Carpe diem(カルペ・ディエム) 今を生きる

Rose Pierre de Ronsard

Carpe diem(カルペ・ディエム)とは、ラテン語で、「今日という日(diem)を摘め(carpe)」の意味。
そこから、「今を生きる」とも言われる。

この言葉は、古代ローマの詩人ホラティウスの詩の一節に由来し、二つの意味に解釈されることがある。

(1)今を充実させて生きる。
その意味では、Carpe diemは、「今を生きる」ことを勧める格言と解釈できる。

(2)後先を考えるよりも、今のことだけを考える。
この場合、後先のことを考えず、今さえよければいいといった、短絡的で快楽主義的な考え方の表現として解釈していることになる。

実は、Carpe diemと似た表現がラテン語にある。
collige, virgo, rosas
摘め、乙女よ、バラを。
この詩句で摘むものは、日ではなく、バラの花。

では、美しいバラの花を摘む幸せを手に入れるためには、Carpe diemを、(1)か(2)の、どちらの解釈をする方がいいのだろう。

Carpe diemが出てくるのは、ホラティウスの『抒情詩集(Odes)』第1巻に収められた「レウコノエに」の中。

尋ねてはいけない、知ろうとしてはいけない、私に、あなたに、
神々がいかなる死を与えるのか、レウコノエよ。
(中略)
賢明でいること。酒を濾すのだ。時間は短い。遠くまで伸びる希望を断ち切れ。
喋っている間に、嫉妬深い時(invida aetas)は逃げ去ってしまう。
今日を摘むのだ(Carpe diem)。明日は信用できない。

Horace

人間は時間の中に生き、時間に押し流されて死へと向かっていく。
決して、死から逃れることはできない。
神は「不死の存在(immortel)」だが、人間は「死すべき存在(mortel)」なのだ。

そのように認識した時、限りのある人生の中で、どのように生きるのかという問いが生じる。

古代ローマの詩人ウェルギリウスのものとも言われる « collige, virgo, rosas »で始まる詩句は、次の様に歌う。

乙女よ、バラを摘め。花が新しく、お前の若さが新鮮なうちに。心に留めよ、時はすぐに過ぎ去ってしまう。

Barthélémy d’Eyck, Émilie dans son jardin

この詩句を読むと、若さはすぐに失われてしまう、だから急いで何でもいいからしないといけない、と思ってしまうかもしれない。
せかされている、と感じることもあるだろう。

時が嫉妬深いのは、あなたの若さに嫉妬しているから。あなたの若さはすぐに失われてしまう。
そんなことを言われたら、焦ってしまい、どんなことでもいいから、今できることをしてしまうかもしれない。
明日はどうなるかわからない、と考えて。

こうした考え方は、通俗的な意味での快楽主義(hédonisme)であり、感覚的に心地よいと感じるものだけをしていれば、それが一番の幸せだということになる。
この視点からすれば、Carpe diemを、後先を考えるよりも今のことだけを考え、今、目の前にあることをする、という意味に理解することも可能である。

Jérôme Bosch, Le Jardin des délices

しかし、全く別の仕方で理解することもできる。

人間は、「今」という時しか生きることができない。
過去はすでに過ぎ去り、未来はまだ到来していない。過去も未来も、実在するのではなく、記憶や予見という「意識」の中にしかない。
人間が生きているのは、「今という時」だけなのだ。

そして、「今」を生きるのは、若者だけではない。子供も、大人も、老人も、今を生き、今しか生きられない。
としたら、年齢に関係なく、人間は今を生き、美しく咲くバラを摘むことができる。少なくとも、その可能性がある。

16世紀フランスの詩人ピエール・ド・ロンサールは、愛する女性カッサンドルに捧げた恋愛詩「愛する人よ。見に行こう。バラが(Mignonne, Allons voir si la rose.)」の中で、夕方を待っては遅すぎるので、今ここでバラを摘んで欲しいと歌う。

愛する人よ。見に行こう。バラが、
朝は太陽に照らされて、緋色のドレスを開いていた。
でも、夕方、失わなかっただろうか、
緋色のドレスの襞も、
あなたの肌の色に似た花の色合いも。
(中略)
おお、本当に、意地悪な「自然」よ。
こんなきれいな花でも、美しさが続くのは、
朝から夕べまで。
(中略)
青春を摘んでくれ。摘み取ってくれ。(Cueillez, cueillez votre jeunesse.)
目の前のこの花のように、いつか老年が
あなたの美しさを曇らせてしまうのだから。
https://bohemegalante.com/2019/03/09/ronsard-mignonne-allons-voir/

Pierre de Ronsard

ロンサールの歌うバラの花は大変に有名で、ピエール・ド・ロンサールという品種があるほど。
バラを摘むことは、愛(amour)が成就することであり、バラは幸福(bonheur)の証となる。

ロンサールも、愛する人(Mignonne)をせかして、今バラを摘み、私を愛してくれなければ、あなたもいつの間にか歳を取り、美しさが曇ってしまうと、脅しのような詩を書いていると読み取る読者がいるかもしれない。

Anonyme, Flore, château de Fontainebleau

しかし、バラの花を摘むのは、花をしおらせ、美しさを壊してしまう「意地悪な自然(marâtre Nature)」から、花を守るためなのだ。
あなたが摘んでくれれば、バラはずっと美しいままでいられる。
あなたも美しいまま。
私たちの愛も永遠に続く。

ホラティウスによれば、明日は不確かで、どうなるかわからない。
ロンサールは、夕方になれば、バラの花も美を失ってしまう、と言う。
そうした中で、バラの美を享受する幸福を得るためには、今、ここで、この時、摘むしかない。
実は、それが、美を永続させることになる。

Jan Massys, Flore

それはなぜか?
人間は、今という時しか生きることができない。
過去はもうなく、未来はまだない。
とすると、過去と未来は、人間の意識の中にしかないことになる。
過去も未来も、一人一人が生きている「今」に含まれているのだ。

過去の辛い事実は事実として留まるが、今の状況によって、事実の捉え方は変わってくる。
今が悲惨なら、過去の事実はより悲惨に思い出される。
あのことがあったから、今がこんな状況なのだと、悲観するかもしれない。
しかし、今が幸福であれば、悲しい事実をある程度受け入れ、甘受することもできる。

未来を予測する場合も、同じこと。
今の状況によって、未来はどのようにも見えてくる。
未来の結果が心配で、今、何も手がつかないということになれば、今を生きていないことになり、未来の結果もおぼつかない。
未来が今の意識の中にしかないとすれば、未来は今の投影だとわかる。とすれば、今を生きることが、未来にそのままつながることになる。

Jean du Tillet, Roses, tirées du Recueil des rois de France

過去と未来が「今」の中に含まれるとすれば、「今」を充実させて生きることが幸福を生み出す術となる。
なぜなら、今ここでバラの花を摘むことで、バラの美が過去にも、未来にも広がり、生を美しく彩ることが可能になるから。

比喩的に言えば、Carpe diemとは、ピエール・ド・ロンサールという美しいバラの花を今、ここで摘むことだといえる。
それが、「今を生きる」喜びであり、幸福となる。


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