
シャルル・ボードレールは、創作活動の比較的初期の時期に、ルネサンスやバロックの時代の詩を参照した詩作を行ったことがある。
「死後の後悔(Remords posthume)」はそうした詩の一つで、16世紀の詩人ピエール・ド・ロンサールがしばしば取り上げた” carpe diem “(今を掴め)をテーマにしている。時間がすぐに過ぎ去り、今は美しいあなたもすぐに年老いてしまい、死を迎えることになる。だからこそ、今この時に私を愛して欲しいと願う詩。
そのcarpe diemを軸に据えた「死後の後悔」の中で、ボードレールは、墓場と肉体の衰えを非常に具体的に描き、醜いものを美に変える彼独自の美学を実現しようとした。
さらに、14行の詩句で構成されるソネット形式(4/4/3/3)の詩において、13行目までを一つの文とし、最後の一行だけを独立させ、独特の効果を生み出した。
そのことは、ボードレールが単にロンサールの詩をモデルにしたというだけではなく、carpe diemのテーマを彼なりの視点で捉え直し、ひねりを加えたことを示している。
Lorsque tu dormiras, ma belle ténébreuse,
Au fond d’un monument construit en marbre noir,
Et lorsque tu n’auras pour alcôve et manoir
Qu’un caveau pluvieux et qu’une fosse creuse;
いつかお前が眠る時、我が麗しの闇の女よ、
黒い大理石で作られた記念碑の底で(眠る時)、
そして、お前が閨房や館として持つのが
雨に濡れた地下納骨所と空っぽの穴だけになる時、
A. ロンサールの詩を下敷きにする
« Lorsque tu dormiras»(お前がいつか眠る時)と未来に視点が置かれるのは、ロンサールの「エレーヌへのソネット」をボードレールがはっきりと意識していることを示している。
実際、「エレーヌへのソネット」は、« Quand vous serez bien vieille »で始まり、動詞が単純未来形で活用され、愛する女性がいつか年老いるであろう時に視点が置かれている。
(参照:ロンサール 「あなたが年老い、夕べ、燭台の横で」 Pierre de Ronsard « Quand vous serez bien vieille, au soir, à la chandelle »)
ボードレールの愛する女性が眠ることになるのは、« un monument construit en marbre noir »(黒大理石で作られた記念碑)。次に、« un caveau »(地下納骨所)という言葉が加えられることで、墓場であることが示される。
彼女が年老いるだけではなく、死まで至ることは、ロンサールのもう一つのソネット「マリーへのソネット」と対応する。
そこでは、私たちもすぐに墓石の下に横たわることになると歌われる。
(参照:ロンサール マリーへのソネット Pierre de Ronsard « Je vous envoie un bouquet » 時は移りゆく、だからこそ今・・・)
ロンサールの詩は17世紀以降忘れられる傾向にあったが、1820年代に古典主義に対抗する形で成立したロマン主義運動の中で、サント・ブーブやジェラール・ド・ネルヴァルによって再評価された。
ボードレールはそうした流れに乗り、ロンサールの詩を下敷きにしたソネット「死後の後悔」を書いたものと思われる。
B. バロック的要素

愛の対象となる女性は、« ma belle ténébreuse »(我が麗しの闇の女)と呼ばれる。
一般的に« ténèbres »(深い闇)は美とは対立するものと考えられる。そのために、« belle »と結び付いたその呼称は、「明るい闇」のように、矛盾する二つの要素を組み合わせる撞着語法(オクシモロン)的な表現になっている。
強い対立を作り出す撞着表現を多様したのは、ルネサンスに続くバロックの芸術でだった。
例えば、17世紀初頭の詩人トリスタン・エルミット(Tristan L’Hermite)には、« La Belle esclave maure »(美しいムーア人の女奴隷)という詩がある。
Beau monstre de Nature, il est vrai, ton visage
Est noir au dernier point, mais beau parfaitement :
Et l’Ébène poli qui te sert d’ornement
Sur le plus blanc ivoire emporte l’avantage.
自然の美しい怪物よ、確かに、お前の顔は
最後の点まで黒い、しかし、完璧に美しい。
そして、お前を飾る磨かれた「黒檀」は、
最も白い象牙に勝っている。
現在であれば、肌の色の黒い女性を怪物と呼んだり、黒が美しいとすることが逆説的だと述べることは、差別と偏見だと批難される。しかし、つい最近までそうした価値観が広く受け入れられていたことを認めなければ、過去の作品を正当に評価することはできなくなってしまう。そのことは常に意識しておく必要がある。時代錯誤をしては、過去の作品を読むことはできない。
美と醜の対比については、ヴィクトル・ユゴーが、美の基本的な条件としてロマン主義の美学の中心に置いた。
『ノートルダム・ド・パリ』の中でも、醜いカジモドと美しいエスメラルダを隣り合わせている。そのことによって、ユゴーは、古典主義のように美しいものをより美しく描くのではなく、美と醜を対比させることで、より高度な美を生み出そうとしたのだった。
ボードレールがバロック的な« ma belle ténébreuse »という表現で愛する女性を呼んだとすれば、その根底には、ヴィトトル・ユゴー的な美意識が働いていたに違いない。
Quand la pierre, opprimant ta poitrine peureuse
Et tes flancs qu’assouplit un charmant nonchaloir,
Empêchera ton cœur de battre et de vouloir,
Et tes pieds de courir leur course aventureuse,
石が、お前の怖がりな胸を押し付け、
魅力的な怠惰さのために柔らかくなったお前の脇腹を押し付け、
いつか、お前の心臓が鼓動するのを妨げ、心が望みを持つのを妨げ、
そして、お前の足が危険を冒して走り回るのを妨げる時、
最初に出てくる「石」とは墓石のことだろう。そのことは、すでに言及された「地下納骨所(un caveau)」からの連想ですぐに推測できる。
その墓石が「お前」の上に重くのしかかる。そのことが、胸(ta poitrine)、脇腹(tes flancs)、心臓(ton cœur)、足(tes pieds)と体の部位を取り上げて、非常に具体的に示される。
ここで注目したいのは、胸(ta poitrine)に関しては« peureuse »(怖がりの)という形容詞が付けられ、脇腹(tes flancs)には、関係代名詞で、« un charmant nonchaloir »(魅力的な怠惰さ)が« assouplit »(柔らか(souple)にする)という説明が加えられていること。
それは、ma belle ténébreuseが、詩人にとってどのような女性に見えているのか、彼女に伝える言葉となっている。
二つの四行詩によって、« lorsque tu dormiras », « lorsque tu n’auras », « quand la pierre (…] empêchera »と未来に視点が定められた後、2つの三行詩に至り、« Le tombeau (…) te dira »(墓がお前に言うだろう)という主節の文が現れる。
Le tombeau, confident de mon rêve infini
(Car le tombeau toujours comprendra le poète),
Durant ces grandes nuits d’où le somme est banni,
Te dira: «Que vous sert, courtisane imparfaite,
De n’avoir pas connu ce que pleurent les morts?»
— Et le ver rongera ta peau comme un remords.
墓は、私の無限の夢を打ち明ける相手
(なぜなら墓は常に詩人を理解することになるのだから)、
偉大な夜の間、眠りが追放され、
(墓が)お前に言うだろう、「何の役に立つのだ、不完全な遊女よ、
死者たちが涙するものを知らなかったことが?」
— そして、ウジ虫がお前の肌をむしばむだろう、後悔がそうするように。
A. 墓と詩人
第1三行詩では、墓と詩人の関係が明らかにされる。
confidentとは、演劇の中で主要な登場人物が心の中を明かす話し相手。ここでは、墓(le tombeau)は、「私の無限の夢(mon rêve infini)」を聞いてくれる存在だと定義される。
そして、墓は、将来的に、詩人を理解してくれる(le tombeau (…) comprendra le poète)ものでもある。
従って、次に語られる墓の言葉とは、詩人である「私の内心の声」ということになる。
その内心の声が愛する女性に伝えられるのは、偉大な夜(les grandes nuits)の間。
そうした夜には「眠りが追放されている(le somme est banni)」。つまり、眠れない夜だ。
その説明の際に、動詞が« est banni »と現在形に置かれていることに注目したい。
「死後の後悔」全体では、視点が未来に置かれ、動詞は単純未来形で活用されている。それに対して、眠りが追放される時という偉大な夜の説明は、現在形でなされる。つまり、この現在は、時計の時間を超えた「永遠の現在」。どんな時にあっても、眠れない夜は「偉大な夜(ces grandes nuits)」なのだ。
そして、そんな夜、墓を通して、「私」の内心の声が、ma belle ténébreuseに告げられることになる。
B. 墓の言葉 — 死者たちが涙するものとは何か?
「私」が愛する女性に対して、« ma belle ténébreuse »と呼びかけたのに対して、墓は彼女に、« courtisane imparfaite »(不完全な遊女よ)と呼びかける。
その違いは、「私」が彼女を二つの次元で捉えていることを暗示している。一方は、肌の色の黒い美しい女性。もう一方は、男に付き従う女性(courtisane)でありながら、その役割を完全には果たしていない女性。
なぜ不完全(imparfaite)かと言えば、それは、彼女が「死者たちが涙するもの(ce que pleurent les morts)」を知らなかった(n’avoir pas connu)からだ。
では、死者たちが涙するものとは何か?
それを知るためには、ロンサールの詩を思い出すことが必要になる。
そこでは常に、carpe diemの思考に基づき、時間は迅速に流れ去ってしまうので、今という時を掴み、今この時に愛を実現するようにという願いが歌われていた。
もしその勧めに従い、carpe diemを実践していれば、死後に後悔することはないだろう。
ボードレールはそうした考えに基づき、死者たちが涙すると言うことで、carpe diemを実践しなかったことを悔いる者たちの思いを表現したのだと考えられる。
その要請を理解せず無視したとしたら、それが何の役に立つのだ(que sert)と反語的に言うことで、詩人の内心の声を代弁する墓は、彼の内心の願いを聞き届けるように女性に呼びかける。
その呼びかけに応えないとしたら、「あなた(vous)」は不完全(imparfaite)なのだ。そして、「あなた」も他の死者たちと同様、死後に涙することになる。
こうした思いが、墓の言葉には込められている。
C. 最後の一行 — 「死後の後悔」のエンブレム
13行の詩句が一文を構成し、今、愛を実現しなければ、将来は墓の下で後悔することになるという内容が語られてきた。
そして、最後の14行目に至り、詩句の最初にダッシュが挿入され、目で見てわかるようにはっきりと、終結部(chute)が置かれる。
« — Et le ver rongera ta peau comme un remords. »
終結部の役割は、それまでに語られてきた内容を明確に強調することもあれば、もう一度全体を見直し、再解釈するように促す役割を果たすこともある。
そのために、抒情性を強めることも、反語的なユーモアを加えることも、皮肉な意味を付け加えることもある。
「死後の後悔」の終結部は、どのようなニュアンスを持つのだろうか?
ウジ虫(le ver)が肌をかじる(rongera ta peau)イメージは、いかにもボードレール的で、醜悪な映像を浮かび上がらせる。
それは、carpe diemを実践しなかったことへの後悔(remords)を、さらに強めることになる。

その« remords »という言葉の語幹には、« mordre »(かじる)という動詞が潜んでいることに注意しよう。後悔とは「心をかじり、苛むもの」なのだ。
ウジ虫はその動詞を具現化したものに他ならず、「死後の後悔(Remords posthume)」という詩はその姿に象徴される。
そのように考えると、最後の一行は、この詩のエンブレムと見なしてもいいだろう。
。。。。。
ロンサールであれば、carpe diemの象徴として、バラの花を取り上げることが多かった。例えば、「カッサンドルへのオード」の中でのように、朝美しく咲いていたバラが、夕方になると枯れてしまうと歌う。
(参照:ロンサール 「愛しい人よ、さあ、バラを見に行こう」Ronsard « Mignonne, allons voir si la rose » 今をつかめ Carpe Diem)
それに対して、ボードレールは、ウジ虫が美しい女性の肌を蝕むというイメージを明確に描くことで、より強烈なメッセージを伝えようとした。
そして、その強烈さが、現在の美をより引き立てる効果を発揮する時、醜が美に変わる。
その試みが「死後の後悔」において成功したと言えないかもしれない。しかし、1840年代に若き詩人がロンサールの詩に基づき、新しい美の生成を構想していたことは、この詩が証明している。
レオ・フェレの歌でもう一度« Remords posthume »を耳にしてみたい。言葉の意味は多少脅迫的に思われるかもしれないが、それだけにまずます愛する者に向けた必死の思いが伝わってくる。
Remords posthume
Lorsque tu dormiras, ma belle ténébreuse,
Au fond d’un monument construit en marbre noir,
Et lorsque tu n’auras pour alcôve et manoir
Qu’un caveau pluvieux et qu’une fosse creuse;
Quand la pierre, opprimant ta poitrine peureuse
Et tes flancs qu’assouplit un charmant nonchaloir,
Empêchera ton cœur de battre et de vouloir,
Et tes pieds de courir leur course aventureuse,
Le tombeau, confident de mon rêve infini
(Car le tombeau toujours comprendra le poète),
Durant ces grandes nuits d’où le somme est banni,
Te dira: «Que vous sert, courtisane imparfaite,
De n’avoir pas connu ce que pleurent les morts?»
— Et le ver rongera ta peau comme un remords.