
ポール・ヴェルレーヌを代表する『言葉のない歌曲集』が出版されたのは1874年。クロード・モネの「印象 日の出」が展示された、いわゆる第一回印象派展が開催されたのと同じ年だった。
この偶然は、ヴェルレーヌの詩が印象派の絵画と同じ種類の美を目指していることを示す、「意味ある偶然」だといえる。
彼らの新しさは、絵画、詩の言葉、ドビュシーなど音楽家であれば音楽によって、「印象」を表現しようとしたことだった。
私たちは「印象」という言葉を、普段何気なく使っている。第一印象がいい、印象が薄い、印象的な風景、等々。しかし、「印象」とは何かを考えることは少ない。
印象が生じるためには、二つの要素が必要になる。一つは、見たり聞いたりする人間。もう一つはその対象となるもの。
一人の人間が、ある対象を見たり聞いたり触ったりした時、心の中で感じるものが、印象と呼ばれる。
そこで注目したいのは、同じものに対しても、印象は人によって異なるだけではなく、場所の違いや時間の経過の中でも違う可能性があるということ。
印象派の画家たちが、同じ対象を何度も描いたのは、時間の経過に従って光は絶えず変化し、その当たり方によって違って見えるから他ならない。


そうした視点から考え直してみると、「印象」とは、五感が捉える対象とその刺激を受け入れる心、つまり外界と内面の共同作業から生まれる不安定な感覚であることがわかる。
そのため、「印象」に基づいて表現された世界像は、現実に忠実な写実的な映像でもなく、現実の核を欠いた空想的な映像でもない。
こう言ってよければ、それ自体で、一つの自立した世界を作り出している。
モネのサン・ラザール駅は、現実の駅を再現しているのではなく、1枚1枚が、それぞれのサン・ラザール駅なのだ。
ヴェルレーヌの「巷に雨が降るごとく」(掘口大學訳)でも、同じことが言える。
雨が降るのは外界だが、「同時に」、心の中にも涙が降る。というか、雨が降るのは、外界と心が一つになった「印象」の中なのだ。
心の中に涙が降る。
街に雨が降るように。
私の心を貫き通す
この物憂さは何だろう。 (「忘れられたアリエッタ 3」)
印象
「印象」とは、ある対象が人間の心に与える直接的な感覚であり、その感覚を通して描き出される世界像は、個人的な色合いが施された写生像だといえる。
それは対象の忠実な再現でもなければ、個人の自由な空想の結果でもなく、二つの側面が融合して出来上がっている。
「忘れられたアリエッタ 3」の最初の詩句は、日本語ではどのようにしても理解できないのだが、フランス語の非人称の構文が用いられていて、外的世界と心の内面が一つであることが見事に示されている。
フランス語で雨が降るという場合、« Il pleut »(英語のit rains)という非人称構文が使われる。
実際、2番目の詩句で「雨が降る」と言われる場合には、その表現が用いられている。
最初の詩句の「涙が流れる」に関して、ヴェルレーヌは、フランス語には存在しない « Il pleure » (英語で言えば、It tears)という表現を発明し、非人称の主語(il, it)を借用して、そこに涙を流すという動詞を続けた。
そのために、雨が降るのと同じように涙が降ることはわかるのだが、主語は気候や天候を表す非人称であり、誰が涙を流す主体なのかわからない。
そうした特別な言葉の使い方によって、心の涙と外の雨があたかも同じものであるかのような「印象」が生み出される。
おお、優しい雨の音よ、
地上にも、屋根にも、降りかかる!
倦怠を感じる心には、
おお、雨の歌声!
涙が流れる、理由もなしに、
憂鬱なこの心の中に。
何? 裏切りもない?
この悲しみには、理由がない。 (「忘れられたアリエッタ 3」)
ここでも、外に降る雨ように、心の中に涙が流れ、外の世界と心の内が一体化しているように感じられる。
そして、シトシトと降る雨を心の中でしっとりと感じ、穏やかな憂鬱にとらわれる。
その憂鬱感は、何か特別な出来事が原因ではなく、ヴェルレーヌのメランコリー気質から来る。だからこそ、彼自身、理由がわからず、ただしっとりとした悲しみにくれることになる。
その上、その感覚は、「私」という主体が悲しみに沈むという個人的な体験というだけではなく、外の世界全体が心と一つになり、涙の雨を降らせているように感じられる。
そうした一体化がより強く感じられると、「誰が」とか「何を」が明示されないまま、感覚の「印象」だけが言葉によって固着されることになる。
「忘れられたアリエッタ 1」の第一詩節は、その典型的な例を示している。
それは、物憂い恍惚感。
それは、愛の倦怠感。
それは、森の全ての震え、
そよ風の抱擁の間を抜ける。
それは、灰色の梢に向かう
小さな声の合唱。 (「忘れられたアリエッタ 1」)
感覚を感じる主体も、感覚を引き起こす原因も現れない。
物憂い恍惚、愛の倦怠、森の震え、小さな声の合唱、それらはただそこにあるだけなのだ。
こう言ってよければ、それらは「何か」ではなく、何かの「印象」であり、ヴェルレーヌはそれらをスケッチしていく。
そのような視点から見ると、ヴェルレーヌの詩句は、宮沢賢治の用語を借用すれば、「心象スケッチ」と近いかもしれない。
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつづけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです 『春と修羅』「序」
賢治がカッコの中に入れた詩句、「すべてわたくしと明滅し/みんなが同時に感ずるもの」が的確に言い表しているように、外の風景も私と共に明滅し、感じている。
「心象スケッチ」とは、「私」の心であると同時に、街や自然や天空など外の世界を描いた風景に他ならない。
1844年生まれのフランスの詩人と1896年生まれの日本の詩人を直接結び付けるのが乱暴なのはわかっているのだが、ヴェルレーヌの詠う世界を心象スケッチと呼んでも、それほど間違ってはいないだろう。
様々な心象スケッチ
ヴェルレーヌの詩集には、絵画と関係する言葉がしばしば用いられている。
『土星人の詩』では、「エッチング」「悲しい風景」という章の題名があり、『艶なる宴』は題名そのものがロココ絵画のジャンル名。『言葉のない歌曲集』の章の題名も、「ベルギーの風景」「水彩画」と絵画に関係している。
ヴァルレーヌは「詩法」の冒頭で「何よりも先に音楽を」と宣言したが、彼の詩において、絵画は音楽と同等の位置を占めている。
(1)「ヴァルクール」 ー 筆触分割
彼が言葉で描く絵は「印象」に基づき、印象派絵画のタッチを思わせる。その典型的な例が、ランボーと共にベルギーに旅立った時、汽車の窓から見た風景を描いた「ヴァルクール」。
印象派絵画では、「筆触分割」という技法が使われ、絵の具をパレットの上で混ぜず、原色のままの色を小さなタッチで並べておくようにして表現されることがあった。


ヴェルレールは同じことを単語を使って行った。
汽車から窓の外の風景を眺めている気分で、以下の詩句を読んでいくと、単語の並置がいつの間にかつながりになり、一つの駅から次の駅へと走っていく印象が生まれてくる。
レンガと瓦。
おお、チャーミングで
小さな隠れ家
恋人たちのための!
ホップとブドウ、
草と花々、
人目に付くテント
根っからの酒飲み達の!
明るい居酒屋
ビール、大騒ぎ、
愛しい給仕の女達
煙草を吸うみんなにとっての!
次の駅から次の駅へ、
陽気で大きな鉄の道。。。
なんて運がいいんだ
善良な永遠の放浪者たちよ! (「ヴァルクール」)
レンガ、河原、ホップ、ブドウ、などなど、単語が次々に並べられる様子は、原色の絵具の小さな固まりが並置される印象派の絵画を思わせる。
ちなみに、パリを脱出し、愛するランボーとベルギーに向かう汽車の中、ヴェルレーヌは幸福感に溢れ、彼の詩には珍しく、「ヴァルクール」にはメランコリーの陰がない。
(2)印象派の時代のロココ絵画
『艶なる宴』は、アントワーヌ・ヴァトーの絵画から始まったロココ絵画のジャンルに基づいているのだが、18世紀のブルボン王朝の宮廷を19世紀後半に移植することは、描かれた全てが偽りか、あるいは仮の姿といった印象を与える。
そのことを象徴するかのように、冒頭に置かれた「月の光」の登場人物たちはみんな仮面を付けている。
あなたの魂は、選び抜かれた風景、
仮面も、ベルガモの踊りも魅力的、
リュートを弾き、踊り、あたかも
悲しげに見える、気まぐれな仮装の下で。 (「月の光」)
ベルガモは、イタリア中部のロンバルディア州にある街で、ベルガマスクと呼ばれる丸く輪になって踊るダンスが16-17世紀には盛んだった。
18世紀のフランス宮廷では、イタリアの庶民たちの舞踏を、貴族たちが仮想をして踊ることがあったのかもしれない。


ヴェルレーヌは、マスク(仮面)、ベルガモの踊り(ベルガマスク)、さらには気まぐれな仮装という言葉を使い、ブルボン王朝の貴族たちの遊びを19世紀後半に移植することで、月の光の下の光景が仮の姿であることをさらに強調する。
その儚さを魅力あるものにすることが、ヴェルレーヌの詩句の役割なのだ。
静かで、もの悲しく美しい月の光、
木々の間の鳥たちを夢見させ、
大理石に囲まれた、高くほっそりとした噴水を、
恍惚としてすすり泣かせる。 (「月の光」)
仮の姿は、一瞬毎に消え去ろうとするからこそ、悲しく、美しい。
だからこそ、ヴェルレーヌは、仮面を被り、仮想した人々の宴を描いたのだった。
「無邪気な人々」で描かれる人々は、決して無邪気ではない。その意味で、詩の題名自体が偽りになっている。

高いヒールが、長いスカートと争っていた。
地面と風のせいで、
時々ふくらはぎがチラチラ光っていた。何度も何度も
中断されたけれど! — ぼくたちはこの騙し合いの遊びが好きだった。
(「無邪気な人々」)
優美な服を纏った女性が、坂道を歩き、風が吹く。時には、スカートが持ち上げられ、美しいふくらはぎが日に照らされて、美しく輝いて見える。
スカートがそれほど上がらず、期待が裏切られることがあればあるほど、その光景が気をそそる。
そうした中で繰り広げられる恋の駆け引きは、結局、騙したり、騙されたりすることに楽しみを見出す貴族たちの遊びにすぎない。
そこでは、誰もが、顔だけではなく、心にも仮面を付けている。
「貝殻」でも偽りは続き、「装う」とか「偽造する」という言葉が使われる。

ぼくたちが愛し合っていた
岩穴にはめ込まれている貝殻には
それぞれに特徴がある。
一つの貝殻は、ぼくたちの魂の深紅の色をしている。
ぼくが燃え上がり、君が真っ赤な炎になる時、
ぼくたちの心臓を流れる血液からこっそりと盗まれた色だ。
別の貝殻は、君の倦怠と青白さを
装っている。君が疲れて、
ぼくのからかうような眼差しを恨んでいる時の色。
この貝殻は、君の耳の優美な様子を
偽造する。あの貝殻が偽造するのは、
ピンクで、短く、ぽっちゃりとした君の首。
その中の一つが、ぼくの心を混乱させた。 (「貝殻」)
一つの貝殻は深紅の色をしていると書かれているが、他の貝殻は貝殻本来の姿ではなく、偽りだということを動詞が示している。
そして、それが分かっていながら、「ぼく」は一つの貝殻に心を揺さぶられ、混乱する。つまり、本気で愛してしまう。
このように、ヴェルレーヌは、フランス革命以前のフランス宮廷の「艶なる宴」に基づきながら、優美さの仮面の下に憂鬱が潜む、仮象の美の世界を作り上げたのだった。
(3)聖なる彼方を希求する街並み
『叡智』に収められたキリスト教の信仰をテーマにした詩でも、外の世界と心の内が重なり合い、1枚の絵となった作品がある。

空は、屋根の彼方で、
なんと青く、なんと穏やかなことか!
一本の木が、屋根の彼方で、
葉を揺する。
教会の鐘が、見上げる空で、
静かに鳴り響く。
一羽の鳥が、見上げる木の上で、
嘆きの歌を歌う。
神様、神様、生活があるのは、あそこです。
質素で、穏やかな生活が。
この平和なざわめきが、
やって来くるのは、あの街からです。
ー 何をしてしまったのだ、おお、ここにいるお前は、
絶えず泣き続け、
言ってみろ、どうしてしまったのだ、ここにいるお前は、
お前の青春を ? (「空は、屋根の彼方で」)

ランボーを拳銃で撃ち、有罪の判決を受けたヴェルレーヌは暗い監獄の中にいる。さらに追い打ちをかけるように、妻のマチルドが要求していた離婚が裁判所で認められ、その知らせがヴェルレーヌを打ちのめした。
そうした中で、彼はキリスト教の信仰を取り戻す。
「空は、屋根の彼方で」は、その瞬間を捉えている。
監獄の窓から覗いた空は青く、穏やかに見える。建物の上では木の葉が揺れている。ここまでは実際の光景をスケッチしたものかもしれないが、「青く、穏やか」に見えるのは、囚人の心の反映かもしれない。
次に、教会の鐘の音と鳥の鳴き声が聞こえる。しかし、鐘や鳥が見えたのかどうかはわからない。音や鳴き声から、姿を想像したとも考えられる。
そのようにして、実際の風景からじょじょに心の風景へと移り変わっていく。
第3詩節になると、街のざわめきは聞こえたかもしれないが、決してその光景が見えることはない。
詩人は、神に向かい、生活があるのはその街だと言うのだが、質素で穏やかな生活のある街とは、彼の心の中に描き出される街だといえる。
このように、空と木から街へと移行するにつれて、詩人の思いは彼方へと飛翔し、改悛の気持ちが強くなる。最後に、神に向かい、無為に過ごした青春を涙ながらに告白をする背景には、そうした心象風景の進展がある。
(4)自然と心の風景
『土星人の詩集』に収められた「沈みゆく太陽」には、クロード・モネの「セーヌ河岸のラヴォクールに落ちかかる夕陽」を思わせる、曖昧模糊とした不確かさがある。

弱々しい夜明けの太陽が
野原一面に注ぐのは
沈みゆく太陽の
メランコリー。
そのメランコリーが
穏やかな歌で優しく揺らすのは、
沈みゆく太陽の下で
我を忘れる私の心。
そして、浜辺に沈みゆく
太陽のような
奇妙な夢たちが、
その深紅の亡霊たちが、
休むことなく行進する、
行進する、
浜辺に沈みゆく
大きな太陽のように。 (「沈みゆく太陽」)

モネの絵画の題名には「夕陽」とあるが、「印象、日の出」と並べた時、はっきりした違いが感じられるだろうか?
どちらも全体がおぼろげで、実際の風景を再現した写生ではなく、「印象」を定着したものだといえる。
ヴェルレーヌの詩の曖昧さは、沈みゆく太陽、つまり夕陽を歌っているはずなのに、最初に「夜明けの太陽」が出てきて、描かれた光景が夜明けなのか夕暮れなのかわからないことに由来する。
そのぼんやりとした光の下で、「私の心」はメランコリーに浸され、我を忘れる。
その忘我が恍惚感をもたらすのか、それとも深い悲しみをもたらすのか、どちらかわからない。
また、「浜辺に沈みゆく太陽」のような「奇妙な夢たち」も「深紅の亡霊たち」も、明確な姿が描かれず、最初に「野原」が出てくるために、それらが出現する場所が、野原なのか海岸なのかもわからない。
ただ、太陽に照らされたなんらかの姿が浮かび上がり、それらが絶えることなく列を作り進んで行くという、不確かな絵だけが描かれる。
こうした曖昧な世界の中で、ヴェルレーヌの心は物憂い悲しみに浸され、世界が涙で曇って見える。
秋の枯葉が風で揺れる姿が、心の動きそのものとなる。
「秋の日の/ヰ゛オロンの/ためいきの/身にしみて/ひたぶるに/うら悲し」で始まる「秋の歌」は、次のように終わる。

わたしは去る
枯葉の
ように
あちらこちらに
わたしを運ぶ
悪い風に吹かれて (「秋の歌」)
枯葉は「わたし」に他ならず、「わたし」は風に吹かれてあちらこちらに運ばれる儚い存在にすぎない。
枯葉は心の擬人化ではなく、心のそのもの。枯葉も心も「ひたぶるにうら悲しい」。
ヴェルレーヌの詩は、彼の心が言葉で描くスケッチなのだ。
和歌の伝統が基礎にある日本的な感性にとって、自然を描くことがそのまま心の表現でもあるヴェルレーヌの詩は、すっと心に入ってくる。それが、ヴェルレーヌが日本で大変に人気のある詩人である理由の一つだろう。
この解説では、宮沢賢治の「心象スケッチ」という言葉を持ち出したが、それはヴェルレーヌの詩が、印象派の絵画と同様に、目の前にある光景を描き、それがそのまま心の内の表現でもあるという特色を捉えるためだった。
宮沢賢治は、『注文の多い料理店』の序文で、こんな風に書いている。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
「そのとおり書いたまでです」という賢治の言葉は、そのままヴェルレーヌにも当てはまる。
フランスの詩人も、「どうしてもこんな気がしてしかたない」「印象」を言葉によって表現したのといえる。
多くの場合その「印象」に物憂さが付きまとうのはヴェルレーヌのメランコリー気質のよるものであり、何か特別な出来事が理由ではない。
だからこそ、彼自身にも理由がわからず、ただ涙する。
母や妻に暴力を振るい、ランボーとの放蕩生活の末に発砲事件を起こしたヴェルレーヌの実際の生活から、彼の詩を理解するのではなく、詩の言葉そのものから彼の世界を理解しようとする。
すると、ヴェルレーヌが「どうしてもこんな気がしてしかたない」と感じた世界が浮かび上がってくる。
ヴェルレールの詩を読む楽しみは、その姿を目にし、その印象を感じ取ることにある。
