フランス文学の道しるべ 最初の一歩

Camille Corot, Femme lisant

 フランス文学の豊かで広大な森に入る時、地図を持たないと道に迷い、ただ歩き回るだけで終わってしまうことになりかねない。
 ゆっくりと木や花を観察し、小鳥のさえずりに耳を傾け、動物の動きに気を配るためには、森の全体像を把握できるための大まかな知識を持っていた方がいい。
 そこでまず最初に、最も大きな視点から見たフランス文学全体の見取り図を示してみよう。

 フランス文学というからには、フランスという国土の成り立ちを知ることも大切だし、フランス人が時代の変遷に従ってどのような精神性の中で生き、その中でどのような表現をしてきたのか等も知っておきたい。
 そうした知識を持つことで、一つ一つの作品を読む際に、読者の世界観を作品に押しつけ、自分流の読み方だけに終わる危険を避けることができるはず。

フランスの国土と言語

フランスという国の輪郭はいつ出来上がったのだろう。

カエサル(ジュリアス・シーザー)の『ガリア戦記』で知られているように、紀元前1世紀頃、ローマがガリア地方を占領した。
ガリア地方とは、現在のフランス・ベルギー・スイスおよびドイツとオランダの一部を含む広大な地域であり、ケルト人が居住していた。その地域のローマ支配は起源5世紀まで及び、その間にケルト文明とローマ文明の融合が進んだ。

5世紀になると、ゲルマン系民族が大移動して東方から侵入、ガリア地方に多くの王国を作った。
476年の西ローマ帝国滅亡後、ゲルマン人の一部族の長クローヴィスが建国したメロヴィング朝フランス王国が勢力を拡大した。
その後、カロリング朝フランク王国を拡大したシャルルマーニュ(カール大帝)は、800年に西ローマ帝国皇帝の称号をローマ教皇から与えられるまでに至る。

シャルルマーニュが樹立したフランク王国は、大帝の死後、孫の世代になり三分割される。
その際、長男ロタール1世が一人で帝国を相続しようとするのに対抗して、842年にルートヴィヒ2世とシャルル2世が「ストラスブールの誓約」によって同盟を結び、843年にはヴェルダンの条約で三分割して相続することが確定した。
その分割でシャルル2世が相続した西フランク王国が、フランスの国土の原型となった。

その後も、国土の変更は多少見られるが、フランスに関しては、9世紀半ばに現在のフランスの国土がほぼ確定したと言える。
それと同時に、フランスの文化の基底にはケルト文明があり、ローマの支配下で、ローマ文明と融合したガロ・ローマ文明が成立したことも理解することができる。

Serments de Strasbourg

以上の歴史は、フランス語という言語の成立にも関係している。
長期間に渡りローマの支配を受けたガリアのケルト(ゴール)人は、被支配層として俗ラテン語を使っていたが、そこから派生した言語が現在のフランス語の原型となった。

古フランス語の最初の痕跡は、フランク王国分割の争いの中でルートヴィヒ2世とシャルル2世が交わした「ストラスブールの誓約(serments de Strasbourg)」だとされる。
その誓約は、ラテン語、古高ドイツ語、ロマンス語という三種類の言語で記された。
そのロマンス語がフランス語の原型を示す形だと考えられている。

その後、古フランス語、中世フランス語と変化を続け、17世紀になると、現在のフランス語にかなり近いものになった。
文学作品を読む場合には、中世フランス語の作品は特別な訓練を受けないと理解できないし、16世紀のフランス語も現代フランス語とはかなり違っている。

そのことは、フランスにおけるラテン語の役割と関係している。
フランスでは長い間、ラテン語が公用語として使われていて、フランス語が公用語になるのは16世紀のこと。1539年にフランソワ1世が「ヴィレール=コトレの勅令(Ordonnance de Villers-Cotterêts)」によって、法律制定の全てをフランス語で行うことを定めたのだった。

この時代から、俗語であるフランス語もラテン語に劣る言語ではないという意識が高まり、フランス語の整備が行われた。
17世紀前半にはアカデミー・フランセーズが設立され、1694年にはアカデミー・フランセーズのフランス語辞典も上梓される。

そうした試みの結果、17世紀後半のフランス語であれば現代フランス語の知識でも理解可能であり、当時の演劇作品がそのままの言葉で21世紀の舞台で上演されても問題なく理解されるほどである。

もちろん、17世紀以降もフランス語は変化を止めてはいない。
とりわけ口語では新しい語彙が次々に作り出され、俗語の使用頻度は日本語とは比べものにならない。
映画を見ていてセリフが聞き取れないのは、話す早さ以上に、日常生活の中で使われている語彙が公式の語彙とは違っているという理由が大きい。
20世紀後半から21世紀にかけては、郊外やフランスの海外県で使われる言葉も文学の中に取り入れられ、新しい傾向を生み出している。

3つの時代精神

フランスの時代精神を最も大きな視点から見たとき、3つの塊を区別することができそうである。

(1)中世キリスト教文化の精神

9世紀半ばにフランスの国土が確立し、フランス語の萌芽が見られたが、文学作品の存在が確認されるのは11世紀から12世紀にかけてである。

ローマ帝国が衰退するに従い、古代ギリシア・ローマの思想や文化は地中海を渡り、アラビアを中心にしたオリエントで保持されるようになっていった。
しかし、ヨーロッパも徐々に力を取り戻し、11ー12世紀になると再び文化的な復興が見られるようになる。
その象徴となるのが、パリのノートルダム大聖堂建立だと考えてみたい。

パリ・ノートルダム大聖堂は、1163年、それまでロマネスク様式の聖堂があった場所にゴシック様式の大聖堂の礎石が据えられ、最終的には1345年まで工事が続いた。
その壮大なスケールを持つ大建造物は、ノートル・ダム(私たちの婦人)、つまり聖母マリアに捧げられ、キリスト教が文化の中で占める重要性を示している。

このマリア崇拝と並行して生まれたのが、「宮廷風恋愛(amour courtois)」だと私は考えている。
マリアが「ノートル・ダム(私たちの婦人)」だとしたら、宮廷風恋愛物語で愛の対象になるのは「マ・ダム(私の婦人)」。
城主の奥方である若く美しい女性に対して、若く逞しい騎士が愛を捧げる。
それ以前の恋愛は、男性が女性を手に入れるゲームのようなものとして描かれていた。それが一転して、男性は女性よりも下の立場に身を置き、あたかもマリアを信仰するかのように、愛する女性に愛を捧げる。
原則的には、その愛に肉体は伴わない。純粋に精神的な愛が、恋愛感情と見なされた。
さらに、宮廷風恋愛の正しい恋人、奥方の愛を受けるに値する騎士の第一条件は、キリスト教徒であることだった。その点でも、マリア信仰に代表される時代精神を反映していると考えることができる。

もう一点、宮廷風恋愛によって明らかになることがある。
それは、人間の「意志」の問題。
ケルト系の伝説におけるトリスタンとイズーの恋愛物語において、恋愛は盲目的で、二人の結び付きは媚薬の効果によって説明される。媚薬の効力がなくなると、恋愛感情は消え去り、イズーは森の中での惨めな生活に唖然とする。恋愛は身の破滅を招く、盲目的な情熱だった。
それに対して、宮廷風恋愛では、恋愛の相手は自分よりも上位の人を自分の意志によって選択し、相手を崇める中で、自分の行動を洗練させ、相手に追いつくように自分を高めることが求められる。
騎士道風恋愛とも呼ばれるその愛では、感情に引きずられるのではなく、相手を正しく選択することが第一条件になる。

キリスト教文化の中で、絶対的に正しい行為は神の秩序の中で予め定められている。
そうした中で、識人たちが中心的な課題にしたのは、盲目的に神の秩序に従うのではなく、人間が意図的にその秩序を選択することだった。

神学、哲学、思想の分野では、ピエール・アベラールやシャルトルのベルナールなどが現れ、「個物」から抽象化される「普遍」が実在するかどうかを議論したり、古代のリベラル・アーツ(文法、論理学、修辞学、算術、幾何、天文、音楽)を再び検討課題とした。
そうしたことは、修道院の中で伝統的に信じられていることをそのまま信じ続けるのではなく、聖書を文献学的に読み直し、これまでの学説の問題点を様々な視点から考察することが可能になったことを示している。
こうして達成された文化的な高揚感の中で、シャルトルのベルナールは、古代の知的巨人たちの成果を前提に学問を進めているため、「巨人よりも多くのもの、遠くのものを見ることができる。」という意識を持つほどだった。

彼らの精神活動も、宮廷風恋愛と同様に、キリスト教の絶対的な支配の下において、人間の「意志」や「意図」の価値が見出されたことを証している。

このことは、現代社会においても意味を持っている。
ある犯罪が犯された時、それが意図的なのか、意図しないものだったのかが量刑にかかわることがある。
犯罪を犯した人間が精神の病に冒されていたと判断されると、責任能力がないという理由で処罰されない。
自動車で人を轢いた場合、意図的であれば殺人罪に問われるが、意図しない事故であれば過失ということで量刑は軽減される。
このように、行為の結果だけではなく、その行為を行った人間の意志の有無が問題になる。

こうしたことは、中世キリスト教社会の中で知識人たちが問いかけた問題が、現代にも繋がっている一つの例である。

(2)「人間」を世界の中心に据える精神

ルネサンスの時代、キリスト教の世界観は前の時代のままだが、そうした中でも、「人間」に価値を見出す精神性が生まれてきた。
それを最もよく表すのは、ミケランジェロの「アダムの創造」における神と人間の位置関係である。

中世において、神は天空にあり、人間は下位の地上にあった。その上下関係は絶対的あり、動かすことは考えられなかった。
それに対して、ミケランジェロのフレスコ画では、神とアダムは同じ高さにあり、神の右手とアダムの左手はほどんど触れ合いそうなほど接近している。
その映像が、カトリックの総本山であるヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井に描かれている。その事実は、ルネサンスにおける「人間」の価値の向上を象徴している。

世界における「人間」の存在の本質的な役割を示すのは、遠近法的絵画法である。
人間は、並行する2本の直線を見て、遠ざかるに従ってその距離が小さくなるように感じ、そこに奥行きを感じる。
遠近法は、その視覚の特性を絵画のキャンバスの上に再現する技法。

では、遠近法がなぜ人間を中心とした世界像だといえるか?
それは、描かれた場面が、一人の人間の視点から見た世界像を再現したものであり、その場面を統一しているのは、場面には姿を現さない「人間」だからである。
その意味で、遠近法を用いた世界像は、そうとは意識しないまま、人間中心主義に基づいているといえる。

再現された世界は現実世界の写しであり、疑似的な現実。
描かれた世界は、ある時代には理想化し、ある時代にはあるがままに描くことを求められたが、いずれにしろ、現実世界の再現であることにかわりはない。

ルネサンスに始まった人間中心主義は、「人間」には価値があるという発見だとも言える。
それまで人間は家柄や社会的な地位によって価値付けが行われていた。それに対して、人間の個人的で私的な側面にも価値がありうるという意識が芽生えてきた。

16世紀の後半に出版された『エセー』の著者ミッシェル・ド・モンテーニュは、序文の中で、彼の思索を綴る目的を次のように述べている。
「私が望むのは、シンプルで、自然で、ごく普通の様子をし、無理に取り繕い、わざとらしいところなく、自分を見てもらうことなのだ。なぜなら、私が描くのは、私自身だから。」
彼はあえて、私生活上の私を語ることは、軽薄で虚しい主題であり、読むのは時間の無駄だと言う。
この言葉は謙虚さを装っているように見えるが、実は重要な意味がある。
一人一人の個人が一冊の本の主題となる価値がある。そうした認識が出来上がりつつある時代が到来したことを、逆接的な形で示しているのだ。

フランスでは16世紀がルネサンスの時代であり、それ以降19世紀半ばまでの350年ほどの間、「人間」を中心にした世界像に基づいた芸術活動が様々な変遷を経ながら継続していった。

神の秩序の下での人間の価値の認識は、「自由」の問題につながる。また、自由を行使するのに相応しい人間性を形成するための「教育」もテーマに上がる。

秩序の主体が神から社会へと変わると、「社会的規範」、つまり宮廷社会の規則、親から強いられる結婚などと、「個人の自由」の葛藤が話題になる。
社会に対する個人の「自由」の問題は、18世紀後半のフランス革命という形で表現されることもあったし、21世紀の現在でも「表現の自由vsテロリスム」という形で続いている。

「人間」自体に関しても、「理性」と「情念」の葛藤が取り上げられ、人間の中心が「理性」とされる時代もあれば、「感情」が重視される時代もあった。
こうした二元論的思考を別の側面から見ると、人間の外部の事象を理科系と捉え、人間そのものに関する思考を文化系と捉える二元論の基礎になっていることがわかる。
古代のリベラル・アーツ(文法、論理学、修辞学、算術、幾何、天文、音楽)にはそうした区別がなかったことを知ると、人間を文系・理系に区分することが近代の産物であることも見えてくる。

合理主義的思想が強化され、人間を機械論的に捉える側面が強くなると、その反動として、人間の「内面」の価値が強調され、その裏付けとしてプラトン的なイデアを「内面」に置くロマン主義的思考も誕生する。
人間にとって物質や肉体が本質ではなく、内面や心が大切という考え方は、21世紀の現代でも通用する。

「理性」中心の世界観の中で、あえて反理性の要素を導入することで、合理主義的、物質主義的、科学主義的な思考の問い直しをすることもある。その際のテーマとしては、神秘主義、夢、狂気、麻薬等が用いられた。
理性vs反理性の本質的な問題は、最終的には、主観と客観を区別する二分割的思考の問い直しである。

「恋愛」はどの時代にも文学のテーマとして取り上げられるが、時代精神の違いにより、恋愛を扱うことで問題にするテーマも違ったものになる。
社会の規範と個人の感情のどちらに従うことが、正しい恋愛のあり方なのか?
恋愛とは、情念によって理性を混乱させるものなのか? それとも個人の「自由」の美しい表現なのか?
理性と感情の間で葛藤する人間の弱さが、美を生み出すものなのか?

これ以外にも様々なテーマが論じされるが、全ての考察の中心には「人間」があり、遠近法的な視線によって再現した疑義的現実世界の中で「人間」の多様な姿が描き出された。

(3)「世界」の現前性を捉える精神

時代精神を大きな視点から眺めると、現実を再現する芸術観の変革が19世紀後半にあったことがわかってくる。
それを象徴するのが、遠近法に基づかない絵画の誕生と発展。

セザンヌであれば、1枚の絵画の中に複数の視点から見た構図を同時に存在させる。20世紀には、奥行きのない絵画が誰も驚かせない時代が到来する。
物の形も現実の事物を歪めるところから、現実とは関係のないものにまで至る。
現実の素材は使うとしても、3次元の空間を再現し、現実の事物を描き出す絵画とは違う世界が誕生した。
以下の絵画はそうした例である。

遠近法は人間の自然な視覚作用に基づいているために、私たちは遠近法に基づいた絵画を見れば自然に感じる。だからこそ、上の4枚は、不自然で、理解不可能に思われる。(好き嫌いは別の問題。)
そして、これらが「世界」の現前性の例となる。

現前性というのは、「現在、目の前に在る」こと。
例えば、ブルーの滲みのような絵画は、現実の何かを再現しているのではなく、青い絵具の広がりそのまま。
それ自体で完結し、現実を参照してもいないし、象徴的な意味を持ち、何かの物語を語っているわけでもない。

文学においても同様のことが行われた。
それぞれの作品は、現実を参照するのではなく、言葉によって語られた「世界」そのものとして自立する。
初めに言葉ありき。
それが、文学における現前性を表すために最適な表現だろう。

再現性を変革する新しい動きは、19世紀半ば以降、ボードレールやフロベールから始まり、ランボーやマラルメに引き継がれ、20世紀へと流れ込んでいった。
ナチュラリスムを先導したエミール・ゾラでさえも、クールベやエドワール・マネの絵画論を通して芸術作品の自立性を論じ、自己の小説世界でも同じ原則になって活動した。
印象派もナリュラリスムも象徴主義も、19世紀後半の時代精神を反映し、その上でそれぞれの表現を実現したと考えてもいいだろう。

私たち日本人にとって、この時代がとりわけ興味深いのは、浮世絵を中心にした日本美術が人気を博し、フランス美術に一定の影響を与えたこと。
遠近法的によらない日本美術が、遠近法から脱却しようとするフランスの芸術家たちの関心を引いたとすると、どこまで日本の精神性がフランスの新しい精神性の創造にかかわったのか、興味は尽きない。

20世紀になっても、再現芸術と現前性に基づく芸術の共存が見られ、折衷的な芸術もある。
しかし、時代を先導するのは、現前性の芸術の役割になる。

現前性の精神の中で問題になるのは、「人間」であるよりも、「世界」だと考えたい。
何度も繰り返すことになるが、その「世界」は現実が再現されたものではない。
その「世界」自体に生命が流れ、自律的に生きている。

その「世界」は、「記憶」の中で思い出されたものかもしれない。
唯一の現実があるわけではなく、全ての「現象」それぞれを実在と見なすことも可能。
「自由」と「実存」が問題になり、「不条理」と感じられる「世界」として描かれることもある。

「恋愛」はいつの時代にも描かれる文学永遠のテーマ。この時代には、恋愛を通して、「世界」のあり方を問い直すことがしばしば行われた。
『星の王子さま』のように、19世紀のロマン主義的、つまり再現性に基づく世界観を継続する作品も見られる。

この時代に最も大きなテーマとなるのは、言葉そのものの問題だといえる。
小説が言語の実験の場となったり、小説形態そのものを問い直す場になったりする。
「世界」の外部を参照するのではなく、「世界」自身を参照することがしばしば行われる。


このように、フランス文学・文化を貫く精神を、最も大きな視点から見ると、3つに区分けできそうである。
11世紀から15世紀までの中世は、神を中心にした世界。
16世紀から19世紀前半までの近代は、「人間」を中心にした世界。
19世紀後半から現在までは、作品の「世界」そのものを中心にした世界。

芸術作品は、制作された時代の精神性を必然的に反映する。
その精神を意識した上で作品にアプローチすることは、読者が意識しないままに抱いている世界観を作品に投影し、それを読み取るという自己撞着的な読み方を避けることにつながる。
もし自己撞着的な読み方を続ければ、どの国の、いつの時代の、誰の作品を読んでも、同じことを見出すだけで終わってしまう。

また、作家の人生や作品の書かれた時代の政治的、社会的事件を探り、そこで得た情報を作品の解読に直接当てはめるといった、本末転倒の読み方も避けることができる。
現実と作品に直接的な繋がりを付け、現実から作品を解釈することは、作品の持つ豊かさを還元してしまうことになる。

もし私たちが人生訓や行動の指針を得るために、フランス文学の森の中に入って行こうとするのであれば、止めておいた方がいい。広大な森であるばかりではなく、迷路のような複雑に入り組んだ小径があり、迷子になるのがオチだろう。
森で出会う木や花や動物たちと対話をし、自分とは違う感受性や思考を知ることの楽しさや、他者との出会いを通して自分自身を知る喜びを感じること。そうした読書の幸福を求めるのであれば、フランス文学の森は、一生をかけて散策する価値がある。