マラルメ 「墓」 (ポール・ヴェルレーヌの) Stéphane Mallarmé « Tombeau » (de Paul Verlaine) 2/3

「墓」の第2四行詩では、前半で、ヴェルレーヌの詩想が、小枝に止まる鳩(le ramier)の鳴き声と非物質的な喪(cet immatériel deuil)という表現によって暗示される。
後半では、ヴェルレーヌの死後、それらの詩句が、生前は彼の詩も彼の人間性も理解しなかった一般の人々を照らすという予想、あるいは希望が続く。
死は未来の栄光への転回点なのだ。

Ici presque toujours si le ramier roucoule
Cet immatériel deuil opprime de maints
Nubiles plis l’astre mûri des lendemains
Dont un scintillement argentera la foule.

(朗読は23秒から)
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マラルメ 「墓」 (ポール・ヴェルレーヌの) Stéphane Mallarmé « Tombeau » (de Paul Verlaine) 1/3

ステファン・マラルメは、あるジャーナリストの問いかけに対して、ポール・ヴェルレーヌを人間としても詩人としても高く評価していると応えている。
それは、マラルメの無名時代に、ヴェルレーヌが『呪われた詩人たち(Les Poètes maudits)』(1886)の中で彼を取り上げてくれたことに感謝しているというだけではない。二人の間には個人的な交流があり、マラルメは、ヴェルレーヌのピアノを奏でるような詩句を評価するだけではなく、困窮を極める私生活の苦難をヴェルレーヌがある高貴さを持って受け入れていると考えたからだった。

そのヴェルレーヌが、1896年1月8日、パンテオン近くのホテルで息を引き取る。葬儀は1月10日、サント・ジュヌヴィエーブの丘にあるサン=テティエンヌ=デュ=モン教会で行われ、遺体はパリ北西部のバティニョル墓地に埋葬された。
その葬儀の中で、マラルメは、お互いをたたえ合える詩人の仲間として、「墓はすぐに沈黙を愛する(Le tombe aime tout de suite le silence.)」という言葉で始まる追悼文を読み上げた。

1年後の1897年1月、『白色評論(La Revue blanche)』という雑誌がヴェルレーヌを追悼する特集を組み、マラルメの「墓(Le Tombeau)」が掲載される。
同じ年、ヴェルレールの彫像をリュクサンブール公園に建てるという計画が持ち上がり、その際にもマラルメは寄付を募る一文を投稿している。


第1四行詩は墓石を思わせる黒い岩(le roc noir)から始まる。

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マラルメ 「シャルル・ボードレールの墓」 Sthépane Mallarmé « Le Tombeau de Charles Baudelaire » 3/3 

「シャルル・ボードレールの墓」の後半を構成する2つの三行詩に関しては、フランスの文学研究者たちの間でも解釈が大きく分かれる。

日常的なコミュニケーション言語を拒否し、フランス語の構文から逸脱したマラルメの詩句が、音楽的な美しさを持ちながら、理解を拒む傾向にあることはよく知られているが、それでも、ある程度まで共通の解釈がなされることが多い。

しかし、以下の6行については、代名詞、形容詞、動詞の目的語といった文法的なレベルでさえ意見が異なり、ここで提示する読解も多様な読みの一つにすぎない。

Quel feuillage séché dans les cités sans soir
Votif pourra bénir comme elle se rasseoir
Contre le marbre vainement de Baudelaire

Au voile qui la ceint absente avec frissons
Celle son Ombre même un poison tutélaire
Toujours à respirer si nous en périssons

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マラルメ 「シャルル・ボードレールの墓」 Sthépane Mallarmé « Le Tombeau de Charles Baudelaire » 2/3 

「シャルル・ボードレールの墓」の第2詩節の冒頭では、ガス灯に言及される。その後、ガス灯の光が照らし出すある存在にスポットライトが当たる。それをマラルメは「一つの永遠の恥骨(un immortel pubis)」と呼ぶ。

その二つの言葉の組み合わせは、ボードレールの詩的世界では、パリの街角に立つ娼婦を連想させる。
実際、「夕べの黄昏(Le Crépuscule du soir)」には、次のような一節がある。

À travers les lueurs que tourmente le vent
La Prostitution s’allume dans les rues ;
Comme une fourmilière elle ouvre ses issues ;
Partout elle se fraye un occulte chemin, (…).

風が苦しめる街灯の光を通して、
「売春」が、あらゆる道で火を灯す。
蟻塚(ありづか)のように、出口を開ける。
至るところで、隠された道を作る。(後略)           
                   
(参照:ボードレール 夕べの黄昏 (韻文詩) Baudelaire Le Crépuscule du soir 闇のパリを詩で描く

マラルメは、こうしたボードレールの世界を参照しながら、以下の4行詩を書いたに違いない。

Ou que le gaz récent torde la mèche louche
Essuyeuse on le sait des opprobres subis
Il allume hagard un immortel pubis
Dont le vol selon le réverbère découche

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マラルメ 「シャルル・ボードレールの墓」 Sthépane Mallarmé « Le Tombeau de Charles Baudelaire » 1/3 

1892年にボードレールの記念碑が建立される計画が持ち上がり、その資金を調達するために詩人を追悼する詩集が企画された。参加を求められたマラルメは、若い頃に多大な影響を受けたボードレールへの敬意を込めて「オマージュ(Hommage)」と題したソネ(14行詩)を執筆、その後、自分の詩集に再録した際、題名を「シャルル・ボードレールの墓(Le Tombeau de Charles Baudelaire)」に変更した。

オマージュであるこの詩がボードレールの詩的世界を反映しているのは当然のことだが、音的にも、ボードレールという名前の最初の文字である B の音が詩句の中にちりばめられている。題名の中でTombeauのボの音がBaudelaireのボの音と響き合うところから始まり、詩句の至るところから B(audelaire)が顔を出してくるのだ。

他方で、ボードレールを超えようとする意図も込められている。14行の詩句の中で句読点が一つも用いられないことは、形式的な次元での刷新に他ならない。


第1詩節では、悪(le Mal)から美(beau)を抽出するボードレールの「詩的錬金術」に焦点が当てられる。

Le Tombeau de Charles Baudelaire

Le temple enseveli divulgue par la bouche
Sépulcrale d’égout bavant boue et rubis
Abominablement quelque idole Anubis
Tout le museau flambé comme un aboi farouche

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マラルメ 「エドガー・ポーの墓」 Sthépane Mallarmé « Le Tombeau d’Edgar Poe » Poetの肖像

アメリカの作家・詩人エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe : 1809-1849)は、本国では人気がなく、彼の文学的な価値はボードレールによって発見されたといっていい。
1849年、ポーはメリーラウンド州のボルチモアに滞在中、場末の酒場で泥酔状態で発見され、そのまま病院に運ばれて亡くなり、その地の墓地に埋葬された。

その後、1875年に記念碑が建てられ、それを機に記念文集も出版されることになり、ステファン・マラルメにも寄稿の依頼がなされた。
それに応えて作られたのが、「エドガー・ポーの墓(Le Tombeau d’Edgar Poe)」と題されたソネ。(その際の題名は「エドガー・ポーの墓に捧ぐ(Au tombeau d’Edgar Poe)」。)この場合、「墓」という言葉は、亡くなった先人に捧げるオマージュを意味する。

マラルメはこの詩の中で、エドガー・ポーを讃えながら、詩人が社会の中で認められず、孤高の存在であることを強調する。そして、ポーを詩人たちを象徴する存在と見なした。
ちなみに、題名のTombeauのT を受け、詩の最初にも « Tel »とTで始まる言葉が置かれ、Poeの名前の後ろにを T 置けば、Poetになる。

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マラルメ 白鳥のソネ 「手付かずのまま、生き生きとした、美しい今日が」 Mallarmé Le vierge, le vivace et le bel aujourd’hui 白鳥(詩人)の肖像

マラルメの詩はとにかく難しい。というか、何が書いてあるのかほぼ不明だということが多い。それにもかかわらず高く評価され、20世紀以降の文学の始祖のように見なされることもある。
理解不可能に思える詩を書いた詩人に、なぜそうした高い評価が与えられるのだろうか?

ここでは、マラルメの目指した「詩」について考えながら、理論の実践として、「手つかずのままで、生き生きとした、美しい今日(le vierge, le vivace et le bel aujourd’hui)」を読んでいこう。

実際、この詩も、他のマラルメの詩と同様、普通に読んだだけでは意味がほとんどわからない。
その一方で、音色についてははっきりとした特色があり、14行のソネット全ての詩行で [ i ]の音が何度も耳を打つ。

Le vierge, le vivace et le bel aujourd’hui
Va-t-il nous déchirer avec un coup d’aile ivre
Ce lac dur oublié que hante sous le givre
Le transparent glacier des vols qui n’ont pas fui !

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マラルメ 「聖女」 Mallarmé  « Sainte »  詩=音楽

ステファン・マラルメは、20世紀以降のフランス文学に対して大きな影響を及ぼし、21世紀の現在でも文学批評の中で主題的に語られることがしばしばある。
その一方で、彼の詩は理解するのが難しく、詩そのものとして味わいを感じる機会はそれほど多くない。

マラルメは詩における音楽性の重要性を強調した。そして、彼の詩句が生み出す美の大きな要素は、言葉の奏でる音楽から来る。

その音楽は、日本語の翻訳では決して伝わらない。
また、たとえフランス語で読んだとしても、通常の言語使用を故意に混乱させ、意味の流通を滞らせることを意識した詩的言語で構築されているために、一般のフランス人読者だけではなく、文学研究を専門にするフランス人でも、マラルメの詩は難しいとこっそり口にすることがある。

そうした中で、日本の一般の読者がマラルメの詩を読むことの意義がどこにあるのかと考えることも多々あるのだが、しかし、せっかくフランス語を読むことができ、フランスの詩をフランス語で読む楽しみを知る読者であれば、難しい課題に挑戦し、少しでもマラルメの詩句の音楽性を感じられれば、それは大きな喜びとなるに違いない。
そんな期待をしながら、「聖女(Sainte)」を読んでみたい。

この詩では、音楽の守護聖女である聖セシリア(Sainte Cécile)が取り上げられ、詩の音楽性が主題的に歌われている。

まず最初に、意味は考えず、詩句の奏でる音楽に耳を傾けてみよう。

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マラルメ 牧神の午後 Mallarmé L’après-midi d’un faune 6/6 逃れ去る美の影を求めて

膨らめた「思い出」の最後、獲物のニンフは逃げ去ってしまう。そこで牧神は、それまでの思いを断ち切るかのように「仕方がない(Tant pis)!」と口に出し、意識を他所の向けようとする。

Tant pis ! vers le bonheur d’autres m’entraîneront (93)
Par leur tresse nouée aux cornes de mon front :
Tu sais, ma passion, que, pourpre et déjà mûre,
Chaque grenade éclate et d’abeilles murmure ;
Et notre sang, épris de qui le va saisir,
Coule pour tout l’essaim éternel du désir.

仕方がない! 幸福に向かって、別の女たちが、おれを連れていってくれるだろう、(93行目)
彼女たちの髪を、おれの額の角に結んで。
お前は知っている、おれの情念よ、真っ赤に色づき、すでに熟した、
一つ一つのザクロが破裂し、蜜蜂でざわめいているのを。
おれたちの血は、それを捉えようとする者に夢中になり、
流れていく、欲望の永遠の群全体のために。

(朗読は6分53行から)
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マラルメ 牧神の午後 Mallarmé L’après-midi d’un faune 5/6 一と多の戯れ

空のブドウの房に息を吹き込み、そこから立ち上る旋律がもたらす酔いを熱望すると語った後、62行目になると、牧神はニンフたちに、思い出(SOUVENIRS)を再び膨らめようと語り掛ける。

その際、SOUVENIRSという言葉が大文字で書かれる。その大文字は、25行目でシチリア島の岸辺に向けて「CONTEZ(物語ってくれ)」と言ったことを思い出させる。
ここで息を吹き込み膨らめる思い出は、必ずしも現実に起こったことを思い出すのではなく、牧神とシランクスの神話に基づいた物語あるいはフィクションである可能性もある。

そのSOUVENIRSは63行目から92行目まで続くが、3つの部分に分けられる。
最初(63-74)と最後(82-92)は直接話法を示すカッコが使われ、文字はイタリック体に置かれる。その間に置かれた2番目の部分(75-81)は、地の文に戻る。

思い出は、森の中で宝石を思わせる美しい存在を目にすることから始まる。

Ô nymphes, regonflons des SOUVENIRS divers.  (62)
» Mon œil, trouant les joncs, dardait chaque encolure
» Immortelle, qui noie en l’onde sa brûlure
» Avec un cri de rage au ciel de la forêt ; 
» Et le splendide bain de cheveux disparaît
» Dans les clartés et les frissons, ô pierreries !
» J’accours ; quand, à mes pieds, s’entrejoignent (meurtries (68)
» De la langueur goûtée à ce mal d’être deux)
» Des dormeuses parmi leurs seuls bras hazardeux :
» Je les ravis, sans les désenlacer, et vole (71)
» À ce massif, haï par l’ombrage frivole, 
» De roses tarissant tout parfum au soleil,
» Où notre ébat au jour consumé soit pareil.

おお、ニンフたちよ、再び膨らめよう、様々な「思い出」を。 (62行目)
「おれの眼差しは、葦の茂みを穿ち、一つ一つの首筋を射貫いた、
その不死の首筋は、波の中に沈める、焼けた跡を、
森の上の空に向かい、怒りの叫び声を上げながら。
そして、水と溶け合う髪の輝かしい塊が、消え去っていく、
光と震えの中に、おお、宝石よ!
おれは駆け寄る。おれの足元で、絡み合うのは、(傷ついている、(68行目)
二人であるという傷みから味わう倦怠によって、)
眠る女たち、彼女たちの危険をはらむ腕だけが彼女たちを取り込む。
おれはあいつたちを捕まえる、二人を引き離すことなく、そして飛んで行く、 (71行目)
あの茂みへと、気まぐれな木陰に憎まれ、
太陽の下、香り全てを涸らしてしまうバラたちの茂みへと。
そこで、おれたちのお遊びは、燃え尽きた日差しに似たものになる。」

(朗読は4分46秒から)
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