芥川龍之介 「蜜柑」 「沼地」  ある芸術家の肖像

一見うまくやっているように見えながらも、どこか周囲の雰囲気になじめない。はっきりとした理由や特別な原因があるわけではないのに、漠然とした居心地の悪さを感じる。自分自身であることさえ、時に違和感を覚える。── そうした人々が、社会の中には一定数存在する。

彼らは、表面的には決して社会から排除されているわけではない。けれども心の奥では、自分の価値観と社会一般の価値観とのズレを常に感じている。そして、社会からの圧力に押しつぶされそうになる中で、周囲との温度差に擦り切れ、苛立ち、言葉にならない悪態をつき、時には自らの無力さに疲れ果てて、爆発しそうになることさえある。

「蜜柑」と「沼地」は、そうした人間を代表する「私」(わたくし)が、偶然に遭遇した出来事を語るという形式を取った短編作品である。
どちらの作品でも、起承転結のある物語が展開されるわけではない。「蜜柑」では、汽車の中で出会った少女の振る舞いを目撃した出来事が語られるのみであり、「沼地」では、展覧会で出会った美術記者とのやり取りが記されるにすぎない。

しかしそこからは、社会の一般的な価値観と葛藤する「私の肖像」が描き出され、その肖像を通して、「私にとって価値あるもの」が浮かび上がってくる。
「蜜柑」と「沼地」に共感を寄せる読者は、その「価値あるもの」を、芥川龍之介と共有することになる。

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鈴木大拙 宗教とは何か?

鈴木大拙は、禅の思想が世界的に知られるようになる上で、最も大きな役割を果たした宗教学者。

「世界人としての日本人」という自己認識を持つ大拙は、東洋と西洋を対立させる二元論に立つのではなく、二元論の根底にある「無」の思想を中心に置き、禅をはじめ日本の文化や思想を西洋に伝えた。
コロンビア大学で彼の講義を聴いた中には、作曲家のジョン・ケージや小説家のJ. D. サリンジャーがいた。サリンジャーの『フラニーとズーイ』の「鈴木博士」は、鈴木大拙のことだと言われている。

「宗教とは何か?」という問いに「正しい無限を感じること」と答える鈴木大拙の宗教観を、10分程度のインタヴューで知ることができる。

中村元 仏教の本質

中村元は、日本で初めて、初期仏教の仏典を原典から日本語に翻訳したインド哲学者、仏教学者。
「学ぶこと少ない者は牛のように老いる。その肉は増えるけれど、知恵は増えない。」(ダンマパダ)から始まり、「自己に頼れ、法に頼れ。」で終わるわずか10分のビデオだが、「学問は人々の役に立つ、生きたものでなければならない。」という言葉を実践した中村の言葉を通して、仏教の本質に触れることができる。

芥川賞とAI 

第170回芥川賞に九段理江の「東京都同情塔」が選ばれ、その受賞会見で、著者が「文書生成AIを駆使して書いた小説」だと明かし話題になった。そのニュースをフランスではどのように伝えたのか知るのも興味深い。

Une autrice lauréate d’un prix révèle avoir eu recours à l’intelligence artificielle

La lauréate de l’équivalent japonais du prix Goncourt a expliqué avoir écrit à 5% environ son livre avec une intelligence artificielle. Une révélation qui fait débat, et déplaît vivement à Jean-Baptiste Andrea, vainqueur du Goncourt en 2023.

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中島敦「山月記」 自尊心の心理分析

中島敦の「山月記」は、唐の時代の李景亮(りけいりょう)が編纂したとされる「人虎伝」を再話したものであり、「人虎伝」の主人公の詠じる漢詩がそのまま「山月記」の中に書き移されていることは、再話という創作技法を中島があえて明確に示していることの証だといえる。

では、人間が虎に姿を変える変身譚を物語の枠組みとして用いながら、中島は何を目指したのだろうか?

その問いに答えるためにも、まずは「山月記」の全文を読んでみよう。幸いなことに、あおぞら文庫で全文を読むことができるし、youtubeでは朗読(約21分)を聞くこともできる。
漢文の素養を駆使した中島敦の散文は難しいと思われるかもしれないが、朗読を聞きながら文章に目を通すと、リズムが心地よく、日本語の美を感じることができる。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/624_14544.html

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『古今和歌集』 暦の季節と3つの時間意識 

10世紀初頭に編纂された『古今和歌集』は、現代の私たちが当たり前だと思っている四季折々の美しさを感じる感受性を養う上で、決定的な役割を果たした。
そのことは、全20巻で構成される歌集の最初が、春2巻、夏1巻、秋2巻、冬1巻という、季節をテーマに分類された6巻で構成されていることからも推測することができる。

自然の美に対する感受性や、時間の経過とともに全てが失われていくこの世の有様に空しさを感じる感受性は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された『万葉集』でもすでに示されていた。

『古今和歌集』が新たに生み出したのは、暦に則った季節の移り変わり。
より具体的に言えば、春の巻から冬の巻を通して、立春から年の暮れまでという、一年を通した季節の変化を明確に意識し、時間の流れに四季という枠組みを付け加えたということになる。

では、それによって何か変わるのか? 

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『万葉集』を通してみる日本的感受性

『万葉集』に収められた和歌は、飛鳥時代から奈良時代にかけての日本的感性がどのようなものだったかを教えてくれる。

当時の日本人の心は、次の時代と共通する一つの一つの表現法を持っていた。
それは、『古今和歌集』の「仮名序」で、「心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり」と言われるように、心の中の思いを「見るもの聞くもの」という知覚対象に「つけて」、つまり「託して」、表現するという方法。

他方、そこで表現された心のありさまは、平安時代の『古今和歌集』の和歌によるものとはある違いがある。
時の経過、季節の移り変わりから現実の生の空しさを感じ取ることは共通しているのだが、その事実に対する感じ方が同じというわけではなかった。

法隆寺が創建され、大化の改新が行われ、『古事記』や『日本書紀』で大和朝廷が神話によって自らの正当性を確立しようとしていた時代、人々はどのような心を持ち、何をどのように感じていたのだろうか?

(1)「心もしのに」から「うら悲し」へ

まず最初に、初期の歌人である柿本人麻呂と後期を代表する大伴家持の句を読んでみよう。

近江(あふみ)の海(み) 夕波千鳥(ゆふなみちどり) 汝(な)が鳴けば 心もしのに 古(いにしへ)思ほゆ  (柿本人麻呂)

春の野に 霞(かすみ)たなびき うら悲し この夕かげに 鶯(うぐいす)鳴くも (大伴家持)

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日本的感受性 『古今和歌集』の「仮名序」 

今から1000年以上前に書かれた『枕草子』の有名な一節、「春はあけぼの。夏は夜。秋は夕ぐれ。冬はつとめて。」を目にすると、現代の私たちでも思わず肯いてしまう。
日本的な感受性は、それほど自然に対する親和性が強く、四季の変化に敏感に反応する。

その『枕草子』よりも約100年前に書かれた『古今和歌集』の「仮名序」は、そうした日本人の心のあり方の起源がどのようなものかを、彼らの遠い子孫である私たち現代の日本人に、こっそりと明かしてくれる。

冒頭の一節は、日本人の心と言葉の関係を、これ以上ないほど美しい言葉で語り始める。

 やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、事業(ことわざ)、繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは歌なり。

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太宰治 「駆け込み訴え」 愛する人から愛されない — 愛と憎しみの葛藤

愛する人から愛されていないと感じる時、人はどれほど悲しみ、悩み、苦しむことだろう。時には最悪の行動を取ることさえある。

そうした葛藤を、太宰治は、1940(昭和15)年に発表した「駆け込み訴え」の中で、イエスを裏切ったユダの口を通して生々しく語った。

ユダは「役所」の「旦那さま」に向かい、イエスの最後の日々の出来事を辿りながら、自らの感情の動きを赤裸々に語っていく。
そこで述べられる言葉はユダの主観の反映であり、全てが彼の心の内を明かすことになる。

読者はそれらの言葉を自分なりに解釈し、ユダの心理を読み解いていく。そんな楽しみが読書にはある。例えば、最初の一節。

申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷(ひど)い。酷い。はい。厭(いや)な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。(「駆け込み訴え」)

このユダの言葉は、本当に「あの人」に対する憎しみから発せらたものなのか? 「可愛さ余って憎さ百倍」的なものなのか? 訴え出たユダにはイエスへの愛が残っているのか? イエスを「売った」自分をどのように感じているのか? 等々。


ここでは、キリスト教に焦点を当てるのではなく、愛と憎しみの葛藤という心理劇を、ユダの訴えの生々しい言葉から読み解いてみよう。

「駆け込み訴え」本文(青空文庫)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/277_33098.html

youtubeの朗読(文字が表示される)

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芥川龍之介 「神神の微笑」 日本はいかに外国文化を受容してきたのか?

芥川龍之介は、1922(大正12)年に発表した「神神の微笑」の中で、キリスト教を布教するために日本にやってきたオルガンティノ神父の葛藤を通して、日本が古代から現代に至るまでどのように外国文化を受容してきたのかという問題に対して、一つの回答を提示した。

結論から言えば、日本は外国からやってくるのもを排除することなく全て受け入れたのだが、その際に、自国流に変形した。オルガンティノの前に現れた日本の霊である老人は、「我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力」だと言う。
しかも、造り変えて同化する際に、すでに存在したものと新しく到来したもののうちどちらかを排除するのではなく、すべてが同時に共存する。新しいものが古いものを消滅させることはない。

この二つの点を理解するために、「洋服」を取り上げてみよう。
私たちは「洋服」という言葉を何気なく使い、その由来について考えることはほとんどない。
しかし、同じものを指す言葉である「服」とはニュアンスの違いがある。普段であれば、「その服かわいい!」というように「服」を使い、多少丁寧であらたまった感じの時には、例えば「お洋服」のように「洋服」を使う傾向にある。

「洋服」という言葉は明治時代にできたもので、元来は「西洋服」だった。それを略して「洋服」になった。
それに対応し、日本の伝統的な服装(着物)は、「和服」と呼ばれるようになった。
その二つの様式は現在でも共存している。決して、「洋服」が「和服」を排除してしまったわけではない。その一方で、欧米由来の衣服にも日本風のアレンジが加えられ、日本人に適したものに造り替えられてきた。
このように考えると、「変形しつつの同化」と、すでに存在したものと新しいものの「共存」という、二つの現象を確認することができる。

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