ。
「詩人としての最も大きなプライド(le plus grand honneur du poëte)」という言葉が、偽りの謙虚さを裏切り、ボードレールの「野望(ambition)」と、それが実現できたという彼の自信を明かしている。
1862年に改変された「夕べの黄昏」は、その裏付けとなる散文詩の一つだと見なすことができる。
そのことは、1862年版の散文詩「夕べの黄昏」を1855年の版と比較することで証明される。(次ページに続く)
1862年版の散文詩「夕べの黄昏」
第1詩節はすでに目を通してきた。
Le Crépuscule du soir
Le jour tombe. Un grand apaisement se fait dans les pauvres esprits fatigués du labeur de la journée, et leurs pensées prennent maintenant les couleurs tendres et indécises du crépuscule.
陽が落ちる。大きな安らぎが、昼の労働に疲れた哀れな人々の心の中に生まれる。そして、彼等の思考は、今まさに、夕暮れの、不確かで穏やかな色彩を帯び始める。
(朗読は、1869年の『パリの憂鬱』に収録された版。1862年のゲラ刷りの版とは多少の違いがある。)
Cependant, du haut de la montagne, arrive à mon balcon, à travers les nues transparentes du soir, un grand hurlement composé d’une foule de cris discordants que l’espace transforme en une lugubre harmonie, comme celle de la marée qui monte ou d’une tempête qui s’éveille.
しかし、山の頂から、バルコニーに、夕べの透明な雲を通してやって来る、数多くの不調和な叫び声の混ざった大きなうなり声が。その声を、空間が不吉なハーモニーに変える、波が立ち上がり、嵐が起ころうとする時のハーモニーに似た。
第2詩節を特徴付けるのは、黒い太陽とか、四角い三角等、矛盾する要素が連結されるオクシモロン(Oxymore: 撞着語法)。
不調和な叫び(cris discordants)が、空間(l’espace)によって、つまり、遠く離れることで、ハーモニー(harmonie)=調和に変わる。
本来、ハーモニーは楽器の弦のコード(corde)が一致している(concordant)はず。ここでは、不調和(discordant)なものがハーモニーになる。
その結果、本来は耳に心地よいはずのハーモニーが、不吉なものに聞こえる。
不吉なハーモニー(une lugubre harmonie)は、矛盾したものが結合した表現そのものである。
そのハーモニーが響いてくるのは、夕べの透明な雲(nuages transparenes du soir)を通して。そのイメージは美しい。
他方で、不吉なハーモニーは、高い波(la marée qui monte)や嵐(la tempête)の立てる音を連想させる。
この対比も、オクシモロンに基づいている。
この詩節では、山、雲、波、嵐といった自然のイメージが絵画的な効果を生み出し、その中で、矛盾するものの結合によって、何とも言えない不確かな雰囲気が生み出されている。
第1詩節の最後に記された、「夕暮れの、不確かで穏やかな色彩(couleurs tendres et indécises du crépuscule)」を、具体的に描き出したものと言ってもいい。
Quels sont les infortunés que le soir ne calme pas, et qui prennent, comme les hiboux, la venue de la nuit pour un signal de sabbat ? Cette sinistre ululation nous arrive du noir hospice des Antiquailles, et le soir, en fumant et en contemplant le repos de l’immense vallée, hérissée de maisons, dont chaque fenêtre illuminée dit : « C’est ici la paix maintenant ; c’est ici la joie de la famille ! » je puis, quand le vent souffle de Fourvières, bercer ma pensée étonnée à ce redoutable écho de l’Enfer.
どのような人々が、夕べになって、心安らかにならない不幸者なのだろう? 彼等は、フクロウのように、夜の到来を魔女の夜会のサインだと見なしている。その不吉なうなり声は、アンチカーユの黒い病院から、私たちのもとにやって来る。夕方、私は、タバコを吹かし、巨大な谷の休息を眺める。その谷には家々が林立し、それぞれの窓がこう告げている:「ここは今平和だ。ここは家族の喜びだ!」 私は、フルヴィエールの丘から風が吹き下ろす時、地獄の恐ろしい響きを耳にしながら、びっくりしている自分の思いを揺り籠で揺することができる。
第1詩節の冒頭では、夕方は心に安らぎをもたらすと言われた。第2詩節の曖昧な雰囲気を経て、第3詩節になると、夕方になっても心が穏やかにならない人々に話題が移る。
その際に、アンチカーユ、フルヴィエールという固有名詞が使われ、ここで語られていることが、パリではなく、リヨンを舞台にしていることが明かされる。
フルヴィエールは、リヨンの街を見下ろすノートルダム大聖堂のある丘。聖堂の近くに作られた修道院は、19世紀に病院となり、娼婦、狂人、罪人などが収容されていた。


1821年にパリで生まれたボードレールは、義理の父の都合で1832年にリヨンに転居し、1836年までの4年間をコレージュの寄宿生として過ごした。
従って、アンチカーユの病院を実際に知り、社会の底辺に置かれた病人たちの叫び声を実際に聞いたことがあるのかもしれない。
2つの固有名詞の存在は、記された内容が、詩人の実体験に由来する可能性を示している。
しかし、その体験を語る言葉は、意味をスムーズに伝えることを目的とするコミュニケーション言語ではなく、文学言語に属している。
それが最も明確に表れるのは、ululation (うなり声)という単語。
第2詩節では、同じ意味の単語 hurlement が使われていた。
ululation はラテン語をフランス語化したもので、通常使われることはない。そうした単語の使用は、文の意味のスムーズな流通を妨げることで、言葉自体に価値を持たせることになり、文が文学言語で語られていることを示す効果を持っている。
さらに、最後の一文では、複雑な構文も使われる。
タバコを吸い(en fumant)、谷の休息を眺める(en contemplant)主体は、「私(je)」であるが、その二つの間に長い要素が挿入され、関係が分かり難くされている。
挿入された要素の中では、谷(vallée)に家が林立し(hérissée de maisons)、その家の窓(dont chaque fenêtre)が語る言葉が、直接話法の文(« C’est ici la paix »)で付け加えられる。
l’immense vallée, hérissée de maisons, dont chaque fenêtre illuminée dit : « C’est ici la paix maintenant ; c’est ici la joie de la famille ! »
こうした複雑な構造をした文は、コミュニケーションを阻害する。
内容的なレベルでは、不幸な人々(infortunés)と「私」との対比が示される。不幸な人々は、夕方になると心が落ち着かなくなり、うめき声を上げる。「私」は、その声を耳にして驚くが、しかしその驚きの思いを揺り籠を揺するようにして和らげることができる。
この対比は、1855年の版で、夕方が一方では心を安らげ、他方では馬鹿げた行為を引き起こし、同じことが二つの結果をもたらすのは興味深いとした内容を踏襲している。
第4詩節から第7詩節は、1855年の散文詩に手を加え、詩的効果を高めたものである。
1855年の「夕べの黄昏」の第2詩節から第4詩節が順番に取り上げられ、次に第1詩節であったものが置かれる。
まず、2人の友人に言及され、そのうちの一人の様子が語られる。
Le crépuscule excite les fous. Bizarre ! bizarre ! Je me souviens que j’ai eu deux amis que le crépuscule rendait tout malades. L’un méconnaissait alors tous les rapports d’amitié et de politesse, et maltraitait comme un sauvage le premier venu. Je l’ai vu jeter à la tête d’un maître d’hôtel un excellent poulet, dans lequel il croyait voir je ne sais quel insultant hiéroglyphe. Le soir, précurseur des voluptés profondes, lui gâtait les choses les plus succulentes.
黄昏は狂人を興奮させる。奇妙だ! 奇妙だ! 思い出すのだが、私には、黄昏になると完全に病気になってしまう二人の友人がいた。一人は、その時になると、友情と礼儀のあらゆる関係を誤解し、出会う人を誰でも手ひどく扱った。彼が、給仕長の頭に、素晴らしく美味しい鶏肉を投げつけるのを見たことがある。鶏肉の中に、人を侮辱するヒエログリフのようなものが見えたように思い込んだのだ。夕方は、深い官能を予告し、彼の中にある最も滋味豊かなものを台無しにしたのだった。
一人目の友人は、友情と礼儀を無視して、出会った人を手当たり次第に手ひどく扱い、鶏肉を給仕長の頭に投げつけ、全てを駄目にしてしまう。
1855年の版かr多少の単語の入れ替えはあっては、内容に変更はない。
ここでの加筆は、冒頭の一節。
「黄昏は狂人を興奮させる。(Le crépuscule excite les fous)」という断定は初めて登場する。「奇妙だ!(Bizarre ! )」と二度繰り替えされる感嘆も、新たに加えられた要素。
給仕長に投げつけた鶏肉の中に、人を侮辱するヒエログリフのようなもの(je ne sais quel insultant hiéroglyphe)を付加したのも、1862年。
また、ボードレールの詩的世界で重要な意味を持つ、官能(volupté)という単語が用いられ、夕方が「深い官能(voluptés profondes)」を予告すると言われる。
L’autre, un ambitieux blessé, devenait, à mesure que le jour baissait, plus aigre, plus sombre, plus taquin. Indulgent et sociable encore pendant la journée, il était impitoyable le soir ; et ce n’était pas seulement sur autrui, mais aussi sur lui-même, que s’exerçait rageusement sa manie crépusculeuse.
もう一人は、野心が傷ついた人間。日が沈むにつれて、辛辣で、暗く、人を馬鹿にする態度を取るようになった。昼の間はまだ寛容で社交的なのに、夜になると情け容赦なくなった。単に他人に対してだけではなく、自分自身に対して、彼の夕暮れ癖が、狂ったように発揮された。
第5詩節で最も注目したいのは、最後の単語 crépusculeux.
1855年には、crépusculaireという、辞書に登録されている単語が使われていた。
1862年になると、ボードレールは存在しない形容詞を自分で作り出す。語源がcrépusculeであることは形から明かなので意味の理解は可能だが、新語(néologisme)は、意味ではなく、その言葉自体に注意を集める効果を持つ。
昼間は寛大なのに、夜になると正反対になる人間の分析として、他人に対してよりも、自分自身に対して「夕暮れ癖(manie crépusculeuse)」が発揮されるのだという分析は、55年にもなされたものであり、ボードレールとしても満足のいく考察だっただろう。
二人の例を挙げた後、最終的な考察を述べる部分も、基本的には以前の文が踏襲される。
Le premier est mort fou, incapable de reconnaître sa femme et son enfant ; le second porte en lui l’inquiétude d’un malaise perpétuel, et fût-il gratifié de tous les honneurs que peuvent conférer les républiques et les princes, je crois que le crépuscule allumerait encore en lui la brûlante envie de distinctions imaginaires. La nuit qui mettait ses ténèbres dans leur esprit fait la lumière dans le mien ; et bien qu’il ne soit pas rare de voir la même cause engendrer deux effets contraires, j’en suis toujours comme intrigué et alarmé.
最初の男は気が狂って死んだ。妻も子供のこともわからなかった。二番目の男は、自分の中に絶えず居心地の悪さがあり、そこから来る不安を抱えている。たとえ共和国や王子たちから授けられうる全ての栄誉が彼に与えられたにしても、黄昏は、彼の中に、もっと認められたいという燃えるような欲望を焚き付けるだろうと、私は思う。夜は、彼等の精神に闇を作るが、私の精神の中には光を生み出す。同じ原因が二つの対立する結果を生み出すのを見るのはまれではないが、そのことが私にはいつでも興味深く、注意を促される。
最初の男は気が狂って死ぬ。二番目の男は、夜になると、自分に対する誇大妄想が爆発する。夜は、彼等の精神に対して闇を作り出す。他方、「私」の精神の中で夜は光を生み出す。
この部分での加筆は、二番目の男の分析。1855年には単に「絶えず不満足だということから来る不安( l’inquiétude d’une insatisfaction perpétuelle)」が彼の夜の行動の原因とされるだけだった。
1862年では、この部分にかなりの加筆が加えられ、自分を認められたいという底なしの欲望が彼の中にはあるという分析が加えられている。
その一方で、そこから導き出される考察は、二つの版で同じ。
「同じ原因が二つの対立する結果を生み出す(la même cause engendre(r) deux effets contraires)。」それはまれではないが、興味を引かれる現象である、というもの。
1855年の版では、この考察で詩が終わる。そこで、、詩というよりも、ラ・ロシュフコーやラ・ブリュイエールのような、人間観察に基づく箴言や格言のような印象を与える。
そのために、韻文詩に匹敵するものを散文で表現するためには、ここで終わるのは適切とは言えない。
そこで、1855年には第1詩節であった詩句が、大幅に手を加えられた形で、後に続けられる。
Ô nuit, ô rafraîchissantes ténèbres, vous êtes pour moi le signal d’une fête intérieure, vous êtes la délivrance d’une angoisse ! Dans la solitude des plaines, dans les labyrinthes pierreux d’une capitale, scintillement des étoiles, explosion des lanternes, vous êtes le feu d’artifice de la déesse Liberté !
おお、夜よ、おお、気持ちを新鮮にしてくれる闇よ、お前たちは、私にとって、心の中の祭りの合図だ。苦悶からの解放だ! 草原の孤独の中で、首都の石畳の迷路の中で、星々の煌めきよ、街灯の爆発的に輝く光よ、お前たちは「自由」の女神の花火だ!
内容的には、「私」にとって、夜は祭りの時間、苦悩からの解放の時間であり、空の星や街の灯りが精神を照らすという、1855年の版の繰り返し。

しかし、文体はまったく違い、1862年の版は、二つの感嘆文から構成され、最初の文の始まりは、夜に対する呼びかけになっている。
そのために、1855年の版のような客観的に事実を述べる叙述文ではなく、主観性が強く打ち出され、抒情的な印象を生み出している。
しかも、夜によってもたらされる解放感が、星のきらめき、街灯の光として描かれ、最後には「自由」の女神の花火という美しい表現に集約される。その花火は「私」にとっての黄昏の象徴である。
このように、第7詩節は、絵画性、抒情性、象徴性に富み、散文によるポエジーを生み出す効果を発揮している。
この4つの詩節で1855年の版の再録は終わり、新しい詩句が付け加えられる。
第8詩節は、黄昏に対する呼びかけで始まる。
Crépuscule, comme vous êtes doux et tendre ! Les lueurs roses qui traînent encore à l’horizon comme l’agonie du jour sous l’oppression victorieuse de sa nuit, les feux des candélabres qui font des taches d’un rouge opaque sur les dernières gloires du couchant, les lourdes draperies qu’une main invisible attire des profondeurs de l’Orient, imitent tous les sentiments compliqués qui luttent dans le cœur de l’homme.
黄昏よ、何と穏やかで、優しいことか! バラ色の光。地平線の上でまだぐずぐずしている様子は、勝ち誇った夜の抑圧の下にある昼の苦悶と同じ。街灯の灯。夕日の最後の栄光の上に、どんよりとした赤い染みを作っている。重々しい布。それを目に見えない手が、東方の深みから引き出してくる。それら全ては、人間の心の中で戦う複雑な感情を模している。
「黄昏よ(Crépuscule)!」と、再び感嘆文が使われ、黄昏への愛好が感情的に表現される。
その後に続く文は、主語にあたる部分が肥大し、les lumières(光)、les feux(灯)、les draperies(布)に対応する動詞 imiter は、なかなか姿を現さない。
それは、ちょうど、日没の間際、太陽が昼と夜の間でぐずぐずし(traîner)、光と闇が共存する不確かな時が長引いている状態と対応する。
つまり、構文そのものが、文の内容を形態的に表現していると見なすことができる。

夕日のバラ色の光は、これから来る闇に呑み込まれようとしている。闇が深まるとともに、街灯の光がポツポツと点り始める。陽が昇る東から、徐々に幕が引かれ、全ては闇に包まれる。
そこには、光と闇の複雑な関係があり、その状態は人間の心の複雑さを映し出す鏡にもなっている。
逆に言えば、ボードレールは、心の葛藤を、黄昏の美しい光景として描き出しているといえる。
On dirait encore d’une de ces robes étranges de danseuses, où une gaze transparente et sombre laisse entrevoir les splendeurs amorties d’une jupe éclatante, comme sous le noir présent transperce le délicieux passé ; et les étoiles vacillantes d’or et d’argent, dont elle est semée, représentent ces feux de la fantaisie qui ne s’allument bien que sous le deuil profond de la nuit.
それはまた、踊り子たちの奇妙な衣裳の一つと言ってだろう。暗く透明な薄い布の下から、キラキラと輝くスカートの穏やかな輝きが垣間見える。黒い現在の下に、甘美な過去が突き出すように。スカートにちりばめられた、金と銀でチラチラと揺らめく星たちは、夜の深い喪の下でしか灯が点らないファンタジーの火を再現している。

最終節では、黄昏の複雑な印象が、踊り子の衣裳、とりわけスカートによって表現される。
そこには常に二重性がある。昼と夜、光と闇、苦悶と喜び、心の葛藤と解放感、狂気と自由、暗い現在と甘美な過去。
踊り子たちは、ダンスの激しい動きの中で、見えるものを見えなくし、隠されたものを垣間見させる。
踊り子の衣裳が「奇妙(étrange)」なのは、そうした二つの側面が共存しているからであり、一つの側面だけになってしまえば、魅力は失われる。
夕べの黄昏時、光は衰え、闇が世界を包み始める。そうして、世界が夜の闇に包まれる時、星や街灯は輝きを見せ始め、美が生み出される。
それは、真昼には決して見ることができない光景。
ファンテジーの灯(les feux de la fantaisie)は、だからこそ、夜の深い喪(le deuil profond de la nuit)の中でしか、点ることがない。
ファンタジー(fantaisie)という言葉は、19世紀半ばにおいて、自由な想像力の働きを意味した。その意味で、詩的創造の原動力と考えてもいい。
ファンタジーの灯は、闇を背景にすることで、初めて美しく点る。
そのように理解した場合、1862年の「夕べの黄昏」は、詩の創造原理を自ら語る詩だということになる。
ファンタジーの原理に基づき、輝きを放っていれば、韻文だけではなく、散文でも、詩を生み出すことができる。
散文で綴られた「夕べの黄昏」は、その証しに他ならない。
ボードレールより後の時代、印象派の画家カミーユ・ピサロの「モンマルトル大通り、夜の効果」等を目にすると、ファンタジーの光の絵画的な美を感じ取ることができる。

1855年には、詩と言うよりも箴言のようだった散文の「夕べの黄昏」が、1862年の手直しによって詩的な美を獲得し、散文詩というジャンルの成立に貢献した。
そのように考えても、間違いではないだろう。