数字を読む コロナによる死者数 出生者数

試験で18点だったと言えば、フランスではよくできると驚かれるし、日本だったら落第だ。というのも、フランスでは満点は20点で、日本では100点なのが一般的。18という数字は、20に対してなのか、100に対してなのかで、価値が変化する。

こんな当たり前のことが、しばしば忘れられる。

コロナの死者の累計は、厚生労働省の発表によれば、2023年3月22日の時点で、7万3562人。(最初の死者が確認されたのは2020年2月。)

この数字をどのように考えるかは個人の考え方にかかっているが、相対化するためには、年間の総死者数の知ることが一つの指標となる。
2020年 137万2648
2021年 143万9809
2022年 158万2033
計    439万4490

二つの統計の間の期間が少しズレるが、大まかに見ると、3年間の全死者数が約440万人、そのうちのコロナによる死者数は約7万4000人となる。
逆に言えば、コロナ以外の死者数は、430万人以上。そのうちの約10分の1は老衰によるというデータもある。

このような全体像を知った上で、2023年1月に目にしたニュースを読んでみよう。

「新型コロナウイルスに感染して亡くなった人の数は第8波で急増し、2022年12月以降の1か月あまりで1万人を超えている。2020年1月以降、新型コロナに感染して亡くなった人は2023年1月10日までで6万411人。その死亡者数のおよそ6分の1の人が、この1か月あまりの間に死亡した。」

2020年以降ずっとコロナの脅威について語られ続け、シャットダウンまでしてきたにもかかわらず、2022年12月から急激に危険性を増したような印象を受けないだろうか?
そして、もしニュースで提示されている死者数6万411人が正確なものなら、そこから2ヶ月あまりで約1万3000人の人が死亡したことになる。
しかし、その間にニュースでの扱いは圧倒的に小さくなり、マスク着脱の自由化が決定されたことが伝えられたに留まる。

ここで私が書いていることは、決して政府の政策やマスコミを批判するためではなく、ある数字を示された時、私たち一人一人がどのように読み取るかの例を示すため。

SNSでどんなオピニオン(自分の意見)でも発信できる時代、誰かあるいは何かを非難することは容易だが、自分の意見や考えの根拠を見直すことは、なかなか行われない。
Twitterでの文字数は、基本的には140字。そうした発信法では、オピニオンを伝えるだけしか行えない。最近は4000字まで書きこみ可能らしいが、そんな長いツイートを誰が読むだろう?

現在の私たちは、非常に短いメッセージを読み、それに対して条件反射的に反応する状態に慣れてしまっている。
フェイクの映像さえ氾濫する中で、一見客観的に見える数字は、フェイクではないだけに、信頼を得やすい。
コロナの死者が1ヶ月に1万人という数字を見せられたら、恐い!と直感的に思うのが当然の反応。

確かに個人的なレベルでは恐いと思うのが普通。
しかし、客観的に見ると、日本全体の死者は一年間で約130-150万人。そのうちの約2万5000人がコロナによるもの。その数字を見る時、コロナ対策をどのようにすべきか、個人のレベルとは違う発想が求められるのではないか。


最近では少子化が進み、出生者数の数字もニュースで伝えられることが多くなった。

厚生労働省の数字を確認してみると、2020年から2022年までは、次のようになっている。
2020年 84万0835
2021年 81万1604
2022年 79万9728人

ニュース的な価値は、2022年に初めて80万人を割ったことだが、問題がそこにないことは、2021年との差が約1万人しかないことを見れば、はっきりしている。

出生者数の問題は、死者数を大きく下回り、日本の人口が減少することにある。
減少した人数は以下の通り。
2020年 53万1813
2021年 62万8205
2022年 78万2305
計  194万2323

日本の総人口は、総務省統計局の資料によれば、2023年3月の時点の概算では、1億2449万人。

こうした現実に基づいて、国土審議会政策部会から出された予測を図表化したものを見ると、日本の人口が急激に減少していく可能性があることがわかる。

この予測通りになると、労働人口の確保、高齢化による医療費の高騰、社会保障制度の維持等、様々な問題が出てくる。
出生者数が80万人を切ったという数字は、それ自体では意味がなく、全体の中で何を意味するのか読み説く必要があるということが、このグラフからも見てとることができるだろう。


ある数字が提示されたとき、全体の中でどのような位置を占めているのか考える。そんな習慣を付けるだけで、数字を読む第一歩になる。

事実を確認しない「ポスト真実」(ポスト真実を克服するために)という言葉さえ忘れられ、どんなオピニオンでも主張する権利があり、バズることで多くの人を引きつけることが、民の声として流通する時代。
情報が流れて来た時、できるかぎり全体を見る目は持っておきたい。

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