« Si tu t’imagines »は、レイモン・クノーが1946年に出版した詩集『運命の瞬間(L’Instant fatal)』の中に収められた一編。その際のタイトルは、« C’est bien connu »。
その後、「枯葉」で知られるジョゼフ・コズマが曲をつけ、ジュリエット・グレコが歌った。
詩のテーマは、古代ローマから伝わる文学のテーマ「carpe diem(saisir le jour、今を掴め)」。
(参照:Carpe diem カルペ・ディエム 今を生きる)
レイモン・クノーは、いかにも『地下鉄のザジ』の作者らしく、16世紀の詩人ピエール・ド・ロンサールの有名な詩「あなたが年老い、夕べ、燭台の横で(Quand vous serez bien vieille, au soir, à la chandelle)」などを下敷きにしながら、20世紀中頃の口語や俗語を交え、音が耳に残るパロディ作品を作り上げた。
(参照;ロンサール 「あなたが年老い、夕べ、燭台の横で」 Pierre de Ronsard « Quand vous serez bien vieille, au soir, à la chandelle » )
幸い、youtubeには、ジュルエット・グレコが1961年に東京で公演した際の映像がアップされている。彼女の表情が表現豊かに変化する様子を見るだけで、少女の瑞々しさと老婆の衰えとの対比を描いた詩句の内容が伝わってくる。だからこそ、今すぐに、「命のバラを摘め」 « cueille les roses de la vie »、と。
Si tu t’imagines
si tu t’imagines
Fillette fillette
si tu t’imagines
Xa va xa va xa
va durer toujours
La saison des za
la saison des za
saison des amours,
ce que tu te goures
Fillette fillette
ce que tu te goures
もし思ってるなら
もし思ってるなら
ねえ若い君 ねえ若い君
もし思っているなら
それが それが それが
いつまでも続くと
ザの季節 ザの季節
愛の季節
間違ってるよ
ねえ若い君 ねえ若い君
間違ってるよ。
s’imaginerは、「思う」という意味と同時に、「その思うことが間違っている」というニュアンスを含むことがある。
« tu te goures »は、間違える(se tromper)という意味の俗語的表現。ce queという強調表現を用いながら、クノーは、s’imaginerに含まれる間違いのニュアンスをさらに強調する。
« Xa »は、que ça を縮めた音。tu t’imagines que ça va durer(それが続くと思っている)という文のque以下が« Xa va xa va xa va durer »とxa vaが反復されることで、耳に残る表現になっている。
その後、çaの内容が« la saison des amours »(恋の季節)であることが示されるのだが、その際、最初は季節の内容がはっきりと示されず、la saison des « za »という音が反復され、3回目になってやっとそれがdes a/mours(デザムール)であることが明かされる。Zaはそのリエゾンの音だけを取り上げ、何の季節だろうという謎かけになっている。
Si tu crois petite
si tu crois ah ah
que ton teint de rose
ta taille de guêpe
tes mignons biceps
tes ongles d’émail
ta cuisse de nymphe
et ton pied léger
si tu crois petite
xa va xa va xa
va durer toujours
ce que tu te goures
fillette fillette
ce que tu te goures
もし信じているなら ねえ君
もし信じているなら、アア
君のバラ色の肌
ハチみたいなボディ
可愛い二の腕
エナメルの爪
妖精の太もも
軽やかな足、
もし信じているなら ねえ君
それが それが それが
ずっと続くと思っているなら
間違ってるよ、
ねえ若い君 ねえ若い君
間違ってるよ
ここでは、若い女の子の瑞々しい外見について、肌の色(teint)、体(taille)、ニの腕(biceps)、爪(ongles)、太もも(cuisse)、足(pied)と列挙され、その瑞々しさが、rose(バラ)、guêpe(ハチ)、mignon(可愛い)、七宝あるいはエナメル(émail)、妖精(nymphe)、軽い(léger)という言葉で示される。
しかし、それらが永遠に続くことはないことが、第一詩節と同じ表現を使って、繰り返される。
les beaux jours s’en vont
les beaux jours de fête
soleils et planètes
tournent tous en rond
mais toi, ma petite, tu marches tout droit
vers ce que tu vois pas
素晴らしい日々は過ぎ去っていく、
お祭りの素晴らしい日々は。
太陽と惑星は
みんな丸く回る
でも、君はね、愛しい君は、まっすぐ歩いて行く、
今の君には見えない方に向かって。
日々が過ぎ去っていく(les jours s’en vont)という言葉は、時間が決して後戻りせず、過ぎ去ってしまうことを表す時に使われる表現。
アポリネールの「ミラボー橋(Le Pont Mirabeau)」でも、« Vienne la nuit sonne l’heure / Les jours s’en vont je demeure »(夜よ来い、時よ鳴れ、/ 日々は過ぎ去る、私は留まる)というリフレインの中で、印象的に使われている。
流れ去る時間(la fuite du temps)は、前に進む直線で示される時間と対応し、ここでも、君は真っ直ぐ前に進む(tu marches tout droit)と表現される。
しかも、進んで行くのが、君には見えないもの(ce que tu (ne) vois pas)の方へと言われ、その先に老いや死があることは隠されている。
その点では、16世紀の詩人ロンサールの詩で、最初から、「あなたがひどく年老いたら(Quand vous serez bien vieille)」とはっきりと言われるのとは、随分と違っている。
レイモン・クノーのもう一つの工夫は、太陽と惑星に言及され、それらが丸く回る(tournent en rond)と言うことで、円環的時間意識を思い出させていること。
前に進むのではなく、円環を描く時間意識の中では、一度過ぎ去ったものも再び戻ってくる。
その意識を間に挟むことで、直線的に進む時間の残酷さが、際立つことになる。
次に、「今の君には見えない」方向に進んでいくと待っているものが示される。
très sournois s’approchent
la ride véloce
la pesante graisse
Le menton triplé
le muscle avachi
意地悪く近づいてくるのは
すぐにできる皺
重たい脂肪
三重顎
たるんだ筋肉
意地悪な(sournois)という言葉が、老年になり容姿が衰えることの持ち感情を最初に伝えている。ちなみに、sournoisは形容詞だが、ここではs’approchent(近づく)という動詞に関係する副詞的な用法で用いられている。
では、意地悪く近づいてくるものは何か?
ここでも、若い時と同じように、皺(ride)、脂肪(graisse)、顎(menton)、筋肉(muscle)と、具体的な体の部位が取り上げられる。
皺はすぐに(véloce)でき、脂肪ででっぷりと重い(pesante)体になり、顎は三重になり(triplé)、筋肉はだぶつきたるんでしまう(s’avachir)。
時間はすぐに過ぎ去り、君のバラ色の肌も、すぐに皺だらけになり、肉もだぶついてくる。だからこそ、今この時にバラの花を摘むようにという、ロンサールに倣った呼びかけが行われる。
allons cueille cueille
les roses les roses
Roses de la vie
et que leurs pétales
soient la mer étale
De tous les bonheurs
allons cueille cueille
si tu le fais pas
ce que tu te goures
fillette fillette
ce que tu te goures.
さあ 摘んでくれ 摘んでくれ
バラを バラを
命のバラを
そして バラの花びらが
穏やかな海であるように
あらゆる幸福の(海であるように)
さあ 摘んでくれ 摘んでくれ
もしそうしなきゃ
間違ってるよ
ねえ若い君 ねえ若い君
間違ってるよ。
すでに指摘したように、命のバラを摘め(cueille les roses de la vie)という表現は、ロンサールの詩から直接借用したものであり、ここでレイモン・クノーがあえて借用をもう一度はっきりと示している。つまり、« Si tu t’imagines »はパロディであるということの印付けとも考えることができる。
そして、バラの花びら(leurs pétales)をなぎのように静かな海(mer étale)のように拡げ、全ての幸福(tous les bonheurs)を目にしてくれと、que +接続法の構文を用いて、愛する女性に命じる。
そして、もしバラを摘まなければ(si tu le fais pas)、君は間違っている(ce que tu te goures)と、もう一度反復する。
レイモン・クノーは、こんな風に、carpe diemのテーマを取り上げる際、あえてロンサールの詩を下敷きにした上で、« xa va » « des za »など意味よりも音が表現の中心を占める詩句を駆使し、ロンサールの優雅な音楽とは異なる現代的な詩句を組み立てた。
そして、そのまま理解すれば、ロンサールと同じように、今という時を大切にするようにということを説く詩として読むことが出来る。
しかし、その一方で、« ce que tu te goures »と何度も反復されると、バラを摘まないことが間違っていると言われているとわかっていても、いつしか、バラを摘めと言う言葉を信じることが間違っているようにも思われてくる。
« Si tu t’imagines »にそうした皮肉な意味が込められているとしたら、いかにもレイモン・クノー的なパロディ作品だとも考えられる。
そんな二重の読みの可能性を頭に置きながら、ジュリエット・グレコの歌に耳を傾けるのも楽しい。