トランプ化する日本 

人為による地球温暖化をフェイクだと言い続けてきたアメリカ合衆国のトランプ大統領が、2026年1月27日、地球温暖化対策の国際的な枠組みである「パリ協定」から正式に離脱した。

彼は、二酸化炭素(CO₂)などの温室効果ガスによる気候変動に関する科学的合意を「でっち上げだ」と否定し、石油や石炭などの関連する国内産業を保護することで支持を増やしてきた実績がある。今回の離脱も、その延長線上にある行動だろう。

現実には、世界各地で異常気象による被害が続いており、温暖化対策は喫緊の課題である。だが、トランプ大統領の発想によれば、地球は過去にも温暖化と寒冷化を繰り返してきたのであり、人間が排出する温室効果ガスによる地球温暖化説は「史上最大の詐欺」ということになる。

そのトランプ大統領の思想と政治戦略を模倣する政治家が、日本にもいる。
2026年の衆議院選挙における、参政党・神谷宗幣代表の街頭演説での発言は、まさにその典型である。

日本だけですよ、CO2(二酸化炭素)で地球の気候が変動するなんて言ってるのは。地球の気候なんてね、ずっと変動しまくってんです。
(参政党の公式ユーチューブチャンネル)

確かに、地球の気温は変動してきた。しかし、それは数万年を見た場合であり、現在の急激な温度変化とはまったく別の話だ。

地球の寒冷な「氷期」と温暖な「間氷期」は、地球上の日射量の分布が変化することによって、数万年単位で繰り返されてきた。つまり、「気候が変動する」というのは、本来、数万年という時間尺度の話なのである。
一方で、二酸化炭素(CO₂)などの温室効果ガスが地球温暖化に大きな影響を与えることも明らかになっている。CO₂の大気中濃度は、千年以上にわたっておおむね180~280ppmの範囲で推移してきたが、20世紀以降の人間活動によって急激に増加し、2022年には約416ppmに達したという科学的データが報告されている。

トランプ大統領であれば、こうした科学的データを目の前に突きつけられても、「それこそがフェイクだ!」と言うだろう。神谷代表の発言は、このトランプ的な政治行動を、そのまま反復しているといえる。

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Sainte-Beuve Les Rayons jaunes サント・ブーヴ 韻文詩「黄色い光線」 4/4

孤独と死への思いを具体的なイメージとして夢想したことを終点として、自分の内面を見つめる場面は終わりを迎え、意識は外に向く。夜が来たことに気づき、そして、部屋から下に降り、通りに溢れる群衆の中へと入って行く。

— Ainsi va ma pensée, et la nuit est venue ;
Je descends, et bientôt dans la foule inconnue
J’ai noyé mon chagrin :
Plus d’un bras me coudoie ; on entre à la guinguette,
On sort du cabaret ; l’invalide en goguette
Chevrote un gai refrain.

(朗読は5分18秒から)

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Sainte-Beuve Les Rayons jaunes サント・ブーヴ 韻文詩「黄色い光線」 3/4

愛しい伯母の死が語られた後、思いは母へとつながっていく。母はまだ生きており、「ぼく」を愛してくれている。しかしすぐに、彼女もまた、いつかは死んでいく存在であるという未来へと、連想は進んでいく。

Elle m’aimait pourtant… ; et ma mère aussi m’aime,
Et ma mère à son tour mourra ; bientôt moi-même
Dans le jaune linceul
Je l’ensevelirai ; je clouerai sous la lame
Ce corps flétri, mais cher, ce reste de mon âme ;
Alors je serai seul ;

(朗読は3分9秒から)

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Sainte-Beuve Les Rayons jaunes サント・ブーヴ 韻文詩「黄色い光線」 2/4

子ども時代の教会の思い出は、まず祈りの場面から始まり、そこから伯母の死へと連想がつながっていく。

Oh ! qui dans une église, à genoux sur la pierre,
N’a bien souvent, le soir, déposé sa prière,
Comme un grain pur de sel ?
Qui n’a du crucifix baisé le jaune ivoire ?
Qui n’a de l’Homme-Dieu lu la sublime histoire
Dans un jaune missel ?

(朗読は25秒から)

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Sainte-Beuve Les Rayons jaunes サント・ブーヴ 韻文詩「黄色い光線」 1/4

日本は言うまでもなく、フランス本国においてさえ、フランス・ロマン主義文学に親しむ人は今ではごく少数になっている。サント・ブーヴ(Sainte-Beuve)の詩を読む人となると、なおさら少ないだろう。
そうした中で、彼の代表的な韻文詩の一つとはいえ、なぜ「黄色い光線(Les Rayons jaunes)」を取り上げるのかと、少し意外に思われるかもしれない。

今回この詩を取り上げるのは、その主題である「黄色(jaune)」という色が、現代人の心の動きとどこかで重なって見えるからだ。
ネット社会の中で、私たちは日々、多くの情報に囲まれて過ごしている。その流れに身を任せながら、ときどき理由もよく分からないまま、ふと気持ちが沈むことがある。何かを信じたいと思いながら、どこかで信じきれない気持ちが残る。楽しい時間を過ごしているはずなのに、それをあらかじめ「思い出作り」と言葉にしてしまう。そうした感覚に、心当たりのある人も少なくないのではないだろうか。

「黄色い光線」は一八二九年に発表された詩で、今からおよそ二百年前の作品である。それでも、この詩には、時代を超えて今の日本人の感覚にそっと触れてくる何かがあるように思われる。

そのことは、詩の冒頭に置かれたエピグラフからも感じ取れる。そこには、古代ローマの詩人ルクレティウスの『物の本質について』から、「さらに、あらゆるものは陰鬱で不気味な様相を帯びてくる」という一節が引かれている。
この言葉は、サント・ブーヴの詩の世界に静かな陰影を与えると同時に、読む側の心にもゆっくりと染み込んでくるように思われる。

また、せっかくフランス語で詩を読むのだから、その形式にも目を向けておきたい。
一つの詩節は六行からなり、最初の二行は十二音節、三行目は六音節である。続く三行も同様に、十二音節の二行と六音節の一行が反復される。
韻の構成は、最初の二行が平韻(AA)で、次の四行は抱擁韻(BCCB)となっている。
このように形式が非常に整っているので、フランス語詩特有の音とリズムの美しさを感じ取ることができる。

Les Rayons jaunes

Les dimanches d’été, le soir, vers les six heures,
Quand le peuple empressé déserte ses demeures
Et va s’ébattre aux champs,
Ma persienne fermée, assis à ma fenêtre,
Je regarde d’en haut passer et disparaître
Joyeux bourgeois, marchands,

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言葉と沈黙の余韻 仏教、荘子の言語観と和歌・俳句 3/3

(2)日本文学の中の言葉

「言葉には届かない領域がある」という言語観を、荘子と仏教の公案を通して確かめてきたが、ここからは、その意識が、理論や説話ではなく、和歌や俳句といった言語芸術によってどのように表現されてきたのかを、簡単に見ていこう。

和歌の場合は三十一音、俳句ではわずか十七音によって、言葉の直接的な意味だけではとうてい表現不可能な世界が浮かび上がる。そこでは、言葉は常に意味を超えたものを思わせ、「そこにあるもの」から、その奥にひっそりとたたずむ何かを呼び起こす。

その代表的な例の一つとして、まずは藤原定家のよく知られた和歌を読んでみよう。

見渡せば 花も紅葉も なかりけり 
浦の苫屋(とまや)の 秋の夕暮
(『新古今和歌集』秋上・363)

秋の夕暮れ、浜辺に立ち、ぐるりとあたりを見渡しても、美しい花も紅葉した木々もない。目に入ってくるのは、浦に建つ漁民の粗末な苫屋だけである。
和歌の意味するところを散文で言い表せば、そのような寂しく殺風景な情景への言及にすぎない。

しかし、それにもかかわらず、この和歌は日本的な美の表現としてしばしば取り上げられ、現代の私たちの感性にも強く訴えかける力を持っている。

その一つの鍵は、「なかりけり」という言葉にある。
この語が存在を否定することによって、かえってその侘しく寂しい光景の中に、存在しないはずの花と紅葉が一瞬、心に描き出される。

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芭蕉 『笈の小文』 荘子の思想を生きる俳人 2/2

『笈の小文(おいのこぶみ)』は、1687年から1688年にかけて、松尾芭蕉が江戸から京都まで旅した際の記録をもとに、芭蕉の死後、1709年に弟子によって刊行された俳諧紀行である。

その冒頭において芭蕉は、荘子に由来する言葉をあえて選び取り、自らが荘子思想を生きる者であることを、ほとんど宣言するかのように語り始める。
その言葉は「百骸(ひゃくがい)九竅(きゅうこつ)」。つまり、人間の身体とは、百の骨と九つの穴から成り立つものにすぎない、という認識である。

芭蕉はこの身体観を起点として、さらに荘子の「造化(ぞうか)」という考えを参照しながら、自らの俳諧の本質である「風雅(ふうが)」へと話を展開していく。

そこでまず、芭蕉が自らを「風羅坊(ふうらぼう)」と名乗る冒頭の一節を読んでみたい。
「風羅坊」とは、芭蕉の葉のように、風に吹かれてたやすく破れてしまう羅(うすもの)を意味し、芭蕉が俳号として用いた語でもある。

百骸九竅(ひやくがいきうけう)の中に物有(ものあり)。かりに名付て風羅坊(ふうらぼう)といふ。誠にうすものゝ、かぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。
             (松尾芭蕉『笈の小文』)

(現代語)
人の身体、すなわち百の骨と九つの穴から成るこの身の内に、あるものが宿っている。仮にそれを「風羅坊」と名づける。まことにこれは薄いものが風に破れやすいように、はかなく壊れやすい性質を言っているのだろう。

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芭蕉 「野ざらしを心に風のしむ身かな」 荘子の思想を生きる俳人 1/2

松尾芭蕉が若い頃から荘子の寓話に親しみ、その思想を愛好していたことは、よく知られている。その受容は、単なる書物上の知識にとどまらず、芭蕉の生き方そのものに強い影響を与え、彼の俳句の核心を貫いている。

ここでは、芭蕉の二つの紀行文集である『野ざらし紀行』と『笈の小文(おいのこぶみ)』を手がかりとして、「旅を栖(すみか)」(『奥の細道』)とした芭蕉が、荘子をどのように受容し、それを俳句の根底に据えたのかを、簡単にではあるが考察していく。

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「倭」から「日本」へ  『古事記』『日本書紀』『万葉集』を貫く「大君は神にしませば」の心 3/3 

雄略朝と舒明朝の二重化作業

雄略天皇に象徴される古代の王権と、舒明・斉明天皇の御代との重ね合わせは、『万葉集』に収録された一つの和歌の存在によって、当時の人々に強く意識されていたことが示唆される。

『万葉集』巻九は、「泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)に天の下知らしめしし大泊瀬幼武(おおはつせのわかたける)天皇の御製歌一首」(9-1664)として、雄略天皇の歌を冒頭に掲げて始められている。

この歌では、今夜は鹿が鳴かず、眠っていると詠まれている。一般に、鳴く鹿は愛する人を求める心を象徴するものと考えられるため、鳴かない鹿が静かに眠る姿は、愛がすでに満たされている状態を示すと解釈できる。したがって、ここに描かれる雄略天皇は、武勇に秀でた君主としてではなく、愛を詠う歌人としての姿で捉えられていることになる。

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釜山にて 古代の東アジア交流圏 4/4  倭の五王 勢力拡大と自立の兆し

(5)冊封体制における倭の五王

冊封体制(さくほうたいせい)とは、古代の東アジアにおいて、中国の王朝が周辺の諸民族や諸国と取り結んだ国際秩序を指す。

本来は、皇帝が国内の王や諸侯に対して称号(爵位)を与えて認定する「冊封」を通じ、君臣関係を結ぶ制度であったが、その形式が周辺の夷狄(異民族)にも適用され、朝鮮半島の諸国や倭国もその枠組みに組み込まれていった。
周辺諸国の王たちは、朝貢(ちょうこう)を行うことで、中国皇帝に従属する形を取りながら、「天子」の支配に服する姿勢を示した。
その見返りとして、中国から王号や印章、冊書(認定文書)、豊富な贈答品を与えられ、経済的利益を得るとともに、自国内における政治的・象徴的な権威を高めることができた。

3世紀に魏へ朝貢した邪馬台国の女王・卑弥呼が、魏から「親魏倭王」の称号を与えられたことは、その代表的な例である。
また5世紀になると、倭国の五人の王が宋に朝貢したことが、6世紀初頭に成立した中国の歴史書『宋書』の「夷蛮伝」に収められた「倭国条」に記されている。

『宋書』は、あくまで宋王朝の正史であり、すべての歴史的出来事を客観的かつ網羅的に記録することを目的とした史書ではない。倭に関する記述についても、宋王朝の視点を通して描かれた外交史の一部として理解する必要がある。

それでもなお、これらの記述に描かれた倭の五王の姿をたどることで、5世紀の倭国が次第に勢力圏を拡大し、冊封体制に組み込まれつつも、徐々に自立へと向かう萌芽を見て取ることができる。すなわち、倭国は宋王朝の冊封秩序の中で、しだいに「問題を孕む存在」として認識されるようになっていったのである。

そしてその姿勢は、一世紀以上の時を経て、7世紀初頭に聖徳太子が隋の煬帝(ようだい)に送ったとされる国書の一節――「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、つつがなきや」――に象徴される精神へとつながっていく。

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