
プラトンの「ゴルギアス —弁論術について—」の一節は、秩序や調和(ハーモニー)が古典的美学の中で、なぜ善きものとなり、美と見なされるのか、私たちにわかりやすく教えてくれる。
「ゴルギアス」は、副題の「弁論術について」が示すように、人間を善に導く弁論術と、そうではない弁論術についてソクラテスが論じるのだが、その中で、他の様々な技術を例に引いて説明している。
その中で、ソクラテスは、調和(harmonie)、秩序(ordre)、形(forme)が、有益さや優れた性能、善きもの(bien)を生み出すことを、簡潔に、しかし説得力を持って論じていく。
ソクラテスによれば、雄弁家も、他の職人たちと同じように、目的をしっかりと見据えて制作し、偶然に行うことはない。
彼等は、作品を実現するために必要なものを選択し、それ固有の「形(forme : eidos)」が備わるようにする。

例えば、船大工が船を作るとする。
彼は、それぞれの部品を互いにうまく調整し、部分同士が調和(harmonie : harmottein)するようにし、最終的に、全体が「秩序(ordre : cosmos)」を持つところまで仕上げる。
そうすれば、性能のいい船ができあがり、役に立つものとなり、「善きもの(bien : agathos)」となる。
船大工が、部品を無秩序に組み合わせ、調和を欠いた状態で、あるべき船の形を無視すれば、出来上がったものは部品の混乱した集合体に過ぎなくなり、船としての役割を果たさない。
人間の身体にしても、魂にしても、同じことが言える。
身体を構成する様々な部分の間に一定の「秩序」あるいは「調和」がなければ、その体はうまく機能せず、病気になってしまう。
医者の仕事は、「秩序」を回復し、善い体にすることである。
魂に関しても同じ。
「秩序」を欠いた魂は、病んだ魂であり、不正を働き、放埒で、敬虔さを欠いている。
魂を癒す者は、「秩序」や「調和」を回復させる。
健康な魂は、勇気、思慮分別を持ち、節制を知る。

このように考えると、有益なもの、善きものとは、秩序や調和の保たれた「形(forme : eidos)」に基づいていることになる。
プラトンの哲学では、「形(eidos)」がイデアの同義語となることもある。
とすれば、それこそが、真に存在するものであり、善であり、美と見なされる。
古代ギリシア、古代ローマ、それらが復活したルネサンスの時代、美の理想は均整が取れ、調和(ハーモニー)が響き、秩序立ったものであった。
それら全ての基礎にプラトン的な美があったこと。そのことを、船大工の例から理解することができる。
