ネルヴァルの美学 Esthétique de Gérard de Nerval 5/6 変容する美

ネルヴァルの美学のベースは、若い頃に親しんだドイツの詩(バラード)が発散する「超自然主義」と、16世紀フランス詩の持つ「音楽性」。
「超自然主義」に関しては、現実と超現実とを強く対比させることで、現実を超えた世界への想いをより強くする。
「音楽性」に関しては、フランスの古い民謡からも多くを吸収すると同時に、「何を」ではなく「どのように」に重きを置き、アレンジに創作と同じ価値を見出す。

こうした美学を展開したのが、『東方紀行(Voyage en Orient)』に収められた「朝の女王と精霊たちの王ソリマンの物語(Histoire de la Reine du matin et de Soliman, prince des génies)」。その作品は建築家アドニラムを主人公にした芸術家神話ともいえ、ネルヴァルは美学について詳細に語っている。

その後、「塩密売人(Les Faux Sauliers)」において、「私」を語りの中心に据え、抒情性を生み出す文体を開発、晩年の傑作を生み出していく。

ここでは、アドニラムを中心に描かれる三人称の美から、「私」の主観を交えた美への変遷を辿ることにする。

変容する生命の美

アドニラムの物語の中心には地球の中心部に下るエピソードが置かれ、地球の生命の秘密が明かされる。
その神話における生命の火の描写は、ネルヴァルの美学の具体的な表現である。
さらに、シバの女王バルキスに付き従う鳥たちの描写によって、地球の深奥部での美が、地上においてアレンジを施された形で描き出される。

まず、地底世界での生命の火の描写を見ていこう。

巨大な青銅の器(青銅の海)の建造が、アドニラムに敵意を持つ職人たちの手によって失敗に終わりそうになる時、溶け出した銅の中から祖先チュバル=カインが姿を現し、アドニラムを連れて地球の中心に下っていく。
地底世界では生命の火が燃え、地球に生命を循環させている。

 « C’est le sanctuaire du feu, lui dit Tubal-Kaïn ; de là provient la chaleur de la terre, qui, sans nous, périrait de froid. Nous préparons les métaux, nous les distribuons dans les veines de la planète, après en avoir liquéfié les vapeurs.

 「そこは火の聖域だ。」とチュバル=カインが彼(アドニラム)に言った。「そこから地球の熱がやって来る。その熱がなければ、我々は寒さで死んでしまうだろう。我々はここで金属を準備している。それらの蒸気を液体にした後、この惑星の血管に分配しているのだ。」

このチュバル=カインの言葉で、地底世界の火は、心臓が人間の体全体に血液を循環させるように、地球に熱を循環させ、生命の源となっていることが理解できる。

次に、その火が変容する様子が描かれる。


 « Mis en contact et entrelacés sur nos têtes, les filons de ces divers éléments dégagent des esprits contraires qui s’enflamment et projettent ces vives lumières… éblouissantes pour tes yeux imparfaits. Attirés par ces courants, les sept métaux se vaporisent à l’entour, et forment ces nuages de sinople, d’azur, de pourpre, d’or, de vermeil et d’argent qui se meuvent dans l’espace, et reproduisent les alliages dont se composent la plupart des minéraux et des pierres précieuses. Quand la coupole se refroidit, ces nuées condensées font pleuvoir une grêle de rubis, d’émeraudes, de topazes, d’onyx, de turquoises, de diamants, et les courants de la terre les emportent avec des amas de scories : les granits, les silex, les calcaires qui, soulevant la surface du globe, la rendent bosselée de montagnes. Ces matières se solidifient en approchant du domaine des hommes… et à la fraîcheur du soleil d’Adonaï, fourneau manqué qui n’aurait même pas la force de cuire un œuf. Aussi, que deviendrait la vie de l’homme, si nous ne lui faisions passer en secret l’élément du feu, emprisonné dans les pierres, ainsi que le fer propre à retirer l’étincelle ? » (VI. Apparition)

 「これらの様々な元素の鉱脈は、我々の頭上で接触し、複雑に入り組むと、性質の反する生気を発散する。それらの生気は燃え上がり、激しい光・・・、不完全なお前の目を眩ませる光を投げかける。その流れに引き寄せられ、7つの金属が周辺で蒸気になり、雲を形作る。紋章の緑色、紺碧、緋色、黄金、朱色、銀色の雲。多色の雲が空間の中で活動し、数多くの鉱物と宝石が構成する結合物を再構成する。丸天井が冷えると、雲が凝縮し、雹を降らせる。ルビー、エメラルド、トパーズ、瑪瑙、トルコ石、ダイアモンドの雹だ。それらを、地球の流れが大量の金属のかすと共に運んでいく。花崗岩、すい石、石灰岩といったそれらのかすが地上の表面を持ち上げ、瘤のような山を形作る。人間の住む領域に近づき、・・・アドナイ神の太陽の冷たさに触れるに従って、それらの物質は固体化する。アドナイの太陽は、卵一つ焼く力さえない、欠陥のある竈にすぎないのだ。人間の生命はどうなってしまうだろう、もし我々がこっそりと人間に火の成分を渡さなければ? 火の要素は石の中に閉じ込められている。火花を引き出すのに適した鉄と同じだ。」(6章、幻)

生命の火の活動を描くネルヴァルの描写は、華々しい。
様々な元素が光を発し、光は蒸気になり、雲を作り、鉱物になり、地球の表面を形作る。

7つの鉱物から生み出される雲の色は6色:「紋章の緑色、紺碧、緋色、黄金、朱色、銀色(sinople, azur, pourpre, or, vermeil, argent)」。
蒸気でできた雲が冷えると鉱物の雹になる。「ルビー、エメラルド、トパーズ、瑪瑙、トルコ石、ダイアモンド(rubis, émeraudes, topazes, onyx, turquoises, diamants)」。
こうした色彩と宝石が、蒸気から雲、雲から鉱物と変化する中で、鮮やかに描き出される。

これらの描写は、生命の火という原型をもとに、アレンジが次々と行われ、数々のヴァリエーションを生み出していく姿を見事に描き出している。
芸術家アドニラムは、それらの具体的なイメージを通して、地球の生命の動きを伝授される。

私たち読者は、この一節を読む時に、合理的な解釈をする必要はない。ただ、文の流れに従い、絵画的な美を味わうことで、ネルヴァルの美学を体感することができる。

地球の深奥部で行われる変容の美は、シバの女王に従う小鳥ユッド=ユッド(Hud-Hud)の指揮の下、空中でも描き出される。
エルサレム神殿を訪れたソリマン(一般的にはソロモン)とシバの女王は、黄金だけに価値を置く王の美学と、それに反対する女王の美学について議論を交わす。
その時、二人の頭上に鳥の大群が姿を現す。

 Soudain les airs sont obscurcis, le ciel se couvre de points noirs qui grossissent en se rapprochant ; des nuées d’oiseaux s’abattent sur le temple, se groupent, descendent en rond, se pressent les uns contre les autres, se distribuent en feuillage tremblant et splendide ; leurs ailes déployées forment de riches bouquets de verdure, d’écarlate, de jais et d’azur. Ce pavillon vivant se déploie sous la direction habile de la huppe, qui voltige à travers la foule emplumée… Un arbre charmant s’est formé sur la tête des deux princes, et chaque oiseau devient une feuille. Soliman, éperdu, charmé, se voit à l’abri du soleil sous cette toiture animée, qui frémit, se soutient en battant des ailes, et projette sur le trône une ombre épaisse d’où s’échappe un suave et doux concert de chants d’oiseaux. Après quoi, la huppe, à qui le roi gardait un reste de rancune, s’en vient, soumise, se poser aux pieds de la reine. (III. Le Temple)

 突然、辺りが暗くなる。空が黒い点で覆われる。それらの点は接近し、膨れ上がる。鳥たちの大群が神殿の上に襲いかかり、お互いにぶつかり合っては、また離れ、ゆらゆらと揺れ、キラキラと輝く木の葉のようだ。広げた翼が豪華な花束を形作る。緑、深紅、漆黒、紺碧の花束だ。この生きた東屋が展開するのは、羽根のある(鳥たちの)集団を横切って飛び回るヤツガシラの巧みな指揮の下だ。一本の魅力的な木が、王と王女の頭上に形作られていた。一羽一羽の鳥が1枚の葉になる。ソリマンは、途方に暮れ、魅了され、太陽の日差しから隠れ、命を持つ屋根の下にいる。その屋根は、羽ばたき、震えながら自らを支え、王座の上に深い影を投げかけている。その影からは、鳥たちの歌う官能的で甘い合唱が流れだしている。その後、ヤツガシラは、王がその鳥に対してまだ多少の恨みを持っているけれど、女王の足元に近づき、従順な様子で身を置いた。

地底の火の代わりに、地上では、鳥の大群が変容する美を描き出す。

鳥たちが形作るのは、木の葉であり、色彩豊かな花束。「緑色、深紅、漆黒、紺碧(verdure, écarlate, jais, azur.)」
それは、「生きた東屋(pavillon vivant)」でもある。あるいは、「命を持つ屋根(toiture animée)」。
建造物に生命が吹き込まれ、世界全体が命のゆらめきで美しく輝く。

しかも、鳥たちは歌を歌い、「官能的で甘い合唱(suave et doux concert de chants)」が聞こえてくる。
絵画的な美から、「ヤツガシラの巧みな指揮(la direction habile de la huppe)」に従って演奏される音楽が流れ出してくる。

鳥たちの描くこのシーンは、地底世界の生命の火のシーンの変奏であり、火の要素が鳥に変えられ、視覚だけではなく、聴覚にも訴えかけてくる。
ネルヴァルの変容の美学がどのようなものか、二つのシーンを通して、理解することができるだろう。

「私」の城、「私」の劇場

芸術家アドニラムを通して描かれる世界は三人称で語られ、一般性を持つものだった。
1850年以降、ネルヴァルは同じ原理に立ちながら、一人称で「私」について語るようになり、彼独自の世界を作り出していく。

そこで形作られるシーンは、「私の城」であったり、「私の舞台」だったりする。

『ボヘミアの小さな城』の第3章は「第3の城」と名付けられている。

 Château de cartes, château de bohème, château en Espagne, — telles sont les premières stations à parcourir pour tout poète. Comme ce fameux roi dont Charles Nodier a raconté l’histoire, nous en possédons au moins sept de ceux-là pendant le cours de notre vie errante, et peu d’entre nous arrivent à ce fameux château de briques et de pierre, rêvé dans la jeunesse, — d’où quelque belle aux longs cheveux nous sourit amoureusement à la seule fenêtre ouverte, tandis que les vitrages treillissés reflètent les splendeurs du soir. (Petits Châteaux de Bohême, « Troisième château »)

 カードの城、ボヘミアの城、スペインの城、— それらは詩人であれば誰もが通り過ぎる最初の泊まり場だ。シャルル・ノディエが物語った有名な王のように、私たちは、放浪生活を送る中で、少なくとも7つの城を持つ。しかし、ほとんど誰も、レンガと石でできた高名な城に到達することはない。青春時代に夢見たあの城。そこから、長い髪の美女が私たちに愛情深く微笑みかける、たった一つの開かれた窓辺で。その一方で、桟の入った硝子窓は夕日の輝きを映し出している。 (『ボヘミアの小さな城』「3番目の城」)

シャルル・ノディエが『ボヘミアの王と7つの城』の中で語る旅の物語は、脱線の連続で、放浪を重ね、決して目的に到着することはない。
ネルヴァルは、年長の作家のその着想に基づき、彼なりのアレンジを加える。

そこでまず、3つの城を挙げる。
「カードの城(château de cartes)」。
次に「ボヘミアの城(château en bohême)」。ノディエは東ヨーロッパのボヘミア地方の旅行を話題にしているのだが、ネルヴァルはパリで過ごしたボヘミアン的な生活を話題にする。ボヘミアという単語の意味をずらすのだ。

最後に、「スペインの城(château en Espagne)」。この表現はすでに成句になっていて、計画をしても到達できない幻を意味する。

そして最後に、自分自身が青春時代に短詩「ファンテジー(Fantaisie)」の中で歌ったレンガと石でできた城、夕日に照らされ、窓辺には美女が佇む城を配置する。

C’est sous Louis treize… Et je crois voir s’étendre
Un coteau vert que le couchant jaunit,

Puis un château de brique à coins de pierre,
Aux vitraux teints de rougeâtres couleurs,
[…]
Puis une dame, à sa haute fenêtre,

それはルイ十三世の時代だった。。。目の前に広がるように思える、
緑色の小さな丘が。夕日が黄色く染めている。

次に見えるのは、レンガのお城。角は石造り。
窓のステンドグラスは赤っぽい色に染まっている。
(中略)
次に、高窓のところに、一人の女性が見えてくる。

この城が、「シルヴィ」の中に再び姿を現す。

 Je me représentais un château du temps de Henri IV avec ses toits pointus couverts d’ardoises et sa face rougeâtre aux encoignures dentelées de pierres jaunies, une grande place verte encadrée d’ormes et de tilleuls, dont le soleil couchant perçait le feuillage de ses traits enflammés. (Sylvie, II. Adrienne)

 私はアンリ4世の時代の城を思い浮かべた。屋根は尖り、スレートに覆われている。正面は赤みがかり、角には黄色に染まった石がレースのように埋め込まれている。緑の大きな広場をニレと菩提樹が囲み、夕日が燃え上がるような矢で木々の葉を突き刺している。(「シルヴィ」 2章 アドリエンヌ)

「ファンテジー」ではルイ13世、『ボヘミアの小さな城』では私の青春時代の夢、「シルヴィ」ではアンリ4世と時代は変化するが、同じ城のイメージが変奏されながら、反復して現れる。
別の言い方をすれば、一つの城が、姿を現す度にアレンジされ、新しい城として描き出されるのである。

さらに、城は劇場の舞台に変容することもある。
それが最も明確に示されるのは、アンリ4世の時代の城。

城の前の大きな芝生の上で、少女たちが輪になってダンスを踊り、「古い唄(vieux airs)」を歌う。
「私」はその輪の中に入り、アドリエンヌという少女と口づけを交わす。
夕闇の中、頭上には月が上り、その光が二人を照らし出す。その様子は、劇場の舞台そのものである。

 J’étais le seul garçon dans cette ronde, où j’avais amené ma compagne toute jeune encore, Sylvie, une petite fille du hameau voisin, si vive et si fraîche, avec ses yeux noirs, son profil régulier et sa peau légèrement hâlée !… Je n’aimais qu’elle, je ne voyais qu’elle, — jusque-là ! À peine avais-je remarqué, dans la ronde où nous dansions, une blonde, grande et belle, qu’on appelait Adrienne. Tout d’un coup, suivant les règles de la danse, Adrienne se trouva placée seule avec moi au milieu du cercle. Nos tailles étaient pareilles. On nous dit de nous embrasser, et la danse et le chœur tournaient plus vivement que jamais. En lui donnant ce baiser, je ne pus m’empêcher de lui presser la main. Les longs anneaux roulés de ses cheveux d’or effleuraient mes joues. De ce moment, un trouble inconnu s’empara de moi. — La belle devait chanter pour avoir le droit de rentrer dans la danse. On s’assit autour d’elle, et aussitôt, d’une voix fraîche et pénétrante, légèrement voilée, comme celle des filles de ce pays brumeux, elle chanta une de ces anciennes romances pleines de mélancolie et d’amour, qui racontent toujours les malheurs d’une princesse enfermée dans sa tour par la volonté d’un père qui la punit d’avoir aimé. La mélodie se terminait à chaque stance par ces trilles chevrotants que font valoir si bien les voix jeunes, quand elles imitent par un frisson modulé la voix tremblante des aïeules.
 À mesure qu’elle chantait, l’ombre descendait des grands arbres, et le clair de lune naissant tombait sur elle seule, isolée de notre cercle attentif.

 私はその輪の中で、たった一人の男の子だった。そこに私は、まだとても幼いシルヴィを連れてきていた。シルヴィは、近くの村の少女で、とても活気があり、生き生きとしていた。目は黒く、横顔が整い、肌はほんのりと焼けていた!・・・私は彼女しか愛していなかった。彼女しか見ていなかった。— その時までは! 私たちが踊っている輪の中に、金髪の少女がいることに、それまでほとんど気づかなかった。背が高く、美しく、名前はアドリエンヌ。突然、ダンスの規則に従って、輪の中心で、アドリエンヌが一人だけで私と向かい合った。背丈は同じ位だった。私たちは口づけするように言われた。ダンスとコーラスが、これまでにないほど激しく回転した。口づけをする時、私は彼女の手をぐっと握ることを自分に禁じることができなかった。金髪の長い巻き毛が私の頬に軽く触れた。その瞬間、これまで体験したことのない心の揺らぎが私を捉えた。— 美しい少女は、ダンスの列に戻るために、唄を歌わないといけなかった。みんなが彼女の回りに座った。するとすぐに、生き生きとし、心を突き刺すけれど、軽くヴェールのかかった声が聞こえてきた。霧深いこの地方の娘の声。その声で、アドリエンヌは、古いロマンスの 一曲を歌った。メランコリーと愛に満ち、物語るのはいつでも一人の王女の話。恋をしたために父王によって罰せられ、塔の中に閉じ込められた王女の話だ。メロディーは、歌詞の一節毎に、震えるトリルで終わる。そのトリルは、若い娘たちの声が抑揚をつけた震えで、老婆たちのふらふらする声を真似る時、とりわけ効果的になる。
 彼女が歌うにつれて、影が大きな木々から下りてきた。そして、生まれつつある月の光が、彼女一人の上に落ちてきた。彼女は、耳を澄ませている私たちの輪から離れた所にいたのだ。

少女たちのダンスの輪。その中心での「私」とアドリエンヌの口づけ。アドリエンヌの唄。唄の内容は、フランスの古い「民謡(chanson populaire)」の一つ「ルイ王の娘(La fille au roi Louis)」。
彼女の歌い方も指定され、老婆のように震える声でトリルをつける。
このシーンは、ダンスと歌と詩が融合した、リヒャルト・ワーグナー的総合芸術に対応する。あるいは、芸術の幼年期に行われた古代ギリシアの演劇を思わせる。

最後に言及される、暗闇の中を照らす一条の月の光は、劇場の舞台のシャンデリアの光の変奏したもの。

こうして、ネルヴァルは、筆の力によって、城の前の芝生の空間を劇場の舞台に変容する。
これは、「アレンジの美学」の最も美しい例の一つといってもいいだろう。

劇場は、「シルヴィ」や「オーレリア」の冒頭でも描かれる。
「シルヴィ」では、現実の劇場を描くところから始まる。

 Je sortais d’un théâtre où tous les soirs je paraissais aux avant-scènes en grande tenue de soupirant. Quelquefois tout était plein, quelquefois tout était vide. […] excepté lorsqu’à la seconde ou à la troisième scène d’un maussade chef-d’œuvre d’alors, une apparition bien connue illuminait l’espace vide, rendant la vie d’un souffle et d’un mot à ces vaines figures qui m’entouraient.
 Je me sentais vivre en elle, et elle vivait pour moi seul. Son sourire me remplissait d’une béatitude infinie ; la vibration de sa voix si douce et cependant fortement timbrée me faisait tressaillir de joie et d’amour. Elle avait pour moi toutes les perfections, elle répondait à tous mes enthousiasmes, à tous mes caprices, — belle comme le jour aux feux de la rampe qui l’éclairait d’en bas, pâle comme la nuit, quand la rampe baissée la laissait éclairée d’en haut sous les rayons du lustre et la montrait plus naturelle, brillant dans l’ombre de sa seule beauté, comme les Heures divines qui se découpent, avec une étoile au front, sur les fonds bruns des fresques d’Herculanum ! (Sylvie, I. Nuit perdue)

 私は劇場から外に出た。毎晩、その劇場の平土間席に、恋する男といった立派な服を着て姿を姿を現していたのだ。劇場は満員の時もあったし、空席が目立つ時もあった。(中略)当時傑作とされていた、もっさりとした芝居の第2幕あるいは第3幕だけは別だった。よく知っている女優が姿を現し、空っぽの空間を照らし、息づかい一つ、セリフ一つで、私の回りにいる生気の無い人々に命を与えるのだった。
 私は彼女の中に生きているように感じていた。彼女は私一人のために生きていた。彼女の微笑みは無限の至福で私を満たした。とても穏やかだが、しっかりと響く彼女の声の振動が、私を喜びと愛で震えさせた。私にとって彼女は全ての完璧さを持っていた。私のあらゆる熱狂、私のあらゆる気まぐれに応えてくれた。— 足元のランプが下から彼女を照らす時、日差しのように美しかった。足元のランプが下げられ、シャンデリアの光が彼女を上から照らす時、夜のように青白かった。しかし、その時の方がより自然に見え、闇の中、彼女自身の美で輝いていた。その姿は、額の上に星を頂き、ヘルクラネウムのフレスコ画の褐色の壁の上から浮かび上がってくる、「時の女神たち」のようだった ! (「シルヴィ」、1章「失われた夜」)

ここで描かれるのは、現実の劇場がいつしか心の中の劇場に変容する様子。
そして、その変容を導くのは、舞台に姿を現す一人の女優。
彼女は« apparition »(現れ、幻)という言葉で表現され、実態がない。しかし、その彼女が、「空虚(vide)」な空間の「生気の無い(vaines)」人々に、「生命(vie)」を授ける。

しかし、空間や観客以上に、「私」にこそ、生命が授けられる。
「私」は彼女の中に「生きている(vivre)」ように感じ、彼女は「私」だけのために「生きていた(vivait)。」

「朝の女王と精霊たちの王ソリマンの物語」の中で、アドニラムは、地球の中心に下り、生命が輝き、全てが美しく変容し、体内に血液が循環するように、地球に生命のエネルギーが注入されていることを知った。
「シルヴィ」の劇場も、女優の出現により生命を与えられ、生きた劇場へと変容する。
物質的な存在から生命を持つ存在へと移行すると言ってもいいだろう。

そして、ここでも、音楽が大きな役割を果たす。
女優の声の振動が「私」を「愛と喜びで(de joie et d’amour)」満たし、現実から神話へと世界を変容させる。
声の力により、彼女は、ヴェスヴィオス火山の噴火のためにポンペイと共に灰に覆われたヘルクラネウムの「フレスコ画(fresques )」に描かれていた「時の女神たち(Heures divines)」の美を身に纏う。

この描写の中、「シャンデリアの光で上から照らし出される(éclairée d’en haut sous les rayons du lustre)」シーンは、アンリ4世時代の城の前でアドリエンヌが月の光に照らされるシーンへとアレンジされ、再び出現する。

「シルヴィ」は、冒頭で描かれた劇場の舞台に、次々に美しいシーンが描き出される物語として読むことができる。「私」がシルヴィとシテール島を思わせる島に渡る場面。アドリエンヌが精霊となり僧院の神秘劇を演じる場面。自然の中を「私」とシルヴィが散策する場面。等々。

変容の美は、狂気をテーマとすると見なされることが多い「オーレリア」の美学でもある。
ネルヴァルの死の直前に書かれつつあったその作品の冒頭は、夢の世界への入り口を描きながら、同時に劇場の舞台の幕開けでもある。

 Le Rêve est une seconde vie. Je n’ai pu percer sans frémir ces portes d’ivoire ou de corne qui nous séparent du monde invisible. Les premiers instants du sommeil sont l’image de la mort ; un engourdissement nébuleux saisit notre pensée, et nous ne pouvons déterminer l’instant précis où le moi, sous une autre forme, continue l’œuvre de l’existence. C’est un souterrain vague qui s’éclaire peu à peu, et où se dégagent de l’ombre et de la nuit les pâles figures gravement immobiles qui habitent le séjour des limbes. Puis le tableau se forme, une clarté nouvelle illumine et fait jouer ces apparitions bizarres : – le monde des Esprits s’ouvre pour nous. (Aurélia

 「夢」は第二の生である。私は、震えることなく、象牙あるいは角でできた扉を通り抜けることができなかった。目に見えない世界から私たちを切り離すあの扉だ。眠りの最初の瞬間は死をイメージさせる。ぼんやりとした痺れが思考を捉え、私たちは、自己が別の姿を取って存在という作品を継続する、その厳密な瞬間を決定することができない。それはぼんやりとした地下世界であり、徐々に明るくなってくる。そして、影と夜の中から、青白い人々の姿が浮かび上がる。彼らは、どっしりとしてまったく動かない、辺獄の住まいの住民だ。次に、情景が形作られる。新しい光が奇妙な亡霊たちを照らし、活動を始めさせる。— 「精霊たち」の世界が私たちに開かれるのだ。(「オーレリア」)

眠りに入る瞬間を描くこの描写は、暗い闇から光がともされ、徐々に役者たちの姿が見えてくる舞台を思わせる。

夢と現実を隔てる扉に関しては、古代ローマの詩人ウェルギリウスの叙事詩『アエネーイス(アエネーアスの物語)』を参照している。
トロイア陥落後、英雄アエネーアスは放浪の末、イタリアにたどり着くが、その間に地獄下りをする場面がある。
その際に、夢の扉に関する記述があり、「角(corne)」の扉は真実の影たちを通し、「象牙(ivoire)」の扉は偽りの夢を通すとされている。

ネルヴァルは真実と偽りの区別にこだわるのではなく、現実と夢の間には扉があり、その扉を通ることは地獄下り、つまり死の世界に向かうことに等しいという点を強調する。

その死の世界は、何もない無の世界ではなく、現実の生に匹敵する、もう一つの生の世界と見なされる。
それが、「“夢”は第二の生である。(Le Rêve est une seconde vie.)」の意味することだといえる。

そして、その扉は、劇場の扉でもある。
その扉をくぐり、舞台の世界に目をやれば、そこにはもう一つの世界がある。
シェークスピアは『お気に召すまま』の中で、「人生は舞台、人はみな役者。」と言った。
夢も芝居も、それぞれが一つの現実なのだ。
ネルヴァルは、「自己が別の姿を取って存在という作品を継続する(le moi, sous une autre forme, continue l’œuvre de l’existence)」と、シェークスピア的思考をアレンジして表現する。

夢の世界を「地底世界(souterrain)」とするのは、アドニラムの下った地球の中心世界の変容と考えることもできる。
そこが徐々に明るくなり、うっすらと人々の姿が見えてくる。彼らがこの世とあの世の中間にある「辺獄(limbes)」に住むというのは、地獄下りを思わせる表現。
それと同時に、劇場の中で、芝居が今まさに始まろうとする時、舞台に光が当たり始め、少しづつ役者たちの姿が見えてくる、その朧気な淡い瞬間を暗示しているともいえる。

さらに、この描写は、「シルヴィ」の劇場の変容でもある。
「シルヴィ」は、青春時代の思い出と現在を重ね合わせ、失望感を歌うことで詩情を生み出す物語。
「オーレリア」は、狂気の体験の際に脳裏に浮かんだ映像を積み重ね、超自然的的な世界観からハーモニーを奏でる物語。
二つの作品で繰り広げられる映像の種類は全く異なるが、舞台上のシーンを変容させていくという点では共通している。
そのことは、作品の冒頭に芝居の開始を思わせるシーンが描かれ、「生(vie)」を始めとして、「現れ、幻(apparitions)」、「姿(figures)」、光に関する表現など、共通の言葉が多く用いられていることからもわかる。

このように見てくると、「ボヘミアの小さな城」も「シルヴィ」も「オーレリア」も、芸術家アドニラムの美学に基づき、その美学を「私の生(ma vie)」の表現としてネルヴァルが変容させたものだと考えることができる。
「生(vie)」の脈動を捉え、言葉によって美を描き出し、そこにポエジーを生み出す。それが1850年以降のネルヴァルの美学だった。