日本語の文章では、主語は必ずしも必要とされない。そのことを示す最も有名な例は、川端康成の『雪国』の冒頭の一節だろう。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
国境を越えたのが誰なのか、何なのか、わからない。しかし日本語としては十分に理解可能だし、美しい。
他方、英語やフランス語に訳す場合、どうしても主語をはっきりさせないと文章を構成することができない。主語、動詞、そして多くの場合目的語があって初めて文章が成立する。
この違いはどこからくるのだろうか。
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国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
国境を越えたのが誰なのか、何なのか、わからない。しかし日本語としては十分に理解可能だし、美しい。
他方、英語やフランス語に訳す場合、どうしても主語をはっきりさせないと文章を構成することができない。主語、動詞、そして多くの場合目的語があって初めて文章が成立する。
この違いはどこからくるのだろうか。
続きを読む日本語の一人称、二人称の代名詞は、とても特殊である。
英語であれば、自分は« I »、相手を « you »と言うだけ。いつでもどこでも共通である。
日本語ではそうはいかない。相手によって、自分のことを、私、ぼく、先生、お父さんと言ったりする。相手に向かって、君とかあなたと言うことはまれで、お母さん、奥さん、おばちゃんと言ったりもする。
日本語を母語とする人間は、そうした複雑な代名詞を自然に使い分けている。
その理由は、日本語がウチの言葉だというところから来ている。
日本語はウチの言葉である。
『日本語の文法を考える』(岩波新書)の中で大野晋が概説する日本語論によれば、日本語はウチの言葉であり、ソトの言葉であるインド・ヨーロッパ語族の言語とは対照的な特色を持っている。例えば、主語を明確に提示しないこと、構文がそれほど明確でないこと、こそあど体系、抽象的な表現より具体的な表現を好むこと、他動詞表現よりも自動詞表現の方が自然に感じられること、オノマトペの多用、IとYouの表現が数多くあること、等。
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