エジプトのピラミッドは縄文時代の技術で作られた?  

「日本の縄文時代は戦いがなく、技術的にも優れていて、” 実は ” エジプトのピラミッドの精巧な作りにも、縄文時代の技術が使われている。」

その説を耳にしたとき、ふと縄文時代の土偶が巨大なピラミッドの前に置かれている姿が目に浮かび、思わず笑ってしまった。
ピラミッドが建造されたのは、おおよそ紀元前3千年紀の半ばで、日本の縄文時代でいえば後期から晩期にかけての頃である。

その頃の住居は、地面を掘り下げて床を作り、柱を立てて屋根を支えた半地下式のものだった。

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現代の病 誤った正義感が生む攻撃性

SNS上では攻撃性が増し、発信者が、自分とは全く関係がなく、ネット上で流れてくるごくわずかな情報しか知らないにもかかわらず、そこから偽りの情報を作り出し、特定の人物に向かって激しい言葉を浴びせる状況が続いている。

例えば、妻を殺害された夫が、現場となったアパートを26年間借り続け、犯人逮捕につながった「名古屋主婦殺害事件」が報道された後、ネット空間では、この被害者遺族である夫が誹謗中傷され、新たな傷を負っているという。

名古屋市西区のアパートで1999年に住人の主婦、高羽奈美子さん=当時(32)=が刺殺された事件は、容疑者が逮捕されてから間もなく1カ月がたつ。この間、インターネット上では高羽さんの夫・悟さん(69)への「身内を売った商売」「闇がありそうな人物」といった誹謗(ひぼう)中傷が相次いでいる。虚偽内容の書き込みもあり、悟さんは愛知県警に被害届を出すことを検討している。
(中日新聞、2025年11月29日) 
https://www.chunichi.co.jp/article/1171289

なぜ、このような攻撃性がこれほど頻繁に起きてしまうのだろうか。

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世論の作られ方 マスメディアとソーシャルメディア  感情ヒューリスティック(affect heuristic)

現代社会では、情報を得るメディアが世代によって異なると言われている。
若年層とされる10〜30代では、TikTok、X、Instagram、YouTubeのショート動画など、いわゆるソーシャルメディアから多くの情報を得ている。
一方で、中高年層といわれる40歳以上では、テレビや新聞といったマスメディアに接する機会が多い。
こうした違いが、社会問題などに対する考え方や意見の差を生み出していると指摘されることもある。

確かに世代間で一定の差は見られるが、よく観察すると、ソーシャルメディアとマスメディアの間にはループ(循環構造)が存在し、実際には同じような心理的メカニズムが働いていることがわかる。
両者の違いは、共通する構造の上にありながら、情報発信の形態や文脈の違いに由来していると言える。

こうした全体的な視点のもとに、現代社会における「世論の作られ方」について考えていきたい。

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陰謀論を信じること

陰謀論を信じ、客観的な事実に基づいた証拠を示されても、決してその輪から抜け出せない人たちがいる。
2016年頃には「ポスト真実」という言葉が盛んに使われ、「客観的な事実ではなく、個人の信じることが真実とされる」傾向が強まったことが話題になった。
しかし現代では、「ポスト真実」という語さえも忘れられ、自分たちが信じる「事実」の真実性を問おうとする姿勢すら見られなくなっている。

かつて「言った者勝ち」という言葉があった。
今は、発信して“バズり”、再生回数や「いいね」という承認を得た者が利益を得る時代である。
「ファクトチェック」が意味をなさない時代、と言ってもいいかもしれない。

では、日々接している情報をそのまま信じ、反復し、情報源も事実性も確かめようとしない人々が、なぜこれほど増えているのだろうか。
彼らは決して悪意をもつ人々でも、知的に劣る人々でもないように思われる。むしろ社会的な問題に関心をもち、悪に対して義憤に駆られるタイプの人々のようにも見える。
それなのになぜ? そんな疑問が湧いてくる。

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宗教は平和をもたらすのか

私たちは、宗教は慈愛をもたらし、人々に平穏を与えるものだと、漠然と信じている。しかし、現実の世界に目を向ければ、キリスト教圏とイスラム教圏の対立は激しく、宗教的な衝突が戦争やテロを引き起こしている。歴史を振り返っても、キリスト教の内部ではカトリックとプロテスタントの間に殺戮があり、ユダヤ教徒への迫害も繰り返されてきた。現代のイスラム教においても、シーア派(イランなど)とスンニ派(サウジアラビアなど)の対立は続いている。

こうした現実を前にすると、「愛」を説くはずの宗教が、なぜ争いを生み出してしまうのかという問いがどうしても浮かんできてしまう。私自身、この疑問を長く抱いてきたが、柄谷行人による伊藤仁斎論を読んでいて、一つの答えに出会った。

柄谷が解説する儒学者・伊藤仁斎(1627-1705)の思想は、「私」と「あなた」という対の関係を出発点にしていて、その関係を一般化・抽象化することを拒む。ここに重要な視点がある。以下の引用を読んでいくと、宗教が実際の殺戮を抑止する方向に働かない理由が見えてくる。

仁とは愛であり、愛は「実徳」である。つまり、愛は、対関係においてのみある。それゆえに「実徳」なのだ。朱子は、仁を「愛の理」、すなわち愛の本質または本質的な愛とみなす。

(柄谷行人『ヒューモアとしての唯物論』「伊藤仁斎論」、p. 224.)

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個人の歴史的体験を「語り継ぐ」の意義 クロード・レヴィ=ストロース 『野生の思考』 Claude Lévi-Strauss La Pensée sauvage 2/2

(1/2の続き)

具体的事象の論理(「弱い歴史」)と論理的性質(「強い歴史」)が矛盾するなかで、「歴史」にアプローチするにはどのようにしたらいいのか?

Par rapport à chaque domaine d’histoire auquel il renonce, le choix relatif de l’historien n’est jamais qu’entre une histoire qui apprend plus et explique moins, et une histoire qui explique plus et apprend moins. Et s’il veut échapper au dilemme, son seul recours sera de sortir de l’histoire : soit par en bas, si la recherche de l’information l’entraîne de la considération des groupes à celle des individus, puis à leurs motivations, qui relèvent de leur histoire personnelle et de leur tempérament c’est-à-dire d’un domaine infra-historique où règnent la psychologie et la physiologie ; soit par en haut, si le besoin de comprendre l’incite à replacer l’histoire dans la préhistoire, et celle-ci dans l’évolution générale des êtres organisés qui ne s’explique elle-même qu’en termes de biologie, de géologie, et finalement de cosmologie.

歴史家があきらめる各歴史領域との関係において、歴史家の相対的な選択は、より多くを学ぶが説明力の乏しい歴史と、説明は多いが学びの少ない歴史との間で行われるしかない。もしこのジレンマから逃れようとするなら、唯一の方法は歴史の外に出ることである。下方から出る場合、情報の探求は歴史家を集団の考察から個人の考察へ、さらに個人の動機の分析へと導く。その動機は、個人の歴史や気質に関わるものであり、心理学や生理学が支配する下位歴史領域に属する。上方から出る場合、歴史家は理解の必要性から歴史を先史時代に置き直し、さらに先史時代を有機的存在の一般的変化の文脈に置き直すことになる。その一般的変化の説明は、生物学・地質学、そして最終的には宇宙論の用語によって行われる。

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歴史と個人の物語 クロード・レヴィ=ストロース 『野生の思考』 Claude Lévi-Strauss La Pensée sauvage 1/2

日本には歴史愛好者が数多く存在する。歴史小説は豊富に出版され、テレビにおいても多様な歴史番組が制作されてきた。その結果として、坂本龍馬や織田信長をはじめ、両手の指では到底数えきれないほどの歴史的人物の名が、広く共有されている。

しかし、歴史的人物の名が広く知られていることと、「歴史」そのものへの理解が十分であることとは、必ずしも一致しない。たとえば坂本龍馬について、幕末に長州と薩摩をつなぐ役割を果たしたことは多くの人が知っている。他方で、その出来事が江戸幕府から明治維新へと至る体制転換の中でどのような意味を持ち、日本史全体においていかに位置づけられるのかを説明できる人は、決して多くはないのではないだろうか。

このことは、私たちが歴史に関心を抱き、一定の知識を持っているように感じながらも、実際には「歴史」そのものを十分に理解しているとは言い難いことを示している。

こうした問題を考えていた折、人類学者クロード・レヴィ=ストロースの『野生の思考』を読み返す機会があり、そこで個人の物語と歴史の大きな流れに関する重要な記述に出会った。彼はそこで、人物の伝記や逸話を「弱い歴史」と呼び、それを「強い歴史」と対比させて論じている。

レヴィ=ストロースの表現は、フランスの学者らしく非常に抽象的で、私たちにとって必ずしも理解しやすいものではない。とはいえ、その議論は日本人の歴史観に直接かかわる問題を含んでいる。以下では、要点となる一節を取り上げながら、その意味を少しずつ考えていきたい。

L’histoire biographique et anecdotique, qui est tout en bas de l’échelle, est une histoire faible, qui ne contient pas en elle-même sa propre intelligibilité, laquelle lui vient seulement quand on la transporte en bloc au sein d’une histoire plus forte qu’elle ; et celle-ci entretient le même rapport avec une classe de rang plus élevé.

Claude Lévi-Strauss, La Pensée sauvage, ch. IX « Histoire et dialectique »

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現代的な攻撃性の源 フロイトの精神分析理論を参考に

現代社会では、マスメディアでも、SNSでも、YouTubeでも、激しい言葉が飛び交い、ひとつの対象に向けて一斉に攻撃が加えられる場面をしばしば目にする。
事件や人物の情報に触れたとき、多くの発信者は、自分の知識が本当に正しいのかとか、その対象と自分との関係はどうなのかといったことは意識せず、過激な言葉を放つ。そして、その言葉がどんな結果をもたらすかについて、責任を引き受ける気配はない。

原因としてよく言われるのは「匿名性」だ。しかし、コメンテーターやYouTubeの配信者は、名前がはっきりしている。むしろ名前が知られているほうが、情報はあっという間に広がっていく。
SNSでも、「炎上」が再生回数を押し上げ、発信者の収入につながるシステムが出来上がっている。

こうした居心地の悪い状況を、どう理解すればいいのか。そんなことを考えていたとき、たまたまフロイトの「自我とエス」を読んでいて、なるほどと腑に落ちることがあった。
結論から言えば、それは「快楽原則」に従ったリビドー(欲動)の満足であり、対象そのものはどうでもいい、ということだ。そう思うと、いま目にしている光景の光源がどこにあるのか、少しだけだとしても見えてくる。

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井筒俊彦を知る NHK BSスペシャル「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」

井筒俊彦は、日本が誇る最高の知性の一人に確実に数えられる学者。30カ国語を自在に操ったことで「天才」と称されることが多いが、それは単なる語学の才能にとどまらない。イスラム研究の第一人者であるだけでなく、古代中国、インド、ペルシア、古代ギリシアといった諸文明の哲学・宗教・文化に通底する基盤を探究した、真の意味での思想家だった。

幸いなことに、彼を特集したNHK BSスペシャル「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」は、ネット上で視聴することができる。

歴史を振り返り 世界の今を知る 3/3

(歴史を振り返り 世界の今を知る 2/3 から続く)

D. 18世紀後半から19世紀前半:ロシアとアメリカ合衆国

18世紀後半になると、新たに二つの国が台頭し、19世紀にはイギリスやフランスに並ぶ大国として国際政治の中で重要な役割を担うようになった。それがロシアとアメリカ合衆国である。

この二国は、歴史的な背景こそまったく異なるが、18世紀後半から19世紀前半にかけて急速に領土を拡大した点では共通している。また、その拡大の方法にも類似性がある。西欧諸国が遠隔地を植民地化するのに対し、ロシアとアメリカは自国に隣接する地域を次々と自国領に編入していったのである。

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